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前半戦
6.獄主、苺は一人で食べましょう *(微)
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十居に続く小道を、テキロは速足で歩いていた。
途中にいた小鬼に獄主の来訪を伝え、大急ぎで迎えの準備を整えるよう指示を出す。
数メートル後ろを獄主と聡一朗が並んで歩いてくる。
(ああ、聡一朗……並んで歩くな! 一歩後ろ!)
そう毒付きながらもテキロは歩を進める。まさか獄主が来るとは思っていなかった為、何の心構えもないし、聡一朗に教育も怠っていた。
(なんだあの2人、いつの間に仲良くなった? なぜ聡一朗は報告しない? ああ、何で俺は教育を怠ったんだ……)
聡一朗への恨み言と、自分への恨み言を脳内で並べ立てていると、やっと十居が見えた。
ギリギリ間に合ったのか、小鬼たちが列を成して跪いている。
その姿に驚いたのか、聡一朗が仰け反っている。
「な、なんだ皆、どうした!?」
狼狽える聡一朗を、獄主が引っ張って部屋へと入っていく。小鬼たちは顔を見合わせて頷き合うと、次の行動へ移っていった。
昼間でも、獄主が訪れるという事は、閨を整えなければならない。必要なら、夕餉まで考えねばならない。
獄主が訪れるという事は、一大事なのだ。
「あいつら、どうしたんだ? なぁテキロ」
テキロは聡一朗と目を合わせないまま、獄主に椅子を引いた。聡一朗が首を傾げていると、獄主が繋いでいた手を引っ張る。
「そういちろう、も座れ」
見れば座った獄主が見上げている。その瞳は以前の寒々しい雰囲気が緩み、何かをねだる子供にも見えた。
「ああ」といいながら聡一朗が座ると、獄主は繋いだ手を離した。
出された茶に口をつけた聡一朗は、いつもと味が違う事に気付いた。高級なものを特別に出しているんだろう。
苦笑しながら湯呑に口を付けて、聡一朗はいつもと違う鬼達を愉快そうに眺める。
その顔をじっと見ている獄主に気付き、聡一朗は「ああ」と言いながら笑った。
「すまん。やっぱり獄主は偉いんだな。失礼があったら言ってくれ」
「……構わん。そういちろうは……そのままで良い」
そう言いながら獄主は視線を下げてしまう。
聡一朗は、菓子の入った器(いつもより大分立派)を獄主側に押しながら、人懐こい笑顔を向けた。
「今日は、どうしたんだ?」
その聡一朗の問いに、傍で控えるテキロが愕然とした。
(ああ、馬鹿か! 聡一朗! お前は馬鹿だ!)
獄主が候補者の居を訪れる事に、理由などあるはずが無い。花嫁を選ぶために来て、候補者は獄主に選んでもらうようあの手この手を使う。
何で来たの?なんて問いは愚問中の愚問だ。
獄主も意表を突かれたのか、聡一朗の顔を見て微動だにしない。僅かにも動かない獄主を、聡一朗は目を丸くしたまま凝視している。
「そう、いちろうは……」
「うん?」
聡一朗は、獄主になるべく穏やかな目を向けるよう努力した。
昨日小道で会った時は、獄主の声は小さく聞き取り辛かった。それが今日は少し改善しているようだ。
初めて会った時に胸倉を掴んだ聡一朗にもお咎めなしだったし、獄主は意外と繊細なのかも、と聡一朗は考えた。
なるべく柔和に接したら、もう少し態度を緩めてくれるかもしれない。
「そういちろうは、恋愛相談を優しく聞くのか?」
「………おお!」
それを聞いた聡一朗の目が輝いた。
その顔を見て、獄主が俯く。耳が微かに赤くなっているのが、テキロにははっきり見て取れた。
「聞く聞く! アドバイスは期待しないで欲しいけど、一緒に考えればいい! 候補者か? 良かったなぁ、獄主!」
「ああ」
テキロは我が目を疑った。
獄主が、笑っているのだ。聡一朗に向けて、それはそれは優しく微笑んでいる。
「んん? でも候補者なら、悩む必要は無いんじゃないか? 皆あんたを待ってるだろ」
「……それが、その者はこの手の事に慣れていないようなんだ。私も少しずつ進めたいんだよ」
「おお……」
地獄を統べる長が、人間相手に恋をしている。絶妙な胸熱シチュエーションに、聡一朗は一層この獄主への好感度を上げた。
「良いねぇ! 応援するよ! えっと、まずは足繁く通う事だよなぁ」
「……そうか」
「ああ、後は相手の好みを調べて、贈り物するとか?」
「……そうか。調べておく」
思案しながら表情をコロコロ変える聡一朗を、獄主は穏やかな顔で見ている。
テキロはそれを見ながら、拳を握りしめた。
(聡一朗……多分、おまえの事だぞ……!)
聡一朗の鈍感さは、最早病気だ。鬼たちからも密かに人気を集め、候補者という立場である聡一朗を命がけで口説く鬼もいる。
その口説きにも、聡一朗は靡かない。というか、そういう誘いだと本人が気付かないと聞いている。
まさか獄主相手にもこれとは、テキロは頭を抱えた。
「……贈り物をしたら、次はどうする? 人間は、どんな手順を踏む?」
「んん、そうだな。ああ、手を繋ぐとか?」
「………なるほど」
なるほど、と呟いて、獄主は聡一朗の手を握った。
握られた聡一朗は、獄主の目を見つめながら首を傾げている。獄主はそんな彼を見つめながら、頬を緩めた。
「………こんな感じでいいか?」
「……? ん、ああ、そうだな! こんな感じで良いかも。自然な流れで、とても良いと思う」
「………そうか」
聡一朗に褒められ、獄主はご満悦のようだ。あまり表情に変化はないが、鬼たちにとっては驚くべき変化だった。
獄主が笑っているところを見た鬼など、生きている中で存在するのだろうか。
「そういちろう」
「ん?」
繋いだ聡一朗の手を、獄主は形を確かめるように親指で擦る。獄主は聡一朗の手を愛おしそうに見つめるが、彼はその視線の熱さに気付くことは無い。
「土を弄る時、素手はやめろ。今度、作業用の手袋を届けさせる」
「え? ……面倒だな。洗い物が増えるだろ?」
「……駄目だ。付けろ。私から鬼たちには言っておく」
「……んん、ああ、分かったよ」
返事に満足したのか、獄主は眉を下げる。
この間より随分柔らかい表情に、聡一朗は笑顔になった。ふと外を見ると、夕焼けが空を染めている。
「あ、もう夕方か。獄主、意中の相手の居に行かなきゃいけないんじゃないか?」
「………ああ」
明らかに沈んでいる獄主の声を、聡一朗は勘違いしたようだ。
ニコニコと笑うと、獄主の肩をバンバン叩く。
「緊張してんのか? 大丈夫だよ。あんたは綺麗だし、拒むやつはいないよ!」
「………そうか?」
「そうさ! 少々強引な方が、良いかもな! ぃよし! 送ってくよ」
立ち上がる聡一朗に倣って、獄主も立ち上がった。
テキロも付いて行こうと立ち上がると、聡一朗に分からない様に、獄主に牽制される。
「ついて来るな」の瞳。
鬼が無条件で従ってしまう獄主の目に、テキロは跪くしかなかった。
______
中庭に続く小道。
そこを聡一朗と獄主は2人きりで歩いている。途中に咲いている花の名を、聡一朗は獄主に教えて笑う。
(そういちろう……名前で呼ぶことが出来た)
名前で呼ぶ、たったこれだけの事で心を揺さぶられる事など、今まで無かった。
少し癖のある黒髪も、笑うと垂れる瞳も、全てが愛おしくて狂おしい。
獄主が微笑むと、聡一朗も笑みを返す。
今まで味わったことのない多幸感は、乾いた獄主の心をこれでもかと満たしてくれた。
夕陽は落ちて、少しばかり燻っている。
朱に染まっていた聡一朗の顔が見えにくくなり、獄主はもどかしさに心を乱された。
小道は途切れ、門が見え始める。別れはそこまで迫っている。いやだ、離れたくない、という駄々っ子が顔を出すのも、初めての感覚だった。
(恋とは……かくも、悩ましいものなのか)
獄主が眉を寄せていると、横にいたはずの聡一朗の声が少し遠くから響いた。
十居の門の裏側に身を屈めていた聡一朗は、振り返って獄主に満面の笑みを向ける。
「獄主! 苺が生ってたぞ! この色はきっと美味い」
今日は良い天気だったからな、と笑う顔に、獄主は釘付けになった。
聡一朗の手に握られている苺は、なるほど真っ赤に熟れている。そのヘタをくり抜く手は果汁に濡れて、酷く扇情的に映った。
獄主の目の前に、その手が突き出される。
「獄主、苺好きか?うまいぞ?」
獄主はその手を掴み、指ごと口に含んだ。歯を立てられると思ったのか、聡一朗が慌てて手を引く。
聡一朗が驚いて獄主を見上げると、苺はその形をほぼ残したまま、獄主の口に挟まっていた。
「びっくりした。俺の指まで食うな……」
聡一朗が言い終わるか否か、獄主は門裏に聡一朗を押し付けた。目を白黒させている聡一朗の唇に、苺を含んだままの唇を重ねる。
「んん!むぐ……」
口移しで苺を押し込み、舌で潰す。果汁が垂れ、それを聡一朗の舌と共に吸った。
「む、ぐ……ぅ」
舌で咀嚼するように撫でまわし、吸い上げる。
角度を変えて、口内を撫でまわす。苺はグズグズに崩れ、唾液と果汁が混じり合った口内は甘く、蕩けるようだった。
顎の裏を獄主が舌で擦ると、聡一朗から上擦った声が漏れる。
「んん、ぁぁ、ちょッ……ごくしゅ……まっ……!」
果汁と唾液が混ざり合って、聡一朗の口端から流れ落ちた。
それすら惜しい気がして、獄主は一度唇を離し、聡一朗の顎からそれを舐め取った。
そのまま下唇に柔く吸いつくと、位置を変えながら唇全体に噛みついて舌をねじ込む。
「んン、はぁ、くるし……まっ……」
門に押し付けられている聡一朗は、獄主の背中の服を引っ張った。引いても叩いてもびくともしない。
身体全体を押さえつけられ、鬼と人間の力の違いが恐い程解る。
ちゅぷり、と音を立ててようやく唇が離れても、急激に入り込む酸素にクラクラと眩暈がする。やっと息が出来るようになった聡一朗は、肩を上下に揺らしながら荒い息を繰り返した。
「そういちろう」
「……はぁ、は、何だ?」
「……こんな感じで良いか?」
「ん?」と言いながら聡一朗は顔を上げる。
そこには問うような顔をした獄主がいた。ああそうか、と聡一朗は毒気が抜かれる。
グイッと袖口で口を拭うと、目の前の獄主を、少し責めるような色を乗せて見据えた。
「ちょっと恐い。もっとゆっくりが良いかもしれん」
「……恐い?」
「ああ。あ、でも俺の意見だから。他の人は慣れてんのかもしれないけど……てか、その人も慣れてない感じなんだろ?」
獄主が頷くのを見て、聡一朗は「じゃあ、もう少し優しくだな」と穏やかに笑う。
その表情を見て、獄主は自分の中に僅かに暗いものが頭を擡げるのを感じた。
自分で望んでもいない、無理矢理に行われたキス。それすらこの男は許してしまうのか。無理強いした男に向けてのこの笑みは、相手を勘違いさせるに違いない。
ついに実態の無いモノへの嫉妬までしてしまう自分は、どこまでも浅ましく感じる。
「そういちろうは、苺が好きか?」
「苺? 好きだ。普通に食べたいけど」
皮肉を込めて笑う聡一朗に、獄主は穏やかに笑みを返す。
「私も好きだ」と言うと、聡一朗から「じゃあ一緒だな」と返ってくる。
聡一朗が纏う空気が、驚くほど心地が良かった。
門前で手を振る聡一朗に、胸が強烈な痛みを放つ。踵を返すのが辛い等、考えたこともなかった。
自室に帰る道のりは長い。聡一朗が住む十居は、一番遠くに位置している。
(居を移せと言ったら、聡一朗は従うだろうか)
十居には、彼の大好きな花が植えてある。それも自分で植えたものだ。
居を移せと命令すれば、候補者は動かざるを得ない。どれだけ彼が心を痛めるか、考えるだけでも心苦しい。
無理矢理奪えばいいのだ、と正直思う事もある。獄主という立場を利用して、腕に抱き込めばいい。一番効率的で、正解なのかもしれない。
居を移せと命令し、無理矢理に唇を合わせ、合意もなしに抱く。
彼はどんな顔をするだろう。
だがあの笑顔を曇らせてしまうのだけは、何故だか避けたかった。
「フウト、ライト」
「はっ」
「………三居の候補者は、男だったな?」
「そうでございます。名は……」
「いらん」
冷たく吐き捨てるように言うと、三居の門を見つめる。
「今から行くと言え」
「御意」
自分の浅ましい昂ぶりを治める先は、きっと聡一朗じゃない。
獄主は三居で出された酒を呷ると、候補者を見た。
顔を朱色に染めて、潤んだ瞳で見つめられる。
吐き気がした。咎津の匂いは催淫の効果があるが、今はそれにすらも嫌悪感を抱く。
違う、お前じゃない。その想いを押し込んで三居の候補者の腕を掴み、寝室へ連れ込む。
キスをねだる男を、ベッドに放り投げた。聡一朗の匂いが残る自分の唇を、他の者に奪われたくはない。
うつ伏せの体勢にすると、雑に香油で慣らす。
派手な嬌声を上げる男の声が気に食わず、手巾を口に突っ込んだ。
男の後頭部を押さえながら自分の昂ぶりを突き入れると、男の背がびくりと揺れる。
(そういちろう……)
その名を想うと、昂ぶりが増していくのを感じた。
違うとは思いながらも、腰を打ちつけて男を絶頂へと導く。何度も何度も男がイクのをどこか冷たい目で見ながら、獄主は自らの熱を男の背中へと放った。
後味は最悪なものだったが、昂ぶりは治まった。
荒い息を繰り返す候補者をベッドに放置したまま、獄主は着物を身に着ける。
「獄主、良かったです。愛しています。ああ、中に出して欲しかった……」
いつの間にか手巾を取った男が放ってきた言葉に、腹の底から嫌悪が湧いた。
しかし今しがた抱いた男に、暴言を吐くほど冷酷にはなれない。まるで穢れでも掃う様に自身の着物を叩き、男を一瞥して部屋を出た。
三居の候補者が寵愛を得たと、次の日から噂は広まっていた。
途中にいた小鬼に獄主の来訪を伝え、大急ぎで迎えの準備を整えるよう指示を出す。
数メートル後ろを獄主と聡一朗が並んで歩いてくる。
(ああ、聡一朗……並んで歩くな! 一歩後ろ!)
そう毒付きながらもテキロは歩を進める。まさか獄主が来るとは思っていなかった為、何の心構えもないし、聡一朗に教育も怠っていた。
(なんだあの2人、いつの間に仲良くなった? なぜ聡一朗は報告しない? ああ、何で俺は教育を怠ったんだ……)
聡一朗への恨み言と、自分への恨み言を脳内で並べ立てていると、やっと十居が見えた。
ギリギリ間に合ったのか、小鬼たちが列を成して跪いている。
その姿に驚いたのか、聡一朗が仰け反っている。
「な、なんだ皆、どうした!?」
狼狽える聡一朗を、獄主が引っ張って部屋へと入っていく。小鬼たちは顔を見合わせて頷き合うと、次の行動へ移っていった。
昼間でも、獄主が訪れるという事は、閨を整えなければならない。必要なら、夕餉まで考えねばならない。
獄主が訪れるという事は、一大事なのだ。
「あいつら、どうしたんだ? なぁテキロ」
テキロは聡一朗と目を合わせないまま、獄主に椅子を引いた。聡一朗が首を傾げていると、獄主が繋いでいた手を引っ張る。
「そういちろう、も座れ」
見れば座った獄主が見上げている。その瞳は以前の寒々しい雰囲気が緩み、何かをねだる子供にも見えた。
「ああ」といいながら聡一朗が座ると、獄主は繋いだ手を離した。
出された茶に口をつけた聡一朗は、いつもと味が違う事に気付いた。高級なものを特別に出しているんだろう。
苦笑しながら湯呑に口を付けて、聡一朗はいつもと違う鬼達を愉快そうに眺める。
その顔をじっと見ている獄主に気付き、聡一朗は「ああ」と言いながら笑った。
「すまん。やっぱり獄主は偉いんだな。失礼があったら言ってくれ」
「……構わん。そういちろうは……そのままで良い」
そう言いながら獄主は視線を下げてしまう。
聡一朗は、菓子の入った器(いつもより大分立派)を獄主側に押しながら、人懐こい笑顔を向けた。
「今日は、どうしたんだ?」
その聡一朗の問いに、傍で控えるテキロが愕然とした。
(ああ、馬鹿か! 聡一朗! お前は馬鹿だ!)
獄主が候補者の居を訪れる事に、理由などあるはずが無い。花嫁を選ぶために来て、候補者は獄主に選んでもらうようあの手この手を使う。
何で来たの?なんて問いは愚問中の愚問だ。
獄主も意表を突かれたのか、聡一朗の顔を見て微動だにしない。僅かにも動かない獄主を、聡一朗は目を丸くしたまま凝視している。
「そう、いちろうは……」
「うん?」
聡一朗は、獄主になるべく穏やかな目を向けるよう努力した。
昨日小道で会った時は、獄主の声は小さく聞き取り辛かった。それが今日は少し改善しているようだ。
初めて会った時に胸倉を掴んだ聡一朗にもお咎めなしだったし、獄主は意外と繊細なのかも、と聡一朗は考えた。
なるべく柔和に接したら、もう少し態度を緩めてくれるかもしれない。
「そういちろうは、恋愛相談を優しく聞くのか?」
「………おお!」
それを聞いた聡一朗の目が輝いた。
その顔を見て、獄主が俯く。耳が微かに赤くなっているのが、テキロにははっきり見て取れた。
「聞く聞く! アドバイスは期待しないで欲しいけど、一緒に考えればいい! 候補者か? 良かったなぁ、獄主!」
「ああ」
テキロは我が目を疑った。
獄主が、笑っているのだ。聡一朗に向けて、それはそれは優しく微笑んでいる。
「んん? でも候補者なら、悩む必要は無いんじゃないか? 皆あんたを待ってるだろ」
「……それが、その者はこの手の事に慣れていないようなんだ。私も少しずつ進めたいんだよ」
「おお……」
地獄を統べる長が、人間相手に恋をしている。絶妙な胸熱シチュエーションに、聡一朗は一層この獄主への好感度を上げた。
「良いねぇ! 応援するよ! えっと、まずは足繁く通う事だよなぁ」
「……そうか」
「ああ、後は相手の好みを調べて、贈り物するとか?」
「……そうか。調べておく」
思案しながら表情をコロコロ変える聡一朗を、獄主は穏やかな顔で見ている。
テキロはそれを見ながら、拳を握りしめた。
(聡一朗……多分、おまえの事だぞ……!)
聡一朗の鈍感さは、最早病気だ。鬼たちからも密かに人気を集め、候補者という立場である聡一朗を命がけで口説く鬼もいる。
その口説きにも、聡一朗は靡かない。というか、そういう誘いだと本人が気付かないと聞いている。
まさか獄主相手にもこれとは、テキロは頭を抱えた。
「……贈り物をしたら、次はどうする? 人間は、どんな手順を踏む?」
「んん、そうだな。ああ、手を繋ぐとか?」
「………なるほど」
なるほど、と呟いて、獄主は聡一朗の手を握った。
握られた聡一朗は、獄主の目を見つめながら首を傾げている。獄主はそんな彼を見つめながら、頬を緩めた。
「………こんな感じでいいか?」
「……? ん、ああ、そうだな! こんな感じで良いかも。自然な流れで、とても良いと思う」
「………そうか」
聡一朗に褒められ、獄主はご満悦のようだ。あまり表情に変化はないが、鬼たちにとっては驚くべき変化だった。
獄主が笑っているところを見た鬼など、生きている中で存在するのだろうか。
「そういちろう」
「ん?」
繋いだ聡一朗の手を、獄主は形を確かめるように親指で擦る。獄主は聡一朗の手を愛おしそうに見つめるが、彼はその視線の熱さに気付くことは無い。
「土を弄る時、素手はやめろ。今度、作業用の手袋を届けさせる」
「え? ……面倒だな。洗い物が増えるだろ?」
「……駄目だ。付けろ。私から鬼たちには言っておく」
「……んん、ああ、分かったよ」
返事に満足したのか、獄主は眉を下げる。
この間より随分柔らかい表情に、聡一朗は笑顔になった。ふと外を見ると、夕焼けが空を染めている。
「あ、もう夕方か。獄主、意中の相手の居に行かなきゃいけないんじゃないか?」
「………ああ」
明らかに沈んでいる獄主の声を、聡一朗は勘違いしたようだ。
ニコニコと笑うと、獄主の肩をバンバン叩く。
「緊張してんのか? 大丈夫だよ。あんたは綺麗だし、拒むやつはいないよ!」
「………そうか?」
「そうさ! 少々強引な方が、良いかもな! ぃよし! 送ってくよ」
立ち上がる聡一朗に倣って、獄主も立ち上がった。
テキロも付いて行こうと立ち上がると、聡一朗に分からない様に、獄主に牽制される。
「ついて来るな」の瞳。
鬼が無条件で従ってしまう獄主の目に、テキロは跪くしかなかった。
______
中庭に続く小道。
そこを聡一朗と獄主は2人きりで歩いている。途中に咲いている花の名を、聡一朗は獄主に教えて笑う。
(そういちろう……名前で呼ぶことが出来た)
名前で呼ぶ、たったこれだけの事で心を揺さぶられる事など、今まで無かった。
少し癖のある黒髪も、笑うと垂れる瞳も、全てが愛おしくて狂おしい。
獄主が微笑むと、聡一朗も笑みを返す。
今まで味わったことのない多幸感は、乾いた獄主の心をこれでもかと満たしてくれた。
夕陽は落ちて、少しばかり燻っている。
朱に染まっていた聡一朗の顔が見えにくくなり、獄主はもどかしさに心を乱された。
小道は途切れ、門が見え始める。別れはそこまで迫っている。いやだ、離れたくない、という駄々っ子が顔を出すのも、初めての感覚だった。
(恋とは……かくも、悩ましいものなのか)
獄主が眉を寄せていると、横にいたはずの聡一朗の声が少し遠くから響いた。
十居の門の裏側に身を屈めていた聡一朗は、振り返って獄主に満面の笑みを向ける。
「獄主! 苺が生ってたぞ! この色はきっと美味い」
今日は良い天気だったからな、と笑う顔に、獄主は釘付けになった。
聡一朗の手に握られている苺は、なるほど真っ赤に熟れている。そのヘタをくり抜く手は果汁に濡れて、酷く扇情的に映った。
獄主の目の前に、その手が突き出される。
「獄主、苺好きか?うまいぞ?」
獄主はその手を掴み、指ごと口に含んだ。歯を立てられると思ったのか、聡一朗が慌てて手を引く。
聡一朗が驚いて獄主を見上げると、苺はその形をほぼ残したまま、獄主の口に挟まっていた。
「びっくりした。俺の指まで食うな……」
聡一朗が言い終わるか否か、獄主は門裏に聡一朗を押し付けた。目を白黒させている聡一朗の唇に、苺を含んだままの唇を重ねる。
「んん!むぐ……」
口移しで苺を押し込み、舌で潰す。果汁が垂れ、それを聡一朗の舌と共に吸った。
「む、ぐ……ぅ」
舌で咀嚼するように撫でまわし、吸い上げる。
角度を変えて、口内を撫でまわす。苺はグズグズに崩れ、唾液と果汁が混じり合った口内は甘く、蕩けるようだった。
顎の裏を獄主が舌で擦ると、聡一朗から上擦った声が漏れる。
「んん、ぁぁ、ちょッ……ごくしゅ……まっ……!」
果汁と唾液が混ざり合って、聡一朗の口端から流れ落ちた。
それすら惜しい気がして、獄主は一度唇を離し、聡一朗の顎からそれを舐め取った。
そのまま下唇に柔く吸いつくと、位置を変えながら唇全体に噛みついて舌をねじ込む。
「んン、はぁ、くるし……まっ……」
門に押し付けられている聡一朗は、獄主の背中の服を引っ張った。引いても叩いてもびくともしない。
身体全体を押さえつけられ、鬼と人間の力の違いが恐い程解る。
ちゅぷり、と音を立ててようやく唇が離れても、急激に入り込む酸素にクラクラと眩暈がする。やっと息が出来るようになった聡一朗は、肩を上下に揺らしながら荒い息を繰り返した。
「そういちろう」
「……はぁ、は、何だ?」
「……こんな感じで良いか?」
「ん?」と言いながら聡一朗は顔を上げる。
そこには問うような顔をした獄主がいた。ああそうか、と聡一朗は毒気が抜かれる。
グイッと袖口で口を拭うと、目の前の獄主を、少し責めるような色を乗せて見据えた。
「ちょっと恐い。もっとゆっくりが良いかもしれん」
「……恐い?」
「ああ。あ、でも俺の意見だから。他の人は慣れてんのかもしれないけど……てか、その人も慣れてない感じなんだろ?」
獄主が頷くのを見て、聡一朗は「じゃあ、もう少し優しくだな」と穏やかに笑う。
その表情を見て、獄主は自分の中に僅かに暗いものが頭を擡げるのを感じた。
自分で望んでもいない、無理矢理に行われたキス。それすらこの男は許してしまうのか。無理強いした男に向けてのこの笑みは、相手を勘違いさせるに違いない。
ついに実態の無いモノへの嫉妬までしてしまう自分は、どこまでも浅ましく感じる。
「そういちろうは、苺が好きか?」
「苺? 好きだ。普通に食べたいけど」
皮肉を込めて笑う聡一朗に、獄主は穏やかに笑みを返す。
「私も好きだ」と言うと、聡一朗から「じゃあ一緒だな」と返ってくる。
聡一朗が纏う空気が、驚くほど心地が良かった。
門前で手を振る聡一朗に、胸が強烈な痛みを放つ。踵を返すのが辛い等、考えたこともなかった。
自室に帰る道のりは長い。聡一朗が住む十居は、一番遠くに位置している。
(居を移せと言ったら、聡一朗は従うだろうか)
十居には、彼の大好きな花が植えてある。それも自分で植えたものだ。
居を移せと命令すれば、候補者は動かざるを得ない。どれだけ彼が心を痛めるか、考えるだけでも心苦しい。
無理矢理奪えばいいのだ、と正直思う事もある。獄主という立場を利用して、腕に抱き込めばいい。一番効率的で、正解なのかもしれない。
居を移せと命令し、無理矢理に唇を合わせ、合意もなしに抱く。
彼はどんな顔をするだろう。
だがあの笑顔を曇らせてしまうのだけは、何故だか避けたかった。
「フウト、ライト」
「はっ」
「………三居の候補者は、男だったな?」
「そうでございます。名は……」
「いらん」
冷たく吐き捨てるように言うと、三居の門を見つめる。
「今から行くと言え」
「御意」
自分の浅ましい昂ぶりを治める先は、きっと聡一朗じゃない。
獄主は三居で出された酒を呷ると、候補者を見た。
顔を朱色に染めて、潤んだ瞳で見つめられる。
吐き気がした。咎津の匂いは催淫の効果があるが、今はそれにすらも嫌悪感を抱く。
違う、お前じゃない。その想いを押し込んで三居の候補者の腕を掴み、寝室へ連れ込む。
キスをねだる男を、ベッドに放り投げた。聡一朗の匂いが残る自分の唇を、他の者に奪われたくはない。
うつ伏せの体勢にすると、雑に香油で慣らす。
派手な嬌声を上げる男の声が気に食わず、手巾を口に突っ込んだ。
男の後頭部を押さえながら自分の昂ぶりを突き入れると、男の背がびくりと揺れる。
(そういちろう……)
その名を想うと、昂ぶりが増していくのを感じた。
違うとは思いながらも、腰を打ちつけて男を絶頂へと導く。何度も何度も男がイクのをどこか冷たい目で見ながら、獄主は自らの熱を男の背中へと放った。
後味は最悪なものだったが、昂ぶりは治まった。
荒い息を繰り返す候補者をベッドに放置したまま、獄主は着物を身に着ける。
「獄主、良かったです。愛しています。ああ、中に出して欲しかった……」
いつの間にか手巾を取った男が放ってきた言葉に、腹の底から嫌悪が湧いた。
しかし今しがた抱いた男に、暴言を吐くほど冷酷にはなれない。まるで穢れでも掃う様に自身の着物を叩き、男を一瞥して部屋を出た。
三居の候補者が寵愛を得たと、次の日から噂は広まっていた。
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アリスは自分の性別がバレたらどうなるか、また自分の呪われた黒を見て相手はどう思うかと心配になった。そして顔合わせすることになったが、なんと公爵家の執事長に性別が即行でバレた。
公爵家には公爵と歳の離れた腹違いの弟がいる。前公爵の正妻との唯一の子である。公爵は、正当な継承権を持つ正妻の息子があまりにも幼く家を継げないため、妾腹でありながら爵位を継承したのだ。なので公爵の後を継ぐのはこの弟と決まっている。そのため公爵に必要なのは同盟国の有力貴族との縁のみ。嫁が子供を産む必要はない。
アリスティアが男であることがバレたら捨てられると思いきや、公爵の弟に懐かれたアリスティアは公爵に「家同士の婚姻という事実だけがあれば良い」と言われてそのまま公爵家で暮らすことになる。
一方婚約者、二十五歳のクロヴィス・シリル・ドナシアンは嫁に来たのが男で困惑。しかし可愛い弟と仲良くなるのが早かったのと弟について黙って結婚しようとしていた負い目でアリスティアを追い出す気になれず婚約を結ぶことに。
これはそんなクロヴィスとアリスティアが少しずつ近づいていき、本物の夫婦になるまでの記録である。
小説家になろう様でも2023年 03月07日 15時11分から投稿しています。
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