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前半戦
5.獄主、襲来
しおりを挟む「テキロはソイの事が好きなのか?」
ど直球な問いに、テキロは菓子を喉に詰まらせた。
運悪く今日の茶菓子は水っ気のないクッキーだ。ゲホゲホ咽るテキロに茶を渡した聡一朗は、腹を抱えて笑っている。
「な、なんて、なんて事を、あなたは、いきなり……!」
「ぷ、くく、テキロ、分かったから息を吸え! ぷ、駄目だ、俺も苦しい……!」
ばしばしテーブルを叩く聡一朗は、非常に愉快そうだ。
テキロは出来うる限りの殺意を乗せて睨むも、人間の癖に聡一朗にはまるで響かない。
獄主に逆らった人間は、胆の据わり方も半端ではないのだろう。
笑いすぎて出た涙を拭って、腕を組んだ後も、聡一朗はニヤニヤとテキロを見つめてくる。テキロは鼻梁に皺を寄せながらお茶を煽り、湯呑をテーブルに叩きつけた。
「………ソイとは、小さい頃から一緒なんです」
「……うん」
真剣な顔で話し出したテキロを見て、聡一朗は笑うのを止めた。腕を組んだまま、俯いたテキロの横顔を眺めている。
「小さい時から、良いなって思ってて、まだ小さいから駄目って思ってたけど……」
「うんうん」
「最近、あいつ、妙に……何というか……」
「うん、分かるよ。女性は急に成長するよな」
「! 分かりますか!? そうなんですよ。急に、女になってるような、気が……」
空になったテキロの湯呑に茶を注ぐと、聡一朗はまたうんうん頷く。頷きながら、黙ってテキロ話を聞いている。
「何か、変化があったのかなって、好きな男でも……出来たのか、なんて」
「……ふむ、その可能性はあるだろうな」
「……っつ! ……ですよね……」
項垂れるテキロは、恋に悩む少年に他ならない。鬼も人間も変わらないな、と思いながら、聡一朗は笑みを零した。
嘲笑しているわけでは勿論ない。心が和んで、目の前の小鬼が可愛くて仕方がない。
勿論、ソイも他の鬼たちも、皆穏やかで愛おしい。
「でも、意中の男がテキロの可能性も……あるかもな?」
「……っつ!?」
テキロが真っ赤になり、特有の三白眼がさらに小さくなる。
黒目消えるんじゃないかという程の狼狽え方だ。聡一朗はテキロの頭に手を延ばし、落ち着くようにワシャワシャ撫でた。
「慌てんなよ~時間はあるんだ。黒目が消えちまうぞ~テキロ」
「っつ!? 何を言っているんだあなたは……!」
聡一朗の住居は「十居」という名が付いている。
候補者たちの住居にも勿論付いていて、「一居」「二居」と、番号が振ってある。
「一居」が一番、獄主の居住区に近い。つまり一居の候補者が、獄主のお気に入りランキング一位という事になる。
獄主は候補者の居を移動させることも可能なのだ。
その十居にも中庭ほどではないが、庭がある。テキロや鬼たちは、聡一朗と良くここでお茶を飲む。
他の候補者は、鬼と関わろうとしない。完全に奴隷扱いだ。候補者とこんなに親しくする事など、ありえない事だった。
「聡一朗様も、そろそろ獄主様に気に入られようとしてみたらどうですか?」
「……なんでだよ。人の恋路を邪魔したくはねぇ」
「その恋路に、あなたも組み込まれていることをお忘れなく」
「へいへい」
テキロは横でクッキーを齧る聡一朗を見た。
見た目は決して悪くない。むしろ魅力的じゃないのかとテキロは思う。
確かに他の候補者は美形揃いだが、聡一朗は見れば見るほど味が出るような、そんな顔だ。
またもや自分の語彙力に呆れながら、テキロは嘆息した。
あの時感じた獄主の瞳は、勘違いだったとは思えない。しかしあれ以来、獄主は現れていなかった。
獄主は選ぶ側だ。あの場で聡一朗を手に入れようと思えば、出来た筈だった。
(あの獄主が、恋なんてしないか……)
少し残念だが、このままでも十分聡一朗は楽しそうだ。テキロはまたクッキーを齧って、笑う聡一朗と話をする。
その2人を見つめる瞳に、気付くものは誰も居なかった。
________
「報告せよ」
「はっ」
フウトとライトが戻るなり、獄主は矢継ぎ早に口を開いた。
姿を現した2人は獄主の前に跪くと、まずはフウトが口を開く。
「ソイの件は裏が取れました。真実の様です。2人の間に不貞はありません」
「……本当か」
「はい。複製も確認しました」
「……ご苦労だった」
獄主がライトに目を向けると、ライトが更に頭を垂れた。
「今日は、庭で世話役の鬼と茶菓子を楽しんでおられました」
「……鬼とか? ……親密そうだったか?」
「いいえ、世話役の恋愛相談に乗っていたようです。それは親切に聞いていましたよ」
「……そうか。ご苦労だった」
2人を下がらせると、獄主は小さく息を吐いた。顔に浮かぶのは少しの安堵と、苦悩だ。
コウトは仰け反って目を丸くする。
(悩まし気な吐息……! これは、間違いない!)
現獄主が地獄の長となって2万と数千年。コウトはこんな獄主の姿を見たことがなかった。
前獄主は豪快で、「THE 地獄の長」という雰囲気だったが、現獄主には感情の揺らぎがあまりない。特に恋愛方面で揺らいでいるのを、コウトは見たことが無い。
いつか本当に愛せる人が現れればと、願わずにはいられなかった。これが候補者ともなれば、願ってもない事である。
そして、コウトには気になっていることがもう一つあった。
獄王のデスクの片隅に、畳んだ布が置いてある。柄と造りから見て、パンツだという事は明らかだ。
(なぜパンツ!)
目を見開いていると、コウトの片眼鏡がカシャリと落ちる。発達した眉骨のお陰で、落ちることは滅多にないのだが、目を見開き過ぎたらしい。
「失礼を」
そう良いながら獄主を見ると、その視線はパンツに注がれている。
その瞳に、確かな熱が感じられた。パンツの持ち主に向けられた熱は、獄主を悩まし気な表情へと変えているようにも見えた。
〔確定です。恋です〕
そんな単語がコウトの目の前で踊り出した。
「き、今日は、どちらの候補の住居へ?」
コウトは意を決して訊ねた。この答えが、獄主の想い人だろう。
コウトは頭の中でスケジュールを組み直す。
閨の準備は完璧にしなければ。居の移動も考えなければなるまい。世話役の鬼の増員を。下賜は何にするか。
胸を高鳴らせたコウトに、獄主は冷たく答えた。
「行かん」
「え?」
「……少し出る。付いてくるな」
「……ぎ、御意」
御意の「い」の単語を言うより早く、獄主は出ていった。
獄主を追うフウトとライトの背中が、どこかワクワクしている。コウトは思わず声をかけた。
「獄主の、想い人は誰だ!?」
コウトの問いにフウトが振り向き、冷たい視線を寄越しながら笑う。
「現在、調査中です」
「……っつ! 貴様ら!」
またもやコウトが言い終わる前に、2人は姿を消す。
のけ者にされているような感覚を覚え、コウトは孤独感に苛まれた。
________
中庭に面した十居の門を見上げて、聡一朗は隣のテキロに目を向けた。
「この門柱に薔薇巻き付ければ、きれいだよなぁ」
「薔薇ですか。ちょっと難しいかもですねぇ」
人間界でのみ咲く花は、入手が困難だ。地獄で咲いている花は、まだ種類も少ない。
聡一朗とテキロが門を見上げていると、後ろから静かな声が響いた。
「薔薇か。後で届けさせよう」
テキロはその声に、総毛立った。鬼なら誰でも解る、獄主の声だ。
瞬時に跳び退き跪くと、頭を地面に押し付けた。
「獄主さ……」
「おう、獄主。来てくれたのか」
振り向いて挨拶する聡一朗に、テキロは心臓が止まるかと思いながら見上げた。
テキロが跳び退き過ぎたのか、聡一朗は手が届かない所にいる。引っ張って頭を下げさせようとしたが、無理な距離だった。
バクバク鳴る心臓と、詰まる息。テキロが狼狽えていると、獄主が聡一朗の手を取る。
「……今日は、汚れていないな」
「お? ああ、まだ土弄ってないからな。それより薔薇、ほんとにくれんの?」
「……勿論だ。……嬉しいか?」
親し気に話す2人に視線を泳がせながら、テキロは混乱する頭を整理しようと必死になった。
「嬉しいに決まってんだろ」と頬を緩ませる聡一朗を見る獄主の瞳。
それを見た瞬間、テキロはホッと息を吐いた。
(よ、良かった……)
目の前の獄主は穏やかだ。聡一朗に危険が無いことが分かっただけでも良かったと、テキロは強張った身体を解けさせた。
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