1 / 4
第1話
しおりを挟む
気持ち良いんだろ?俺の女で居ることが────。
ある晩冬の夜、自信に満ち溢れた言葉をベッドで、夫は妻に囁くように投げ掛けた。
妻はその言葉にも気持ち良くなったのか、躰を小さく捩らせる。
「あ……アッ────」
ゴツゴツとした男の指で必要以上に中を掻き回され、妻はシーツをギュッと掴み、それを強く握った。耐え難い快感が躰中を駆け巡り、愛する夫の愛情を全身で感じているようだった。
「お前がさ、俺に興味無くして離れてぇっつってもよ、俺はお前を離さねぇよ。お前がどんなに嫌だっつっても、檻に閉じ込めて俺から逃れねぇようにするから……」
夫は妻の中に入れていた指をゆっくり出し、それをねっとり舐めた。
「お前が何度俺を裏切っても、どんなに失望するような事をされても、俺はお前を嫌いにならない……」
────それ程好きなんだよ。
夫はそう小声で締め括ると、スッと眠りについた。背後から抱き締められたまま、妻は愉悦に浸りつつ、己の存在が夫にとってどれ程の価値を持つのかを想いながら、幸せな気持ちでゆっくりと入眠したようだった。
***
関東に名を馳せる極道組織の帝和会傘下にある蜷川組は、昭和初期の時代からこの地域一帯の治安を守って来た。
組を立ち上げた初代蜷川組組長・蜷川想介(にながわそうすけ)の燦然たる意向は、当代四代目の蜷川漆(にながわうるし)によって、今尚受け継がれている。
ヤクザとは言えど、そうした取り組みに精を出す人間が少なからず居ることで、町の住人がどれだけ安心して暮らせることか。
組を継いだ漆には、その役目を担う覚悟と責任があった。
その蜷川組は、現在事務所を都内の一等地に構えている。
三階建ての一軒家を改築した造りの建物は、一見洒落たビジネスオフィスのようだが、そこを使用している者達の風体を見れば大体どういう場所なのかは瞭然。
だが、その周辺の住人達が立ち退きしてほしいなどという反乱を一切起こさないのも、蜷川組が地域に根付き、治安維持を行なっている、長きに渡る信頼と実績の安堵感故からだった。
漆には最愛の幼妻が居る。
その愛妻家ぶりもまた、組織の在り方同様、目を見張るものがあるようだ。
***
蜷川組事務所一階の奥にある客人用テーブル席では、組長である蜷川漆と、漆の兄弟分であり、若頭の嶋本東成(しまもととうせい)、幹部で金融関係のシノギをしている灰瀬雷(はいせらい)、そしてこの面々から金を借りた刈谷篤巳(かりやあつみ)という見た目軟弱そうなサラリーマン風の中年男性が向かい合って座っている。
漆も嶋本も雷も、かなりのタッパがあり、ガタイも良い為に威圧感があり近寄り難い。その中にポツンと居る刈谷は一六〇センチも無い身長故に三人の間に埋もれてしまっているかのようだった。
今日この場に、漆と嶋本というこの二人の錚々たる顔ぶれが揃うことになってしまったのには、ちょっとした理由があった。漆と嶋本が事務所への道を歩いている時、雷が刈谷と揉めている所に遭遇した為、助けを求められた漆と嶋本は長年ヤクザ業で培って来た上手い口を使って刈谷を事務所まで連れて来た、その流れで同席することになった、という訳である。刈谷の緊張は最高潮の高まりを見せ、額からは尋常でない量の脂汗をかいている。
「なあ刈谷さんよぉ……借りた金返すなんて小学生でも解るでしょ。アンタもいい大人なんだからさぁ」
雷が自前のタレ目を細めさせ、心底呆れた声で刈谷を諭す。項垂れる刈谷に疲労が見える。
「無いものは無いんだよ……払いたくても払えないんだ」
『無いものは払えない』このような未払い債務者の常套句は金貸しの雷にとっては耳にタコだった。随分な図々しさだ。借りた物を返さない事に腹立たしさを感じずには居られない。そう雷は心の中で煮え滾らせていた。
そして、なるべく大事にしたくはない為、穏やかな口調で何とか刈谷から金を返してもらおうと、説得を試みている雷だった。
「だからって四ヶ月も連絡無しじゃねぇ。せめて利息分だけでも────」
雷が言いかけると、刈谷は勢い良く立ち上がり、「うるせぇぞ極道風情が!!無ぇもんは無ぇんだよ!!」。
シンと静まり返る事務所内。そこに溜め息を落とした嶋本が、インテリメガネのブリッジをクイと上げて口を開いた。
「しかし刈谷さんおかしいですね……お金が無いという割にはキャバクラや風俗……賭け麻雀とだいぶお金を使っているようですが……」
刈谷の資料を見ながら嶋本は刈谷の痛い所を突いた。
その言葉に刈谷の顔が焦りを見せ始め、言い続け様に嶋本は刈谷を追い詰めようとする。
「本日もお給料日でしょう?払うもの払ってしまった方がいいかと……」
「チクショウ……だが俺は払わないぞ!今日だって、お前らが無理矢理ここに連れ込んだんだ。いざとなったらお前らに脅された誘拐されたって警察に電話したっていいんだぞ!!」
そう言って刈谷はスマホをズボンのポケットから取り出した。額からは湯水のように脂汗が湧いて出、そこから滴り落ちる程に刈谷は感情に異常をきたしていた。とは言えそれに反するように彼の行動、言動は荒々しくなり、漆らを下に見るかのようなデカい態度をとるのが止まらなくなってしまっていた。今すぐここから去りたい。あわよくば金を返さなくていいことになりたい。だからこのヤクザ達に対抗し得る威勢の良さが刈谷には必要だった。けれどもそれはから回るように、当然のようにヤクザ達の反感を買うことになってしまう。
なのに漆は、「まあ、とりあえず座りなよ刈谷さん」そんなヤクザらしからぬ態度で宥めるような言葉をかける。それは漆が単に諍いが好きではない、という本来からある優しさの中から出た言葉であった。
「あぁっ!?俺はこのまま帰────」
「座れっていうのが聞こえねぇのかッッッッッ!!」
一瞬、このフロアの無機物、有機物が浮くような感覚に捉われる一同。そんな漆の怒号に帰ろうとした刈谷は震え上がり、手に持っているスマホを思わず床に落とした。
金を貸したのは漆らだ。だが借りたのは刈谷の都合である。とは言え漆は穏便に事を済まそうと計らった。それを台無しにしたのは刈谷自身の悪心である。つまり全て刈谷の非なのだ。漆らの非はあって無いようなものなのである。だから漆はその理不尽さに怒号を上げたのだ。
「こっちは違法性の無い金利で金貸してるんですよ」
言いながら、刈谷に落ちたスマホを拾い渡す。
「なのにごねて警察行くなんざちょっとスジが通らねぇんじゃねぇか?あるのに払わねぇんじゃこっちにも考えがあるぜ?」
漆の言う事は極道の世界ではスジの通った正しい事かもしれないが、カタギの人間からしてみれば脅しの言葉としてしか取れないだろう。だが刈谷はその極道者から金を借りた時点で極道のスジを通す必要があるのかもしれない。
「な……何だよっ、その考えって」
刈谷は顔を引きつらせる。
「極道の考えだよ……」
影が落ちた漆の鋭い体躯に刈谷は圧巻し、涙し、体を上下に震わせた。この時点で刈谷は負けを認めればいいものを、まだほんの少し諦められずに居た。随分図太い神経の持ち主である。
その折、事務所の入り口の扉が開き、そこから小さな女の子が現れた。
「うゆしゃんおまたせぇ~!あ、おといこみちゅうだった??」
修羅場に、まるで舞い降りた天使のような声が響く。彼女はピンクベージュ色の巻き髪をゆさゆさ揺らし、まるで西洋人形のような整った面立ちを持ち、着ている服はたっぷりレースが使われている。背はとても低く、けれども豊満な胸元が、彼女が性的な象徴として扱われている様子を伺わせるようであった。
漆は眼の色を瞬時に変え、「美嘉ぁ!」と喜びの声を上げた。少女の正体は漆の妻の美嘉だ。今まで険しい顔をしていた漆だが、それは一も二もなく満面の笑みに変わり、愛する美嘉のもとに駆け寄り抱き締めると、美嘉も顔を綻ばせ、抱き返してくれたのだった。
「待ってたぜ、美嘉」
笑い合い抱き合う二人の朗らかさに、場の空気が一瞬で和んだ。
そんな空間でも嶋本と雷は無表情、刈谷はというと、呆気に取られている。
そこに嶋本が釘を刺した。
「えー……刈谷さん。今から四代目はデートでして……あの人デートを台無しにされるとさっきの勢いじゃ済まないんですが、どうしますか?」
漸く諦めの付いた刈谷はすぐさま「お金……返します!!すいませんでした……」と、恐怖の涙ながらに頭を下げたのだった。
***
目の前の墓石には『三國家之墓』と深く彫られている。手を合わせ、娘さんとの結婚生活が順調にいっていることを報告、これからも娘さんを守り続けて行くことを約束し、そして、感謝や想い出語りなどをして目を開ける。冬場の冷たい乾風が頬を撫ぜ、枯れ葉がアスファルトの上を転がっている。
妻の美嘉の両親であり、俺の幼稚園来の親友夫婦でもある三國文近(みくにふみちか)と朋美(ともみ)が飛行機事故で亡くなって早八年。あれ以来美嘉はショックでろれつが回らなくなり、精神的な症状が出るようにもなってしまったが、時間の経過と共に何とか元気を取り戻し、今は俺との生活に充足しているようで安心している。
「四代目、そろそろ事務所に戻りましょう」
嶋本の声が背後から聞こえ、俺はゆっくりと振り返る。
「あ、ああ。付き合わしちまってすまなかったな」
「いえ。貴方のワガママに付き合うのは慣れていますので」
俺は嶋本の言い草に嬉しくなり、はにかんだ。コイツとも付き合いが長い。悪意を感じないからこそはにかむのだ。
今日は文近達の命日でも何でもねぇ日だが、仕事で近くに寄った為、無理言って墓参りさせてもらった訳だ。
「親父!車出しますよ!」
運転手の雷に促され、墓地を後にした。
帰りの車中、俺は思い出していた。あの飛行機事故から八年、美嘉と結婚して四年程になるが、その間、本当に色々な事があった。あり過ぎて何から思い出していけばいいのかが分からなくなる程だ。
『愛娘をヤクザのお前なんかに誰がやるかよ!』と、生前いつもそうやって俺にキレていた文近が、飛行機が堕ちて行く中で『漆、美嘉を泣かせたら承知しねぇぞ』という想いを残していたのを事故の遺留品にあった文近の、少し焦げた手帳に見つけた時、俺はその場で泣き崩れた。
アイツらの愛娘に惚れちまったと気付いたのは、美嘉がまだ幼い時だった。自分でもヤベェ感情抱いてんのは解ってた。だがその感情は日にひに大きくなっていった。朋美は俺の味方になってくれたが、文近は溺愛する娘に毎日のように会いに来る俺を邪険にした。そりゃあ当たり前の事だろう。男親として、二十も歳の離れたヤクザもんがいくら自分の親友だとはいえ、幼い娘に恋心を抱いてるなんて知ったらどんな親でも反対する。
でも俺は諦めなかった。美嘉が一六歳の誕生日を迎え、結婚するまでは絶対に体に手出しはしねぇって、勝手に自分の中で決意していた。その誠意がアイツに伝わっていたんだと判り、なら何でお前は美嘉と俺の幸せを最後まで見届けてくれなかったんだ?そう思ったら自然と涙が込み上げて来たんだ。
ボーッと窓外を見る。その眼は曇り空の下でゴミ漁りをするドス黒いカラスを捉えていた。まるで不吉そのものを追うような瞳孔は、俺の意識を安易と吸っていった。
俺は一気に愛する親友二人を失くした。────あの日の夜、電気すら点けず真っ暗な自宅で独り、美嘉は泣いていた。事故の発生時、旅客機はロサンゼルス国際空港に向かう途中の夜の山上に在った。機体が山に向かって斜めに落ちて行く姿を、俺は組事務所のテレビでただただ見ていることだけしか出来なかった。文近と朋美は遅めの新婚旅行でロスに向かっている最中だった。何の落ち度も無い、子煩悩で誠実な二人に下った理不尽な罰。俺は美嘉の安否を確かめる為すぐに美嘉の自宅に車を走らせた。着くなり雑に車を放って、インターホンを鳴らしまくった。でも出て来ない。経験したことのない焦燥感に苛まれる。玄関ドアを叩くだけ叩く。美嘉、美嘉、美嘉。縁側へ回る。幸いなことに戸が開いており、中へ入ることが出来た。そして見つけた美嘉。
暗がりの部屋でテレビが事故のニュースを流しっ放しにしていた。それを消して、震える美嘉をキツく抱き締めた────。
深刻な状況だった。まだ十二歳という幼さで両親を壮絶に亡くした美嘉。声の自由さや健康な心まで失くしてしまった。一体彼女が何をしたというのだろう。あの時の異常さを思い出す度に、俺の心も激しく震えてしまう。
「……だいめ。……四代目!」
嶋本の呼ぶ声にハッとした。どうやら考え事をし過ぎたようだ。
「どうしたんですかボーッとしちゃって。着きましたよ?事務所」
「ああ、悪りぃ」
車の後部座席から出ると、「おかえいなさーい!」と美嘉が笑顔で出迎えてくれた。何だかホッとした自分が居る。
しゃがんで美嘉を抱き留め、囁きめに「ただいま、美嘉」言って小さな美嘉の体を抱き上げ、「休憩室でエッチしようか」などと冗談半分に言って美嘉の頬に自分の頬を擦り寄せる。
「うゆしゃんきがはやいのね~ふふッ」
満更でもなさそうな美嘉を抱きかかえながら事務所に入ると、幹部の組員達が両脇に列をなし、口を揃えて「お疲れ様です!!」と行儀良く頭を下げた。
「ハイご苦労さん。俺らはこのまま休憩室行くから、お前らも少し休め。あー、やる事無かったらゲームしてもいいぞー。あ、但しドラクオのセーブデータだけは消すなよ?アレまだ全クリしてねぇんだからな」
列の真ん中を通りながら出した俺の指示に、組員達は「はい!!」と威勢の良い声を揃えて上げた。
後からついて来た嶋本が俺に声を掛ける。
「四代目、私は今から例のキャバクラの視察に行って来ます。何かあればこちらに連絡を」
嶋本がスマホを見せる。俺は「おう」とだけ返して休憩室に通じる階段を登って行った。
蜷川組事務所は、地下に駐車場、一階に組事務所とキッチン、二階には組長の執務室、三階は休憩室とシャワールームを備えている。
そろそろ建物群の合間に陽が落ちる頃だ。薄暗い休憩室のキングサイズベッドの上で、俺は美嘉の小さな割れ目に極太の肉茎をゆっくりと抽送していた。
「んぁ……、んんっ……、ぁ……、ふはぁ……」
美嘉は声を押し殺そうとしているようだが、どうにもこの快感に耐え切れない様子で、声がだだ漏れてしまっている。その姿があまりにも健気で、思わず奥の奥まで太くて硬いものを勢い良く突っ込んでしまった。
「アッ!?ひぃっ……!?」
その嬌声に俺まで気持ち良くなっちまって、それまでスローペースで抽送していたものを滾らせ、荒々しく穴を犯し始めた。
美嘉の頬が真っ赤だ。何せもう三時間もの間体を交わらせているのだから、体の芯から熱くなって頬まで赤くなるのは当然とも言える事だろう。特に美嘉は肌が白いからな、赤らみも目立つ。
美嘉と結婚し、自分の女を支配する喜びを覚えてから、俺は人三倍の性欲を持つようになった。いわゆる『絶倫』というやつだ。美嘉を抱く度、『愛する女を“男”という権力でねじ伏せたい』という征服感、束縛感を感じずには居られなくなったんだ。
自分の所有する女に自分の言う事を聞かせたい、そんな自己中心的な夫の想いに美嘉がドン引きしねぇのは、俺達の馴れ初めやそれからの関係が一般的に考えて異常だということが関係していると思う。
簡単に言えば、俺が美嘉と出逢ったのは美嘉がまだ母親の腹ん中にいる時だったし、『美嘉』という名前を付けたのも俺だという異常性だ。美嘉が産まれた数年後、俺達は恋に落ち、二十歳差という歳の差でありながらも、学校への送り迎えなどは殆んどの日やっていたし、毎日のようにデートして、お互いを知り合い、十五年の時を経て結婚。異常過ぎたが俺にとっては何とも心地の良い十五年だった。
美嘉が好きだ。こんなに愛らしい女はどこにも居ねぇ。
「可愛い……可愛いよ、美嘉……」
そう告げて、二枚貝のように抱き合いながら美嘉も俺も快感の上りつめた一番高い所に到達し、そのまま二人してベッドに果てた。美嘉の恥裂から、ズルリと柔くなったものだけが滑り出たが、俺の精液はどうやら全部美嘉の奥に出切ったようだった。
美嘉に何度も「可愛い」と伝える。そうすると美嘉は頬を赤らめて俺から目を逸らす。その仕草も可愛くて、幾度となく「可愛い」を連呼する。熟れた美嘉の身体を優しく抱きしめて、耳元で「お前の中、凄く気持ち良かったよ……」と囁いた。もう真っ赤な美嘉の顔を見て、再びものが勃ち上がった。その後は御察しの通り。
夫婦の営みを人生の中で最上位の幸せと位置付けする俺達夫婦は、時間さえあればいつでもどこでもする。心が不安定になる事が時々ある美嘉にはその不安定さを和らげる丁度良い薬にもなるし、互いが互いの心身に触れることでストレス緩和にもなる。愛情を注ぎ合い、受け合える幸福を、日々享受しているのだ。
……何ていうことをヤクザの俺が常日頃から想っていると思うと、何だかチグハグな気がしてこそばゆいのだが、妻を想い過ぎるがあまり、俺のこの思考はここ二十年、だいぶ迷走しているようにも思う。
***
「早く……早く開いて……」
女は二十代前半、グレーの安物のハーフコートを青いワンピースの上に羽織って、自分で染めたようなムラのある焦げ茶色の髪をキツめに巻いている。何やら慌てながらダイヤル式の金庫を開けようとしているようだ。
「早く……早く……」
ガチャリ。こもった開錠音がして、女は素早く辺りを見回し、誰も居ないことを確認した後、金庫の中の札束を自分の大きめの合皮のバッグに入る分だけ詰め込んだ。女の心音は早く、肌は薄っすら汗ばんでいる。
女は急いで裏口から出たが、運悪くその店のオーナーと話している嶋本と鉢合わせてしまった。
様子がおかしい女に嶋本は話し掛けようとした。が、女は履いていた紺色のハイヒールを即座に脱いで手に取り、駆けて来た嶋本に投げ付け、勢い持ったまま走ってどこかへ消えてしまった。
嶋本は女が出て来たキャバクラの裏口から入り、詰所の金庫が開いているのを見て、すぐにオーナーを呼んだ。
「ええ。源氏名〔ほのか〕、本名〔菊知華依(きくちかより)〕。店ではあまり人気が無かったようで、収入も……。はい、多分。私も捜索に繰り出します。はい。では後程……」
嶋本は漆との電話を終えると、軽く溜息を吐いた。
「華依さんは何も悪くないんです!!悪いのは紺(こん)っていう男なんですよ!!」
まだ十代後半程か。閑散とした八畳間とそこから溢れ出たヤクザもん二十名に囲まれながらも必死に自分の彼女を庇って、その横では恋人の家に雲隠れするという何とも浅はかな手段に出た菊知華依が、震えながら嗚咽を吐いて泣いているこの光景。まさに修羅場そのものだった。
「だったらソイツ連れて来いよオラァ!!」
組員の一人が怒りに任せて壁を蹴る。その所為で華依がますます泣く声を荒げた。
蜷川組の組員達は組長の俺が普段からちゃんと躾けているからある程度暴力を行使していいかいけないかの分別はつく。だが今回は事が事だ、組員達も自分らのシマでこのような問題を起こされたとあっちゃあ怒りを抑えるのは難しいだろう。
そんな俺達ヤクザの威圧に震える二人に、せめて俺だけでも優しくあろうとした。盗みはいけねぇ。ましてやヤクザがバックについている店の金に手を付けるのは、命を無下にするのと同等の行為だ。だが、俺は華依の本心が知りてぇ。若しかしたら何か正当な理由があるのかもしれねぇしな。
「俺はこんな事でキレるようなタマじゃねぇ。ただ、何であんな事をしたのか訊きてぇだけだ」
俺が優しい口調で訊いても、華依は「どうせ言ったって何も信じてもらえないわよ!!殺すならさっさと殺しなさいよぉ!!」の一点張り。
「何つー物騒なこと言うんだ。そんな事したりはしねぇよ、だから話せ、な?」
俺の態度に気が緩んだのか、「……絶対、殺さない?」華依が涙声で訊く。
「ああ」俺は強く頷く。
華依は少し考えて、漸く話し始めた。
「……紺ってヤクザ。たまたま行ったBARで知り合って……気に入られたみたいで……私酔ってたから……気付いたらアイツの部屋で……犯、されてて……彼氏居るから無理……って言ったら……逆上されて……アイツに……リベンジ、ポルノ……されちゃって……。で、写真、ばら撒かれたくなければ……金、持って来いって……」
俯き加減で華依は真実を吐いた。
「で、店の金、盗ったのか」
華依はそう訊いた俺を睨む。
「仕方無いじゃない!!私店じゃいつも最下位だし!!お金無いし!!それしか方法が無かったのよ!!」
再び泣きじゃくり出した華依に周りは呆れるが、華依の彼氏だけはいつまでも華依の味方だった。
「華依さんをどうしますか?僕は何が何でも守りますよ?」
覚悟を決めた眼。そうか、コイツ、そんなにこの女のことを……。
「……お前、何て名だ」
「え?あ、お、小野田。小野田、潤平(おのだじゅんぺい)」
「潤平、華依、お前ら二人、助けてやるよ」
「え?」
「良ーい考えがある」
ニヤリと笑む俺を、二人はきょとん顔で見つめた。
***
一週間後、嶋本から漆の元に紺の情報がある程度手に入ったという知らせがあり、漆は蜷川組事務所で嶋本からその報告を受けていた。
「紺という男、違法ビザで不法滞在している外国人から小金を巻き上げたり、そういった人が女性の場合、半ば強制的に性的暴行を加えたり、自分より立場の弱い人間を虐めたり、他にも────」
嶋本が言いかけると、漆が「もういいよ、十分だ」と止めた。
「でしょうね。私も言っていて気持ちの良いものではありませんから」
「俺達は正義じゃねぇ。が、そいつ、いけ好かねぇ野郎だな、懲らしめてやりてぇ」
「私も同感です」
「嶋本、準備出来次第、決行するぞ」
「はい」
「あ~っ、華依と連絡が取れねぇ!!マジで写真ばら撒くぞあのクソ女!!」
一週間もの間、華依と連絡が取れずイラついている紺のスマホが、漸く華依の生存を知らせる音を鳴らした。
そこには『お金の用意が出来ました』という文面があり、紺は喜びに体を震わせる。
華依からどこで受け渡しするかを訊かれ、紺はラブホテルを指定した。それは、自分が最後に良い思いをする為の策略でもあった。
数時間後、紺は都内に在るラブホテル〈パラダイム〉に入り、カウンターでの手続きを受付の人間と目配せだけでスルー。目的の一室までウキウキとした気持ちで向かう紺。金が入るし、タダで女もヤれる。だが部屋のドアを開けた瞬間、誰かに麻袋のようなものを頭に被せられ、その上から口元を手で押さえられ、真っ暗な部屋の中に引きずり込まれる。
「ンーッッ!?ンンーーーッッッ!?」
そのままランドリーボックスに体ごと押し入れられ、紺の行方は判らなくなったのだった。
***
喉が裂けてしまいそうな程の叫び声がこだましている。
入り組んだ夜の廃工場の奥に、両手首を縛られ無理矢理引きずられて行く紺の姿があった。
頭に麻袋を被せられ、口はシルバーのダクトテープで塞がれており、外界を見ることも出来ず喋ることも叶わない。どうなってしまうのか全く判らない状況に紺は心臓を強く鳴らした。殺されてしまう可能性と生還出来る可能性は五分五分。というか、判り得ないから五分五分としか考えようが無いのだ。
紺を引きずっているのは体躯の良い蜷川組の組員数名。
そしてその先で待つ、蜷川漆とその部下約十数名が取り囲む折り畳み式のパイプ椅子に紺は座らされた。と同時に麻袋も外された。
「お前が紺皐月(こんさつき)か。綺麗な名前してっからどんな面した奴かと思えば……」
漆は言って紺の口を塞いでいたダクトテープを引き剥がした。
「ハッ、実物もどうだ?美しいだろ」
口が自由になった紺は、その自由さに任せて自信ありげに言った。
確かに整った顔つきと長い脚が紺皐月の美しさを物語ってはいた。が、漆はそれを一つも「美しい」などと思わなかった。
「ってかアンタ、蜷川んとこの組長さんでしょ?あのクソ優しいって有名な」
「ああそうかもな。でもそんなこと今は関係無ぇ。お前、BARで知り合った女に暴行して、付き合ってもらえなかった腹いせに裸の写真撮って金持って来いって脅したそうだな」
紺は漆の言う事に身に覚えがあり過ぎて、瞳をギョロッとさせてから「あー……」と高い天井を見上げる。
「その事で俺を拉致ったんだ~?華依ちゃん、あの娘、良ーい体してたなぁ」
漆一同が紺の言葉に気分を害す。殆んどの組員が紺を殺したい衝動に駆られていたことは間違いない。
「あの子なぁ、金無ぇからって店の金庫から盗ったんだ。困るんだよ、ウチのシマでそういう問題起こされるとよぉ」
漆が紺を見下すと、紺は悪びれる様子も無くこう言った。
「ふーん。で、何?俺のこと、殺すの?」
「ああ殺す」
「へ?」
紺の心臓が跳ね上がった。嫌な汗も出る。まさか“あの”蜷川漆が人を殺すなんて有り得ない、そう甘く思っていたからだ。
「ちょ、ま、待ってくれよ……。アンタ、人殺しなんて、しないんだろ……?」
「しねぇよ?お前の肉体を殺すんじゃねぇ、二度とああいう真似出来ねぇように、お前の心を殺すんだよ」
「は?」
漆は紺の服に手を掛ける。
「な、や、やめ!?や、めろ!?わぁあああああーーーっっっ!?」
大人しく黙って聞いていた組員達も流れるように動き出し、その直後紺は丸裸にされた。
そして紺は体中に『僕は強姦魔で~す!』やら『誰か僕のお尻を掘って~!』やらの恥ずかしい文字を油性ペンでカラフルに書かれ、M字開脚や尻の穴丸見えなバックポーズを取らされ、それを華依にしたのと同じようにポラロイド写真に収められてしまった。
「良い写真撮れてるじゃねぇか」
喜びに笑む漆に紺は恐るおそる訊く。
「そ、それ、どうす……んの?」
「まあそう急くなって。すぐに解るさ」
***
「この度は本当に、ありがとうございました……!!」
蜷川組事務所で華依と潤平が深々と漆に頭を下げる。
「良かったな、もう心配は要らねぇぞ」
「はい、でも私、お店を辞めることにしました。あれだけのご迷惑をお掛けしてしまいましたし、悪事を働いてしまった償いとして……」
「まあやった事のケジメはつけねぇとな。でも次の仕事、斡旋してやるから心配しなくていいよ」
「え!?本当ですか!?」
にっこり微笑む漆に、華依は嬉し涙を流し、潤平は再び頭を下げた。
この日の夜、蜷川邸の浴室では、漆と美嘉が仲睦まじく体を洗い合っていた。ここ一週間にあった出来事を、漆は楽しそうに美嘉に話している。
「え!そんなことがあったんだ~?」
美嘉が目を丸くさせると、漆は続けて「どうやって紺を懲らしめたと思う?」と美嘉に問う。
「んー、むずかしいね~。おしいぺんぺんしたとか?」
「ははは、お前面白れぇこと言うなぁ。正解は、紺の恥ずかしい写真をシマ中の店に貼って、アイツの威厳やら人間性を奪って二度と悪い事が出来ないようにした、でした~」
「むはっ!なにそえすごぉ~い!」
「だろだろっ?目には目を、歯には歯を作戦よ」
鼻を鳴らす得意げな漆を見て美嘉は誇らしくなり、「ごほうびのちゅ……」と、漆の頬にキスをした。
すると、漆の『妻抱きたいスイッチ』が入ったのか、右手を泡の付いた美嘉の豊満な胸に、左手を美嘉の背中に優しく添えて、椅子に座っている漆は「おいで」と自分の太腿に美嘉を跨がらせる。
美嘉の割れた小さな赤肉は、筋肉質な漆の太腿に擦り付けられ、クチュクチュと甘ったるい音を立て始めた。
「ん……ふぅぅ……んんっ……」
こちらそちらと動く腰を通して痺れを感じる美嘉の、弱そうな顔付きを見ながら、漆は快感と共に自分のものをそそり立たせていった。
互いに息が荒くなる。呼吸の苦しさもまた、一つの快感だ。
その苦しみに悶えながら、美嘉は躰に真っ赤な花を咲かせた。
全部、俺のものだ。漆は美嘉を抱く度、そう強く想う。躰も、心も、美嘉の全ては俺の手中。彼女が逆らったとしても、俺の支配からは逃れられない。そうした漆の美嘉への執着は、美嘉自身解り切っているようだ。
美嘉は漆に自分の全てを捧げていた。恋や愛などのそれではない。人間として、夫の私物として、生きる時も生き止む時も、蜷川美嘉という存在は彼の思うがままに────。
「美嘉、挿れさせろよ」
漆の鋭い言葉に美嘉は腰の動きを止めた。今度は椅子に座ったままの漆の腰に跨って、ものを割れ目にズブズブと飲み込ませていく。それが根元まで入ると、脚で軽やかに屈伸しながら中の粘膜でしごいていった。
漆の目の前には美嘉の上下する顔があった。その顔は全体を恍惚と赤らませている。美嘉の少し荒い吐息もまた、ミントの良い匂いと官能をくすぐるいやらしい匂いを孕んでいた。
「うゆ、しゃ……ぁんっ、んあ、おくっ、もっ、おくちょうだっアッ」
支配しているとはいえ、度々権高な態度を取る漆ではなかった。その時々で立場を変えると、プレイの幅も広がるというものだ。だが今回は漆が攻める回。漆は美嘉の躰も心も、魂さえも抑え込み、その中に『深愛』という情液を注いだ────。
華依から金の用意が出来たと連絡が来て、どこで受け渡すかと訊かれた時、紺は再び良い思いをしようとしてラブホテルを指定したが、これも漆のプランの一つ。紺の行動から二人きりで会える場所を選ぶであろうと予測した。
紺はそのラブホテル〈パラダイム〉をよく悪事に利用していた為、この場所を選んだようだ。漆達は違法ビザの一件で〈パラダイム〉を利用することが多いことを知っていた。そして〈パラダイム〉の従業員達は紺の態度やマナーに怒りを覚えていたが、相手がヤクザな為大きく注意などが出来ず、更に部屋代の踏み倒しや、何もしていないのにみかじめも請求されていた為、今回の作戦に快く手を貸した、という訳で、全て紺の過ちが紺自身の首を絞める形となった。
漆は心底優しい人間だ。けれどもそれは根であって、幹は極道なのだ。紺が受けた罰があれで済んだのは、その根も幹も持ち合わせている『蜷川漆』という人間が関わった紺の運の良さだろう。
極道者は正義の味方ではない。が、『ヤクザらしくないヤクザ』という者は存在する。蜷川の血が色濃く流れるこの街で、不貞を働く者は必ず『蜷川』に罰せられる。時に、残酷にも。
ある晩冬の夜、自信に満ち溢れた言葉をベッドで、夫は妻に囁くように投げ掛けた。
妻はその言葉にも気持ち良くなったのか、躰を小さく捩らせる。
「あ……アッ────」
ゴツゴツとした男の指で必要以上に中を掻き回され、妻はシーツをギュッと掴み、それを強く握った。耐え難い快感が躰中を駆け巡り、愛する夫の愛情を全身で感じているようだった。
「お前がさ、俺に興味無くして離れてぇっつってもよ、俺はお前を離さねぇよ。お前がどんなに嫌だっつっても、檻に閉じ込めて俺から逃れねぇようにするから……」
夫は妻の中に入れていた指をゆっくり出し、それをねっとり舐めた。
「お前が何度俺を裏切っても、どんなに失望するような事をされても、俺はお前を嫌いにならない……」
────それ程好きなんだよ。
夫はそう小声で締め括ると、スッと眠りについた。背後から抱き締められたまま、妻は愉悦に浸りつつ、己の存在が夫にとってどれ程の価値を持つのかを想いながら、幸せな気持ちでゆっくりと入眠したようだった。
***
関東に名を馳せる極道組織の帝和会傘下にある蜷川組は、昭和初期の時代からこの地域一帯の治安を守って来た。
組を立ち上げた初代蜷川組組長・蜷川想介(にながわそうすけ)の燦然たる意向は、当代四代目の蜷川漆(にながわうるし)によって、今尚受け継がれている。
ヤクザとは言えど、そうした取り組みに精を出す人間が少なからず居ることで、町の住人がどれだけ安心して暮らせることか。
組を継いだ漆には、その役目を担う覚悟と責任があった。
その蜷川組は、現在事務所を都内の一等地に構えている。
三階建ての一軒家を改築した造りの建物は、一見洒落たビジネスオフィスのようだが、そこを使用している者達の風体を見れば大体どういう場所なのかは瞭然。
だが、その周辺の住人達が立ち退きしてほしいなどという反乱を一切起こさないのも、蜷川組が地域に根付き、治安維持を行なっている、長きに渡る信頼と実績の安堵感故からだった。
漆には最愛の幼妻が居る。
その愛妻家ぶりもまた、組織の在り方同様、目を見張るものがあるようだ。
***
蜷川組事務所一階の奥にある客人用テーブル席では、組長である蜷川漆と、漆の兄弟分であり、若頭の嶋本東成(しまもととうせい)、幹部で金融関係のシノギをしている灰瀬雷(はいせらい)、そしてこの面々から金を借りた刈谷篤巳(かりやあつみ)という見た目軟弱そうなサラリーマン風の中年男性が向かい合って座っている。
漆も嶋本も雷も、かなりのタッパがあり、ガタイも良い為に威圧感があり近寄り難い。その中にポツンと居る刈谷は一六〇センチも無い身長故に三人の間に埋もれてしまっているかのようだった。
今日この場に、漆と嶋本というこの二人の錚々たる顔ぶれが揃うことになってしまったのには、ちょっとした理由があった。漆と嶋本が事務所への道を歩いている時、雷が刈谷と揉めている所に遭遇した為、助けを求められた漆と嶋本は長年ヤクザ業で培って来た上手い口を使って刈谷を事務所まで連れて来た、その流れで同席することになった、という訳である。刈谷の緊張は最高潮の高まりを見せ、額からは尋常でない量の脂汗をかいている。
「なあ刈谷さんよぉ……借りた金返すなんて小学生でも解るでしょ。アンタもいい大人なんだからさぁ」
雷が自前のタレ目を細めさせ、心底呆れた声で刈谷を諭す。項垂れる刈谷に疲労が見える。
「無いものは無いんだよ……払いたくても払えないんだ」
『無いものは払えない』このような未払い債務者の常套句は金貸しの雷にとっては耳にタコだった。随分な図々しさだ。借りた物を返さない事に腹立たしさを感じずには居られない。そう雷は心の中で煮え滾らせていた。
そして、なるべく大事にしたくはない為、穏やかな口調で何とか刈谷から金を返してもらおうと、説得を試みている雷だった。
「だからって四ヶ月も連絡無しじゃねぇ。せめて利息分だけでも────」
雷が言いかけると、刈谷は勢い良く立ち上がり、「うるせぇぞ極道風情が!!無ぇもんは無ぇんだよ!!」。
シンと静まり返る事務所内。そこに溜め息を落とした嶋本が、インテリメガネのブリッジをクイと上げて口を開いた。
「しかし刈谷さんおかしいですね……お金が無いという割にはキャバクラや風俗……賭け麻雀とだいぶお金を使っているようですが……」
刈谷の資料を見ながら嶋本は刈谷の痛い所を突いた。
その言葉に刈谷の顔が焦りを見せ始め、言い続け様に嶋本は刈谷を追い詰めようとする。
「本日もお給料日でしょう?払うもの払ってしまった方がいいかと……」
「チクショウ……だが俺は払わないぞ!今日だって、お前らが無理矢理ここに連れ込んだんだ。いざとなったらお前らに脅された誘拐されたって警察に電話したっていいんだぞ!!」
そう言って刈谷はスマホをズボンのポケットから取り出した。額からは湯水のように脂汗が湧いて出、そこから滴り落ちる程に刈谷は感情に異常をきたしていた。とは言えそれに反するように彼の行動、言動は荒々しくなり、漆らを下に見るかのようなデカい態度をとるのが止まらなくなってしまっていた。今すぐここから去りたい。あわよくば金を返さなくていいことになりたい。だからこのヤクザ達に対抗し得る威勢の良さが刈谷には必要だった。けれどもそれはから回るように、当然のようにヤクザ達の反感を買うことになってしまう。
なのに漆は、「まあ、とりあえず座りなよ刈谷さん」そんなヤクザらしからぬ態度で宥めるような言葉をかける。それは漆が単に諍いが好きではない、という本来からある優しさの中から出た言葉であった。
「あぁっ!?俺はこのまま帰────」
「座れっていうのが聞こえねぇのかッッッッッ!!」
一瞬、このフロアの無機物、有機物が浮くような感覚に捉われる一同。そんな漆の怒号に帰ろうとした刈谷は震え上がり、手に持っているスマホを思わず床に落とした。
金を貸したのは漆らだ。だが借りたのは刈谷の都合である。とは言え漆は穏便に事を済まそうと計らった。それを台無しにしたのは刈谷自身の悪心である。つまり全て刈谷の非なのだ。漆らの非はあって無いようなものなのである。だから漆はその理不尽さに怒号を上げたのだ。
「こっちは違法性の無い金利で金貸してるんですよ」
言いながら、刈谷に落ちたスマホを拾い渡す。
「なのにごねて警察行くなんざちょっとスジが通らねぇんじゃねぇか?あるのに払わねぇんじゃこっちにも考えがあるぜ?」
漆の言う事は極道の世界ではスジの通った正しい事かもしれないが、カタギの人間からしてみれば脅しの言葉としてしか取れないだろう。だが刈谷はその極道者から金を借りた時点で極道のスジを通す必要があるのかもしれない。
「な……何だよっ、その考えって」
刈谷は顔を引きつらせる。
「極道の考えだよ……」
影が落ちた漆の鋭い体躯に刈谷は圧巻し、涙し、体を上下に震わせた。この時点で刈谷は負けを認めればいいものを、まだほんの少し諦められずに居た。随分図太い神経の持ち主である。
その折、事務所の入り口の扉が開き、そこから小さな女の子が現れた。
「うゆしゃんおまたせぇ~!あ、おといこみちゅうだった??」
修羅場に、まるで舞い降りた天使のような声が響く。彼女はピンクベージュ色の巻き髪をゆさゆさ揺らし、まるで西洋人形のような整った面立ちを持ち、着ている服はたっぷりレースが使われている。背はとても低く、けれども豊満な胸元が、彼女が性的な象徴として扱われている様子を伺わせるようであった。
漆は眼の色を瞬時に変え、「美嘉ぁ!」と喜びの声を上げた。少女の正体は漆の妻の美嘉だ。今まで険しい顔をしていた漆だが、それは一も二もなく満面の笑みに変わり、愛する美嘉のもとに駆け寄り抱き締めると、美嘉も顔を綻ばせ、抱き返してくれたのだった。
「待ってたぜ、美嘉」
笑い合い抱き合う二人の朗らかさに、場の空気が一瞬で和んだ。
そんな空間でも嶋本と雷は無表情、刈谷はというと、呆気に取られている。
そこに嶋本が釘を刺した。
「えー……刈谷さん。今から四代目はデートでして……あの人デートを台無しにされるとさっきの勢いじゃ済まないんですが、どうしますか?」
漸く諦めの付いた刈谷はすぐさま「お金……返します!!すいませんでした……」と、恐怖の涙ながらに頭を下げたのだった。
***
目の前の墓石には『三國家之墓』と深く彫られている。手を合わせ、娘さんとの結婚生活が順調にいっていることを報告、これからも娘さんを守り続けて行くことを約束し、そして、感謝や想い出語りなどをして目を開ける。冬場の冷たい乾風が頬を撫ぜ、枯れ葉がアスファルトの上を転がっている。
妻の美嘉の両親であり、俺の幼稚園来の親友夫婦でもある三國文近(みくにふみちか)と朋美(ともみ)が飛行機事故で亡くなって早八年。あれ以来美嘉はショックでろれつが回らなくなり、精神的な症状が出るようにもなってしまったが、時間の経過と共に何とか元気を取り戻し、今は俺との生活に充足しているようで安心している。
「四代目、そろそろ事務所に戻りましょう」
嶋本の声が背後から聞こえ、俺はゆっくりと振り返る。
「あ、ああ。付き合わしちまってすまなかったな」
「いえ。貴方のワガママに付き合うのは慣れていますので」
俺は嶋本の言い草に嬉しくなり、はにかんだ。コイツとも付き合いが長い。悪意を感じないからこそはにかむのだ。
今日は文近達の命日でも何でもねぇ日だが、仕事で近くに寄った為、無理言って墓参りさせてもらった訳だ。
「親父!車出しますよ!」
運転手の雷に促され、墓地を後にした。
帰りの車中、俺は思い出していた。あの飛行機事故から八年、美嘉と結婚して四年程になるが、その間、本当に色々な事があった。あり過ぎて何から思い出していけばいいのかが分からなくなる程だ。
『愛娘をヤクザのお前なんかに誰がやるかよ!』と、生前いつもそうやって俺にキレていた文近が、飛行機が堕ちて行く中で『漆、美嘉を泣かせたら承知しねぇぞ』という想いを残していたのを事故の遺留品にあった文近の、少し焦げた手帳に見つけた時、俺はその場で泣き崩れた。
アイツらの愛娘に惚れちまったと気付いたのは、美嘉がまだ幼い時だった。自分でもヤベェ感情抱いてんのは解ってた。だがその感情は日にひに大きくなっていった。朋美は俺の味方になってくれたが、文近は溺愛する娘に毎日のように会いに来る俺を邪険にした。そりゃあ当たり前の事だろう。男親として、二十も歳の離れたヤクザもんがいくら自分の親友だとはいえ、幼い娘に恋心を抱いてるなんて知ったらどんな親でも反対する。
でも俺は諦めなかった。美嘉が一六歳の誕生日を迎え、結婚するまでは絶対に体に手出しはしねぇって、勝手に自分の中で決意していた。その誠意がアイツに伝わっていたんだと判り、なら何でお前は美嘉と俺の幸せを最後まで見届けてくれなかったんだ?そう思ったら自然と涙が込み上げて来たんだ。
ボーッと窓外を見る。その眼は曇り空の下でゴミ漁りをするドス黒いカラスを捉えていた。まるで不吉そのものを追うような瞳孔は、俺の意識を安易と吸っていった。
俺は一気に愛する親友二人を失くした。────あの日の夜、電気すら点けず真っ暗な自宅で独り、美嘉は泣いていた。事故の発生時、旅客機はロサンゼルス国際空港に向かう途中の夜の山上に在った。機体が山に向かって斜めに落ちて行く姿を、俺は組事務所のテレビでただただ見ていることだけしか出来なかった。文近と朋美は遅めの新婚旅行でロスに向かっている最中だった。何の落ち度も無い、子煩悩で誠実な二人に下った理不尽な罰。俺は美嘉の安否を確かめる為すぐに美嘉の自宅に車を走らせた。着くなり雑に車を放って、インターホンを鳴らしまくった。でも出て来ない。経験したことのない焦燥感に苛まれる。玄関ドアを叩くだけ叩く。美嘉、美嘉、美嘉。縁側へ回る。幸いなことに戸が開いており、中へ入ることが出来た。そして見つけた美嘉。
暗がりの部屋でテレビが事故のニュースを流しっ放しにしていた。それを消して、震える美嘉をキツく抱き締めた────。
深刻な状況だった。まだ十二歳という幼さで両親を壮絶に亡くした美嘉。声の自由さや健康な心まで失くしてしまった。一体彼女が何をしたというのだろう。あの時の異常さを思い出す度に、俺の心も激しく震えてしまう。
「……だいめ。……四代目!」
嶋本の呼ぶ声にハッとした。どうやら考え事をし過ぎたようだ。
「どうしたんですかボーッとしちゃって。着きましたよ?事務所」
「ああ、悪りぃ」
車の後部座席から出ると、「おかえいなさーい!」と美嘉が笑顔で出迎えてくれた。何だかホッとした自分が居る。
しゃがんで美嘉を抱き留め、囁きめに「ただいま、美嘉」言って小さな美嘉の体を抱き上げ、「休憩室でエッチしようか」などと冗談半分に言って美嘉の頬に自分の頬を擦り寄せる。
「うゆしゃんきがはやいのね~ふふッ」
満更でもなさそうな美嘉を抱きかかえながら事務所に入ると、幹部の組員達が両脇に列をなし、口を揃えて「お疲れ様です!!」と行儀良く頭を下げた。
「ハイご苦労さん。俺らはこのまま休憩室行くから、お前らも少し休め。あー、やる事無かったらゲームしてもいいぞー。あ、但しドラクオのセーブデータだけは消すなよ?アレまだ全クリしてねぇんだからな」
列の真ん中を通りながら出した俺の指示に、組員達は「はい!!」と威勢の良い声を揃えて上げた。
後からついて来た嶋本が俺に声を掛ける。
「四代目、私は今から例のキャバクラの視察に行って来ます。何かあればこちらに連絡を」
嶋本がスマホを見せる。俺は「おう」とだけ返して休憩室に通じる階段を登って行った。
蜷川組事務所は、地下に駐車場、一階に組事務所とキッチン、二階には組長の執務室、三階は休憩室とシャワールームを備えている。
そろそろ建物群の合間に陽が落ちる頃だ。薄暗い休憩室のキングサイズベッドの上で、俺は美嘉の小さな割れ目に極太の肉茎をゆっくりと抽送していた。
「んぁ……、んんっ……、ぁ……、ふはぁ……」
美嘉は声を押し殺そうとしているようだが、どうにもこの快感に耐え切れない様子で、声がだだ漏れてしまっている。その姿があまりにも健気で、思わず奥の奥まで太くて硬いものを勢い良く突っ込んでしまった。
「アッ!?ひぃっ……!?」
その嬌声に俺まで気持ち良くなっちまって、それまでスローペースで抽送していたものを滾らせ、荒々しく穴を犯し始めた。
美嘉の頬が真っ赤だ。何せもう三時間もの間体を交わらせているのだから、体の芯から熱くなって頬まで赤くなるのは当然とも言える事だろう。特に美嘉は肌が白いからな、赤らみも目立つ。
美嘉と結婚し、自分の女を支配する喜びを覚えてから、俺は人三倍の性欲を持つようになった。いわゆる『絶倫』というやつだ。美嘉を抱く度、『愛する女を“男”という権力でねじ伏せたい』という征服感、束縛感を感じずには居られなくなったんだ。
自分の所有する女に自分の言う事を聞かせたい、そんな自己中心的な夫の想いに美嘉がドン引きしねぇのは、俺達の馴れ初めやそれからの関係が一般的に考えて異常だということが関係していると思う。
簡単に言えば、俺が美嘉と出逢ったのは美嘉がまだ母親の腹ん中にいる時だったし、『美嘉』という名前を付けたのも俺だという異常性だ。美嘉が産まれた数年後、俺達は恋に落ち、二十歳差という歳の差でありながらも、学校への送り迎えなどは殆んどの日やっていたし、毎日のようにデートして、お互いを知り合い、十五年の時を経て結婚。異常過ぎたが俺にとっては何とも心地の良い十五年だった。
美嘉が好きだ。こんなに愛らしい女はどこにも居ねぇ。
「可愛い……可愛いよ、美嘉……」
そう告げて、二枚貝のように抱き合いながら美嘉も俺も快感の上りつめた一番高い所に到達し、そのまま二人してベッドに果てた。美嘉の恥裂から、ズルリと柔くなったものだけが滑り出たが、俺の精液はどうやら全部美嘉の奥に出切ったようだった。
美嘉に何度も「可愛い」と伝える。そうすると美嘉は頬を赤らめて俺から目を逸らす。その仕草も可愛くて、幾度となく「可愛い」を連呼する。熟れた美嘉の身体を優しく抱きしめて、耳元で「お前の中、凄く気持ち良かったよ……」と囁いた。もう真っ赤な美嘉の顔を見て、再びものが勃ち上がった。その後は御察しの通り。
夫婦の営みを人生の中で最上位の幸せと位置付けする俺達夫婦は、時間さえあればいつでもどこでもする。心が不安定になる事が時々ある美嘉にはその不安定さを和らげる丁度良い薬にもなるし、互いが互いの心身に触れることでストレス緩和にもなる。愛情を注ぎ合い、受け合える幸福を、日々享受しているのだ。
……何ていうことをヤクザの俺が常日頃から想っていると思うと、何だかチグハグな気がしてこそばゆいのだが、妻を想い過ぎるがあまり、俺のこの思考はここ二十年、だいぶ迷走しているようにも思う。
***
「早く……早く開いて……」
女は二十代前半、グレーの安物のハーフコートを青いワンピースの上に羽織って、自分で染めたようなムラのある焦げ茶色の髪をキツめに巻いている。何やら慌てながらダイヤル式の金庫を開けようとしているようだ。
「早く……早く……」
ガチャリ。こもった開錠音がして、女は素早く辺りを見回し、誰も居ないことを確認した後、金庫の中の札束を自分の大きめの合皮のバッグに入る分だけ詰め込んだ。女の心音は早く、肌は薄っすら汗ばんでいる。
女は急いで裏口から出たが、運悪くその店のオーナーと話している嶋本と鉢合わせてしまった。
様子がおかしい女に嶋本は話し掛けようとした。が、女は履いていた紺色のハイヒールを即座に脱いで手に取り、駆けて来た嶋本に投げ付け、勢い持ったまま走ってどこかへ消えてしまった。
嶋本は女が出て来たキャバクラの裏口から入り、詰所の金庫が開いているのを見て、すぐにオーナーを呼んだ。
「ええ。源氏名〔ほのか〕、本名〔菊知華依(きくちかより)〕。店ではあまり人気が無かったようで、収入も……。はい、多分。私も捜索に繰り出します。はい。では後程……」
嶋本は漆との電話を終えると、軽く溜息を吐いた。
「華依さんは何も悪くないんです!!悪いのは紺(こん)っていう男なんですよ!!」
まだ十代後半程か。閑散とした八畳間とそこから溢れ出たヤクザもん二十名に囲まれながらも必死に自分の彼女を庇って、その横では恋人の家に雲隠れするという何とも浅はかな手段に出た菊知華依が、震えながら嗚咽を吐いて泣いているこの光景。まさに修羅場そのものだった。
「だったらソイツ連れて来いよオラァ!!」
組員の一人が怒りに任せて壁を蹴る。その所為で華依がますます泣く声を荒げた。
蜷川組の組員達は組長の俺が普段からちゃんと躾けているからある程度暴力を行使していいかいけないかの分別はつく。だが今回は事が事だ、組員達も自分らのシマでこのような問題を起こされたとあっちゃあ怒りを抑えるのは難しいだろう。
そんな俺達ヤクザの威圧に震える二人に、せめて俺だけでも優しくあろうとした。盗みはいけねぇ。ましてやヤクザがバックについている店の金に手を付けるのは、命を無下にするのと同等の行為だ。だが、俺は華依の本心が知りてぇ。若しかしたら何か正当な理由があるのかもしれねぇしな。
「俺はこんな事でキレるようなタマじゃねぇ。ただ、何であんな事をしたのか訊きてぇだけだ」
俺が優しい口調で訊いても、華依は「どうせ言ったって何も信じてもらえないわよ!!殺すならさっさと殺しなさいよぉ!!」の一点張り。
「何つー物騒なこと言うんだ。そんな事したりはしねぇよ、だから話せ、な?」
俺の態度に気が緩んだのか、「……絶対、殺さない?」華依が涙声で訊く。
「ああ」俺は強く頷く。
華依は少し考えて、漸く話し始めた。
「……紺ってヤクザ。たまたま行ったBARで知り合って……気に入られたみたいで……私酔ってたから……気付いたらアイツの部屋で……犯、されてて……彼氏居るから無理……って言ったら……逆上されて……アイツに……リベンジ、ポルノ……されちゃって……。で、写真、ばら撒かれたくなければ……金、持って来いって……」
俯き加減で華依は真実を吐いた。
「で、店の金、盗ったのか」
華依はそう訊いた俺を睨む。
「仕方無いじゃない!!私店じゃいつも最下位だし!!お金無いし!!それしか方法が無かったのよ!!」
再び泣きじゃくり出した華依に周りは呆れるが、華依の彼氏だけはいつまでも華依の味方だった。
「華依さんをどうしますか?僕は何が何でも守りますよ?」
覚悟を決めた眼。そうか、コイツ、そんなにこの女のことを……。
「……お前、何て名だ」
「え?あ、お、小野田。小野田、潤平(おのだじゅんぺい)」
「潤平、華依、お前ら二人、助けてやるよ」
「え?」
「良ーい考えがある」
ニヤリと笑む俺を、二人はきょとん顔で見つめた。
***
一週間後、嶋本から漆の元に紺の情報がある程度手に入ったという知らせがあり、漆は蜷川組事務所で嶋本からその報告を受けていた。
「紺という男、違法ビザで不法滞在している外国人から小金を巻き上げたり、そういった人が女性の場合、半ば強制的に性的暴行を加えたり、自分より立場の弱い人間を虐めたり、他にも────」
嶋本が言いかけると、漆が「もういいよ、十分だ」と止めた。
「でしょうね。私も言っていて気持ちの良いものではありませんから」
「俺達は正義じゃねぇ。が、そいつ、いけ好かねぇ野郎だな、懲らしめてやりてぇ」
「私も同感です」
「嶋本、準備出来次第、決行するぞ」
「はい」
「あ~っ、華依と連絡が取れねぇ!!マジで写真ばら撒くぞあのクソ女!!」
一週間もの間、華依と連絡が取れずイラついている紺のスマホが、漸く華依の生存を知らせる音を鳴らした。
そこには『お金の用意が出来ました』という文面があり、紺は喜びに体を震わせる。
華依からどこで受け渡しするかを訊かれ、紺はラブホテルを指定した。それは、自分が最後に良い思いをする為の策略でもあった。
数時間後、紺は都内に在るラブホテル〈パラダイム〉に入り、カウンターでの手続きを受付の人間と目配せだけでスルー。目的の一室までウキウキとした気持ちで向かう紺。金が入るし、タダで女もヤれる。だが部屋のドアを開けた瞬間、誰かに麻袋のようなものを頭に被せられ、その上から口元を手で押さえられ、真っ暗な部屋の中に引きずり込まれる。
「ンーッッ!?ンンーーーッッッ!?」
そのままランドリーボックスに体ごと押し入れられ、紺の行方は判らなくなったのだった。
***
喉が裂けてしまいそうな程の叫び声がこだましている。
入り組んだ夜の廃工場の奥に、両手首を縛られ無理矢理引きずられて行く紺の姿があった。
頭に麻袋を被せられ、口はシルバーのダクトテープで塞がれており、外界を見ることも出来ず喋ることも叶わない。どうなってしまうのか全く判らない状況に紺は心臓を強く鳴らした。殺されてしまう可能性と生還出来る可能性は五分五分。というか、判り得ないから五分五分としか考えようが無いのだ。
紺を引きずっているのは体躯の良い蜷川組の組員数名。
そしてその先で待つ、蜷川漆とその部下約十数名が取り囲む折り畳み式のパイプ椅子に紺は座らされた。と同時に麻袋も外された。
「お前が紺皐月(こんさつき)か。綺麗な名前してっからどんな面した奴かと思えば……」
漆は言って紺の口を塞いでいたダクトテープを引き剥がした。
「ハッ、実物もどうだ?美しいだろ」
口が自由になった紺は、その自由さに任せて自信ありげに言った。
確かに整った顔つきと長い脚が紺皐月の美しさを物語ってはいた。が、漆はそれを一つも「美しい」などと思わなかった。
「ってかアンタ、蜷川んとこの組長さんでしょ?あのクソ優しいって有名な」
「ああそうかもな。でもそんなこと今は関係無ぇ。お前、BARで知り合った女に暴行して、付き合ってもらえなかった腹いせに裸の写真撮って金持って来いって脅したそうだな」
紺は漆の言う事に身に覚えがあり過ぎて、瞳をギョロッとさせてから「あー……」と高い天井を見上げる。
「その事で俺を拉致ったんだ~?華依ちゃん、あの娘、良ーい体してたなぁ」
漆一同が紺の言葉に気分を害す。殆んどの組員が紺を殺したい衝動に駆られていたことは間違いない。
「あの子なぁ、金無ぇからって店の金庫から盗ったんだ。困るんだよ、ウチのシマでそういう問題起こされるとよぉ」
漆が紺を見下すと、紺は悪びれる様子も無くこう言った。
「ふーん。で、何?俺のこと、殺すの?」
「ああ殺す」
「へ?」
紺の心臓が跳ね上がった。嫌な汗も出る。まさか“あの”蜷川漆が人を殺すなんて有り得ない、そう甘く思っていたからだ。
「ちょ、ま、待ってくれよ……。アンタ、人殺しなんて、しないんだろ……?」
「しねぇよ?お前の肉体を殺すんじゃねぇ、二度とああいう真似出来ねぇように、お前の心を殺すんだよ」
「は?」
漆は紺の服に手を掛ける。
「な、や、やめ!?や、めろ!?わぁあああああーーーっっっ!?」
大人しく黙って聞いていた組員達も流れるように動き出し、その直後紺は丸裸にされた。
そして紺は体中に『僕は強姦魔で~す!』やら『誰か僕のお尻を掘って~!』やらの恥ずかしい文字を油性ペンでカラフルに書かれ、M字開脚や尻の穴丸見えなバックポーズを取らされ、それを華依にしたのと同じようにポラロイド写真に収められてしまった。
「良い写真撮れてるじゃねぇか」
喜びに笑む漆に紺は恐るおそる訊く。
「そ、それ、どうす……んの?」
「まあそう急くなって。すぐに解るさ」
***
「この度は本当に、ありがとうございました……!!」
蜷川組事務所で華依と潤平が深々と漆に頭を下げる。
「良かったな、もう心配は要らねぇぞ」
「はい、でも私、お店を辞めることにしました。あれだけのご迷惑をお掛けしてしまいましたし、悪事を働いてしまった償いとして……」
「まあやった事のケジメはつけねぇとな。でも次の仕事、斡旋してやるから心配しなくていいよ」
「え!?本当ですか!?」
にっこり微笑む漆に、華依は嬉し涙を流し、潤平は再び頭を下げた。
この日の夜、蜷川邸の浴室では、漆と美嘉が仲睦まじく体を洗い合っていた。ここ一週間にあった出来事を、漆は楽しそうに美嘉に話している。
「え!そんなことがあったんだ~?」
美嘉が目を丸くさせると、漆は続けて「どうやって紺を懲らしめたと思う?」と美嘉に問う。
「んー、むずかしいね~。おしいぺんぺんしたとか?」
「ははは、お前面白れぇこと言うなぁ。正解は、紺の恥ずかしい写真をシマ中の店に貼って、アイツの威厳やら人間性を奪って二度と悪い事が出来ないようにした、でした~」
「むはっ!なにそえすごぉ~い!」
「だろだろっ?目には目を、歯には歯を作戦よ」
鼻を鳴らす得意げな漆を見て美嘉は誇らしくなり、「ごほうびのちゅ……」と、漆の頬にキスをした。
すると、漆の『妻抱きたいスイッチ』が入ったのか、右手を泡の付いた美嘉の豊満な胸に、左手を美嘉の背中に優しく添えて、椅子に座っている漆は「おいで」と自分の太腿に美嘉を跨がらせる。
美嘉の割れた小さな赤肉は、筋肉質な漆の太腿に擦り付けられ、クチュクチュと甘ったるい音を立て始めた。
「ん……ふぅぅ……んんっ……」
こちらそちらと動く腰を通して痺れを感じる美嘉の、弱そうな顔付きを見ながら、漆は快感と共に自分のものをそそり立たせていった。
互いに息が荒くなる。呼吸の苦しさもまた、一つの快感だ。
その苦しみに悶えながら、美嘉は躰に真っ赤な花を咲かせた。
全部、俺のものだ。漆は美嘉を抱く度、そう強く想う。躰も、心も、美嘉の全ては俺の手中。彼女が逆らったとしても、俺の支配からは逃れられない。そうした漆の美嘉への執着は、美嘉自身解り切っているようだ。
美嘉は漆に自分の全てを捧げていた。恋や愛などのそれではない。人間として、夫の私物として、生きる時も生き止む時も、蜷川美嘉という存在は彼の思うがままに────。
「美嘉、挿れさせろよ」
漆の鋭い言葉に美嘉は腰の動きを止めた。今度は椅子に座ったままの漆の腰に跨って、ものを割れ目にズブズブと飲み込ませていく。それが根元まで入ると、脚で軽やかに屈伸しながら中の粘膜でしごいていった。
漆の目の前には美嘉の上下する顔があった。その顔は全体を恍惚と赤らませている。美嘉の少し荒い吐息もまた、ミントの良い匂いと官能をくすぐるいやらしい匂いを孕んでいた。
「うゆ、しゃ……ぁんっ、んあ、おくっ、もっ、おくちょうだっアッ」
支配しているとはいえ、度々権高な態度を取る漆ではなかった。その時々で立場を変えると、プレイの幅も広がるというものだ。だが今回は漆が攻める回。漆は美嘉の躰も心も、魂さえも抑え込み、その中に『深愛』という情液を注いだ────。
華依から金の用意が出来たと連絡が来て、どこで受け渡すかと訊かれた時、紺は再び良い思いをしようとしてラブホテルを指定したが、これも漆のプランの一つ。紺の行動から二人きりで会える場所を選ぶであろうと予測した。
紺はそのラブホテル〈パラダイム〉をよく悪事に利用していた為、この場所を選んだようだ。漆達は違法ビザの一件で〈パラダイム〉を利用することが多いことを知っていた。そして〈パラダイム〉の従業員達は紺の態度やマナーに怒りを覚えていたが、相手がヤクザな為大きく注意などが出来ず、更に部屋代の踏み倒しや、何もしていないのにみかじめも請求されていた為、今回の作戦に快く手を貸した、という訳で、全て紺の過ちが紺自身の首を絞める形となった。
漆は心底優しい人間だ。けれどもそれは根であって、幹は極道なのだ。紺が受けた罰があれで済んだのは、その根も幹も持ち合わせている『蜷川漆』という人間が関わった紺の運の良さだろう。
極道者は正義の味方ではない。が、『ヤクザらしくないヤクザ』という者は存在する。蜷川の血が色濃く流れるこの街で、不貞を働く者は必ず『蜷川』に罰せられる。時に、残酷にも。
0
お気に入りに追加
22
あなたにおすすめの小説

ヤクザの若頭は、年の離れた婚約者が可愛くて仕方がない
絹乃
恋愛
ヤクザの若頭の花隈(はなくま)には、婚約者がいる。十七歳下の少女で組長の一人娘である月葉(つきは)だ。保護者代わりの花隈は月葉のことをとても可愛がっているが、もちろん恋ではない。強面ヤクザと年の離れたお嬢さまの、恋に発展する前の、もどかしくドキドキするお話。

ヤクザと捨て子
幕間ささめ
BL
執着溺愛ヤクザ幹部×箱入り義理息子
ヤクザの事務所前に捨てられた子どもを自分好みに育てるヤクザ幹部とそんな保護者に育てられてる箱入り男子のお話。
ヤクザは頭の切れる爽やかな風貌の腹黒紳士。息子は細身の美男子の空回り全力少年。

お隣さんはヤのつくご職業
古亜
恋愛
佐伯梓は、日々平穏に過ごしてきたOL。
残業から帰り夜食のカップ麺を食べていたら、突然壁に穴が空いた。
元々薄い壁だと思ってたけど、まさか人が飛んでくるなんて……ん?そもそも人が飛んでくるっておかしくない?それにお隣さんの顔、初めて見ましたがだいぶ強面でいらっしゃいますね。
……え、ちゃんとしたもん食え?
ちょ、冷蔵庫漁らないでくださいっ!!
ちょっとアホな社畜OLがヤクザさんとご飯を食べるラブコメ
建築基準法と物理法則なんて知りません
登場人物や団体の名称や設定は作者が適当に生み出したものであり、現実に類似のものがあったとしても一切関係ありません。
2020/5/26 完結

ヤクザと私と。~養子じゃなく嫁でした
瀬名。
恋愛
大学1年生の冬。母子家庭の私は、母に逃げられました。
家も取り押さえられ、帰る場所もない。
まず、借金返済をしてないから、私も逃げないとやばい。
…そんな時、借金取りにきた私を買ってくれたのは。
ヤクザの若頭でした。
*この話はフィクションです
現実ではあり得ませんが、物語の過程としてむちゃくちゃしてます
ツッコミたくてイラつく人はお帰りください
またこの話を鵜呑みにする読者がいたとしても私は一切の責任を負いませんのでご了承ください*
狂愛的ロマンス〜孤高の若頭の狂気めいた執着愛〜
羽村美海
恋愛
古式ゆかしき華道の家元のお嬢様である美桜は、ある事情から、家をもりたてる駒となれるよう厳しく育てられてきた。
とうとうその日を迎え、見合いのため格式高い高級料亭の一室に赴いていた美桜は貞操の危機に見舞われる。
そこに現れた男により救われた美桜だったが、それがきっかけで思いがけない展開にーー
住む世界が違い、交わることのなかったはずの尊の不器用な優しさに触れ惹かれていく美桜の行き着く先は……?
✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦
✧天澤美桜•20歳✧
古式ゆかしき華道の家元の世間知らずな鳥籠のお嬢様
✧九條 尊•30歳✧
誰もが知るIT企業の経営者だが、実は裏社会の皇帝として畏れられている日本最大の極道組織泣く子も黙る極心会の若頭
✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦
*西雲ササメ様より素敵な表紙をご提供頂きました✨
※TL小説です。設定上強引な展開もあるので閲覧にはご注意ください。
※設定や登場する人物、団体、グループの名称等全てフィクションです。
※随時概要含め本文の改稿や修正等をしています。
✧
✧連載期間22.4.29〜22.7.7 ✧
✧22.3.14 エブリスタ様にて先行公開✧
【第15回らぶドロップス恋愛小説コンテスト一次選考通過作品です。コンテストの結果が出たので再公開しました。※エブリスタ様限定でヤス視点のSS公開中】

虚弱なヤクザの駆け込み寺
菅井群青
恋愛
突然ドアが開いたとおもったらヤクザが抱えられてやってきた。
「今すぐ立てるようにしろ、さもなければ──」
「脅してる場合ですか?」
ギックリ腰ばかりを繰り返すヤクザの組長と、治療の相性が良かったために気に入られ、ヤクザ御用達の鍼灸院と化してしまった院に軟禁されてしまった女の話。
※なろう、カクヨムでも投稿

目が覚めたら囲まれてました
るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。
燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。
そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。
チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。
不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で!
独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。
愛し愛され愛を知る。【完】
夏目萌(月嶋ゆのん)
恋愛
訳あって住む場所も仕事も無い神宮寺 真彩に救いの手を差し伸べたのは、国内で知らない者はいない程の大企業を経営しているインテリヤクザで鬼龍組組長でもある鬼龍 理仁。
住み込み家政婦として高額な月収で雇われた真彩には四歳になる息子の悠真がいる。
悠真と二人で鬼龍組の屋敷に身を置く事になった真彩は毎日懸命に家事をこなし、理仁は勿論、組員たちとの距離を縮めていく。
特に危険もなく、落ち着いた日々を過ごしていた真彩の前に一人の男が現れた事で、真彩は勿論、理仁の生活も一変する。
そして、その男の存在があくまでも雇い主と家政婦という二人の関係を大きく変えていく――。
これは、常に危険と隣り合わせで悲しませる相手を作りたくないと人を愛する事を避けてきた男と、大切なモノを守る為に自らの幸せを後回しにしてきた女が『生涯を共にしたい』と思える相手に出逢い、恋に落ちる物語。
※ あくまでもフィクションですので、その事を踏まえてお読みいただければと思います。設定等合わない場合はごめんなさい。また、実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる