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23、新五利治/不愉快

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京から岐阜に帰参したのは、ふた月の後のことであった。

近江六角による襲撃を途中で受けたものの、大きな争乱もなく公方様を上洛させ、信長様もご満悦であった。これにより新たな公方様が将軍宣下を受けられれば、信長様にも恩賞が与えられる。

帰りの道中、信長様は上機嫌で、恩賞には和泉一国を所望しようなどと仰られていた。
和泉には堺がある。堺には港があり、貿易が盛んに行われていた。
港を手に入れればさらに国は栄える。信長様が美濃・尾張に留まらぬお方だということを、皆に知らしめる道中でもあった。

初めて美濃から他国へ出た加治田衆は、京の華やかさに閉口していた。それは信長様の配下であるからこそ見える景色であった。
加治田衆は信長様への敬意を新たにするとともに、新しい時代がやってきたことを身を以て感じたようである。

ようやく加治田城へ到着すると、女中がわしの足を濯ぎながら言った。

「家中一同、既に広間に集まっておりまする」

わしは頷き、さらの足袋に履き替えた。わしの帰りを待つ大勢の者がいることにも、ようやく慣れた。家中の者の顔を一人一人思い浮かべながら、広間へと向かう。

「上洛の成功を寿ぎ、謹んでお祝い申し上げます」

ずらりと集まった留守居の者らの一番前に、兄上が居る。兄上の口上に続いて、皆も口を揃えた。
兄上の横で、紅茂が涙ぐんでいる。変わりなさそうで安堵した。

「皆、留守中よくこの城を守ってくれた。我ら織田勢は公方様を無事京へとお連れし、幕府の再興の一助を担った。織田の名は天下に知れ渡り、いずれこの日の本を導いていく御家となろう。向後は皆がその自負を持ちながら、それぞれ己の持ち場で励むがよい」

「はは」

皆が再度頭を垂れた。

兵どもを労るため早々に切り上げて広間を出ると、兄上と紅茂が後に続く。わしは歩を緩め、兄上に並んだ。

「兄上、留守中何事も変わりませなんだか」

「は。九月の大雨で、津保川が一部決壊いたしました。既に堤は改めましたが、あの辺りの稲はほぼ、全滅にございました。また、麓に熊がおるとの知らせがあり、計四頭、討ち取りましてございます」

数カ月の留守の間に、兄上が頼もしくなったようにも思える。
とはいえ、実際に兄上がどのような差配をなさっているかはわからない。

「相わかり申した。兄上、ご尽力有難く存ずる」

「はは。殿もお疲れにございましょう。紅茂、湯漬けの支度じゃ」

(紅茂だと?)

兄上がなんの気なしに紅茂と呼んだことを、わしは捨て置けなかった。不愉快であった。
奥方様ではないのか。
紅茂の表情が歪んでいた。

「兄上、紅茂は某の室にございます。名を呼ぶのではなく、奥方様と呼んでくだされ。紅茂よ、湯漬けは三杯じゃ。恐ろしく腹が減っておるゆえな」

そういって、わしは紅茂の肩を叩いた。
紅茂は顔を綻ばせ、小走りで膳所へと向かった。


兄上が行ってしまわれてから、わしは我に返った。閨を共にすれば情も湧き、呼び捨てることもあろう。紅茂はわしだけのものではない。戦場でしばらく過ごしたことで、このような大事まで忘れてしまっていた。

 「殿、紅茂にございます」

紅茂が嬉しそうに、湯漬けの椀を差し出した。女中に命じればよいものを、手ずから持っていくと申し出たのであろう。おかげで、久方ぶりの紅茂の顔を間近で見ることが出来る。
覗き込むと、紅茂は恥じらうように目を逸らした。差し出された湯付けを冷めぬうちに掻き込む。胃の腑の中がじんわりと温かくなり、ようやく戻ってきたのだと痛感する。

「ご無事でなによりでございました。殿のお帰りを心より、お待ち申し上げておりました」

「息災であったか。少し、痩せたのではないか」

「はい、時折食欲がない日もありますが、変わらず息災でございます」

「兄上とは、うまくやっておるか」

留守居の折に、互いに相容れぬ事などなかったかという意味で言ったが、紅茂は違う意味で捉えたようであった。途端に紅茂の顔は曇り、張り詰めた空気が流れた。

「なにゆえお戻りになってすぐ、そのような話をなさるのでしょうや。殿と離れてから、私がどれほど殿のことを思うたか。どのような思いで、利堯様の元へ通ったか…」

「待て、紅茂。さようなことは聞いておらぬ。留守中、意見の相違などで揉めなんだかと聞いたまでぞ」

紅茂ははっとして、顔を手で覆った。

「申し訳ございませぬ!お許し下さいませ。留守中は、何事も私が決めた上で利堯様にもご了承を頂いておりました。それゆえ、相容れぬことなどは特にございませぬ」

「さようか。苦労をかけたな」

わしは、紅茂の手を取った。

「留守の間、権高で女丈夫な紅茂殿でおられたか」

からかいながら言った。

「はい…なんとか」

紅茂はわしの肩に頭を寄せた。

「戦の日の夜、何度も紅茂のことを思うた。生きてもう一度、紅茂に会いたいと」

まだ甲冑姿であったが、構わず紅茂を抱きしめた。

紅茂はわしの胸に顔を埋めたが、すぐに「あいすみませぬ」と言って体を離し、後ろを向いた。口を押えているようであった。

「気分がすぐれぬのか?いかがした」

紅茂はしばらく黙っていたが、意を決したように振り返り、言った。

「私は、身籠っておりまする」

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