23 / 34
23、新五利治/不愉快
しおりを挟む
京から岐阜に帰参したのは、ふた月の後のことであった。
近江六角による襲撃を途中で受けたものの、大きな争乱もなく公方様を上洛させ、信長様もご満悦であった。これにより新たな公方様が将軍宣下を受けられれば、信長様にも恩賞が与えられる。
帰りの道中、信長様は上機嫌で、恩賞には和泉一国を所望しようなどと仰られていた。
和泉には堺がある。堺には港があり、貿易が盛んに行われていた。
港を手に入れればさらに国は栄える。信長様が美濃・尾張に留まらぬお方だということを、皆に知らしめる道中でもあった。
初めて美濃から他国へ出た加治田衆は、京の華やかさに閉口していた。それは信長様の配下であるからこそ見える景色であった。
加治田衆は信長様への敬意を新たにするとともに、新しい時代がやってきたことを身を以て感じたようである。
ようやく加治田城へ到着すると、女中がわしの足を濯ぎながら言った。
「家中一同、既に広間に集まっておりまする」
わしは頷き、さらの足袋に履き替えた。わしの帰りを待つ大勢の者がいることにも、ようやく慣れた。家中の者の顔を一人一人思い浮かべながら、広間へと向かう。
「上洛の成功を寿ぎ、謹んでお祝い申し上げます」
ずらりと集まった留守居の者らの一番前に、兄上が居る。兄上の口上に続いて、皆も口を揃えた。
兄上の横で、紅茂が涙ぐんでいる。変わりなさそうで安堵した。
「皆、留守中よくこの城を守ってくれた。我ら織田勢は公方様を無事京へとお連れし、幕府の再興の一助を担った。織田の名は天下に知れ渡り、いずれこの日の本を導いていく御家となろう。向後は皆がその自負を持ちながら、それぞれ己の持ち場で励むがよい」
「はは」
皆が再度頭を垂れた。
兵どもを労るため早々に切り上げて広間を出ると、兄上と紅茂が後に続く。わしは歩を緩め、兄上に並んだ。
「兄上、留守中何事も変わりませなんだか」
「は。九月の大雨で、津保川が一部決壊いたしました。既に堤は改めましたが、あの辺りの稲はほぼ、全滅にございました。また、麓に熊がおるとの知らせがあり、計四頭、討ち取りましてございます」
数カ月の留守の間に、兄上が頼もしくなったようにも思える。
とはいえ、実際に兄上がどのような差配をなさっているかはわからない。
「相わかり申した。兄上、ご尽力有難く存ずる」
「はは。殿もお疲れにございましょう。紅茂、湯漬けの支度じゃ」
(紅茂だと?)
兄上がなんの気なしに紅茂と呼んだことを、わしは捨て置けなかった。不愉快であった。
奥方様ではないのか。
紅茂の表情が歪んでいた。
「兄上、紅茂は某の室にございます。名を呼ぶのではなく、奥方様と呼んでくだされ。紅茂よ、湯漬けは三杯じゃ。恐ろしく腹が減っておるゆえな」
そういって、わしは紅茂の肩を叩いた。
紅茂は顔を綻ばせ、小走りで膳所へと向かった。
兄上が行ってしまわれてから、わしは我に返った。閨を共にすれば情も湧き、呼び捨てることもあろう。紅茂はわしだけのものではない。戦場でしばらく過ごしたことで、このような大事まで忘れてしまっていた。
「殿、紅茂にございます」
紅茂が嬉しそうに、湯漬けの椀を差し出した。女中に命じればよいものを、手ずから持っていくと申し出たのであろう。おかげで、久方ぶりの紅茂の顔を間近で見ることが出来る。
覗き込むと、紅茂は恥じらうように目を逸らした。差し出された湯付けを冷めぬうちに掻き込む。胃の腑の中がじんわりと温かくなり、ようやく戻ってきたのだと痛感する。
「ご無事でなによりでございました。殿のお帰りを心より、お待ち申し上げておりました」
「息災であったか。少し、痩せたのではないか」
「はい、時折食欲がない日もありますが、変わらず息災でございます」
「兄上とは、うまくやっておるか」
留守居の折に、互いに相容れぬ事などなかったかという意味で言ったが、紅茂は違う意味で捉えたようであった。途端に紅茂の顔は曇り、張り詰めた空気が流れた。
「なにゆえお戻りになってすぐ、そのような話をなさるのでしょうや。殿と離れてから、私がどれほど殿のことを思うたか。どのような思いで、利堯様の元へ通ったか…」
「待て、紅茂。さようなことは聞いておらぬ。留守中、意見の相違などで揉めなんだかと聞いたまでぞ」
紅茂ははっとして、顔を手で覆った。
「申し訳ございませぬ!お許し下さいませ。留守中は、何事も私が決めた上で利堯様にもご了承を頂いておりました。それゆえ、相容れぬことなどは特にございませぬ」
「さようか。苦労をかけたな」
わしは、紅茂の手を取った。
「留守の間、権高で女丈夫な紅茂殿でおられたか」
からかいながら言った。
「はい…なんとか」
紅茂はわしの肩に頭を寄せた。
「戦の日の夜、何度も紅茂のことを思うた。生きてもう一度、紅茂に会いたいと」
まだ甲冑姿であったが、構わず紅茂を抱きしめた。
紅茂はわしの胸に顔を埋めたが、すぐに「あいすみませぬ」と言って体を離し、後ろを向いた。口を押えているようであった。
「気分がすぐれぬのか?いかがした」
紅茂はしばらく黙っていたが、意を決したように振り返り、言った。
「私は、身籠っておりまする」
近江六角による襲撃を途中で受けたものの、大きな争乱もなく公方様を上洛させ、信長様もご満悦であった。これにより新たな公方様が将軍宣下を受けられれば、信長様にも恩賞が与えられる。
帰りの道中、信長様は上機嫌で、恩賞には和泉一国を所望しようなどと仰られていた。
和泉には堺がある。堺には港があり、貿易が盛んに行われていた。
港を手に入れればさらに国は栄える。信長様が美濃・尾張に留まらぬお方だということを、皆に知らしめる道中でもあった。
初めて美濃から他国へ出た加治田衆は、京の華やかさに閉口していた。それは信長様の配下であるからこそ見える景色であった。
加治田衆は信長様への敬意を新たにするとともに、新しい時代がやってきたことを身を以て感じたようである。
ようやく加治田城へ到着すると、女中がわしの足を濯ぎながら言った。
「家中一同、既に広間に集まっておりまする」
わしは頷き、さらの足袋に履き替えた。わしの帰りを待つ大勢の者がいることにも、ようやく慣れた。家中の者の顔を一人一人思い浮かべながら、広間へと向かう。
「上洛の成功を寿ぎ、謹んでお祝い申し上げます」
ずらりと集まった留守居の者らの一番前に、兄上が居る。兄上の口上に続いて、皆も口を揃えた。
兄上の横で、紅茂が涙ぐんでいる。変わりなさそうで安堵した。
「皆、留守中よくこの城を守ってくれた。我ら織田勢は公方様を無事京へとお連れし、幕府の再興の一助を担った。織田の名は天下に知れ渡り、いずれこの日の本を導いていく御家となろう。向後は皆がその自負を持ちながら、それぞれ己の持ち場で励むがよい」
「はは」
皆が再度頭を垂れた。
兵どもを労るため早々に切り上げて広間を出ると、兄上と紅茂が後に続く。わしは歩を緩め、兄上に並んだ。
「兄上、留守中何事も変わりませなんだか」
「は。九月の大雨で、津保川が一部決壊いたしました。既に堤は改めましたが、あの辺りの稲はほぼ、全滅にございました。また、麓に熊がおるとの知らせがあり、計四頭、討ち取りましてございます」
数カ月の留守の間に、兄上が頼もしくなったようにも思える。
とはいえ、実際に兄上がどのような差配をなさっているかはわからない。
「相わかり申した。兄上、ご尽力有難く存ずる」
「はは。殿もお疲れにございましょう。紅茂、湯漬けの支度じゃ」
(紅茂だと?)
兄上がなんの気なしに紅茂と呼んだことを、わしは捨て置けなかった。不愉快であった。
奥方様ではないのか。
紅茂の表情が歪んでいた。
「兄上、紅茂は某の室にございます。名を呼ぶのではなく、奥方様と呼んでくだされ。紅茂よ、湯漬けは三杯じゃ。恐ろしく腹が減っておるゆえな」
そういって、わしは紅茂の肩を叩いた。
紅茂は顔を綻ばせ、小走りで膳所へと向かった。
兄上が行ってしまわれてから、わしは我に返った。閨を共にすれば情も湧き、呼び捨てることもあろう。紅茂はわしだけのものではない。戦場でしばらく過ごしたことで、このような大事まで忘れてしまっていた。
「殿、紅茂にございます」
紅茂が嬉しそうに、湯漬けの椀を差し出した。女中に命じればよいものを、手ずから持っていくと申し出たのであろう。おかげで、久方ぶりの紅茂の顔を間近で見ることが出来る。
覗き込むと、紅茂は恥じらうように目を逸らした。差し出された湯付けを冷めぬうちに掻き込む。胃の腑の中がじんわりと温かくなり、ようやく戻ってきたのだと痛感する。
「ご無事でなによりでございました。殿のお帰りを心より、お待ち申し上げておりました」
「息災であったか。少し、痩せたのではないか」
「はい、時折食欲がない日もありますが、変わらず息災でございます」
「兄上とは、うまくやっておるか」
留守居の折に、互いに相容れぬ事などなかったかという意味で言ったが、紅茂は違う意味で捉えたようであった。途端に紅茂の顔は曇り、張り詰めた空気が流れた。
「なにゆえお戻りになってすぐ、そのような話をなさるのでしょうや。殿と離れてから、私がどれほど殿のことを思うたか。どのような思いで、利堯様の元へ通ったか…」
「待て、紅茂。さようなことは聞いておらぬ。留守中、意見の相違などで揉めなんだかと聞いたまでぞ」
紅茂ははっとして、顔を手で覆った。
「申し訳ございませぬ!お許し下さいませ。留守中は、何事も私が決めた上で利堯様にもご了承を頂いておりました。それゆえ、相容れぬことなどは特にございませぬ」
「さようか。苦労をかけたな」
わしは、紅茂の手を取った。
「留守の間、権高で女丈夫な紅茂殿でおられたか」
からかいながら言った。
「はい…なんとか」
紅茂はわしの肩に頭を寄せた。
「戦の日の夜、何度も紅茂のことを思うた。生きてもう一度、紅茂に会いたいと」
まだ甲冑姿であったが、構わず紅茂を抱きしめた。
紅茂はわしの胸に顔を埋めたが、すぐに「あいすみませぬ」と言って体を離し、後ろを向いた。口を押えているようであった。
「気分がすぐれぬのか?いかがした」
紅茂はしばらく黙っていたが、意を決したように振り返り、言った。
「私は、身籠っておりまする」
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説
浅井長政は織田信長に忠誠を誓う
ピコサイクス
歴史・時代
1570年5月24日、織田信長は朝倉義景を攻めるため越後に侵攻した。その時浅井長政は婚姻関係の織田家か古くから関係ある朝倉家どちらの味方をするか迷っていた。
秦宜禄の妻のこと
N2
歴史・時代
秦宜禄(しんぎろく)という人物をしっていますか?
三国志演義(ものがたりの三国志)にはいっさい登場しません。
正史(歴史の三国志)関羽伝、明帝紀にのみちょろっと顔を出して、どうも場違いのようなエピソードを提供してくれる、あの秦宜禄です。
はなばなしい逸話ではありません。けれど初めて読んだとき「これは三国志の暗い良心だ」と直感しました。いまでも認識は変わりません。
たいへん短いお話しです。三国志のかんたんな流れをご存じだと楽しみやすいでしょう。
関羽、張飛に思い入れのある方にとっては心にざらざらした砂の残るような内容ではありましょうが、こういう夾雑物が歴史のなかに置かれているのを見て、とても穏やかな気持ちになります。
それゆえ大きく弄ることをせず、虚心坦懐に書くべきことを書いたつもりです。むやみに書き替える必要もないほどに、ある意味清冽な出来事だからです。
陣代『諏訪勝頼』――御旗盾無、御照覧あれ!――
黒鯛の刺身♪
歴史・時代
戦国の巨獣と恐れられた『武田信玄』の実質的後継者である『諏訪勝頼』。
一般には武田勝頼と記されることが多い。
……が、しかし、彼は正統な後継者ではなかった。
信玄の遺言に寄れば、正式な後継者は信玄の孫とあった。
つまり勝頼の子である信勝が後継者であり、勝頼は陣代。
一介の後見人の立場でしかない。
織田信長や徳川家康ら稀代の英雄たちと戦うのに、正式な当主と成れず、一介の後見人として戦わねばならなかった諏訪勝頼。
……これは、そんな悲運の名将のお話である。
【画像引用】……諏訪勝頼・高野山持明院蔵
【注意】……武田贔屓のお話です。
所説あります。
あくまでも一つのお話としてお楽しみください。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
信長の嫁に転生しました。
菜月ひかる
恋愛
ハローワークの帰り、私は階段から落ちて死んだ。
死ぬ寸前、お姫様になりたいと望んだら、信長の嫁に転生していた。
いきなり「離縁する」って怒鳴られたときはびっくりしたけど、うまくなだめることに成功した。
だって、生前の私はコールセンターのオペレーターだったのよ。クレーマーの相手は慣れているわ。
信長様は、嫁にベタボレでいらっしゃった。好かれているのは私ではなく、帰蝶様なのだけど。
信長様は暴君だけど、私は歴女。クレーマ対策のノウハウと歴史の知識で、本能寺エンドを回避するわ!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる