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21、新五利治/頼み

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ここ加治田で初めての正月を迎えた。
今までは主君・信長様に挨拶をするのが主であったが、此度は信長様への挨拶に加え、当主として斎藤や佐藤の一族をこの城で出迎えねばならなかった。

十五まで美濃で過ごしたわしにとって、斎藤家の旧知のものと語り合えるのは懐かしく、ありがたいことであった。例え一代限りだといえども、こうして美濃斎藤家を率いておれるは、やはり信長様のおかげなのだと改めて思う。

年末から正月の準備で忙しく立ち回っていた紅茂は、このところ具合が悪いと言って臥せっていた。医者の見立てでは、格別悪いところがあるわけではなく、おそらく気の病だろうという。

今日は昼過ぎに舅殿と姑殿が挨拶に来られることになっている。が、紅茂は会わない、という。

仕方なくわし一人でお二方の挨拶を受け、舅殿が自慢の茶器を新年の祝賀にとわしに差し出した折、姑殿が急にわっと泣き崩れた。

「新五殿、申し訳ございませぬ!どうか紅茂をお許し下され。紅茂は新五殿をお慕いしておりますが、新五殿の子は産めませぬ。この城の安寧と佐藤家の血を守るためにございます」

「これ!正月の目出度いときに申し上げるなと、あれほど申したに」

舅殿が、泣き崩れる姑殿を叱りつけた。

「日を改めて来ようと思っておったのじゃ。新五殿よ、此度の一件、すまぬことになった」

此度の一件と言われても、わしは紅茂からはなにも聞いていない。が、姑殿の言葉から、紅茂が伏せっていた訳をようやく知ることとなった。

舅殿には大恩がある。
自らが築いたこの城と、自らの手で育てた加治田衆を、文句ひとつ言わずわしに下された。
わしと引き換えに嫡男忠康殿の命を差し出し、自らも身を引くこととなったのに、恨み言を言われたことは一度とてない。

舅殿に対する申し訳なさが、常に胸の内にあった。
紅茂と子を為せば、舅殿に少しは恩が返せる。そう思っておった。

「義父上、詫びるべきは某にございまする。此度のこと、己の至らなさが招いたこと。面目次第もございませぬ」

「何を申される。新五殿は道三様のご子息。大望を持つことが何故、至らぬことになろうか。わしは新五殿と共に戦をし、この男なら、佐藤の家と紅茂を任せるに足りると心から思うておった」

信長様も舅殿もわしにとっては身内に違いないが、舅殿の方がよほど近しく思えるのは何故か。

「信長殿は、新五殿を買っておられるのじゃ。そして恐れておられるのよ。それゆえ竹中半兵衛が見向きもせなんだ利堯様を跡に据えようとなさる。新五殿、無礼を承知で言う。紅茂に利堯殿の子を産むよう諭しては下さらぬか。そしてもし男子が生まれたら、戦の何たるかを新五殿が教えてやってほしいのじゃ。老い先短いわしの最後の頼みじゃと思うて、どうかお聞き入れ下され」

舅殿はいつまでも、頭を上げなかった。舅殿がなりふり構わずここまで頼み込んでおられるのを、わしは見たことがない。もとより、舅殿に大恩のあるわしに、断れる理由などない。わしはその申し出を受け入れた。

「まことか!」

舅殿と姑殿は揃って顔を上げた。

「子が生まれたら、出来る限り某が教えを施しましょう。家中の火種とならぬよう、わしは子は為しませぬ。子は為さずとも、紅茂は我が妻にございます。よろしゅうございますな?」

「無論じゃ。誠に恩に着る、新五殿」

涙ぐんで破顔する二人をよそに、わしは早く立ち去りたかった。

紅茂だけが、わしの苦しみに寄り添ってくれた。紅茂がおればこそ、生きて帰らねばと思えた。
紅茂を兄上に差し上げるくらいなら、城におるより戦に出た方が、どれだけ心休まることであろう。



お二方を見送った後、次の間で控えていた一族や加治田衆とも対面し、ようやく長い一日が終わろうとしていた。

膳の支度で女子衆たちが動き回る中、ツルの姿があった。

「どうじゃ、紅茂の具合は」

「はい。今日は、いつにも増して食が細くあられます。お祝い事ゆえ少しでもと申し上げたのですが、お召しあがりになられませぬ。お心が弱られておいでなのか、頬に涙の跡がございました。何人も部屋に入れてはならぬ、と、奥方様は仰せにございました」

「そうか。あいわかった」

わしはツルの言葉に逆らって、紅茂の居室へと足を向けた。


「入るぞ」

断りなしにゆるりと襖を開けると、紅茂は静かに顔を動かしこちらを向いた。

「殿…」

非難するような目でこちらを見る。

「何故驚く。奥方を見舞いに来て、何が不都合があるか」

紅茂は強情なところがある。こうでも言わねば追い返されるやもしれぬ。

「せめて御髪など、整えさせていただきとうございました」

紅茂の声は、いつものような透る声ではなく、か細いものであった。

「無用じゃ。目も腫れておるではないか。具合はどうじゃ」

「大事ありませぬ」

今にも泣きそうな声であった。
愛おしい。わしは紅茂の体をぐっと引き寄せた。

「苦しいか。すまぬな。こうせずにはおれなんだ」

紅茂の手がわしの背中に回ったのを確かめてから、わしは言った。

「よいか、このまま聞け。わしはそなたを心より思うておる。向後もずっとじゃ。このこと、決して忘れるな」

「はい…」

「もう一つ、そなたに命じる。兄上の子を産め」

紅茂は何も言わなかった。
代わりに、わしの胸がどんどん冷たくなっていった。濡れているのだ。
紅茂の体を抱えながら、どうしようもない怒りが胸の中に沸いてきた。
(紅茂は、わしのものじゃ)
声に出すと、すべてがむなしくなりそうで、心の中でそう呟いた。
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