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11、新五利治/総大将
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面庭に戻り、首に掲げられた紙札にひとつひとつ目を通していると、佐藤殿が肩を叩いた。
「新五殿、わしは茶が好きでな。一服、馳走しよう」
そういえば、先だっての宴で信長様と佐藤殿は茶道具の話で盛り上がっておられた。
しかし、わしには茶の心得がない。
「佐藤殿、わしはとんと茶には不調法ゆえ…」
「いや、作法など気になされるな。ただ、新五殿と茶を喫みたいのじゃ」
佐藤殿は半ばむりやり、わしを加治田城の中の茶室へと連れて行った。
作法は気にするな、と仰ったのはすっかり忘れておられるのだろう。
わしのあまりの不調法ぶりに、佐藤殿は時折顔をしかめる。
物憂うなって、早う茶室を出たいと思うたが、佐藤殿はあらかじめ運び込んでおいた自慢の茶道具を、ひとつひとつ、前に差し出した。
「新五殿も、いずれは一城の主になられるお方ゆえ、今のうちに目を肥やしておかれるがよいですぞ。信長殿も茶の道がお好きゆえ、向後なにかと茶の道に通じておかれたほうがよい」
そう言われては、なすすべもない。
それから、佐藤殿の講釈が始まったが、まるで頭に入ってこない。
「これは柿の蔕茶碗と呼ばれるものにて、こう茶碗を伏せると、柿の蔕のように見えることからこう呼ばれておりましてな…」
四半刻ほど耐え忍び、ようやく話を逸らす糸口を見つけたわしは、すぐに切り出した。
「柿と言えば昨日、戦で田圃まで押し出た折に、柿の木に登った童が、こちらを見ておりました。うまく逃げおおせたものか」
「ははあ。童が?」
佐藤殿はしかたなく、わしに話を合わせた。
「百姓の童が、もの珍しさに戦を見に来たのやもしれませぬ。それとも、稲掛に干してある米が無事かどうか、気がかりであったか」
「ここらでは戦など、何年もなかったゆえのう」
「危ないゆえ見に行くな、といくら親がいうても、子供は聞かぬのでしょう」
話を挫かれ、佐藤殿はしぶしぶ茶道具を布巾で拭き始めたが、やがて手を止めて、思い出したようにわしに問いかけた。
「新五殿、此度の戦での倅の不手際、どうか、信長殿には内密にしていただけまいか。わしの目の黒いうちに、必ずや倅を良き武将に育て上げること、約束いたす」
茶室に呼ばれた時から、この話だろうと見当はついていた。
「佐藤殿、もとよりわしは、若のことを信長様に話すつもりなどございませぬ。たとえ此度、短慮があったとしても、次に挽回すれば済む話にござる」
「まことか。あのような不肖の倅でも、やはり我が子はかわいいもの。新五殿、恩に着る」
佐藤殿が本腰になって若を育て上げねば、いずれこの加治田の地は、信長様に召し上げられてしまうであろう。佐藤殿も、それをわかっているに違いない。
「足が痺れました」
わしが正直に言うと、佐藤殿は苦笑いをして、そろそろ戻らねばなりますまい、と言った。
長い茶会はようやく、お開きとなった。
翌日、加治田城に戻って来た使者は、信長様が我らの案を承諾したと告げた。ようやく、長井道利の関城を攻められる。此度も信長様は、織田勢から新たに援軍を出して下さることとなった。
総大将は、斎藤新五利治。
わしが佐藤殿の上に、さらには援軍の上に立ち、戦をせよということであった。
今までは守り手の大将であったが、此度は攻め手の総大将となる。
稀代の戦上手である佐藤殿を差し置いて、若輩のわしが総大将になる。それはつまり、信長様が佐藤家を同列ではなく、配下である、ということをまざまざと内外に知らしめているのであった。
総大将の下知がおりた時、加治田衆の空気が微妙に変わったように感じられた。
――誰が、新五殿が美濃を改めるなどと戯言を申したのか。新五殿は、信長殿のお目付け役に過ぎぬ。
皆のそのような声が聞こえるようであった。
信長様が直々に城へいらっしゃったことで、佐藤殿や加治田衆は舞い上がり、浮かれすぎた。
信長様は、佐藤家を救いに来たのではない。美濃を獲りに来た。
裏庭で顔を綻ばせた紅茂殿も、長々と茶碗の講釈を垂れた佐藤殿も、さぞ苦い思いをされているに違いなかった。
援軍は二日後に到着した。
援軍の大将は、三左殿であった。
信長様の宴の折に、紅茂殿から好みである、と言われた御仁である。
此度、百戦錬磨の三左殿を総大将ではなく援軍の将とし、わしを総大将にされたは、間違いなく信長様のご配慮であった。これは何としても勝たねばならぬ。
軍議では、先の戦の折にはあれほど雄弁に意見を述べられていた佐藤殿が、此度は口を挟まず、関城の地形や弱点などを述べるに留めた。
織田勢の中での自らの立場を、推し量っているようでもあった。
戦は、あっけなく終わった。
我らが関城を取り囲むと、長井はしばらく防戦したが、斎藤勢の援軍が来ぬことがわかると、城を明け渡して逃亡した。
籠城には耐えられぬ城であることを、長井はよく知っていたのであろう。
美濃の主でわしの甥に当たる斎藤龍興は、家臣である長井に援軍を差し向けることはなかった。
若といい龍興といい、生まれながらの主には、家臣の側に思いを馳せるということが出来ぬ。尾張に来て家臣となり、総大将にもなったわしは、随分と恵まれている。そのことに気付いた戦であった。
「新五殿、わしは茶が好きでな。一服、馳走しよう」
そういえば、先だっての宴で信長様と佐藤殿は茶道具の話で盛り上がっておられた。
しかし、わしには茶の心得がない。
「佐藤殿、わしはとんと茶には不調法ゆえ…」
「いや、作法など気になされるな。ただ、新五殿と茶を喫みたいのじゃ」
佐藤殿は半ばむりやり、わしを加治田城の中の茶室へと連れて行った。
作法は気にするな、と仰ったのはすっかり忘れておられるのだろう。
わしのあまりの不調法ぶりに、佐藤殿は時折顔をしかめる。
物憂うなって、早う茶室を出たいと思うたが、佐藤殿はあらかじめ運び込んでおいた自慢の茶道具を、ひとつひとつ、前に差し出した。
「新五殿も、いずれは一城の主になられるお方ゆえ、今のうちに目を肥やしておかれるがよいですぞ。信長殿も茶の道がお好きゆえ、向後なにかと茶の道に通じておかれたほうがよい」
そう言われては、なすすべもない。
それから、佐藤殿の講釈が始まったが、まるで頭に入ってこない。
「これは柿の蔕茶碗と呼ばれるものにて、こう茶碗を伏せると、柿の蔕のように見えることからこう呼ばれておりましてな…」
四半刻ほど耐え忍び、ようやく話を逸らす糸口を見つけたわしは、すぐに切り出した。
「柿と言えば昨日、戦で田圃まで押し出た折に、柿の木に登った童が、こちらを見ておりました。うまく逃げおおせたものか」
「ははあ。童が?」
佐藤殿はしかたなく、わしに話を合わせた。
「百姓の童が、もの珍しさに戦を見に来たのやもしれませぬ。それとも、稲掛に干してある米が無事かどうか、気がかりであったか」
「ここらでは戦など、何年もなかったゆえのう」
「危ないゆえ見に行くな、といくら親がいうても、子供は聞かぬのでしょう」
話を挫かれ、佐藤殿はしぶしぶ茶道具を布巾で拭き始めたが、やがて手を止めて、思い出したようにわしに問いかけた。
「新五殿、此度の戦での倅の不手際、どうか、信長殿には内密にしていただけまいか。わしの目の黒いうちに、必ずや倅を良き武将に育て上げること、約束いたす」
茶室に呼ばれた時から、この話だろうと見当はついていた。
「佐藤殿、もとよりわしは、若のことを信長様に話すつもりなどございませぬ。たとえ此度、短慮があったとしても、次に挽回すれば済む話にござる」
「まことか。あのような不肖の倅でも、やはり我が子はかわいいもの。新五殿、恩に着る」
佐藤殿が本腰になって若を育て上げねば、いずれこの加治田の地は、信長様に召し上げられてしまうであろう。佐藤殿も、それをわかっているに違いない。
「足が痺れました」
わしが正直に言うと、佐藤殿は苦笑いをして、そろそろ戻らねばなりますまい、と言った。
長い茶会はようやく、お開きとなった。
翌日、加治田城に戻って来た使者は、信長様が我らの案を承諾したと告げた。ようやく、長井道利の関城を攻められる。此度も信長様は、織田勢から新たに援軍を出して下さることとなった。
総大将は、斎藤新五利治。
わしが佐藤殿の上に、さらには援軍の上に立ち、戦をせよということであった。
今までは守り手の大将であったが、此度は攻め手の総大将となる。
稀代の戦上手である佐藤殿を差し置いて、若輩のわしが総大将になる。それはつまり、信長様が佐藤家を同列ではなく、配下である、ということをまざまざと内外に知らしめているのであった。
総大将の下知がおりた時、加治田衆の空気が微妙に変わったように感じられた。
――誰が、新五殿が美濃を改めるなどと戯言を申したのか。新五殿は、信長殿のお目付け役に過ぎぬ。
皆のそのような声が聞こえるようであった。
信長様が直々に城へいらっしゃったことで、佐藤殿や加治田衆は舞い上がり、浮かれすぎた。
信長様は、佐藤家を救いに来たのではない。美濃を獲りに来た。
裏庭で顔を綻ばせた紅茂殿も、長々と茶碗の講釈を垂れた佐藤殿も、さぞ苦い思いをされているに違いなかった。
援軍は二日後に到着した。
援軍の大将は、三左殿であった。
信長様の宴の折に、紅茂殿から好みである、と言われた御仁である。
此度、百戦錬磨の三左殿を総大将ではなく援軍の将とし、わしを総大将にされたは、間違いなく信長様のご配慮であった。これは何としても勝たねばならぬ。
軍議では、先の戦の折にはあれほど雄弁に意見を述べられていた佐藤殿が、此度は口を挟まず、関城の地形や弱点などを述べるに留めた。
織田勢の中での自らの立場を、推し量っているようでもあった。
戦は、あっけなく終わった。
我らが関城を取り囲むと、長井はしばらく防戦したが、斎藤勢の援軍が来ぬことがわかると、城を明け渡して逃亡した。
籠城には耐えられぬ城であることを、長井はよく知っていたのであろう。
美濃の主でわしの甥に当たる斎藤龍興は、家臣である長井に援軍を差し向けることはなかった。
若といい龍興といい、生まれながらの主には、家臣の側に思いを馳せるということが出来ぬ。尾張に来て家臣となり、総大将にもなったわしは、随分と恵まれている。そのことに気付いた戦であった。
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