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9、新五利治/混乱
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刈り取りの終わった田を踏み荒らし、我らは予定通り、横に広く陣形を取った。
両翼を後ろに下げるような塩梅で、中央の先頭に大将、少し遅れてその両脇に足軽どもが布陣する。
この案をわしが出した時、佐藤の若君は諸手をあげて賛成した。
この陣形は、大将が先頭に立つ分、大将が先に攻撃される可能性が高い。その分兵どもの士気は高く、また大将が見せ場をつくるには、うってつけの策なのである。
加治田衆と犬山の兵が左右に配置に付き、大将格の武者が馬で中央に寄せた。
わしは櫓にいた分出遅れるが、その間は若の狙い通り、若の独壇場になろう。
「我は佐藤忠康なりーっ!」
大声で名乗りをあげ、若が中央を突破した。
馬上で槍を振りかざし、鍬形の前立の兜の若が、長井勢の中へと突っ込んでいく。
若に続き加治田衆、犬山の騎馬武者たちも、一気に駆けた。
長井勢の猛者たちも必死に立ち向かうが、敵の大将が前線を率いているのを見るや、たちまち焦りの色を現した。
「恐るるな、進めー!」
長井勢は必死に兵たちを鼓舞する。
横に陣取る我らに対し、長井勢は縦の陣形を取っていた。
加治田衆と犬山の兵は長井の縦陣の横腹をつき、長井勢は陣形が崩れつつある。
長井勢の弓組足軽は、乱戦で前が見えないものの、やにわに前にむけて数多く矢を放った。
矢は槍組の上を通り過ぎ、騎馬武者を超えて、大将の右腕にめりこんだ。佐藤の若の上腕であった。
若は馬を止めた。
その頃、わしはすでに陣の前方に出て、若の背後で奮迅していた。
「若様!」
加治田衆が若に声をかけるが、若の傷が矢傷であるのをちらと見ると、すぐに目の前の長井勢に向き直し、防戦した。
「くそぅ…」
生まれて初めて傷を負った若は痛みに顔を歪めた。しかし若の側に来て、大丈夫かと声を掛ける者はいない。動揺した若は、周りもよく見ぬまま、号令を発した。
「引け、いったん引けーっ!」
わしは耳を疑った。
加治田衆や犬山の兵も同じだった。今、戦局は明らかに我が方に有利である。ここで退く意味は一つも無い。
迷いが生じた加治田衆は防戦に転じ、明らかに気勢を削がれていた。
「若、何を言うかっ!」
「新五殿!そこにおったのか」
若はわしを見て呆然とした。わしが傍に居ることさえ気付いていなかった様子であった。
なんと浅はかな。周りがまるで見えておらぬ。
もはや、このまま若にこの場を任せるわけにはいかぬ。わしが加治田衆をも率いていかねば、この戦では勝てまい。
「皆の者、引いてはならぬ!進めば勝つ!一歩も引くな!加治田衆はこれより、わしに従え」
わしは大声で、加治田衆に向かって指図した。
しかし長井勢はこの混乱に乗じて、一気に息を吹き返していた。すでに流れは完全に長井勢のものとなり、一度削がれた加治田衆の士気を立て直すには時間がかかる。加治田衆だけでなく、犬山の兵も率いねばならぬ。わしはやむなく後方に下がった。まずい。
その時、一人の武者が勇敢にも単騎で長井勢に駆け入り、やにわに槍を振り回し、こう叫んだ。
「我は加治田衆、湯浅新六―ッ!この槍で、十人の命、頂戴いたすーッ!」
岸の嫡男の首を取り、信長様にお褒めの言葉を頂戴した、あの湯浅であった。
長井勢はおののいた。
槍の名手である湯浅の名は、長井勢にまで轟いていたからである。
湯浅は恐るべき気迫で槍を左右に振り回し、長井兵に手出しをさせぬまま、じりじりと後ずさりさせ、言うたとおりに十人を薙ぎ倒した。
この機を逃すと、もう後はない。
そう思うたわしは、一気に前方に駆けだした。
「それーっ、湯浅に続けーっ!」
加治田衆、犬山の兵が一丸となり、気概と雄たけびで、おのおのが勝ちへの流れを作り出そうと、必死で前へ進んだ。
気圧された長井勢はどんどん押し返され、潮が引くように退がっていった。気がつけば、周りの景色は田圃から川へと変わっていた。出丸から、半里(2㎞)ほども押し出したことになる。
川の向こうは、長井の領地であった。長井勢はついに、退却を始めた。
勝利の余韻に浸りたい気持ちに鞭を打ち、東の戦況はどうかと物見に尋ねた。
戦はまだ終わっておらぬ。
東では、ご当主佐藤忠能殿がまだ戦っておられるはず。
旗色が悪ければすぐに駆け付けねばならぬ。
「東は長井勢を追い返し、お味方、勝利してございます」
「まことか」
西も東も、佐藤勢の圧倒的勝利であった。
ようやくわしは、兜を脱いだ。
「皆の力、存分に見せてもらった。我らは強い。えい、えい、オー」
「えい、えい、オ―」
皆が勝鬨を上げる中で、後方でひっそりと、若が背を丸めていた。
両翼を後ろに下げるような塩梅で、中央の先頭に大将、少し遅れてその両脇に足軽どもが布陣する。
この案をわしが出した時、佐藤の若君は諸手をあげて賛成した。
この陣形は、大将が先頭に立つ分、大将が先に攻撃される可能性が高い。その分兵どもの士気は高く、また大将が見せ場をつくるには、うってつけの策なのである。
加治田衆と犬山の兵が左右に配置に付き、大将格の武者が馬で中央に寄せた。
わしは櫓にいた分出遅れるが、その間は若の狙い通り、若の独壇場になろう。
「我は佐藤忠康なりーっ!」
大声で名乗りをあげ、若が中央を突破した。
馬上で槍を振りかざし、鍬形の前立の兜の若が、長井勢の中へと突っ込んでいく。
若に続き加治田衆、犬山の騎馬武者たちも、一気に駆けた。
長井勢の猛者たちも必死に立ち向かうが、敵の大将が前線を率いているのを見るや、たちまち焦りの色を現した。
「恐るるな、進めー!」
長井勢は必死に兵たちを鼓舞する。
横に陣取る我らに対し、長井勢は縦の陣形を取っていた。
加治田衆と犬山の兵は長井の縦陣の横腹をつき、長井勢は陣形が崩れつつある。
長井勢の弓組足軽は、乱戦で前が見えないものの、やにわに前にむけて数多く矢を放った。
矢は槍組の上を通り過ぎ、騎馬武者を超えて、大将の右腕にめりこんだ。佐藤の若の上腕であった。
若は馬を止めた。
その頃、わしはすでに陣の前方に出て、若の背後で奮迅していた。
「若様!」
加治田衆が若に声をかけるが、若の傷が矢傷であるのをちらと見ると、すぐに目の前の長井勢に向き直し、防戦した。
「くそぅ…」
生まれて初めて傷を負った若は痛みに顔を歪めた。しかし若の側に来て、大丈夫かと声を掛ける者はいない。動揺した若は、周りもよく見ぬまま、号令を発した。
「引け、いったん引けーっ!」
わしは耳を疑った。
加治田衆や犬山の兵も同じだった。今、戦局は明らかに我が方に有利である。ここで退く意味は一つも無い。
迷いが生じた加治田衆は防戦に転じ、明らかに気勢を削がれていた。
「若、何を言うかっ!」
「新五殿!そこにおったのか」
若はわしを見て呆然とした。わしが傍に居ることさえ気付いていなかった様子であった。
なんと浅はかな。周りがまるで見えておらぬ。
もはや、このまま若にこの場を任せるわけにはいかぬ。わしが加治田衆をも率いていかねば、この戦では勝てまい。
「皆の者、引いてはならぬ!進めば勝つ!一歩も引くな!加治田衆はこれより、わしに従え」
わしは大声で、加治田衆に向かって指図した。
しかし長井勢はこの混乱に乗じて、一気に息を吹き返していた。すでに流れは完全に長井勢のものとなり、一度削がれた加治田衆の士気を立て直すには時間がかかる。加治田衆だけでなく、犬山の兵も率いねばならぬ。わしはやむなく後方に下がった。まずい。
その時、一人の武者が勇敢にも単騎で長井勢に駆け入り、やにわに槍を振り回し、こう叫んだ。
「我は加治田衆、湯浅新六―ッ!この槍で、十人の命、頂戴いたすーッ!」
岸の嫡男の首を取り、信長様にお褒めの言葉を頂戴した、あの湯浅であった。
長井勢はおののいた。
槍の名手である湯浅の名は、長井勢にまで轟いていたからである。
湯浅は恐るべき気迫で槍を左右に振り回し、長井兵に手出しをさせぬまま、じりじりと後ずさりさせ、言うたとおりに十人を薙ぎ倒した。
この機を逃すと、もう後はない。
そう思うたわしは、一気に前方に駆けだした。
「それーっ、湯浅に続けーっ!」
加治田衆、犬山の兵が一丸となり、気概と雄たけびで、おのおのが勝ちへの流れを作り出そうと、必死で前へ進んだ。
気圧された長井勢はどんどん押し返され、潮が引くように退がっていった。気がつけば、周りの景色は田圃から川へと変わっていた。出丸から、半里(2㎞)ほども押し出したことになる。
川の向こうは、長井の領地であった。長井勢はついに、退却を始めた。
勝利の余韻に浸りたい気持ちに鞭を打ち、東の戦況はどうかと物見に尋ねた。
戦はまだ終わっておらぬ。
東では、ご当主佐藤忠能殿がまだ戦っておられるはず。
旗色が悪ければすぐに駆け付けねばならぬ。
「東は長井勢を追い返し、お味方、勝利してございます」
「まことか」
西も東も、佐藤勢の圧倒的勝利であった。
ようやくわしは、兜を脱いだ。
「皆の力、存分に見せてもらった。我らは強い。えい、えい、オー」
「えい、えい、オ―」
皆が勝鬨を上げる中で、後方でひっそりと、若が背を丸めていた。
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