鉾の雫~平手政秀と津島御師~

黒坂 わかな

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第四章

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「お武家様、そんなちっこいのはわりゃや。こっちのほうがうみゃあよ」
天王社の市で瓜を見ていた五郎左は、物売りの女の勢いに押されている。
「あんた、瓜はもう旬は終わっとるでこれを逃すとしばらく食べられへんよ。大きいのにしやあ」
「あかんて、二人分だで小振りでええがや」
尾張言葉でなんとか断り、童の草履ほどの瓜を脇に抱えながら五郎左は参道を出る。二人分というのは建前で、なるべく銭を使いたくないのが本音であった。
社の西には田が広がっている。つい先日まで実った稲穂で一面黄金色だったのが、既に刈り取りを終えた今ではすっかり土の色になっている。今年は幸い川の氾濫もなく豊作で、もうひと月ほど経てば米之座が賑わいを見せることだろう。
刈り取りが諸国で終われば、再び参拝客が津島に押し寄せる。そうなると次郎大夫は忙しくなり、ゆるりとは話せない。
五郎左は次郎大夫の屋敷を訪れ、奉公人に瓜を渡した。屋敷には上がらず、社の裏手にある寺の裏参道で会うのが常であった。
裏参道で待つと、次郎大夫はすぐにやってきた。
「瓜をおおきに。いつも悪いな」
「あんなものでよければいつでもくれてやる」
実際は次郎大夫のほうがよほど実入りはいい。が五郎左は今でも時折見栄を張る。
「お屋形様とお会いしてからふた月じゃ。その間何か呼び出しはあったか」
五郎左の問いに、次郎大夫は首を振る。
「いや、何もない。五郎左こそどうするか考えておけと言われたじゃろ」
「ああ、弾正様とも相談した。やはり一番の策は、次郎大夫に今川の近くでいち早く報せを掴んでもらうことじゃ」
「そう言われると思うておったわ」
ため息まじりに次郎大夫は言う。
「駿河は遠いのじゃ。伊勢や美濃のほうが効率がよい。駿河に行きたいなどと言えば家の者に必ず反対される」
駿河に行くには陸路となる。宿の手配や日数の事を考えれば確かに効率は悪い。
「駿河に檀那はおらんのか」
「おらんことはないが、ありていに言えばなんで俺がお屋形様や弾正忠家のためにそこまでせねばならんのか。わからん。そんなことして俺に何の利がある」
次郎大夫が抱くであろう尤もな疑念に、五郎左はあらかじめ返答を考えていた。
「次郎大夫よ、利などと言うな。今のは聞かなんだことにしてやる。いいか、お前も津島衆も、もっと民に寄り添わねばならん。お前らは今は伊勢や美濃ばかり相手にしておるが、牛頭天王のお社なら京にも祇園社があろう。伊勢や美濃なら京も近い。だが駿河や、もっと東国の者はどうじゃ?東者にとっては京など異国も同然よ。京より近い尾張にお社があることを、津島衆はもっと広めねばならぬ。それが御師の務めじゃろ?それともお前らは近場の客から銭を取ることが生業か?」
そうじゃ、と心の内では言いたい次郎大夫である。津島衆は天王社の恩恵で生まれる利を独占し続けてきた。
「そりゃ、広められたらよかろうが、それだけで家の者を説得するのは難しい」
建前を言う次郎大夫に、五郎左はとっておきの案を示した。
「俺によい案がある。冬が近づき参詣客が減ってきた頃に、お主は何処かで転んで右腕の骨を折れ。痛いのが嫌なら折れたふりでも良い。腕を折れば舟は漕げぬ。さすれば海ではなく、陸の檀那を相手にできる」
次郎大夫は空を仰いでため息をついた。
「そこまでするか。家老になってからしばらく経つうちにさらに狡猾になったのう、五郎左は」
しばらく考えて、断り切れなくなった次郎大夫はついに折れた。
「わかったわい、骨が折れたように見せればいいのじゃな?駿河から戻ってきたら、両手に抱えきれぬほどの瓜を買ってもらうからな」
「だから、利を考えるなと言うておろうが」
「ふん。弾正様にも言うておけ。褒美に糸目はつけるなと」
やがて冬が近づくと、首から掛けた包み帯に右手を入れて、次郎大夫は駿府へと旅立っていった。


まもなく節分を迎えるという日の朝方、五郎左の屋敷の井戸で奉公人が水を汲んでいると、表門の前で御免候え、と呼び声があった。ずいぶん朝早くに何用かと訝しみながら奉公人が門を開けると、上質な身なりの男がすまし顔で立っていた。男が自分は武衛の使いであると身を明かすと奉公人は腰を抜かし、五郎左の元へ走ろうとした。が、男は人目に付かぬよう早う戻らねばと言って、奉公人にむりやり文を手渡すと、薄く雪の積もった街道へと走り去っていった。
奉公人がまだ寝ている五郎左の寝所を訪れその旨を伝えると、五郎左は跳ね起きた。襦袢のまま外に飛び出すが、男の姿はない。しかたなく五郎左は奉公人から文を受け取り、再び寝所へ戻って掻巻に包まりながら文を開けた。
「年内に今川が甲斐の武田を攻める。次郎大夫の檀那の中に今川に恨みを持つ者があり、その者の助力により得た報なのでほぼ間違いないと見てよい。今川が甲斐で戦を進める間に引間城に攻め入れば、城を取り戻すことは難くない。此度は我自らも必ず出陣する。弾正忠家は尾張勢の先頭となり攻めよ」
五郎左は一度では読み解けず、二度三度と目を通した。
出陣、という言葉に五郎左は身震いした。ついに戦が始まる。
「えらい・・・えらいことじゃ」
五郎左は顔も洗わぬまま、弾正屋敷へと飛び出していった。

一五一六年、大和守や弾正ら総勢二千人を伴い、武衛は遠江の引間城へと向かった。弾正も五郎左も、尾張を出るのはこれが初めてである。
現在遠江・引間城を治めているのは浜松荘の代官である飯尾氏で、今川派であった。遠江の武衛方である大河内氏とは、長年浜松荘の代官や引間城主の座を巡って争いを続けていた。武衛が遠江の守護に任命されてからも今川派の飯尾氏が平然とこの城に居座っており、武衛が城を攻める度に今川は援軍をよこし、城の奪還を妨害してきた。この城を取り戻すことは武衛にとって大きな意味がある。先代の大和守に自らの出陣を反対され、しばらく戦に出ていなかった武衛は、此度の出陣には並々ならぬ意欲を示している。今川の援軍が来ないというのは勝ちを収めるまたとない機会であった。
尾張を超え遠江に入ると、武衛の軍勢は松明の火を消して夜陰に紛れて行軍した。暗闇の中探り探り歩いて城のすぐ手前まで辿り着いた時、軍勢の足音と甲冑の音に気が付いた引間城の櫓番が、ようやく櫓を降り、異変を知らせに走った。敵が篝火を濛々と焚いた時、武衛の軍も一斉に松明に火をつけた。引間城の飯尾勢およそ二百人ほどに対し、尾張勢はおよそ千二百ほど。六倍近い敵の数を目の当たりにして、飯尾は臍を噛んだ。飯尾には、堀に掛かる橋を捨てる時さえも残されていなかった。

城の正面で指示を待つ間、与三は何度か雄たけびを上げた。
「ようやく俺の力を示す時が来たわ。俺は戦のために生まれてきたのじゃ。必ずや大将首を上げてみせる」
与三の並々ならぬ意気込みに気後れした五郎左は、何度も酒を呷った。
大河内勢が破城槌で門を壊し城の中に突入する際に、弾正勢は火矢で城に火をかけ、援護をする手筈である。それぞれの持ち場は末端の雑兵にまで伝えている。
弾正の合図で皆が一斉に矢に火を灯した。背面からの風は弾正に味方し、火が勢いよく燃え盛る。
ほら貝の音と共に、大河内勢が数十人がかりで槌の乗った荷車を押し、駆けて行く。弾正勢の援護を得ながら二度、三度と門を打ち付け、四度目に門を衝いた時、門が破れ城の中の飯尾の兵の姿があらわになった。
一斉に門の中へと駆けこんだ大河内勢に続き、弾正勢も次々と城の中へと入っていく。与三は馬で飯尾の雑兵を蹴散らしながら、槍をふるい存分に暴れまわっている。城を知り尽くした大河内勢はあっという間に城を抑え、飯尾勢は耐え切れず早々に退却し、城を捨てて逃げた。

敵が逃げたと聞き、後方から引間城に駆け付けた武衛は、馬を降りて弾正の元に駆け寄った。
「ようした。さすがは弾正じゃ」
弾正の肩に腕をやって、皆の前で大いに讃えた。
手負いの与三は五郎左に支えられながら武衛の言葉に歓喜し、むせび泣きを始めた。
弾正勢が武衛を囲んで勝どきを上げる中、ひっそりと到着した大和守は、その光景を苦々しい思いで見つめていた。
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