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第三章

三、

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―確かに大きいが、雅さには欠ける。思うたほどのものでもないわ。
清洲城の武衛屋形を目の前にして、次郎大夫は数か月前に行った駿河の今川屋形を思い出していた。中に入ったわけではないが、外観だけでも歴然とした差がある。今川屋形に比べ、武衛屋形は門や塀ひとつ取っても設えが質素で、彫刻などもない。今川屋形が色彩豊かならば、武衛屋形は土の色ばかりであった。
次郎大夫の隣には五郎左が並ぶ。次郎大夫が用意した装束を身に着け、神妙な面持ちで屋形を見つめている。大橋の使いと言う名目で屋形に入ると決めたが、むろん大橋はこのことを知らない。守護に会うのであれば本来なら宮司や禰宜が来てもおかしくないが、二人が身に着けている装束は格下のものであった。成り行きに任せる穴だらけの策に、次郎大夫は不安で押しつぶされそうだった。
―なんで昨日は行くなどと言うたのか。
激しい後悔に襲われる。この国の守護の屋形に入ってみたいと軽い気持ちで引き受けた昨夜の自分に喝を入れたくなった。
具足姿の門番に、次郎大夫は予定通りの文言で用件を述べる。
「津島の河村次郎大夫にございます。津島衆の大橋様の代理にて、天王祭の寄進の儀でお屋形様にお目通りを願いたく参上いたしました。昨日の雨で足元が悪く簡素な装束で参りましたゆえ、屋形にて着替えの間をご用意頂きとうございます」
屋形に上がるのが当然だと言わんばかりに、次郎大夫はすらすらと出まかせを言った。むろん着替えなどは持っていない。
二人の杞憂きゆうをよそに、いとも簡単に門は開かれた。
着替えの間から主殿に通される。待つ間、次郎大夫の手は震え続け、五郎左は滴る汗を袖で拭き続けた。
やがて尾張の守護、斯波義達が姿を現した。
荒れた肌、黒々とした太い髭、ぎらつく額。その姿は昔天王祭で見た姿とはまるで別人のようだった。ただすっと伸びた鼻筋だけが、かつての面影を残していた。
「津島の河村次郎大夫にございます。畏れながら、この者が織田弾正忠家の当主より預かった文を急ぎ渡したいと申しており、寄進とは名ばかりで罷り越した次第にございまする」
次郎大夫の言葉に武衛は片膝を荒々しく立て、不快であることを示した。
「何故大和守を通さぬ」
五郎左は少したじろぐが、丹田に力を込め言葉を返す。
「その大和守様にかかわることゆえにございます。まずはこれをご一読願い奉ります」
五郎左は武衛の家臣に文を手渡す。武衛は食い入るように目を通した。
「これは確かか」
「証はございませぬが、ご用心に越したことはございませぬ」
武衛は鼻白んだ様子で文から目を離す。
「ふん。遠江には行かぬくせに、すぐそばにおる主とは戦うというのか。笑止」
武衛の怒りが主殿を満たす。そこにいるだけで皆が畏れるような稀有な存在であることは昔とつゆも変わらない。
「相わかった。よう知らせたと弾正に伝えよ」
「はっ」
大役を果たした五郎左は頭を下げながら頬を緩めた。
「ぬしの名は」
刹那、問いの意味が分からなかったが、まだ名乗りを上げていないことを思い出すと、五郎左は慌てて両手をついて平伏した。
「ご、ご無礼をお許し下され。某は織田弾正忠家の家老にて、平手五郎左政秀にございます」
「昔、たしか会うたな。わしに物申した」
五郎左ははっとして頭を上げた。予期せぬ言葉に体中の血がたぎる。
「はい、いつぞやの天王祭にて生意気を申しました。あの節は・・・」
「よい。引き続き励め」
武衛は五郎左の言葉を遮り、立ち上がった。
脇にいた家臣に皆を集めよと命じ袖を翻すと、物々しい足音を立てて主殿を去っていく。その足音は、まるで戦じゃ戦じゃと触れ回っているようだった。

翌五月四日、清洲城の大和守の屋敷では、女たちが葺き籠りの準備に追われていた。例年大和守家では葺き籠りの折は男女とも家中で過ごすが、昨年の米の取れ高が少なかったのは葺き籠りを行わなかったせいだと大和守が言い始め、今年に限って急遽男が外に出ることとなったのである。
外出とはいえ遠出はせず、夜通し隣の武衛屋形の警護に当たるだけである。武衛屋形には遊び女が多数訪れるが、その時ばかりは武衛屋形に仕える男たちも羽目を外す。守りが手薄になってはならぬと、数日前に大和守自ら武衛に警護を申し出て、許しを得ていた。
大和守は謀反の意を家臣の誰にも伝えていない。警護だと偽り武衛屋形を囲んだ後、藤左衛門の到着を待って事に及ぶつもりであった。
台所では女たちが総出で集まり、蕗の煮物の入った握り飯を山ほどこさえている。女のための葺き籠りなのに、女が休む暇など微塵もないと女たちは愚痴を言う。
台所から漂う甘い匂いに誘われ、大和守は奉公人を呼び、握り飯を一つもらってくるよう命じた。甲冑を整えながら握り飯を待つが、奉公人はいつになっても戻ってこない。
「おい、誰ぞ、握り飯はまだか」
大和守が居室の外に向けて呼びかけた時、外からじゃらじゃらと聞き慣れぬ音がした。鍋でも運んでいるのかと思い障子を開けると、そこには甲冑姿の男たちがずらりと並んでいた。
「なんじゃ、まだ早いぞ。何用じゃ」
男たちが家中の者だと信じ切っている大和守は、それが武衛の軍勢であることに気づかない。
「大和守達定!謀反の咎で成敗いたす」
先頭の男が響き渡る声で言うと、武衛の軍勢がどっと大和守の周りを取り囲んだ。
「謀反じゃと?お主らはどこの者じゃ!皆、出合え」
大和守の威勢が虚しく空を切る。
逃げる間もなく大和守は槍で四方から串刺しにされ、その場に崩れ落ちあっけなく命を落とした。

何も知らない藤左衛門は軍勢を引き連れ、山王宮を通り過ぎて夕刻には大和守の屋敷に到着した。ところが大和守の軍勢は姿なく、かわりに武衛の軍勢で溢れていた。
謀反の不首尾を悟った藤左衛門は、詰め寄る武衛の家臣に対し、大和守に清洲城の警護の応援を頼まれただけだと言い張り、知らぬ存ぜぬで押し通した。それでも武衛が藤左衛門に疑いを抱いたのは言うまでもない。
弾正が武衛にいぬい宛の文を見せれば藤左衛門が加担したことはすぐに露見する。しかし弾正はそれを敢えてしなかった。藤左衛門の弱みを握るためである。
これにより、弾正は三奉行の中で圧倒的な力を得ることとなった。

大和守家は謀反を起こしたものの、取り潰しは免れた。達定の弟である織田達勝が後を継いだが、取り潰しを免れた恩もあり、武衛の意に反することが出来るはずもなく、武衛の傀儡になり下がったのである。
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