豊家軽業夜話

黒坂 わかな

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二十

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9月27日、徳川の大軍を引き連れて、内府は大坂城西の丸に入った。実に四ヶ月ぶりの帰還であった。

内府の入城を本丸天守から眺めていた淀殿は、目を真っ赤にして軍勢を睨みつけた。呪詛や夢の中で、何度内府を殺したかわからない。しかし現実では内府は生きのびて、豊家の天下を乗っ取ろうとしている。

内府の訪れを知らされると、淀殿は秀頼公とともに天守を降りて広間へ向かった。
石川の尽力で、秀頼公に害は及ばぬ手筈になっている。しかし万が一に備えて、淀殿は竹早の同席を命じた。覚悟を決めた竹早は、素顔で内府との面会に臨むこととした。

広間に現れた内府は四ヶ月前とはがらりと態度を変え、傲岸不遜を押し通した。
以前のように秀頼公に臣下の礼を取ることはなく、上座の秀頼公の隣に座したのである。上座に二人が座る、異様な光景であった。

人を寄せ付けぬ内府の佇まいに、隣の秀頼公は恐れを抱く。身を縮める秀頼公の姿を見た臣下の者は、既に内府が天下の頂であることをまざまざと思い知らされる。
その空気を十分に感じ取った内府は、やや顔つきを緩めて秀頼公に語りかけた。

―秀頼様は、側におる大人をもっとよう見極めねばなりませぬな。

嫌味を含めた言い方に、秀頼公は寒気を覚えた。
やがて内府は立ち上がり、居並ぶ豊家の重臣の顔を一人一人覗きながら、広間の中を歩き始めた。
その中で石川の姿を見つけると、手にした扇子で石川の顎を掬った。

―お主には死んでもらう。

淡々と言う内府に、石川も淡々と返した。書状に自らを首謀者と記した時点で、覚悟は出来ていた。

―承知仕った。

しかし、淀殿がそれを許さなかった。

―なりませぬ。石川は秀頼の側近で、豊家には欠かせぬ者。大津城の戦の責めを負えというのなら、毛利元康は許されたではございませぬか。何ゆえ石川だけ殺すのか、合点がいきませぬ。殺してはなりませぬ。

淀殿の言い分に、内府は笑った。

―そなたがわしに命ずるか。可笑しな話よ。此度の戦は豊家は与り知らぬ事と、当の石川も申しておる。

内府に呑まれぬよう、淀殿は必死であった。石川がいなくなれば、淀殿も秀頼公も、意志を持たぬ飾りと同じであった。震える足で立ち上がり、丹田に力を込め、淀殿は広間が揺れるほどの大声を出した。

―秀頼公を盛りたてよとの亡き太閤様のお言葉を、忘れたとは言わせぬぞ。

耳を塞ぎたくなるほどの大声に、広間の空気が凍り付いた。
さすがの内府も虚をつかれ、呆然と淀殿を見つめている。
静まり返った広間の中、一人の女子が天下人を圧倒していた。

―いや、なかなか骨のある。

気付けば内府は賛辞の言葉を掛けていた。しかしそれだけで終わるわけもない。

―そなたの度胸に免じて、訳を聞かせて進ぜよう。こやつはわしが伏見におる頃、屋敷に忍びを放った。危うくわしは命を落とすところであった。罰を受けるのは当然じゃ。

内府は石川に向けていた扇子を離すと、次は淀殿を指し示した。

―さらなる咎も教えて進ぜよう。こやつは太閤様が育てた忍びだが、太閤様ご側室の居室に忍び込み、情を交わした疑いあり。今日まで平然と生き延びたことこそ誤りである。さて、そのご側室とは誰のことであろう。

淀殿の顔から血の気が引いた。へなへなと座り込む淀殿の側に、秀頼公が駆け寄った。

さらに、内府は秀頼公の後ろに控えていた竹早に扇子を向けた。

―そこな軽業師よ、わしの屋敷に忍び込んだはお主じゃな。あの時、その顔しかと見た。

竹早は立ち上がる。既に覚悟は出来ている。

―いかにも。私もその狸顔、忘れたくとも忘れられませぬ。

緊迫した空気の中、秀頼公が笑った。それだけで竹早は、すべて報われた気になった。

内府は怒って扇子を投げ捨て、竹早ににじり寄った。

―おのれ、あの時の続きじゃ。ここで成敗してくれるわ!

内府が脇差しを抜き竹早に向けると、竹早は秀頼公を広間の後ろに追いやり、腰に手を掛けた。

内府が刀を振り上げた瞬間、竹早はさっと袖に手を入れて、卵を内府に向けて投げ付けた。
割れた卵の中から、ブワッと灰が降り注ぐ。灰は内府の目と口に入り込み、内府は目をきつく閉じて激しく咳き込んだ。

その隙に竹早が内府の頭にかかとおとしの一撃を食らわせると、内府はその場に倒れ、気を失った。

―内府様、内府様!

徳川の重臣が一斉に竹早に駆け寄って刀を向けた。しかし、何をするかわからぬ竹早に、重臣たちは及び腰である。

竹早は懐から胴火を取り出すと、帯に挟んだ竹筒をくわえ、酒を口に含んだ。竹早が胴火越しに酒を噴くと、辺りはとたんに真っ赤な火柱に包まれた。

火柱は重臣たちの髭を燃やし、袖を燃やした。水、水と叫ぶ声で廊下に飛び出す者も現れ、広間は騒然となった。

さらに竹早は淀殿に近寄って、腰に下げた瓢箪の栓を抜き、淀殿の膝元で瓢箪を振った。
すると淀殿の膝の上に、大量のごきかぶりがわさわさと湧き出てきた。

ぎゃあ、という淀殿の声とともに、ごきかぶりは板敷きの床に素早く滑り出て、辺りを自在に動き回り、飛び回り、諸将の裾の中に入り込んだ。

悲鳴と混乱が溢れる広間で、竹早は徳川の重臣の振りかざす刃の上にびょんと飛び乗り、敵の頭上を鞠を踏むように渡り歩いた。
そして天井の板をするりと外すと、そのまま屋根裏に身を滑らせ、あっという間に姿をくらました。
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