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五
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強い風が前髪を揺らし、ようやく竹早は目を覚ました。ここが弓場の筵の上だと気付いた竹早は、肌寒さに身震いして体を起こす。事の成り行きを思い出しながら、竹早は辺りを見回す。秀頼公の姿を探すが、その姿はない。
―竹早様。
後ろからの声で振り向くと、籠手を外し、裁付袴に着替えた石川がしゃがみ込んでいた。
―気が付かれましたな。大事なければ、共に来て頂きたい所がござる。
石川は竹早の脇に手を入れ体を起こすと、こちらへ、と言いながらゆっくりと歩き始めた。竹早は目眩ませながら後へと続き、歩くうちにようやく頭が冴えてきた。
―秀頼公はいかがなされました。
―城に戻られました。竹早様と秀頼様は、火と油にございますれば。
―これからいずこへ参るのですか。
―鍛練の続きにございます。
いずこへ、の答えが聞けず、馬場にでもいくのかと思い竹早は後に付き従うが、石川は馬場を素通りし、ついには城の外に出た。長い裾を引きずらせながら、竹早は城の右手の薄暗い山中へと入っていった。
山の斜面の竹藪で、石川が立ち止まった。
―鍛練のための竹が入り用なのですか。
竹早の問いに、石川は首を振る。
石川は横たわる枯竹の上に腰を下ろすと、向かいに手を差し出し、竹早に座るよう誘った。
―さて、竹早様に伺いたい。
鍛練をする気など全くなさそうな石川は、竹早の薄い髭を見つめながら淡々と話し始める。
―先ほどあなた様は秀頼様に真似事とはいえ弓引かれましたな。あなた様には…野心がおありか。
石川の訥々とした物言いの中に、容易ならぬ殺気があった。
竹早は、この場で斬り捨てるつもりで竹藪に連れ込んだのではないかと気が付いた。竹早の身が一気に強張る。このままここで死ぬわけにはいかない。
―武士の心も持たぬ私に、なにゆえ野心など持てましょう。ただただ秀頼様のご性分に呆れて、懲らしめようと思ったのです。あれでは人は付いて参りませぬゆえ。
石川が竹早をじっと睨む。
―武士の心も持たぬなどと。竹早様は太閤様のお子ではございませぬのか。
じっとりと竹早の掌が湿る。太閤の子ではないと言わせたいのはわかっている。竹早は丸い目をぐっと細めた。
幼い時から人の倍は苦労をし、努力もしたとの自負が竹早にはある。座頭や小僧にも負けず、大人相手に世間を渡り歩いてきた。生半可な答えを返せば痛い目に遭う。竹早は自らを鼓舞し、腹を括った。
―いかようにしてその答えを知りましょう。太閤様を生き返らせ、その口からもう一度詳しくお聞きせよと申されるのか。あいにく、軽業に人を生き返らせる術はございませぬ。
石川は色をなし、片膝を立てた。が、竹早は構わず喋り続ける。
―軽業師であった折、座頭から毎日のように詰られ蹴られ、つまらぬ矜持などあっという間に消えました。秀頼様も早う矜持を捨て、素直に教えに耳を傾け、精進すべきにございます。
―剣術も弓矢も知らぬあなた様が、秀頼様に指南なさるおつもりか。
―心構えという点に於いては、私の方がよう知っておりまする。
―豊家の頂きに立つ秀頼様に、軽業師風情が指南とは、片腹痛うございますな。
押し問答が嫌になり、竹早は溜息をついた。襟に手をやり小袖を脱ぐと、両肌を出して石川に言った。
―ならば早う、腹でも首でもお斬り下され。太閤様に芸を褒められ、白い飯も食えたゆえ、悔いはございませぬ。
竹早は目を閉じた。石川の足元で枯葉が軋み、淀んだ気配が竹早を包んだ。
気迫と共に、石川の左手が竹早に食らいついた。ぐわっと両頬を鷲掴みにされた竹早は、目の前に石川の吐息を感じて顔をしかめる。
―戯れ言を申されますな。竹早様は豊家に必要なお方じゃ。
竹早は石川の手首を掴んで振り払うと、ぞんざいに言った。
―ならば何の故あってここまで連れて来た。
石川はニヤリと笑った。
―あなた様を、忍びに育てるためにございます。
―竹早様。
後ろからの声で振り向くと、籠手を外し、裁付袴に着替えた石川がしゃがみ込んでいた。
―気が付かれましたな。大事なければ、共に来て頂きたい所がござる。
石川は竹早の脇に手を入れ体を起こすと、こちらへ、と言いながらゆっくりと歩き始めた。竹早は目眩ませながら後へと続き、歩くうちにようやく頭が冴えてきた。
―秀頼公はいかがなされました。
―城に戻られました。竹早様と秀頼様は、火と油にございますれば。
―これからいずこへ参るのですか。
―鍛練の続きにございます。
いずこへ、の答えが聞けず、馬場にでもいくのかと思い竹早は後に付き従うが、石川は馬場を素通りし、ついには城の外に出た。長い裾を引きずらせながら、竹早は城の右手の薄暗い山中へと入っていった。
山の斜面の竹藪で、石川が立ち止まった。
―鍛練のための竹が入り用なのですか。
竹早の問いに、石川は首を振る。
石川は横たわる枯竹の上に腰を下ろすと、向かいに手を差し出し、竹早に座るよう誘った。
―さて、竹早様に伺いたい。
鍛練をする気など全くなさそうな石川は、竹早の薄い髭を見つめながら淡々と話し始める。
―先ほどあなた様は秀頼様に真似事とはいえ弓引かれましたな。あなた様には…野心がおありか。
石川の訥々とした物言いの中に、容易ならぬ殺気があった。
竹早は、この場で斬り捨てるつもりで竹藪に連れ込んだのではないかと気が付いた。竹早の身が一気に強張る。このままここで死ぬわけにはいかない。
―武士の心も持たぬ私に、なにゆえ野心など持てましょう。ただただ秀頼様のご性分に呆れて、懲らしめようと思ったのです。あれでは人は付いて参りませぬゆえ。
石川が竹早をじっと睨む。
―武士の心も持たぬなどと。竹早様は太閤様のお子ではございませぬのか。
じっとりと竹早の掌が湿る。太閤の子ではないと言わせたいのはわかっている。竹早は丸い目をぐっと細めた。
幼い時から人の倍は苦労をし、努力もしたとの自負が竹早にはある。座頭や小僧にも負けず、大人相手に世間を渡り歩いてきた。生半可な答えを返せば痛い目に遭う。竹早は自らを鼓舞し、腹を括った。
―いかようにしてその答えを知りましょう。太閤様を生き返らせ、その口からもう一度詳しくお聞きせよと申されるのか。あいにく、軽業に人を生き返らせる術はございませぬ。
石川は色をなし、片膝を立てた。が、竹早は構わず喋り続ける。
―軽業師であった折、座頭から毎日のように詰られ蹴られ、つまらぬ矜持などあっという間に消えました。秀頼様も早う矜持を捨て、素直に教えに耳を傾け、精進すべきにございます。
―剣術も弓矢も知らぬあなた様が、秀頼様に指南なさるおつもりか。
―心構えという点に於いては、私の方がよう知っておりまする。
―豊家の頂きに立つ秀頼様に、軽業師風情が指南とは、片腹痛うございますな。
押し問答が嫌になり、竹早は溜息をついた。襟に手をやり小袖を脱ぐと、両肌を出して石川に言った。
―ならば早う、腹でも首でもお斬り下され。太閤様に芸を褒められ、白い飯も食えたゆえ、悔いはございませぬ。
竹早は目を閉じた。石川の足元で枯葉が軋み、淀んだ気配が竹早を包んだ。
気迫と共に、石川の左手が竹早に食らいついた。ぐわっと両頬を鷲掴みにされた竹早は、目の前に石川の吐息を感じて顔をしかめる。
―戯れ言を申されますな。竹早様は豊家に必要なお方じゃ。
竹早は石川の手首を掴んで振り払うと、ぞんざいに言った。
―ならば何の故あってここまで連れて来た。
石川はニヤリと笑った。
―あなた様を、忍びに育てるためにございます。
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