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第8章
道連れ
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塩屋は井右衛門にだけ、硝石の作り方を教えた。
「おい井右衛門、この宝の作り方は、決して誰にも言うてはならぬぞ。海はどこにでもあるのに、皆が塩を作らぬのは何故じゃ?それは、皆が塩の作り方を知らぬからじゃ。塩と硝石、二つの秘伝があれば、われらは末代まで安泰。わしの名は、歴史に残るかもしれぬのう。白川郷を失った折は落胆したが、思わぬ宝を手に入れたものじゃ」
塩屋は自分の幸運に酔いしれていた。
「けど塩屋様、上杉様は戦では鉄砲を使わんけえ、硝石は売れんのでねえすけ?」
と、井右衛門が言うので、塩屋が言い返そうと思った時であった。
越中と越後の国境に行商に行っていた塩屋の奉公人が、息せき切って城内に駆け込んできた。
「大変や、大変や、塩屋様ぁ、一大事や」
「何事じゃあ、そのように慌てて」
塩屋は目を瞠った。
「上杉謙信公が、身罷られたち、越後はてんやわんやや」
井右衛門は驚いて、
「はあ?ぬしは騙されとるんでねえけ」
と言ったが、奉公人は真顔でまくしたてた。
「ほんとやち!上杉家に出入りしとる薬売りに聞いたで、間違いないがけ。跡継ぎを巡って、はや御家騒動が起きとるらしいちゃ」
「なんとまあ…前に会った時には、ピンピンしておったがのう。死んだら終わりやのう」
奉公人は、のんきな塩屋に逆に驚いた。
「塩屋様、のんきに構えとる場合じゃねえですけ。上杉は子供がおらんで、跡継ぎはそう簡単に決まらん。ちゅうことは、その隙に上杉をやっつけまいと、武田あたりが押し寄せるに決まっとりますが」
「塩屋様、武田になら硝石が売れるんでねえけ?」
井右衛門が口をはさむ。
すると、塩屋は大げさに手と首を振って、
「武田はダボハゼのような奴らじゃ。わしはあいつらは好かん」
塩屋は武将の駆け出しの頃、武田に城を追い出された過去があった。
「武田には断じてつかぬぞ!これからのことはまあ、ゆるりと考えればよいわ。遠路の奉公、ご苦労じゃったの、ほれ、水でも飲め」
塩屋は奉公人に柄杓を差し出した。
越中は揺れた。
長年越中を支配してきた一向宗徒を上杉が平定したのは、つい最近であった。
謙信が死んだ上杉につくか、信玄が死んだ武田につくか。
越中の国衆たちは、選択を迫られていた。
そんな中、上杉方の越中の国衆である、神通川の対岸にある蛇尾城主・斎藤信利が、塩屋を訪ねてきた。
塩屋と斎藤は、互いに上杉につく前に、戦や和睦を繰り返した仲であった。
そのため、簡単には信用できない。塩屋が水も出さずにいると、
「白湯を所望したい」
と斎藤は図々しく述べる。
「塩屋殿は、向後どうするつもりじゃ」
水が来る前に、斎藤は切り出した。塩屋の今後の身の振り方を、探りに来たらしい。
「わしか?まだ何も考えておらぬ」
と、塩屋は警戒する。
「まあ、そう頑なになるな。以前は、互いにどんどん城を奪い、領土を増やそうと躍起であった。上杉が越中を平定
し、ようやく戦が終わったと思ったら、謙信公が身罷られ、再び戦乱の世になろうとしておる。それでは元の木阿弥じゃ。わしは向後は城を増やさず、今ある城を守っていきたいと思うておる。貴殿はどう考える」
「…どうもこうも、武田などの多勢が攻めてこれば、守りに徹するしかあるまいのう」
「もっともじゃ。そこでじゃ、わしは上杉を見限ることにした」
「なに…?そんな簡単に…?見限って、どうする?」
「わしは織田につく」
「織田?正気か?この越中で織田につくなどと公言すれば、どんな目に合うかわからぬぞ」
一向宗徒を老若男女問わず皆殺しにした、という織田の悪評は、ここ北陸では赤子に至るまで知れ渡っている。
「そこで、ものは相談じゃ。塩屋殿も、わしと共に織田につかぬか」
「わしも?」
「織田は強い。金もある。鉄砲もある。織田はおそらく、天下を取る」
(…鉄砲か)
「わしが織田に掛け合ったのではないぞ。織田から、味方になれと言ってきた」
「何?貴殿は織田に伝手でもあるのか」
「わしの奥方は飛騨の姉小路の出じゃ。姉小路は、織田の親族ゆえな」
「であれば、わしを誘わずとも、貴殿は織田につけばよいではないか」
「いかにも。無理にとは言わぬぞ。商人出の塩屋殿では伝手もなかろうと、親切心で申しておる」
痛いところを突かれた。
確かに、商人としての人脈はあっても、将軍家や大名たちとのつながりは皆無であった。
(…斎藤は自分だけ矢面に立たされぬよう、わしを道連れにしたいのじゃ)
確かに、織田には勢いがある。硝石も売れるかもしれない。
「おそらく、織田はすぐにでも越中に攻めてこよう。待っている時間はない。今ここで、決めてくれ」
塩屋は迷った。
物事を決めるとき、人から言われて決めたことなど一度もなかった。
しかし、ここはこの流れに乗っても、損はないような気がしていた。
(わしは運が良い。この勘を信じる。外れればそれまでじゃ)
塩屋は腹をくくった。
「よし、その話、乗った!」
箸を転がすようにあっさりと、塩屋は織田方への寝返りを決めた。
「おい井右衛門、この宝の作り方は、決して誰にも言うてはならぬぞ。海はどこにでもあるのに、皆が塩を作らぬのは何故じゃ?それは、皆が塩の作り方を知らぬからじゃ。塩と硝石、二つの秘伝があれば、われらは末代まで安泰。わしの名は、歴史に残るかもしれぬのう。白川郷を失った折は落胆したが、思わぬ宝を手に入れたものじゃ」
塩屋は自分の幸運に酔いしれていた。
「けど塩屋様、上杉様は戦では鉄砲を使わんけえ、硝石は売れんのでねえすけ?」
と、井右衛門が言うので、塩屋が言い返そうと思った時であった。
越中と越後の国境に行商に行っていた塩屋の奉公人が、息せき切って城内に駆け込んできた。
「大変や、大変や、塩屋様ぁ、一大事や」
「何事じゃあ、そのように慌てて」
塩屋は目を瞠った。
「上杉謙信公が、身罷られたち、越後はてんやわんやや」
井右衛門は驚いて、
「はあ?ぬしは騙されとるんでねえけ」
と言ったが、奉公人は真顔でまくしたてた。
「ほんとやち!上杉家に出入りしとる薬売りに聞いたで、間違いないがけ。跡継ぎを巡って、はや御家騒動が起きとるらしいちゃ」
「なんとまあ…前に会った時には、ピンピンしておったがのう。死んだら終わりやのう」
奉公人は、のんきな塩屋に逆に驚いた。
「塩屋様、のんきに構えとる場合じゃねえですけ。上杉は子供がおらんで、跡継ぎはそう簡単に決まらん。ちゅうことは、その隙に上杉をやっつけまいと、武田あたりが押し寄せるに決まっとりますが」
「塩屋様、武田になら硝石が売れるんでねえけ?」
井右衛門が口をはさむ。
すると、塩屋は大げさに手と首を振って、
「武田はダボハゼのような奴らじゃ。わしはあいつらは好かん」
塩屋は武将の駆け出しの頃、武田に城を追い出された過去があった。
「武田には断じてつかぬぞ!これからのことはまあ、ゆるりと考えればよいわ。遠路の奉公、ご苦労じゃったの、ほれ、水でも飲め」
塩屋は奉公人に柄杓を差し出した。
越中は揺れた。
長年越中を支配してきた一向宗徒を上杉が平定したのは、つい最近であった。
謙信が死んだ上杉につくか、信玄が死んだ武田につくか。
越中の国衆たちは、選択を迫られていた。
そんな中、上杉方の越中の国衆である、神通川の対岸にある蛇尾城主・斎藤信利が、塩屋を訪ねてきた。
塩屋と斎藤は、互いに上杉につく前に、戦や和睦を繰り返した仲であった。
そのため、簡単には信用できない。塩屋が水も出さずにいると、
「白湯を所望したい」
と斎藤は図々しく述べる。
「塩屋殿は、向後どうするつもりじゃ」
水が来る前に、斎藤は切り出した。塩屋の今後の身の振り方を、探りに来たらしい。
「わしか?まだ何も考えておらぬ」
と、塩屋は警戒する。
「まあ、そう頑なになるな。以前は、互いにどんどん城を奪い、領土を増やそうと躍起であった。上杉が越中を平定
し、ようやく戦が終わったと思ったら、謙信公が身罷られ、再び戦乱の世になろうとしておる。それでは元の木阿弥じゃ。わしは向後は城を増やさず、今ある城を守っていきたいと思うておる。貴殿はどう考える」
「…どうもこうも、武田などの多勢が攻めてこれば、守りに徹するしかあるまいのう」
「もっともじゃ。そこでじゃ、わしは上杉を見限ることにした」
「なに…?そんな簡単に…?見限って、どうする?」
「わしは織田につく」
「織田?正気か?この越中で織田につくなどと公言すれば、どんな目に合うかわからぬぞ」
一向宗徒を老若男女問わず皆殺しにした、という織田の悪評は、ここ北陸では赤子に至るまで知れ渡っている。
「そこで、ものは相談じゃ。塩屋殿も、わしと共に織田につかぬか」
「わしも?」
「織田は強い。金もある。鉄砲もある。織田はおそらく、天下を取る」
(…鉄砲か)
「わしが織田に掛け合ったのではないぞ。織田から、味方になれと言ってきた」
「何?貴殿は織田に伝手でもあるのか」
「わしの奥方は飛騨の姉小路の出じゃ。姉小路は、織田の親族ゆえな」
「であれば、わしを誘わずとも、貴殿は織田につけばよいではないか」
「いかにも。無理にとは言わぬぞ。商人出の塩屋殿では伝手もなかろうと、親切心で申しておる」
痛いところを突かれた。
確かに、商人としての人脈はあっても、将軍家や大名たちとのつながりは皆無であった。
(…斎藤は自分だけ矢面に立たされぬよう、わしを道連れにしたいのじゃ)
確かに、織田には勢いがある。硝石も売れるかもしれない。
「おそらく、織田はすぐにでも越中に攻めてこよう。待っている時間はない。今ここで、決めてくれ」
塩屋は迷った。
物事を決めるとき、人から言われて決めたことなど一度もなかった。
しかし、ここはこの流れに乗っても、損はないような気がしていた。
(わしは運が良い。この勘を信じる。外れればそれまでじゃ)
塩屋は腹をくくった。
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