具足屋・玉越三十郎

黒坂 わかな

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五、離れにて

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戦が終わり、勝ちを収めたものの手柄を立てられなかった侍たちが、鎧兜を持参して次々に店を訪れた。

三十郎は寧々に仕込まれた通りに愛想良く御用伺いをし、そろばんを弾き、帳面を付けた。 買い取った分だけ銭は減ったが、鎧兜がずらりと並んだ店の内観は圧巻だった。

しばらく経って客の出入りが落ち着いた頃、藤吉郎がようやく清洲に戻ってきた。

「おーい、おーい」

離れにいる三十郎の所にまで聞こえる大声で、藤吉郎は寧々を呼んだ。

「やっと帰って来よった」

寧々が藤吉郎を出迎えると、藤吉郎はいきなり寧々に抱きついた。

「寧々やあ、でら淋しかったで」

寧々は藤吉郎を払いのけた。

「おーいはあかんと何度も言うとるがや。それに汗臭ぁてかなわん。はよ風呂入ってきや」

藤吉郎はしょんぼりと手を下げたが、気を取り直して言った。

「寧々よ、ゆっくり風呂に入る時間はにゃーで。わしらは早々に、美濃に居を移さんならん」

織田が美濃を統べるにあたって稲葉山に拠点を移すため、藤吉郎もそれに従うことになったのだ。

「ずいぶん急だがね。あのお人はどうするの」

「あのお人?」

「ほれ、三十郎じゃ」

「あぁあ。あいつ、商売はどうなっとる」

「うまくいっとりゃあす。私が全部やったったでな」

「なら、三十郎はここに残って商売を続けりゃええ。そや、最後に嫁でも世話してやろか」

「そりゃええわ」

善は急げといわんばかりに、藤吉郎は寧々と連れ立って、三十郎が寝泊まりする離れに向かった。

離れでごろ寝をしていた三十郎は、木戸の向こうに現れた藤吉郎の姿を見て、慌てて正座した。

「藤吉郎様!世話になっとります」

「おお、おお、三十郎が敬語を話しとる。寧々のおかげだで」

藤吉郎は嬉しそうに寧々を見て、その手を取った。その重なった手を見ながら、三十郎は喋り続ける。

「おかげさまで、店も繁盛しとります。ほいで、次はいつどこで戦が?大根やら米やらの買付もあるで…」

「それがなぁ、美濃との戦はもう終いやわ。次の戦はたぶん都になるがね。さすがにそこまで三十郎をよう連れてかん」

都と聞いて、三十郎は固まった。都までの道のりはおろか、都がどこにあるのかさえわからない。

「三十郎はここで商売を続けりゃええよ。大体のことは教えたで、なんとかなるやろ。これからだって、なんかありゃいつでも相談に乗るがね」

藤吉郎の手を握ったまま、寧々が言った。

「それでよ、まあわしらはおみゃあの親代わりみたいなもんだで、最後の世話でおみゃあの嫁を探そう思っとる」

藤吉郎が身を乗り出す。

「独り身で店をやるのはしんどいで。私がええ嫁探したるから、任せとき」

寧々の張り切る様が腹立たしい。

「いや、遠慮しときます。俺ゃ、まだ所帯を持てる身分やあらへんし」

三十郎はなんやかんやと言い訳をして、二人を離れから追い出した。その後、嫁取りについて何度話を持ち出されても、頑として首を縦に振らなかった。


やがて藤吉郎と寧々は美濃へと発ち、三十郎は一人で店を切り盛りするようになった。
ところが、織田の主だった家臣の殆どが大将と供に美濃に移り住んだために、三十郎の店にはめっきり客が来なくなった。

「次に払えへんかったら、今度こそ本当に立ち退いて貰いますでな」

大家からの店賃の矢のような催促に、三十郎は今日もただ頭を下げる。相変わらず鎧兜は売れもせず、買えもしない。

(俺ゃ商いには向いてにゃあ。やっぱり寧々様がおらんといかん)

家賃どころかこの頃は日々の食べ物にも事欠く始末だった。もう三日も何も食べていない。

(これじゃあ乞食に逆戻りや。なんとかせにゃあ)

何か質に入れるものはないかと、三十郎は行李の中に手を突っ込んだ。すると、一番奥に古ぼけた腹巻が仕舞ってあった。
村が焼け侍を殺めた時、その懐から剥がしたものだった。中を探ると、案の定銭がそのまま入っている。

(これだけありゃ、美濃に行ける)

三十郎は急いで身支度を整えて、美濃へと向かった。


・・・・・・

岐阜はかつての清洲と同じように栄えていた。
急峻な山の上に立つ岐阜城の麓には大将の豪奢な屋敷があり、その庭には天に架かる回廊や滝があった。三十郎は城下の家臣屋敷を探し回った。ようやく見つけた藤吉郎の屋敷は、清洲のものよりずっと大きくなっていた。

「御免下さい」
木戸を開けて、土間に入る前に三十郎はそう言った。

「はーい」
奥から出てきたのは寧々だった。
「あれま。三十郎だで。夢とちがうか」
八重歯を見せて喋る寧々に、三十郎は自然と笑みがこぼれた。

「悪いけど、うちの人はまぁた戦で留守なんやわ。はるばるどうしなすった?もしかして、嫁が出来たんけ?」

客間で柿を差し出しながら、寧々は言った。
「前に寧々様が、何かあればなんでも相談に乗る言うとったで来たんや」
「そうけ。ええよ、何でも聞いたる。店のことけ?」
寧々は小さな目で三十郎を見つめた。

店を開ける段取りをつけ、読み書きまで教えてくれた寧々に、店がだめになりそうだなどとはとても言えそうにない。いや、三十郎は最初から言うつもりなどなかった。

出された柿には手を付けず、三十郎は寧々の隣に擦り寄ると、寧々の頬を掴んで口づけをした。抗うのを押さえながら、三十郎は寧々の襟元に手を入れて胸をまさぐり、馬乗りになって帯をほどいた。


「おみゃあは、なんてことしてくれるんや」
息を落とした寧々が言った。
「しゃあない。ずっとこうしたかった」
「そのために来たんか」
「そうや」
三十郎は寧々を抱きしめる。
「うちの人に知れたら、えらいことになる。とっとと帰り」
「帰れん」
「なんでや」
「銭がにゃあ」

寧々は押し黙った。
やがて三十郎を突き返し、襟元と裾を整えると、立ち上がって屋敷の奥へと姿を消した。
寧々が消えた客間で三十郎は居を正し、寧々の戻りを待った。

寧々の足音にそっと後ろを振り向くと、三十郎の喉元に、槍の先が触れた。

「今すぐ出て行きや。おみゃあなんぞにやる銭はにゃあ。二度と姿見せんな」

三十郎は言葉も出せず、寧々の体をなめ回すように見つめると、着の身着のまま屋敷から立ち去った。
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