消滅した悪役令嬢

マロン株式

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1巻

1-2

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 彼女が今回使用した逆召喚魔法は俺が生み出したもの。本来、召喚魔法とは特定の人間を呼び寄せるものだが、逆召喚魔法はそれを応用している。
 皆の見ている中、逆召喚魔法を己にかけて、既定の召喚用の魔法陣に自分自身を召喚するのだ。逆召喚魔法を自分にかけた時の身体の消え方は、消滅魔法を自分にかけた時の消え方と同じなのだ。
 逆召喚魔法を知らない者の目には、自殺の為に消滅魔法を使ったようにしか見えない。

「あの~、室長、その少女は?」

 光が消えた室内で、研究員の一人が恐る恐るといった様子で聞いてきた。

「後で紹介する。俺は今日用事が出来たから、おまえらはここを片付けておけよ。ガキ……モルトだけ俺について来い」

 風が吹き荒れたことによって倒れた機材や、散乱している書類の束を視線で示す。
 研究員達は、そんな事よりも今起きた出来事に対する好奇心を追求したい様子だったが、後で室長である俺が説明すると言うと、不満げな顔をしながらも「はい……」と頷いた。

「やった! ボク、ついてって良いの?」

 俺が抱えている少女を興味津々とばかりにガン見していたモルトは、耳をピンっと立てると、満面の笑みを浮かべ、尻尾をパタパタさせて喜びをあらわす。
 研究室を出て行く俺の後を、モルトは散歩を喜ぶ犬のように意気揚々いきようようとしながら急ぎ足でついて来た。
     

 ◆


 とある公爵令嬢がトラビア王国に来てから少しの時間が経過した。
 突如現れた若き天才は、表に顔を出す事もなくただただ己の才を発揮していった。
 トラビア王国の民何万人もの命を病魔から救う新薬を作成した功績を讃えられ、身元不明ではあるが、トラビア王国の戸籍こせき男爵位だんしゃくいを王家から叙されることとなる。


 ――彼女の名前はリディア・ホーキンス。


 それからも彼女は、新薬及びポーションの研究に尽力し数多の功績を重ねた。
 そして、四年の歳月が流れた頃――
 リディアは、自身が所属する研究室の室長から、とある打診を受ける事となった。
 その一言で、再び運命を揺り動かされるとは知らずに……

「おまえ、今なら奴隷を購入出来るくらいの金があるだろ。そんなに研究に没頭したいなら買ってこいよ」
「……?」


 ◆


 数年前、私、リディア・ホーキンスは元セレイア王国の公爵令嬢だった。
 貴族令嬢らしく学園生活を送っていたが、事情があり、生家である公爵家と祖国、婚約者を捨て、一人隣国トラビア王国へと渡ったのだ。
 その後、私は兼ねてから勧誘を受けていたトラビア王国の天才が集う研究室に行った。
 前世では特段天才というわけでもなかったけれど、科学水準がこの世界より成熟していた文明から来た私が作る薬は重宝ちょうほうされている。
 後ろ盾などなにもない私であったが、いつの間にか天才扱いを受けるようになった。
 取得した特許とっきょから得る収入と、お偉い方からの注文に応えて作る薬やポーションの収入。
 この生活を維持すれば良いと心の片隅に思いはじめた今日この頃。
 何でもないことのように奴隷を勧めてくる室長のアドバイスを聞いて、一瞬この人は人でなしなのではないだろうかと疑念を抱いた。
 だが実際、この国で裕福な層は殆どが奴隷を購入し、共に生活をしている。
 とはいえ、室長をはじめリディアと同じ階で働いている職員は奴隷文化に馴染なじみのない異国民が多いからなのか、奴隷を保持している者は少ない。
 それでも、室長がリディアに奴隷購入を勧めてきたのは、短期的な人員不足により連続勤務で働き詰めになっている自分への配慮であることは明らかだった。
 完全な親切心での配慮ではなく、業務の効率を考えてのことだというのは、四年間共に働いて来たのですぐにわかったけれど。
 あれから四年も経った今、私からは王太子と婚約者だった頃の面影おもかげなど消えたと思う。
 現在の私は研究員として、研究室に数日間こもり続ける事も多い。
 家で出来る研究を持ち帰る事もざらにあって、小部屋には本や資料が散乱している。世俗せぞくに疎くなり、たまにお風呂にも入り忘れる程、研究に没頭することもある。


 ――数年前、公爵令嬢だった頃だと考えられない話だ。


 収入は十分あるから、本当は定時で上がっても何ら生活は困らない。
 だからと言って、今世の私は別に研究が好きなのではない。
 ただ不意に過去を思い返さないためだ。忙しくしていることで気が紛れ、おかげで一度も過去に捨てたものを振り返らずに前を向いてこられた。
 後少しの間だけ、研究に集中する事は私に必要な事だと感じている。
 そんな私は現在、室長に勧めて頂いた奴隷商を訪れていた。
 正直――前世では平和な国でのほほんと生きてきて、祖国では奴隷の売買が禁止されていたので、奴隷そのものに抵抗がない訳ではないのだけれど、それでもここへ来たのには理由がある。
 私は元々家事が苦手だ。その上、爵位しゃくいを得てから任される仕事量も格段に増えてきた。任された仕事は何であろうと、全て自分でやり遂げるつもりだ。
 つまり今後私は研究に意識を全て注ぐ。
 だから代わりに家事全般をやってくれる奴隷を買いに来た……いや、買うことを検討しに来た(実はまだちょっと響きが怖い)。
 嫌なら奴隷なんて物騒ぶっそうなものを買わないで、人を雇えば良いじゃないかって?
 ……確かに、嫌だ。奴隷というのは人の命を人が所有物として自由に使役し人格を認めない制度だと私は認識している。
 そんなのは嫌だし許せない、間違っていると、考えていた。
 だから私は室長から奴隷購入の打診を受けた時、室長を〝ひとでなし〟だなと思った。
 だけど、その後室長に言われた言葉で納得してしまった自分がいた。

『研究に全てをかけられる状態にするなら、必要な人材は自分の全てを託しても大丈夫だと思える者だ。奴隷契約している奴よりおまえが信用出来る者が他にいるのか?』

 奴隷となった者は主人の命令した事に逆らえず、裏切れないよう購入時に隷属れいぞく契約を結ばされるらしい。それを聞いて確かに、それ以上に私が自分のことを全て託せる人間関係があるだろうかと思ってしまった。

(……研究ばかりしていて気付かなかった。私はいつの間にこんなにも人を信用出来ず、身勝手になってしまったのかしら)

 いつの間にか奴隷購入に理解を示せるようになった自分に嫌悪感がわく。
 その事に酷くショックを受けている私を知ってか知らずか、モルトがこう言った。

『ボクも最初は奴隷として室長ハビィに買われたんだよ! だけど、奴隷の仕事より研究員の方が向いてるからって、今は研究員になったから幸せだよ!』

 その言葉を聞いて、奴隷は一生奴隷で居なくてはいけないわけではないと知り、ホッと胸を撫で下ろした。それなら、私の所に勤めてもらって、本人が嫌だと言ったら解放してあげれば良いのかもしれない。
 とはいえ私が認識しているのと、実情は全然違うのかもしれないとも思い、まずは少しだけ見学しに来たのだ。
 外套がいとうを身に纏い、フードを深く被り奴隷市場に足を踏み入れた。
 そうして目に入ってきたのは――悪い意味で想像通りの光景だった。
 奴隷の皆の瞳に光はなく、おりの中で鎖に繋がれて恨めしそうにこちらを見ていたり、若しくはうつむいて蹲っていたり。要するに良い光景は広がっていない。
 私が室長お勧めの奴隷商の前で足踏みをしていると、毛先がグルグルしているひげを生やした身なりの良い男の人に声をかけられた。
 どうやら奴隷商の店員さんらしい。彼の勧めで、お店に入る事になった。

「お初にお目にかかります。お客様は奴隷の購入をご検討という事で宜しいですね?」
「あ……は、はい」
「予算はどのくらいですか?」

 予算……幾らあれば良いかわからないけれど、袋を広げて手持ちのお金を見せる。

「この位で、足りますか?」
「えぇ、これくらいなら状態の良いものをご用意出来ますよ。どのような奴隷を御所望で?」
「とりあえず……私の生活面を全面的に色々サポートしても苦痛にならなさそうな……そんな虫の良い人はいませんよね?」
「ふんふん、全面的に色々とサポートですね! お美しいお客様にわたくしめ、今回はサービスさせて頂きまして本来よりグレードをあげてご案内いたします。どうぞついて来てくださいね~」

 案内されてゆく道の途中には、多種多様な種族がおりの中に入っていた。
 むちを打たれた痕が服の隙間から見えていたり、痩せこけていたり、おりの端っこで蹲っている子供の姿も見える。

「あの、彼等はちゃんとご飯を食べているのですか?」
「あぁ、与えていますが食べませんねぇ。そこにいるのは返品されて来た物ばかりです。値段もその分安いですし、子供ですから購入される方もいますよ。お客様はどういたし……」
「――やっぱり、結構です。もう帰ります。すみませんでした」

 深々と頭を下げる私に、奴隷商の店員は慌てふためいた。

「申し訳ございません、何かご不快でしたか? これでも定期的に洗ってはいるのですが……。綺麗好きなご令嬢には大変お目汚しでしたね。そうそう! お客様にご提示頂いた金額から余裕を見て買うとすると、この辺りの奴隷はいかがでしょう? 少し傷ものですが、力も体力もありますし、家事手伝いから荷物持ち等と何の問題もありません」

 そうは言われても、足を踏み入れてすぐ、自分がここにいる事自体が間違いだと気が付いてしまったのだ。
 室長の言う事には一理あるかもと思ってきたけれど、間違いだったらしい。
 フードの端を掴んで引っ張り、表情が見えないよう顔を埋めて、きびすを返そうとしたその時。
 道の先にある一室から女性の大きな歓声が聞こえて来た。

「まぁ、こんな上物は初めてじゃない? お店ではなく、私専属の男娼だんしょうにしようかしらぁ」
「気に入って頂けて良かったです。ですが、少々……夜の寝つきが悪いのと、精神的に不安定な所がありますが」
「少し寝つきが悪くても、奉仕はできるでしょう? 即決よ! この見た目だもの。使い道は幾らでもあるわ。珍しいサファイアの瞳に汚れていても美しい白金の髪。女を惑わせる甘いフェイスも全て気に入ったわ!」
(サファイアの瞳? 青い瞳は別段珍しくもないけれど……サファイアのように美しいとなると……まさか? ……ね?)

 私はこの時――そんなはずないと思うのに、なぜかある人物が脳裏をかすめていた。
 後ろから私を案内していた奴隷商人が止める声も聞かず、隣の部屋に続く扉を開いた。


 ――見なければ良かったと後悔するというのに。


 不躾に確認もなく突然部屋の中に入ってきた私を、先程まで感嘆の声を上げていた女性が訝しむように睨むのも目に入らず、その横に並び立つ。
 そして、目の前でおりの中に入っているのが、脳裏に過った人物であることをすぐに確信した。
 数年前、私が母国セレイア王国に捨ててきたはずのもの。

「なぜ……こんな所に」

 彼は、奴隷商人に顎を掴まれ、無理やり顔を上げさせられている。
 着ている衣服は通常の奴隷服とは違い、元はそれなりに立派な生地だろうが、所々破れ着崩れていた。
 数年前より心なしか痩せて、目元にうっすらクマがある。虚ろだけれど美しさを損なう事のないサファイアの瞳と目が合った瞬間。相手からも動揺どうようの色が見て取れた。
 他人の空似ではない事を理解した私は、思わずヒュッと喉を鳴らす。
 両膝を地面へつかされ、首と手に繋がれた鎖をおりに繋ぎとめられているのは……

「──バン……」

 どうして、彼がここに。
 母国で一体、何が起こっているの?
 何を間違ってメインヒーローが奴隷落ちエンドを迎えているのだろう。
 そういうルートがゲームにあったのかは思い出せないが、現実問題、王太子がこのような状態に至るなどあり得るのだろうか。
 いや、それでも彼はゲーム運営会社の手厚い加護を背負うメインヒーローなのだから、最後は救われるはずだ。
 たとえ今現在不遇ふぐうな扱いを受けていても、いつか王宮の使者が迎えに来ると考えられる。
 既に乙女ゲームの物語からリタイアした私が下手に手を出そうものなら、また悪役として君臨くんりんしてしまうかもしれない。
 アルレシス公爵令嬢は、四年前、この世から消滅した。
 今ここにいるのは、しがない研究員のリディア・ホーキンスだ。
 ホーキンス男爵に婚約者がいた過去はないし、隣国の王太子ともなんの関わりもない。
 だから、ここで私が関わる必要は一つもない。
 そう自分に言い聞かせきびすを返そうとした時。

「……リディ……なのか?」

 目の前にいる彼から小さく掠れた声で紡がれた私の名前が、余りにも懐かしくて、足がその場から動かなくなった。
 彼は幻を見ているように思っているのか、私の顔をちゃんと確認しようとしているのが、凝視してくる視線からわかる。
 すると、その様子に先程感嘆の声を上げていた女性が困ったように言った。

「ふぅん。これからご主人様になる人間を前にして、他の女の名前を言うなんてねぇ。何だか妬けちゃうわ。ふふっ、まずはちゃんとしつけをしないとね」

 常連の女性が舌舐めずりをしながらおりに繋がれている鎖を引く。
 すると鎖の先にある首輪が引っ張られてバンリの顔が柵に近付いた。
 この様子を見るに、購入は決定しているようでこれからR18ルートに突入する事が想像出来る。
 だけど、それでもいつか彼には王宮から迎えがくるはずだ……

(……本当に、王宮から迎えはくる? 悪役令嬢である私が断罪ルートを外れているのに〝絶対〟なんて事があるのだろうか)

 私は、彼の不幸を願っていたわけではない。
 ただこの先、互いを傷つけず、良い思い出を持ち合わせたまま、幸せになれたのならそれで良いと思っていたのに。
 どうして、今更こんな形で再会してしまったのだろう。
 立ち止まっている私に、先程案内してくれた店員さんがやっと追いついてきて、後ろから話しかけてきた。

「お客様、急にいかがされましたか?」
「……このおりの中にいる人を解放するには、どうしたら良いですか?」
「え?」

 店員さんは、私が突然何を言い出したのか理解が出来なかったようで瞬きをくりかえす。
 すると、その場に居た女性が話しかけてきた。

「あらぁ、私からこの奴隷を横取りしようっていうの?」
「すみません。ですが、まだ購入は完了していないのですよね?」
「でも買うと決めたわ」
「では、私は貴女の提示するその倍額を払います。貴女にも、同じ額をお支払いします」

 私が言った言葉に、女性は「あら?」と目を細める。

「貴女、見たところ貴族のお嬢様のようだけれど。こんなところで、そんなお金を使いすぎると、パパに怒られるわよ?」
「私に家族はいません。これは私の稼いだお金ですから、お気遣いされなくとも大丈夫です」
「ふぅん……」

 舐めるような視線が、この身に焼き付いて刻み込まれるようだ。
 この女性の目力に、冷や汗がだらだらと背中をつたう。へびに睨まれたカエルの如く硬直していると、女性はペロリと舌舐めずりをしてこう言った。

「……良いわ。なかなか惜しい買い物だけれど、貴女に恩を売っておいた方が何だか良い事がありそうよね。お金回りも、客の紹介も、安価で安全な避妊薬ひにんやく調達についても……ね?」
「……。何で……」

 顔をフードに引っ込めて隠そうとしているのが無駄であるかのように、女性は私の頬に手を添えた。

「あら、私の経営している娼館しょうかんは色んなお客様がいらっしゃるのよ? このお顔では、お話を聞いているだけで誰でもわかっちゃうわよ。勿論、私の所に貴女が勤めに来るのも大歓迎よ? ふふっ」


 ◇


 そんな訳で、私は予定にない奴隷を購入する事になった。
 奴隷を購入しようと考えたバチが当たったのだと、授業料だと考えて、奴隷商と女性にお金を支払う。暫くは質素な暮らしを余儀なくされそうな程にお金がとんだ。
 とにかく、バンリはあのような環境にいたので身体に悪い所がないか、精密検査を受けてもらう必要がある。早速知り合いのお医者様の元へ向かって歩いているところだ。

(明日、奴隷契約の解除方法を室長やモルトに聞かないと……)

 一歩後ろを歩いているはずのバンリの足音が聞こえず、ちゃんとついて来ているか心配になり振り返った瞬間。強く風が吹いて被っていたフードが後ろに押し上げられた。

(まずい……)

 隠していた銀色の髪とアメジストの瞳は市井しせいで目立ち過ぎるものだ。
 アルレシス公爵家のみに受け継がれる貴族特有の容姿は一回見たら忘れないだろうし、こういう所で姿を晒すと変なやからに絡まれる事も多い。
 フードを被り直そうとしていると、目を見開いているバンリと目が合った。
 やはり、先程は幻とでも思われていたのだろう。

(まぁ、死んだはずの人が現れて、自分を購入したら混乱するよね……)

 そんな事を考えていると、案の定懸念していた変なやからがひょっこりと現れて急に声をかけてくる。

「ねぇ、君、珍しい髪色だね」
「俺達これから遊びに行くんだけど君も一緒にどう?」
「すみません、これから所用がありまして」

 断り文句を言って、フードを被り直していると。

「あ、それ被っちゃうの? 折角綺麗なのに勿体ないよ……」

 男が私の腕を掴もうとして手を伸ばしたその時……
 バチバチッと、何かが炸裂した音と共に強く光りが弾けた。男の手と私の間に強い電気のようなものが流れたのだ。
 思わず身体を縮こまらせて一瞬目を瞑るが、すぐに電気はなくなり恐る恐る瞼を開く。

(え、今の何? 静電気?)

 どうやら、強い静電気が偶然起きたようだ。
 男はかなり痛かったのか「痛い!」と叫びながら手を抱えてその場に蹲っていた。

(今のうちにこの場から離れよう)

 私が駆け出したすぐ後ろを、バンリがついてきていることを確認し、歩みを進める。 
 そうしているうちに、無事知り合いの病院に着いたのでバンリを預けた。
 精密検査には三日程掛かるという事だった。
 その間に、奴隷契約の解除方法を聞いておけば良いと、この時の私は安易に考えていた。


 ◇


 私の母国であるセレイア王国という国は、大きくも小さくもない平凡な国だった。
 国土も人口も資源も技術も経済も、大国であるトラビア王国には敵わないけれど、トラビア王国とは違い人身売買は違法とされており、奴隷商人は取り締まられていた。
 民も貴族も皆信心深くて平穏を好み、長きに渡り代々賢王の治世ちせいであったおかげか、同規模の諸外国と比べ平和だった。
 それなのに昨日、セレイア王国の王太子がなぜか奴隷になって隣国であるトラビア王国にいた。

(……明日は休みだし、図書館に新聞でも読みに行こうかな。なにかわかるかもしれない)
「リーちゃん! どうしたの? すっごく寝不足って目をしてる!」

 クリクリした目で私を覗き込んでくるモルトに癒されながらも、彼に聞かなければならない事を思い出した。

「ねぇ、モルト、奴隷契約の解除ってどうすれば良いの?」
「それって本当は違法だから、人に言っちゃダメって室長ハビィに言われてるの!」
「そこを何とか……なりませんかね? あ、そうだ。今度モルトの好きなキャッチボールしようよ」
「んー……」

 モルトは微妙な顔をしている。〝あ、これ教えてもらえないやつだ〟と今までの付き合いでわかった。どうやらキャッチボールでは釣り合わない情報らしい。違法な情報というわけだから当たり前だけど。

「じゃあモルトの言う事を一つだけ、何でも聞くよ!」

 私がこう言った瞬間、モルトは目をキラキラさせて、まだ幼さの残る両手をグッと握りこむ。


「ホント!? やったぁ! じゃあボクの新作のポーションを試して良い?」

 モルトの返答に、私は途端に無言になった。
 モルトの言っている『試して良い?』の意味は、私の身体で人体実験をしたいという事だ。
 私は三年前、天才といえども七歳児と彼が作っている薬の効果を侮って、人体実験に了承してしまった事がある。
 それから、もう二度とモルトの人体実験に付き合わない事にしていた。

「……」
「大丈夫だよ! 前も言ったけどボクの作るものは、痛くないし、むしろ女の人には大人気なんだよ! どの位効果あるか知りたいだけなんだ、身体に害はないよ!」

 お偉い人から研究所への研究依頼ではモルトが指名される事が多い。
 モルトの専攻している研究は、人の三大欲求の一つである〝色欲しきよく〟を満たすのに大変優れているからだ。彼が作り出す薬やポーションは、時に卑猥ひわいな効果を生み出す。
 その効果は絶大で……
 だから、欲深い人ほどモルトが研究し作成したものを使い、快楽に溺れてゆく。そしてその存在に依存し、資金援助し、頭が上がらなくなり、深みにはまり更に快楽を欲してあがひざまずく。
 純粋で、可愛らしい癒し系の子供にしか見えない彼だというのに、ある意味一番怖い存在だと私は思っている。

「……」
「おかしいなぁ、皆は喜んでくれるのに、何でリーちゃんは喜んでくれないんだろう……。あの時室長ハビィは『リディアは満足してた』って言ってたの……モガッ」

 他の研究員に聞かれる前に、己の手でモルトの口を塞ぎ封じた。
 三年前のあの日を思い返すと羞恥心しゅうちしんで出勤出来なくなる。
 もう二度とごめんだ。正直トラウマになった。

「モルト、あの時の話は絶対しないでね? 特に人前でする事じゃないからね?」
「人前が嫌なの? リーちゃんは恥ずかしがり屋さんなんだね。お家でポーションを使用した感想を記録して提出するのでも良いよ! 今回は身体に塗るタイプだから自分で加減が出来るんだ。安心して!」

 探究者モードに入り、キラキラした期待の眼差しを向けてくるモルトをなだめ、何とか人体実験以外での方法で情報を聞き出そうとしてみた。
 しかし、案外モルトの口は堅かった。

(ううん……室長に直接聞こう。意外とすんなり教えてくれるかも)

 皆が帰宅していく中、室長が帰ってくるのを資料整理しながら待つ事にした。
 しかし前日寝付けなかったせいで途中から眠気がピークに差し掛かり、机に突っ伏して私は眠りについた。


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