幻のスロー

道端之小石

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8月下旬

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甲子園も残るところ準決勝と決勝を残すのみになった。
池上達は順調に勝ち上がり決勝に挑む。

純達はそれを部室から応援していた。

「やっぱ先輩たちすげーよ!もう決勝だぞ!」
「頑張れ、優勝してくれ!」

部員達の熱気が凄いのは当たり前だ。
純も興奮していた。

先発はもちろん池上。

相手は青葉学園。
足を使った野球で名を馳せている。
だがその名前に隠れて実は切れ目なく打撃がうまいチームでもある。

雪月高校は後攻になった。
プレイボール。

池上がマウンドで構え、バッターボックスで青葉学園の選手が構える。
山本がサインを池上に送ると池上は頷くことすらせずにボールを投げた。

バッターが初球からバットを振っていくが当たったボールはセカンドゴロ。

「初球から豪快に振っていくなぁ」
「でも初球から真ん中寄りにツーシームっていうのは予測できてなかったんだろうな」

それからも青葉学園の打者達は初球から強気にバットを振っていく。

しかし山本キャッチャーも池上もボール球を投げる素振りを見せることなくスライダーと140キロ台のストレート、ツーシームだけで三者凡退にした。
投げた球数は6球。

「めちゃくちゃ初球から振ってくるな」
「ボールが出やすいようにプレッシャーかけてるんじゃないかな。カウント有利にして塁に出やすい状況を作りたいんだろうし」

初球を見逃すならば、真ん中に直球やら様子見の球を投げることが出来るがそうでないならば投手にプレッシャーを与えることが出来るだろう。

もちろん凡打になる可能性もあるし他にも様々なリスクがあるが青葉学園のコーチは積極的に振るように指導していた。
それと同時に思いっきり振り抜いても“わざと”ファールを狙えるように練習をさせていた。

そして一回裏、打順は5番まで回るものの3アウトでチェンジ無得点となった。
青葉学園の誇るエース、飯田だが連日の試合の影響か今日は制球が定まらなくなっていた。
しかしそれでも抑えるところを抑えるのはエースたる資質なのだろう。

ドラフトは飯田か池上かでかなり迷うほどらしい。

そして飯田がマウンドを降り池上がマウンドに立つ。

そして2回表、その第一球。
その左腕から放たれたボールはど真ん中へのストレート。
しかしバットは振り遅れボールに当たることすらない。

電光掲示板には154キロと表示されている。

そして第二球も直球。
しかし急速は先ほどよりも遅い。
バッターがアウトローの球を芯でとらえ流そうとしたときボールがずれた。

またツーシームである。
ボールはファースト真正面。直接取ってアウト。

それからも池上はストレート、ツーシーム、スライダー、カーブ、チェンジアップを駆使して打者を打ち取っていく。

それに対抗するように飯田も148キロのストレート、カットボール、スライダー、ドロップカーブ、チェンジアップを駆使して雪月高校の打線を抑えていく。

互いにヒットを打たれはするものの得点圏にランナーが進むことはなく7回を迎えた。

7回表、ここに来てバッター達が池上の球をファールする回数が増えつつあった。
山本も池上も顔をしかめる。
明らかにファールを狙っているのだ。

7回表、2アウトの場面で青葉学園のバッターは天野。
最初の直球を見逃し、続くスライダーをファール。
その次に投げられた直球を、ファール。
その次に投げられたスライダーを、ファール。
またその次に投げられたツーシームを、ファール。
またその次に投げられたカーブを、ファール。
またまたその次に投げられた直球を、ファール。

続くボールを5回ほどファールすると部室の中でどよめきが広がり始めた。

「これって反則じゃないんですか……」
「でも思いっきり振った結果のファールだし……」
「前に打てよ!」

山本キャッチャーがサインを送る。
池上が試合が始まってから初めて首を振った。

その次に投げられたボールはイン側のやや高めの球。
天野はバットを思いっきり振るがボールが急激に落ちる。

「アウト!」

そして攻守が交代する。
雪月高校の打線は1番から。

「なんか飯田って池上と伊藤を足して2で割ってそこから少し引いたみたいな感じなんだよな」
「要するに強い」

雪月高校のベンチではそんな会話がされているが飯田も伊藤もそんなことは知らない。

「へっくし……あぁ、クソ。将也、テッシュ持ってない?」
「風邪かぁ?お前気をつけろよ」
「言われなくても体調には気をつけてるよ。あと、ティッシュサンキュー」
「鼻かむのは向こう向いてからにしろよ」
「わかってる」

純が鼻をかむために画面から目を離した時に先制の一打が決まった。
ソロホームラン。

初球のインローに甘く入ったカーブを思いっきり引っ張る。
打球は綺麗なアーチを描きスタンドに落ちていった。

「先制!雪月高校、先制のソロホームランです!」
「うぉぉおおお!ハヤト先輩!」
「ご唱和おねがいします!ハヤト!」
「ハヤト!ハヤト!」
「「ウォォおおおお!!ハヤトぉおお」」

待望の先制点に若干2名ほどおかしくなってしまった輩がいるが、そんな輩じゃなくても部室内は大いに盛り上がる。

そして一人だけその瞬間に立ち会えなかった純は状況が理解できていなかった。
気づいたら1-0になっていることだけはわかったのだが、その瞬間を見ていないのでその熱量についていけなかったのだ。

「純!見た!?ハヤト先輩が初球をカキーンって飛ばして飛ばしてソロホームラン!」
「いや、見てない」
「……いや、まじですごかったんだって!お前損したなー」
「本当、損したわ……」

その後飯田は続く2番、3番、4番を全て三振に打ち取った。

そして8回表。先制点で気が緩んだのか守備のミスが起こってしまう。

場面は2アウト1塁。

初球はツーシーム。
池上が投げ始めるのと同時にランナースタート。
池上のクイックモーションは1.3秒ほど。
アウトローに投げられたボールは見事にミットに収まる。
山本キャッチャーが二塁に送球。

のはずが送球をミスして地面に叩きつけるような格好になってしまう。

ランナーは呆気に取られながらも三塁へ。

このせいでカウントは2アウト1ストライク3塁。

そして次のインローへのツーシームをバッターが捉え。
ボールはヒット性の打球になり同点に追いつかれてしまった。

「あー、勿体ない……」
「山本先輩って肝心なところでポカやらかすよな」
「オッケー、お前がそう言ってたって伝えておくわ」
「いや、お前マジやめろって!」

その後池上三振に打者を打ち取り3アウトチェンジ。

「山本、気にすんな」
「本当にすまん!……絶対取り返すから」

山本が心底申し訳なさそうに謝る。

「気にすんなって、またホームラン打ってやるから」
「俺なんて今日ヒットゼロだぞ?みんなで取り返して行こう!」

4番の彼が堂々と言い放つ。
お前は打つのが役目だろう?
そこにセカンドの小木が割り込んできた。

「円陣組む?気合を入れるっていう意味合いも込めて」
「出たよ、円陣組みたがりおじさん」
「うちにはそんな風習ねーぞ」
「じゃあ作ろう円陣!甲子園優勝記念円陣」
「あーめんどくせー。ていうかまだ勝ってないから」

ベンチで各々が水を飲んだりタオルで汗を拭いたりしながらリラックスしつつコーチの話に耳を傾けていた。

「池上、まだ行けるか?」
「まぁ、あと4イニングくらいは余裕ですよ」

池上はそうなんでもないことのように言ったがそこに山本キャッチャーが口を挟んだ。

「コーチ、池上はあと1イニングです。
2イニング目からは苦しくなります」
「……山本もこう言ってることだし延長入ったら交代だ。
そのことは頭の片隅に入れてペース配分してくれ」
「……了解です、コーチ」

池上は渋々納得した。かなり渋々である。
実際体力には余裕がある……とはいえない状況だった。
すでに8回を投げているのだ。

7番打者が戻ってくる。
フルスイングして思いっきりから振った彼の顔に後悔という文字はなかった。

「ごめん、やっぱ打てなかった。あのカーブ落ち過ぎなんだよなぁ!」
「守備では活躍してくれよ」
 
池上が珍しく声をかける。

「へぁ?!……おぅっ!任せとけ。
できればレフトの俺が活躍する機会が来ないといいんだけどな?」

7番打者は白い歯を見せて笑う。

「それもそうだな。三者連続三振で終わらせるぞ、山本!」
「……お前、今日はよく喋るな?本当に池上か?」
「失礼なっ!行くぞ!」
「はいはい、エース殿」

そこからの池上は何かが違った。
マウンドに立った途端に今まで入っていなかったスイッチが入ったように視界がハッキリとして指の先、爪の先端まで神経が張り巡らされたような感覚になった。

第一打者。
第一球。
山本キャッチャーのサイン通り場所へボールを送り出す。
池上が強く踏み込む。
足から腰へ、腰の回転を得て肩へ、そうやって伝えられたエネルギーはしなる腕を経由して指先、そしてボールへと伝えられる。
池上の手を離れると同時にボールは回転する。

放たれた球種はスライダー。

それは抉るような軌道でストライクゾーンギリギリのイン側に入っていく。

バシッとミットにボールが収まった。

主審がストライクと叫ぶ。

山本キャッチャーはいつもと違った気迫を池上から感じた。
山本キャッチャーは僅かに鳥肌が立っていた。

第二球。
山本はカーブをアウトローへ要求する。
投げられたそれはいつもよりも落差のあるようなカーブであった。

130キロ程のインへ食い込むスライダーからの100キロ前半のアウトローへのカーブ。

バッターは手出しできなかった。

第三球。
山本はインローへ縦スライダーを要求した。
相手はバットを思いっきり振り三振。

池上もその感覚に慣れないようでしきりにボールを手で触っていた。

第二打席。
第一球目。
インハイへのストレートを山本は要求する。
今まで低めを意識させてきてからの高めは反応できないだろうという読みだ。

対して池上は自分の限界を見てみようと思っていた。

池上が投球モーションを始める。
新しい投げ方は初めてまださほど時間が経っていない。
しかし不思議と体になじんだ。

体重が乗った球がその左腕から投げられる。

バッターが反応するよりも早くボールはミットに収まっていた。
155キロ。
8回を投げて尚、そのスピードが出ることにスカウト、コーチ、そしてベンチにいる仲間、その他にも甲子園を見ている人たちの大半を驚かせた。

そして次にスライダー。
しかし変化が大きすぎるためにバッターは追いつくことができない。

そして高めのストレート、ボール球。
投げられたボールはストライクゾーンよりも上だったがバットは振られた。

第三打席。
初球はスライダー。
バットに当たりはするもののファール。


第二球目は縦スライダー。
鋭く落ちたボールにバッターは反応できない。

そして第三球目。
山本は池上が一番投げ慣れたコースへ一番投げ慣れた球種を要求した。
インローへの直球。

池上が踏み込む。
左利き特有のフォームから対角線上に投げられるボールは右打席からでは出だしが見えない。
そして160キロ近くのボールが見えたときにはすでに手遅れだ。

しかし、バッターは当ててきた。
かつて将也がしたようにインローへのストレート一本に賭けていたのだ。

ボールが高く上がる。

そしてボールがレフトのグラブの中に落下した。

「アウト!」

そして交代である。

「あー延長戦かなぁ?!」
「池上先輩覚醒してなかった?」
「あれは覚醒してるなぁ。というか最後のバッター結構凄くね?」

部室ではワイワイと誰のプレーが良かったと騒いでいるがこの時も純はトイレに行っていて不在だった。
途中で缶コーヒーを飲んだのがいけなかったのだろう。


甲子園では池上がレフトに絡まれていた。

「池上ー!締まらねぇな!」
「うるさいなぁ……大体、山本が読まれたのが悪い」
「それはひどくねぇ?!いや、そうなんだけどさ……じゃ、行ってくる」

山本がバットを担いでバッターボックスに入った。

(さっきの失敗取り返してみせる)

気合十分のまま山本はバットを振るった。
カキーンと甲高い金属音が鳴る。

「あっ!」
「マジか!」
「いけ!入れ!」

そしてボールはスタンドの黄色いポールの外側へ。
ファールである。

第二球目

バットは空を切る。
山本は全くドロップカーブに対応できていない。

第三球目。

飯田がボールを投げる瞬間山本には世界が遅くなったように感じた。
ボールが回転しているところまでしっかりと見ることができた。

フルスイングされたバットがボールを捉える。

甲高い金属音と共にボールが空へ向かって飛ぶ。

「アウト!」

綺麗なキャッチャーフライ。
山本キャッチャーは膝をついた。

そしてそこへ池上がヘルメットを被って歩いてきた。

「ま、お疲れ。俺もやれるだけやってみるわ」
「お前……バッティングはからっきしの癖に」
「そこまでひどくねぇよ、ホームランくらい飛ばせるわ」
「飛距離だけだろう……」

そして池上がバッターボックスに立つ。

そして第一球目。
ここに来てまさかの飯田の失投。
ど真ん中への緩いボールをフリーバッティングの要領で池上がガッツリ振り抜いた。

試合を決めるホームラン。

マウンド上で飯田が崩れ落ちる。
青葉学園の選手達はなんともいえない顔をしながら涙を流していた。

「よっしゃああああ!」
「やった!やった!」
「円陣組もうぜ!」
「いいぞ!」

「雪月ーファイッ!」
「「「「おおおぉぉぉぉ!!」」」」


そして部室では

「あ、勝った。ホームランだ」
「うん、勝ったな……」
「熱い……けど勝った、やった……」
「あぁ、勝った……とりあえず部室から出よう」
「熱い……熱すぎる。つーか汗くさ」

部室の排熱が追いついておらずサウナ状態となっておりほぼ全員がグロッキー状態のまま応援を続けていた。
なお純は水筒の水をガバ飲みし、保冷剤で体を密かに冷やしていたためグロッキーにはなっていない。

「間違っても制汗スプレーは中で使うなよ!」
「わかってる……わかってるけど今日くらい良くね?」
「やめろぉぉおおおお!」

コーチと選手達が優勝を喜ぶ時を同じくして、部室は汗と様々な制汗スプレーの匂いが混じった吐き気を催す魔境に変化した。
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