無窮の騎士

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第一章

第十三話〜偵察・テイラーの森〜

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 時刻は少し遡り、昼を少し過ぎた頃。アヤトとメッサーラは風車小屋で昼食をとった後に解散となった。結局相談内容を告げてはくれなかったが、どこかすっきりとした顔をしていたのは指導者として安心できる要素だろう。
 その後は、新人冒険者との顔合わせの報告をアカネにして今日の仕事は終わり———とはいかずやすらぎに戻ることなくウィドスの郊外まで足を伸ばしていた。
 周囲に広がる田園や畑などを扱う農家の人々がちらほらといる程度で、外部と繋がる道があるわけでもない為街中と比べると人通りは極端に少ない。
 アヤトに気付き農作業を止めて手を振ってくる者もいる。いつも縁側でお茶を飲みつつ盆栽を眺める老人や、買い物帰りに世間話で花を咲かせている老婦などの普段から交流している人達だ。
 年齢を感じさせない活力に溢れた彼らは皆笑っていて、今この時を楽しんでいるように見える。アヤトも同じように手を振り返すと順々に視線を土に戻し作業に戻っていった。
 時折額の汗を拭いているが、土のついた手で直接ということもあり顔中が汚れてしまっている。もっとも当人達は全く気にしてはいないようだ。
 人通りも少なく、近くの農家の人々はこちらへ滅多に視線を向けない。だからこそアヤトはこの辺りで良いかと、意識を切り替えた。
 感覚でわかるものだが念のため誰からの視線も向けられていない事を目視で確認。そして空を見上げると、次の瞬間には始めからいなかったかのように掻き消えた。

——テイラーの森は……あぁあれか

 視界に広がるのは山脈と広大な大地、街がいくつかと街道の先に点在する村々。それらが雲に隠れてしまうような場所、地上から十キロにもなる遥か上空にアヤトの姿はあった。魔術ではない、跳躍という純粋な身体能力のみでだ。
 周囲を見渡すと目的地であるテイラーの森を発見。今まで用事もなかったので行ったことはなかったが、遠目から見てもかなりの広さのようだ。さっそく移動するべく空を蹴り上げる。
 高速移動を可能とする歩法の秘奥、縮地。本来地上で用いられるそれをアヤトは更に昇華させ、空を駆けるために行使してみせた。
 魔術の中には浮遊できるものもあるが、制御が難しく速度はお世辞にも速いとは言えない代物だ。対してアヤトの用いる縮地の応用技術は、名称こそ無いもの魔術と比較してはいけない程の速度であり、あっという間にテイラーの森が見えてきた。

「はぁ……やっと着いた」

 その考えが正しいかは人によるだろうが、ウィドスから徒歩で半日と少しかかる距離を数分でたどり着けるアヤトに同意できる人はそうはいない。
 森の入り口に降りようと縮地での移動をやめると自然と高度が落ちてきた。それは落下とも言えるが、木に実った果実をもぎ取りつつ着地。その際の動きは加速していく落下速度に反してゆったりとしている。
 風圧で髪が乱れた様子もなければ、酸素の薄さで息が荒くなっているわけでもない。街中のカフェでくつろいでいるような、いつもと変わらない姿のアヤトがそこにはあった。だが、手にしている鮮やかな紫色をした果実をまじまじと眺めはじめたかと思うと頭を抱え始める。

——これって何て名前だっけか?

 食べた事はあるが、種の多さから敬遠されがちであまり需要がないという認識しかしておらず、残念ながら世間のイメージも同様の果実だ。そういった理由からあまり出回っていない為、名前が出てこない。
 もっとも味自体は美味なので、日常的に食べている国もあるにはあった。遥か昔に滅んでしまったその国こそが原産地であり、その血筋が再び国を興し小国ではあるが保有する武力の強大さから各国から一目置かれていたりする。

「思い出した、あけびだ」

 自然と割れた皮から顔を見せている果肉の匂いを嗅いだ瞬間に名前が浮かんできた。
 なんとも言えないもやのような不快感から解放されたが、それだけではなくどこか懐かしさすら感じられる。特に好んで食べていたわけではない。ただ当時の記憶が蘇ってくるのだ。

「真夏に秋の果物って……さすが実りの森だな」

 テイラーの森は星の魔力の通り道である龍脈が僅かに露出している為、果実や山菜をはじめ土地全体が活性化していて非常に自然豊かな環境となっている。そのためいつの間にか別名として実りの森と言われるようになっていた。だが、点在している水源を求めて集まる小動物や草食動物を狙う大型の肉食獣や魔物も数多く生息している為、一般人は立ち入るべきではないだろう。
 つい最近冒険日誌で掲載されたジャイアントフロッグの大量発生の地でもあり、今目の前でその群れが湖の魚を長い舌で捕食していた。
 この光景を見たらサリサは喜び飛び跳ねるか、恐れから硬直するか。先日交わした会話からならどちらにも転びそうで、それを想像するだけで笑えてくる。
 同じような流れでムッスクルスのむさ苦しい顔が浮かび、何匹か仕留めようかとも考えたが思い止まった。
 食用の魔物は高額で取引され身入りが良く、それでいてジャイアントフロッグは獰猛な個体も少ないため経験の浅い冒険者にとっては貴重な収入源となる。
 普段からテイラーの森には多くの冒険者が討伐や採集の依頼の為に出入りしているが、ジャイアントフロッグが異常に出没する現状がいつまで続くかもわからないのだから下手な手出しはするべきではないだろう。
 そもそもアヤトの目的はジャイアントフロッグではない。彼らは敵意さえ見せなければ襲ってくることは滅多になく、アヤトは先程手にしたあけびを食べ、種を飛ばしながら観光しているかのようにのんびりと横を通り過ぎていく。
 だからといって、森に住む魔物全てが穏やかな気性なわけもなく問答無用で襲ってくる奴らも多い。

「団体さんのお出ましだな」

 木々がひしめく見渡しの悪い中で鼻息荒く現れたのは豚の容姿に巨大な人の肉体を持つ亜人種、オーク。獰猛かつ雑食であり、手当たり次第に食糧を食い荒らす嫌われ者だ。同時に上質な豚肉として食用にもなる為、冒険者からはよく狙われている可哀想な一面もある。
 だが、個々の強さもさることながら大抵は三体の集団で連携を取ってくる為手強く、返り討ちにされる冒険者も多い。個の限界と仲間の大切さを教えてくれる希少な存在とも言えるだろう。
 そんなオークが九体も揃いアヤトを取り囲んでしまった。体躯を活かせる棍棒や斧などを手にし、ただでさえ硬い皮膚だというのに軽鎧を身につけることでより堅固な仕上がりとなってしまっている。明らかな敵意が感じられ、同時にひどく興奮しているようにも見えた。
 一方でアヤトの武器と言えば普段から腰に下げている安物の剣ぐらいなもので、鎧や盾など身を守る物を何一つ身につけていない。街の外にでればどこで魔物と出くわすかわからない世の中でありながら、あまりにも軽装と言える。

「なんでそんな荒ぶってんのかはわかんねえけど、通してもらうぞ」

 明らかな多勢に無勢な状況ではあるが、アヤトは歩みを止めず目の前のオークとの距離を詰めていく。その姿は自然体で有利であるはずのオークが戸惑うものであった。それでも敵が目の前に来ていて攻撃しない理由などない。棍棒を両手で振り上げると奇声を発しながら叩き下ろしてきた。
 風を斬るような鋭い音を発しつつ迫る棍棒は紛れもない必殺と言える一撃だ。だが、人が受けて無事で済むとは思えないそれに手を添えたアヤトは、そのまま速度や重さを利用し逸らしてしまった。
 バランスを崩し転倒するオーク。その醜く太った後ろ姿がアヤトの前に曝け出される。

「寝てろ」

 首筋を狙った手刀。すぐに体勢を立て直そうとしたオークへ放ったのはそれだけだが、静かに倒れていった。目は見開いたままで、口からは長い舌が外に垂れるように出てしまっている。
 それでもまだ息はあった。あくまでも気絶しているだけだ。とはいえ周りのオークにしてみれば死んだように見えたのだろう、怒り狂い大きく咆哮すると一斉に襲いかかってきた。
 未だまっすぐ歩いているアヤトからは背後からの攻撃となるが、八体の動きを全て把握しているように最低限の動きで回避しそれぞれに一撃ずつ拳打で応戦してみせた。
 当然当たるものと思っていただろうオークは反撃までされたことに激昂し、より激しく武器を振るうべく柄を力強く握りしめ——その場に倒れ伏した。
 拳打の衝撃を体内まで伝え爆発させる拳技—浸透掌。アヤトが一匹ずつに放った拳は全て浸透掌であり、爆発こそさせていないが脳を揺さぶるには十分だった。結果、オークは全て脳震盪で気絶したわけだ。
 蓋を開けてみればこの程度の相手ではアヤトに武器も防具も必要ではなかった。

「運が良ければ生き残れるだろ。襲ってきたんだから恨んでくれるなよ」
 
 気絶しているオークは他の魔物の餌食となるか、冒険者に発見され金と変わるか。或いは何事もなく気絶から目覚めるかもしれないが、生存の可能性は非常に低いだろう。
 テイラーの森には数多くの肉食の魔物が生息しており、ジャイアントフロッグもその一種だ。湖の近くでの出来事だったからか、既にオークに狙いを定めている節がある。
 法の整備が行き届いた人間社会ですら避けられない弱肉強食の世界、その本物がそこにはあった。
 もっとも、立場的に強者であるアヤトは彼らから何かを奪おうとは考えていない。降りかかる火の粉を払ったのであって、興味自体まるでないのだ。
 では何の目的があるかと言えばソリッドタイプの目撃情報が最も多かったテイラーの森が、明日からの新人の教導の場として適切かの確認の為でしかない。不都合があれば別の場所にすれば良いと考えていたが、今のところ問題点らしい箇所は見受けられない。
 野営を問題なくできる平地がいくつもあり、ウィドスからの距離が近くもなく遠くもない。果実と近くの川から魚も取れるので食料に困る事はなく、怪我をした際に傷薬や消毒に使える薬草も豊富に自生している。
 これならば冒険者体験としては充実した環境と言えるだろう。当然魔物が襲って来ればアヤトが対応するのが前提だ。その際に魔物の恐ろしさを体感させた上で教導官として強さを魅せることで今後の教導がスムーズにいけばと、淡い期待を抱いていた。
 アヤトが教導官として相応しいのか疑問視していたテルムは、上級ゴールド冒険者という肩書きで一応の納得はしていたが、それだけで強さを推し量るなど出来るはずもない。百聞は一見にしかずとは言うが、正にそれを実行しようということだ。
 そういった理由から魔物の襲撃が多いのは構わないが、今は面倒なのでできるだけ避けたいところではある。そう願っても魔物は次々とアヤトの前に姿を現してきた。
 ゴブリンの集団や木々に擬態したトレント、若いワイバーンがいたかと思えば銀色の毛並みが美しいオールドウルフとも遭遇し、更にはレッサーデーモンまで現れ乱戦になる始末だ。その他にも巨大な蜂型のキラービーや、何故か浮遊し突進してくる魚型のスカイフィッシュなど数多くの魔物の相手をする羽目にってしまった
 どんな魔物だろうと一撃で気絶させるだけなのだが、ふと振り返ってみれば魔物が点々と倒れていて事情を知らない人が見れば異常事態と思わなくもない光景だろう。

——まぁ俺がやったってのはわからないだろうからいいか。ん?これってコンプリート間近だな。

 森に出現する魔物の種類を浮かべてみればほぼ遭遇していることに気付いた。残るのは目撃情報すら滅多にない二種類のみだが、わざわざ探そうとは思わない。
 襲ってくる魔物の相手をするのもいよいよ飽きてきたので、アヤトは戦闘避けとしてまた無駄に高い技術を使うことにした。だが、相も変わらず真っ直ぐ歩いているアヤトに先程との違いは見られない。見た目はだが。
 真に見るべきは魔物が近寄ってこなくなったことだ。遭遇するのは進行方向にたまたまいた時に限られ、更に目の前を通っても気付いた素振りは見られなかった。

「久しぶりにやったけどうまくいったみたいだな」

 魔物との距離が離れた頃にそう呟くと、仲睦まじく遊んでいる二体のスライムの目の前にしゃがみこみ手を振るアヤトであったがやはり気付かれていない。見えていないとも言い換えることができるだろう。
 それをいいことに愛玩用の魔物とまで言われるもちもちとしてぷにぷにとした可愛らしさを堪能することにした。さすがに触れれば気付かれてしまうので、本当に見るだけなのだが、それで充分に癒されるのを自覚できてしまう。
 アヤトを知覚できない仕掛けは至って単純で、森に溶け込むように気配も魔力も変化させただけだ。五感の鋭い魔物や動物ですら感知できない精度となれば、より感覚が向上する魔力感知でも違和感を感じるかどうかだろう。
 その後住処に向かうのか揃って移動していくスライム達を見送るアヤトは、木の幹に寄りかかりながらそろそろ帰ろうかと考え始めていた。そんな時に直感が森の異常を知らせる。

——三人と、もう一人いるけど……やばいな虫の息だ

 魔力を薄く伸ばし感知範囲を広げてみれば、視認できない距離で魔物に追われている四人組が確認できた。纏っている魔力の質から一般人ではなく、十中八九冒険者だろう。
 応戦しつつ森の外へ逃げようとしているようだが、果たしてうまくいくものか。負傷者がいるというのもあるが、追ってきているのがデビルホースというのが問題だ。
 凶暴かつ残忍。更に縄張り意識が強いため、例え僅かにでも領域を侵せば敵と認識され感知できる限りはどこまでも追いかけてくる巨大な馬なのだ。それでいて一匹の雄と複数の雌からなる群れで生活しているため、追われる際は子供も含めて何十匹もの大群となり正に悪魔と対峙したような恐怖を受けることとなる。
 そういった理由からデビルの名で呼ばれているわけで、実際に存在する悪魔とは一切関係ないのは豆知識として冒険院のデータバンクに記載されているため間違いない。

——さすがに放っとくわけにはいかねえな。後処理はアカネに任せるとしてクロトにも動いてもらうか。

 アカネに表立って力を振るわないと明言したが、人命がかかっていると知って見捨てるような冷酷な人間には成り下がりたくはない。
 元は騎士という立場なわけで護ることに抵抗があるはずもなく、助けると決めた瞬間には身体は名も知らぬ冒険者達の為に動いていた。
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