混沌のコルディス

KEC

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プロローグ

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 真っ黒なキャンパスを星々が白く彩る深淵の夜空。冷たい風が吹き抜ける草原には、ひと際大きく輝く満月のような星の光だけが照らされている。見渡す限りに続く草木は静かに揺れ動き、子守歌のような優し気な音色が流れている。だが、それを除けば時間が止まってしまったかのような、或いは世界の果てにでも来てしまったかのような印象を受ける。
 一定の間隔で生えている木々をよく見てみれば異形な物体が休憩している姿があった。その手にフルートと太鼓を持っていて次の演奏を待っているようにも見える。形容しがたい姿をした彼らだが細い枝に行儀よく座っている光景はどこか愛嬌を感じなくもない。しかし、そこに命を感じることはできない。どこまで行っても異形な物体でしかなく、たとえその手にもつ楽器で演奏をはじめようとも生命体には見えないだろう。
 異形の物体は皆共通してただ一点を見つめていた。感情の見当たらない視線を追っていけば一対の男女が見えてきた。
 作りこまれたかのような目鼻立ちの整った顔の造形。妖艶さを醸し出す切れ長の瞳。艶を帯びていて清らかな長く真っすぐな黒い髪。そんな性別問わず見惚れてしまうであろう少女が、柔らかな草の上で死んだように眠っている青年に寄り添うように座っている。
 青年もまたひどく整った容姿をしているが、その姿を見れば容姿が良い悪いなど感じる暇はないだろう。心臓の位置には真っ黒な穴が開いているのだから。それは奈落まで続いているのではないかと思えるほどに底なしで、ブラックホールのように光すら逃さず吸い込むのではないかと思える程に漆黒な穴であった。

「私の力を貴方に……」

 少女はか細い声量でつぶやくと、自らの胸へ手をやり……深く突き刺した。赤い、それこそ紅い血潮が噴き出て眠っている青年を鮮血に染める。少女は目を見開き力を込めると、痛みに耐えながら少しずつ手を抜いていく。そして、自らの心臓を抜き出した。
 力強く脈打つ心臓は未だいくつかの管が少女と繋がっている。それを無理やり引きちぎろうとすれば更に激痛が走るのは見て取れるが、それを実行したことで肉がちぎれる生々しい音がした。
 自らの心臓を両手で抱える少女。その手は細く白いもので、荒事ができそうなものには見えない。だが、この手が心臓をえぐり取ったのは現実であり、変えることのできない事実だ。
 
「私の心臓……貴方に上げる」

 渦に飲み込まれていく、そう表現するのが適切だろう。真っ黒な穴の上に置かれた少女の心臓は瞬くまに飲み込まれ……やがて男性の心臓としての機能を果たし始めた。穴は消え失せ、しっかりと皮膚もある。しいて言えば、心臓部周辺の皮膚におびただしいほどの血管が浮き出ていることがおかしい事ぐらいか。

「貴方は……生きて。私はそれで……満足」

 少女が覆いかぶさるように青年に抱き着くと、互いの心臓部を密着させる。心臓の脈打つ音が大きく響き、それは一つの心臓を分け合っているかのような印象を少女に植え付けていく。心地よい時間なのだろう、穏やかな表情となり瞼が落ちていく。

「……おやすみなさい」

 やがて、完全に瞳は閉じられそして寝息が聞こえてきた。二つの寝息を確認すると、異形の物体が勢いよく木々から降りてくる。まるで出番を待ち構えていたような動きで、それを証明するようにっ彼らは一斉にフルートと太鼓の演奏を始めた。しかし、その出来栄えは演奏とは言えないようなそれぞれが好き勝手に楽器を鳴らすものであり、踊り子もいるようだがこれもまた統一されていない。正に不協和音そのものと言えたが、それらは少女をより深い眠りに誘っていく。
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