親子誕生

くさなぎ秋良

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不妊編

別れ

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 子どもが欲しいのに避妊生活をしなければならなかった頃、職場の薬局で子どもをつれたお客様を見るだけで辛かったことがあります。
 「あの人に子どもがいて、どうして私にできないの?」という気さえしました。失礼な店員ですね。だけど、そのときはもう自分が惨めに見えてたまらなかったのです。

 おまけに当時の同僚全員に孫がいて、彼らの孫の話を聞くたびに、子どもがいるとこんなにいいんだぞと当てつけされている被害妄想まで出てきました。
 子どもの目映いばかりの成長を楽しみにする老後。それこそ、今のままでは絶対に手に入らないものであり、それがないことが恐くて仕方なかったからです。
 今ならわかるんですが、彼らが孫の話をするのは自由なはずなのに、『子どもがいなくて苦しんでいるのを知っているというのに、そんな人の前で子どもの話をするなんて無神経だ』と憤っていたんだから、よっぽど心にゆとりがなかったんですねぇ。

 それに、お客様の中には「子どもはまだ?」「結婚したんだし、早く作らないと」と声をかける人があとをたちません。
 これで辛い思いをする女性って多いと思うのです。しかも相手に悪気がないんだからたちが悪い。

 そういうことを言う女性は、子育ての経験がある人が多かったです。男性や子どものいない方は言いませんでした。
 子どもを産み、育てることは素晴らしいことだと知っているから言うのでしょうが、言われるほうにしてみれば、彼女たちの目は、まるでワイドショーでも観ているような目つきにしか見えませんでした。
 
 いつも「こればっかりは授かり物ですから」とだけ言って逃げてました。「ですから」のあとに何も言わないのがポイント。さも残念そうな演技で眉を下げた表情を作りながら、大げさに言うのです。欲しいけれど、頑張っているけれど、というニュアンスを暗にこめるのがコツでした。
 うっかり「うちは予定がないので」「子どもはもたないことにしているので」などと余計なことを言うと、「あら、だめよ、すぐ作りなさい」「どうして作らないの? 子どもはいいわよ」と、謎の説得・説教タイムに突入することが多かったのです。
 かといって「できないんですよね」と口に出してしまうと、どうしたら出来やすいかなど、余計なアドバイスがきますから面倒でした。

 今となってみれば、早いほうがいいというアドバイスも理解できます。
 自分の両親にサポートしてもらいたくても、高齢になるとそれも難しくなるし、出産のリスクは確かに上がる一方だし、育児するのは本当に体力気力がいるので若いにこしたことはないのです。

 けれど、自分の親でもない人に言われる筋合いはない。本当は一番言いたいはずの両親も弟妹も何も言わず見守ってくれているというのに、どうして赤の他人にずけずけと言われなくてはならないのか。そう憤りました。
 ただ、こういうお節介を焼くひとって、根は優しいんですよね。遠慮がないのは、自分の中にある正しさに頑なで、それを信じて疑わないせいなのでしょう。『こんなにいいものを何故、得ようとしないのか』という妙な正義や義務感がその人の常識になっているように見えました。
 
 前夫の実母にも言われました。
 お腹が大きくなるジェスチャーをされ、「これは? まだ?」と言って私をじっと見るのです。
 正直、目が点になりました。もともと愛嬌のある人ではありませんが、もう少しまともな言い方はないのかと思うほど雑で、責められているように感じました。多分、そんなつもりはなく、言い方がぶっきらぼうなだけだったんでしょうが。
 私は欲しいけど、お宅の息子が避妊しているんですと伝えると、「いくら説得しても子どもはいらないって言い張るのよね。あなたも駄目よ、言いなりになっちゃ。避妊具に針で穴でもあけなきゃ」と叱られました。
 避妊は彼なりの、私に苦労をかける、子どもが寂しい思いをする、など他者を思いやる気持ちからの決断でもありました。
 けれど実母はこの件にかかわらず、息子の決断や意志を耳に入れず、自分の願望しか主張しない人でした。前夫が実母を嫌悪する理由がわかった気がすると苦笑しました。

 10年近く、生理が来るたびに「お前は母親になる資格がない」と言われた気がして、落ち込みました。女性の証であるはずのものが、女性として認めてくれていないような錯覚までしたのです。

 何度も前夫と話し合いました。けれど、平行線のままで、それは最終的には離婚の理由の一つになりました。

 今でも思い出すのは「お前は子どもが欲しいから、俺と結婚したの?」と問われたこと。
 もちろん、愛しているから結婚したのが第一で、その先に子どもが欲しいという願いがありました。なのに、そのときの私は何も言えなくなっていたのです。

 先が見えるけど、明日が見えない。

 相手は明日の保証がない商売、自分だっていつまで働けるかわからないし、両親も健在とは限らない。それは覚悟していたはずなのに。
 だけど、このまま毎日を繰り返し、子どもの成長という楽しみや希望の光もない中で、自分たちが老いてしぼんでいくだけの未来ははっきりとわかるし、そうなったときに「あのときこうしていたら」と後悔しないかと考えたら、きっと後悔すると確信してしまったのです。

 本当なら結婚する前にもっと踏み込んで話し合っておくべきでしたけど、私も彼も未熟者だったのです。
 別れると決めたとき、前夫と、姑から別々にですが同じ事を言われました。

「あんたはまだ間に合うから、もっといい人を見つけて、子どもを産んで、幸せになりなさい」

 何も言えませんでした。だって、前夫とそうなりたかったからこそ、あれだけ苦しんできたのに。私は何を欲しがって、何を見失って、何をどこに置いてきてしまったのか。
 そのせいか、すぐに誰かと付き合ったり出会いを求めたりする気分にもなれず、あれだけ子どものことで焦って張り詰めていたものが弾け、空虚感にだらんとしてしまったようでした。

 離婚してからはしばらく一人で生きていこうと決めました。虚しい気持ちのまま、無理矢理誰かと想いを重ねても、相手に失礼だと思ったのです。
 思いっきり仕事をして、その合間に思いっきり羽を伸ばしました。一泊でもいいから飛行機に乗って国内をあちこち旅行し、ギターやバイオリンなど趣味に打ち込みました。
 それまでの数年の悩みや葛藤の反動もあったでしょうが、なんだか今しか自分のことだけを考えて生きる時間はないように思われたのです。

 虫の知らせといいますか、実際私はそれから一年か二年ほどして現在の夫と再婚することになり、自分のことだけを考える生き方を変える節目を迎えたのでした。
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