猫が湯ざめをする前に

くさなぎ秋良

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死ぬも生きるもしんどい

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 くさなぎにとって、父方の祖母との思い出は苦々しいものだ。
 祖母は、初孫のくさなぎをとても可愛がった。くさなぎも祖母に懐いていて、盆や正月に会えるのが楽しみであった。

 大学生の頃、年老いた祖母と同居することになった。毒舌で恰幅がよかった祖母は、すっかり皺だらけで縮まっていた。かつて快活に笑っていた彼女は、そのときにはもう普段の話し声すら小さく聞き取りにくいものになっていた。

 しかし、その時期にある確執が発覚し、くさなぎは祖母を拒絶してしまった。それは数十年前に端を発していた。彼女にはそれが理解できず、どうしても許せなかった。

 話しかけられても尖った物言いをするようになったが、その後で罪悪感に苛まれた。それでも溢れ出る苛立ちに抗えなかった。素直になるには潔癖さが邪魔をしたのだ。

 そんな中、祖母が入院することになった。
 病院でくさなぎが見たものは、濁った目をしてベッドに横たわる祖母の姿だった。彼女は鼻にチューブを入れられ、もはや話すこともできなくなっていた。

 くさなぎが老いの怖さを実感したのはこのときが初めてだった。
 張りのある声で明るく笑っていた祖母はもういない。幼い頃よく繋いだ手は指輪が不恰好に見えるほどシミだらけで、肌がくすんでいた。手首など骨と皮だけだ。

 くさなぎは祖母の時間が残り少ないと悟り、『あんなに可愛がってくれた祖母に冷たくしなければよかった。数十年も昔の過ちなど許せばよかった』と後悔した。

 その数日後、また病院へ行くと、祖母は鼻のチューブを何度も抜いては看護師に叱られていた。

「抜いたらダメだよ」

 そう言うと、祖母は両手を合わせて拝む仕草をした。

『お願いだから入れないで』

 話せない祖母が、目でそう訴えた。

「それをしないと余計苦しいんだよ? また入れるのも辛いでしょ? お願いだから抜かないで」

 そう嘆願すると、祖母は渋々とチューブを入れた。やがて、彼女はそのチューブを鼻に入れたまま死んでいった。

 くさなぎは初めて『死ぬも生きるもしんどい』のだと知った。
 死なないためのチューブが死ぬよりも辛いと訴えた祖母の濁った目は、あのときだけ、やけにぎらついていた。

 祖母を思い出すとき、笑顔が浮かぶときもあれば、冷たくされて悲しげに押し黙る顔も浮かぶ。そんなときは後悔で涙が滲む。

 もう少し『許す』のが上手だったら何か違っていただろうか。
 あの頃よりはうまく誰かを許せるようになっているのだろうか。
 くさなぎは湯気に映った祖母に向かってそう問いかける。しかし、いつも返事はないのだ。

 さて、今宵はここらで風呂を出よう。

 猫が湯ざめをする前に。
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