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1章 ギルド受付嬢(四十路)の再起編

第一話 退職

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「冒険者カードの発行ですね、隣の受付で発行しております」

 冒険者ギルドの扉を開けてすぐ目の前にある長机には二人のギルド嬢が座っている。
 一人はまだ20になったばかりのパスカル・リールだ。パスカルは、オリーブグリーンのサラサラとした髪をなびかせて、同じく鮮やかなグリーンの瞳をキラキラさせながら冒険者に微笑みかける。
 そして、その横に座っている銀縁眼鏡を光らせ、ひっつめ髪のおでこに年相応の皺を飼い慣らしているのが、ベテランギルド受付嬢のヤッチ・マッターナである。
 御年40になる、ヤッチが不愛想に「こちらにどうぞ」と新人冒険者に案内する。

「ちっ、おばさんかよ」

 と、まだ世の中の機微を知らない若い男は言い放った。
 パスカルはまだ新人の為、研修中という身である。ヤッチの仕事を見て学ぶ身である為、処々の手続きはヤッチが引き受けている。
 
 そして、男性冒険者は皆、若いギルド受付嬢に迷いなく声をかける。
 不愛想な叔母さんに冒険者カードの発行を頼みたいなんて、マニアックな輩はまずいない。からして、この様な嫌味に出くわす事はしょっちゅうである。

「この子は新人なんでまだ手続きのいろはを知らないんです。私で不満なら発行を取りやめますか?」
「仕方ないから頼むわ」

 ぶん殴りたい、と心で思ってもこれは仕事である。ヤッチは眉をピクピクと引きつらせながら申し込み用紙を差し出す。

「これ記入しないとダメなの」

 男が面倒くさそうに言う。

「そうですね、決まりですから」
「決まりっつったって面倒くせぇじゃん。省略とか出来ない訳? 古くないこうゆう制度」

 最近の若者はなんでも省略したがる。いきなりレベルが爆上がりしたり、いきなり最強スキルが手に入ったり、いきなり俺TUEEEが出来たり、そうゆうテンプレが理想なのだろう。
 ヤッチは眉間に皺を寄せ、聞こえない程度のため息を吐く。
 周りに聞こえないごく僅かな唇の呟きで短縮詠唱を始める。

「……時の……狭間に……許…さ…れし」
 
 短縮詠唱は魔法の効果が弱くなる、およそ半分の効果になると言われている。
 しかし元Sランクの魔法使いであったヤッチにとっては、半分の力であっても闇の彼方へ葬るには十分な力である。

 短縮詠唱を終えて、さりげなく手を翳すと、プシュッという空気と共にまるで最初からそこに存在していなかったかの様に男が消える。
 それを見ていた、パスカルは驚きのあまり目を見開いて固まってしまう。

「さっ、もうすぐ定時よ。今日の業務は終了ね☆」

 元Sランク魔法使いヤッチ・マッターナお得意の時空魔法がさく裂した瞬間であった。



「……私、見ちゃったんですこの前……」

 ギルド受付嬢達の憩いの場である休憩室でパスカルが重い口を開
 訴えかけた相手は、パスカルの半年程先輩であるギルド受付嬢のマリンダであった。

「何か、ヤッチさんが小声でブツブツ唱えて、冒険者カードを作りにきた若い男の人を消したんです」
「あー、それいつもの事じゃん」

 呑気な声でマリンダが答える。金髪の長い髪をお団子の様に結い上げ、その団子部分をトントンと指先で叩きながらパスカルに言う。

「なんか凄腕の魔法使いだったみたいだよーあの人」
「魔法使いだったんですか?」
「うん。Sランクの。才能見込まれて12歳で魔法使いになって、20で引退してこのギルドの受付嬢になったみたいだよ。私も先輩に聞いただけだから詳しくは知らないんだぁー」
「……そうなんですか」

 いつもの事じゃん発言にも驚いたけれど、12歳から冒険者になるという話は聞いた事がない。早くても14、5歳からなら聞いた事がある。若い冒険者は本人の意思でなるとゆうよりも、両親が共に冒険者で英才教育として、早熟なうちから一芸を仕込む目的が多いと聞く。

「でもいつまでギルドの受付嬢やるつもりなんだろう。40過ぎてやってる人って珍しくない?」

 マリンダの発言にパスカルは困ったように頷く。確かに四十路のギルド受付嬢というのは珍しい。皆遅くとも30代で結婚を機に引退する、いわゆる寿退社が通例になっている為、40を過ぎて現役のヤッチはパスカル達若手のギルド受付嬢にとっては化石の様な存在だ。

「確かにお給金も安定してるし、ボーナスもあるし、退職金もあるし、リストラなんて珍しいから長く続けたくなるのも解るけど、何事にも限界ってあるよね」

 フフッ、とヤッチの事を小馬鹿にしている様な笑みを浮かべ、マリンダが続ける。

「私は、30までには引退したいかなぁー。パスカルは?」
「……うーん。まだ私入ったばかりなのでいつ退職するかまでは」
「早いに越したことはないよ。でないと……」

 いたずらに細められた目には悪意を感じる。ギルドの花形である、ギルド受付嬢は女性が主役の職業である。故に女性ならではの陰湿さも顕著である。

 噂には聞いていたけれど、ここまで露骨に陰口を聞く事になるとは、パスカルは思っていなかった。
 パスカルは苦笑しながら、マリンダの問いかけをかわす。

 その二人の会話をギルド休憩室の入り口前でヤッチ・マッターナは神妙な顔つきで聞いていた。
 丁度、ハーブティーを片手に休憩室に入ろうと扉に手をかけた所であった。
 40を過ぎたギルド嬢というのは珍しい。確かにその通りだ。ヤッチの知る限り自分以外に見た事も聞いた事もない。

 それは解っている、でも退職の機会に恵まれなかっただけなのだ。誰が悪い訳でもない、生きていく為にはお金を稼いでいかなければいけない。未婚である自分には養ってくれる稼ぎ手がいない、だからこの仕事を続けていただけなのだ。

 それなのに……。
 若い娘達、いや若者は勝手だ。自分達だっていつか年老いるにも関わらず、年上を敬うのではなく、小馬鹿にするなんて……。

 ヤッチの銀縁眼鏡が曇る。片手に持っているハーブティーの湯気で曇っている訳ではない。悔しさのあまり過呼吸になった為眼鏡が曇ってしまったのだ。
 二人に聞こえないように嗚咽をこらえていると、自然とヤッチの頬を涙が幾重にも伝う。

(……もう限界だ。嫌味に耐え続けるのも。私が何をしたと言うんだろう……)

 今日に始まった訳ではない陰口を、いくつ耐え抜いてきただろう。
 お得意の時空魔法で混沌の彼方へと葬って差し上げたい。でも、それは見ず知らずの初対面の冒険者へは出来ても、苦楽を共にしてきたギルド受付嬢には出来ない。

 ギルド受付嬢はその優雅な雰囲気とは違い、過酷な労働でもあるのだ。冒険者から冒険者カードの発行が遅い、手続きが面倒、無能受付と罵られる事もあるその実、過酷な職業。
 その過酷な業務を共に行ってきた以上、どんな口が悪かろうがヤッチにとって皆仲間なのである。そう、ヤッチ・マッターナは意外と義理堅い女性なのだ。

 ヤッチは重い足取りでその場を後にした。向かった先は自分の仕事机である。
 鉄製の取ってを引いて机の中から書類を一枚取り出す。
 書類には退職届の文字が。

 ヤッチは退職届を机に置いて、入社祝いに母からもらった羽ペンで丁寧に記入する。
 記入し終えると天を仰ぎ目を細める。スっと真顔になり頷く。
 上司の机に退職届を置くと、肩の力が抜ける気がした。
 こうして、ヤッチ・マッターナはおよそ20年務め上げたギルドを退職したのである。
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