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私の事情1

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ブックカフェくつろぎ庵は旧道の更に一本入った奥にある店だ。住宅街の一画でもあって何の情報もない一見客はまず来たためしがない。
最近、朝の開店時間は十時からにした。近くにあるJAの直売センターが九時からで、野菜その他を買い出しに行ってからだとそのくらいがちょうどいいのだ。メインは業務用の冷凍食品だったりするが、副菜や小鉢はそうした地の野菜を使っていろいろ工夫をしている。
経営は、辛うじて赤字が出ない程度だが固定資産税含め原価償却も出来ている。鈴一人食べていけるのだから、十分優良経営と言っていいと思う。
そんなある日、開店直後の訪ねてきたのは彼女の身内だった。
「鈴、それであんたどうするの」
「どうする、って何を?」
 鈴は一人暮らしだが家族がない訳ではない。と言うか、母は兄一家と共に近所で暮らしていて、たまには店にも顔を出す。
「だってあんた……いつまで一人でやっていけるもんでもないでしょうに」
「いや、まあ……無理さえしなきゃ、後体壊さなかったら多分当分は大丈夫だよ」
「だけどねえ……」
母も年齢の割には元気な方だ。だが他の子ども達に比べて要領の悪い、おまけに普通の家庭を築けなかった彼女を案じているらしい。
しかし実は鈴も既に三十代半ばになる。そして更に言えば結婚経験もあり、所謂バツ1なのだ。
鈴は二十代半ばで結婚した。知人の紹介で会った年上の夫は仕事一途で、とりあえず家庭を持つことを義務と考えるタイプだった。形式張った見合いこそしなかったものの、実態は限りなく見合い結婚に近い。
忙しいからと結婚式も新婚旅行もなかったので、何となく鈴自身未だに既婚者の自覚が薄い。夫もそれは同様らしく、鈴が仕事を続けていたことも相まってまるで『一人暮らしが二人』いるような生活だった。
ところがその夫が、昔唯一付き合った女性と再会して以来、昔の恋に燃え上がってしまった。彼女とやり直したいと頭を下げられ、そこまで彼との信頼関係を築けていなかった鈴としては、拒否は出来かねた。子どももなかったこともある。
ところが離婚後すぐ、元・夫は彼女と旅行先で事故に遭い、揃って死亡している。既に離婚は成立していたものの、それ以外の手続きは殆ど終わっていなかった。連絡先に鈴も登録されたままで、そして肝心の相手女性も離婚が成立したばかりで、籍は入っていなかった。
そのため彼の葬儀には鈴も駆り出された。元々友人知人が少ない人で親戚連中は年寄ばかり、唯一動けた兄夫婦には鈴も義理があって求められた協力は拒まなかった。
その葬式に、一緒に死亡した女性の別れた夫がきたのには驚いた。話をしたいと言われて怖じ気づく鈴に、義兄夫婦は付き合ってくれた。
彼が言うには、元・妻が鈴に払った慰謝料は元々自分の財産である、返却してくれないか、というものだった。それには鈴より義兄夫婦が怒った。義兄は夫婦の財産は離婚時点で等分に分割されるのが筋だろうと一喝し、義姉は何で今更そんなことを言い出すのかと突っ込み、挙げ句に自分がもらうはずの慰謝料が取れないのだと告白された。
鈴には気前良くかなりの大金を慰謝料として支払った彼女だが。自分の別れた夫には、すぐに払えないと主張していたらしい。そもそも結婚と共に家庭に入って専業主婦をしていた彼女には財産と言っても夫の稼ぎが主。その家計も浪費していたらしく、収入の割に資産は僅かだった。
結局、話し合いの結果慰謝料は折半。元・夫の保険金も入って(まだ受取人の変更手続きがされていなかった)当座の資金には不自由しなかったこともある。
実はここは、その元・夫と義兄の実家と関わる家で亡くなった老夫婦も縁戚だった。義兄夫婦は既に自宅を所有していて引け目もあったのだろう、相場からすれば破格の値段で譲ってくれた。
その辺りの諸々は、互いの家族のみならず近隣住民も大概は知っている。概ね鈴に同情的ではあるが、何かにつけて文句を言ってくる人間もいない訳ではない。
「……お母さんも、何か言われる?」
鈴の問いに母は答えなかったが、その微妙な表情が答えだろう。
「……別に、私はいいんだけどねえ。一人でやってると、大変じゃないかって」
「んー、大丈夫だって」
今は特殊な状況でもあり、店に他の人間を関わらせようとは思えない。しかし正直なところ、リンティスのことがなくとも鈴はこの店に自分以外の人間を関わらせる気はない。人を使うのも使われるのも好きではないし、それが嫌さに思い切って店を始めたようなものだ。
「そうは言ってもさあ……」
「こんにちはー、鈴ちゃんおはようー」
「あ、おはようございます」
母がくだくだ言っているうちに、店を開ける時間になって常連客が顔を見せた。母に気づいて目を丸くする。
「あら、結ちゃん来てるの」
「おはようさん、稜さん来てくれてるの」
「鈴ちゃんのおやつ美味しいからねー」
地元なので常連客は母とも顔見知りだ。その状況で離婚した元・夫はそういう意味でも周囲の目を考えていなかったのだろう。

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