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番外編

一夜の過ちの子

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  ぼくが物心ついた時、既に本当のお母さまはこの世にいなかった。

「いいか、セティ。お前のことは認知する。しかしアイツはお前を受け入れないだろう。肩身の狭い思いをするが、我慢してくれ」

  父はそう言って、ぼくとは目も合わせずに与えられた広い部屋にぼくをポツンと残して出ていった。
  しばらくして、アイツ、という人物について理解する。アイツとはお義母さまのことだった。なぜ分かったかと言うと、明らかに敵意を持って睨みつけられてきたからだ。

「……お母さま」

  一人静かに部屋に置いてあった猫のぬいぐるみを抱きしめて呟く。

  ぼくはまだこの時10歳にも満たなかった。お母さまが恋しく、お父さまも殆ど顔を出さず声もかけてもらえず、使用人達もお義母さまを恐れて必要以上に声を掛けてくれなかった。

  人の温もりに飢えていた。

  どうにか誰かと話したかった。この寂しさを紛らわせたくて、ぬいぐるみに話しかける日々にどうしようもなく泣きたくなる時があった。

  お母さまは、南の大地を旅する楽団の踊り子だったらしい。お父さまが劇を見に行った際にお母さまに一目惚れし、一夜を共に過ごしたと聞いた。

  一夜の過ちだった。

  お父さまはお母さまの話をする時、必ず最後にそう付け加える。
  まるでぼくがこの世に産まれたことを間違いだったかのように言うのだ。傷ついていたのだと今なら分かる。でもまだ小さかったぼくは、自分の気持ちに名前を付けられず、「……ごめんなさい」とお父さまにいつも謝った。

  お父さまとお義母さまは、ぼくが家にいるといつも上手くいかなかった。喧嘩が絶えず、お義母さまが物を投げて壊してしまうこともしばしばあった。そして投げた物がぼくに当たってしまうことも少なくない回数はあったと思う。お義母さまはその度に『卑しい踊り子の顔がこの家をデカい顔して歩くな!』と言った。だからぼくは部屋から出る時、お義母さまと出くわさないようにビクビクしながら歩いていた。

  それでもぼくがこのイェステ子爵家を出ていかなかったのには理由があった。

「セティ。元気にしていたか?」

「! フレイ兄さま! お帰りなさい!」

  老人のような白い髪をした自分とは違い、燃えるように赤い髪がカッコよくて素敵なフレイ兄さまが、一人寂しそうに過ごすぼくに度々声をかけてくれるからだった。

  フレイ兄さまはとても優秀な騎士さまだと聞いた。お義母さまがお茶会を開いて招待客に自慢げに話しているのを盗み聞きした。

  王国の次期騎士団長となっても申し分ない才能を持ち、現騎士団長に一番気に入られているようだ。ぼくはあまり世間のことに詳しくないけれど、とても凄い人であることは何となく理解した。そんな凄い人がぼくを気にかけて、わざわざ話しかけてくれる。ぼくはフレイ兄さまと話す度に舞い上がっていた。

「雪は降ってた?いっぱい魔物は倒してきた?遠かった?」

「まずはお土産だ。ほら」

「うさぎ?ぼくにくれるの?」

  矢継ぎ早に話しかけるぼくを落ち着かせるように渡してきたのは、雪のように真っ白なうさぎのぬいぐるみだった。つぶらな瞳が可愛く、持っていた猫のぬいぐるみと同じくらいの持ち運ぶに苦にならない大きさの物だった。

「ありがとうございます!フレイ兄さま!」

「……似合うな」

  お礼を言いながらぬいぐるみを抱いていると、真剣なお顔でぼくとうさぎのぬいぐるみをジッと見比べられた。

「その猫のぬいぐるみに名前はあるのか」

「猫はネコとしか呼んでなかったです」

「そうか…セティ、もう一つ土産がある」

  そう言って取り出したのは、赤いたてがみのライオンのぬいぐるみだった。
  二つもお土産があるなんてとびっくりして言葉が出なくなっていたぼくに、フレイ兄さまは焦ったように尋ねてきた。

「……気に入らなかったか?」

「! いいえ! とっても嬉しいです……! え、と、名前、つけます」

「そうか」

  察しの悪い方のぼくでも、子供ながらになんとなくフレイ兄さまが求めていることが分かり、ライオンのぬいぐるみを見てすぐに決めた。

「フレイ兄さま」

「え?」

「ライオンは、フレイ兄さまにします。赤い髪がそっくりです」

  あまり笑わないフレイ兄さまが微笑むのを見て、間違えじゃなかったと分かってホッとしたのを覚えている。

  フレイ兄さまだけはぼくを怒ったりしない。殴ったりしない。物を投げつけてきたりしない。イラついたり、冷たい視線を送ることも無い。
  ただ、普通の10歳にも満たない子供に哀れんでくれているのだと、とても嬉しかったのだ。


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