24 / 28
22
しおりを挟む
思えば、桜はもうとっくの昔に散りきって、桜の木には生い茂る葉が残っていた。きっと、もうすぐ夏が来る。
シルヴィド商会は、そこらの商会よりデカいというのは、この間ようやくアイザック先輩に聞かされ、知った。
良く見なくとも、デカい門構えに屋敷のような店は、明らかに貴族など偉い人向けの店であり、金持ちとやり取りしているのだろうなと思わせた。今まで気づかなかったのは、自分の興味のなさか、それとも世間を知らないだけなのか。
その、シルヴィド商会の裏口は使用人の通用口となっている。取引している商人が入ることもあり、俺が入っても全く怪しまれることは無かった。
多少聞かれもしたが、工場の名前を言うだけで通り抜けたので、ザルにも程がある。
けれど今はありがたい。とりあえず潜入出来たのだ。
わざわざ行かなくともパン屋にいれば会える可能性はあった。
しかし、そんな不確定の待ち方はもう止めることにした。
たくさん後悔した。
家族のことも、桃のことも、この世界に来たことも、情人になったことも。
流されるままに生き続けてきた自分が悪かったのだと分かった。
せめて、彼に出会ったことだけは後悔したくなかった。
廊下を歩いて行って、なんとなく偉い人がいそうなのは1番上の奥だろうと予想した。そして、それは正しかった。
あからさまにドアの重厚感が違う。
ここに、居ると確信する。
ノックをすると、聞き覚えのあるバリトンボイスが返事をする。
一瞬、扉を開けるのを躊躇した。
彼がどんな顔をするのか不安だった。
俯いて目を一度、力を込めて瞑る。
そして、瞼を開けて、前を向いて扉を開いた。
「……シオン」
彼は執務机にある椅子に座って、書類を持っていた手が止まっていた。
俺の姿を見て、目を見開いて固まっていた。
「ベルンハルトさんが何も言わないから、貴方の噂を聞いてきた」
彼はビク、とほんの少しだけ肩を揺らした。
「でも、ちゃんと聞きたい。俺は、貴方の口から聞きたい」
彼は何も言わない。いや、何も言えないのだ。 驚きと、俺に対する恐怖でどう動いていいのか分からないのだ。
「教えてくれよ。ちゃんと、貴方のこと」
俺がそう言っても、ベルンハルトはしばらく動かなかった。静寂が執務室に訪れる。
けれど俺はそれ以上何も言わなかった。
両者動かないまま、どれほど時が経っただろうか。数十秒か、数分、俺には数十分に感じたけれど、本当はそんなに時間は経ってないだろう。
ベルンハルトがようやく口を開いた。
「……分かった。話すよ」
ぽつりと呟くように、囁くように、観念したかのように言った。
ベルンハルトは書類を机に置いて、俺を近くにあったソファに座るように促した。俺は遠慮なく座ると、彼はその対面に座った。
そういえば対面で座るなんて、情人になってほしいと頼まれたカフェ以来だな、と思った。
「どこまでシオンが聞いたかは分からないけれど、私には一生一緒に居ようと約束した幼なじみがいた」
ベルンハルトはため息でもつくかのように、ゆっくりと話し始めた。
「その幼なじみは、両親がいなくて1人で生きていた子だった。彼には、私しか居なかった」
カフェと同じように、指を擦る動作をしている。緊張が伝わる。
「お互い、本気だった。本気で、一生添い遂げるつもりだった。……けれど、私はこの通り、大きな商会のトップになった」
「それで、ベルンハルトさんの両親が出てくるんだろ」
「そう。私の両親は大反対だ。子も産めない、同性同士では醜聞が立つ。両親は片っ端から無理やりお見合いをさせてくるようになった」
ベルンハルトの顔は俯いていて良く見えない。しかし、擦る指は止められないようだった。
「その内に、彼にお見合いをしていることがバレたんだ。……そして、彼は自殺した」
「本気だったからか?」
「そうかもしれない。本当の所は遺書もなくて分からない。けれど、私はそうだと思っている。彼は本気で私を好きでいてくれていて、私に1人にされると思ったから自殺したんだと思った」
ベルンハルトは一度大きくため息をついた。彼に残酷なことをしている自覚はあった。話す声は震えているし、緊張も伝わってくる。
俺はそれでも聞かなくちゃいけない。前を向けないと思った。
「私は、彼を1人にするつもりなどなかった。お見合いは全て断っていたし、両親も説得し続けていた。……でも、結局、意味の無い事だった」
「意味が無いって……」
「生きてくれていれば、どうとでもなった。けれど死なれては、もうどうにもならない」
最愛が死んで、絶望した様子が浮かぶ。ベルンハルトは膝に肘を当て、顔の前に手を当てている姿で俯いている。だから、想像でしか彼の表情は分からない。
「そして、シオンにあった少し前に両親が事故で亡くなった。悲しむよりも、もう私を縛る者が居なくなって、清々するかと思ったのにそうはならなかった」
「だから」
「そう、だから情人を選んだ」
両親の呪縛が無くならないままだったのだと彼は言う。
「君に交際を申し込むなど、出来なかった。同じことを繰り返すかもしれないと思った。だからどうしても、出来なかった」
「……俺が死ぬと?」
「彼を追い詰めたように、シオンを追い詰め、また私が殺すのかと思ったら……」
「やっと分かりました」
俺は彼の言葉を最後まで聞かずに切った。
彼はようやく顔を上げて俺を見た。酷い顔をしている。泣きそうな、悲しげな、追い詰められているのは彼の方だ。
「あんた、俺が怖くて逃げ出したのか」
「……それは」
「自分が思っている以上に、俺が好きだから逃げたんだ。あんた自身が、傷つきたくなかったから」
真っ直ぐ、彼の目を見つめて言う。
「言わなきゃ分かんないよ。俺だって言葉が足りないかもしれないけど、言ってくれなきゃ何も分からない」
「言いたくなかった。君を」
「怖がらせるって?ふざけんなよ。こちとら一年図太く異世界で生きてるようなやつだ。妹に二度と会えないのが分かってても自殺しないやつだぞ」
彼と話していると、本当にイライラする。何も分かってない彼にムカついている。
「あんたにフラれたくらいで死ぬわけないだろ!」
彼の目が大きく見開いて、微動だにしなかった。しばらく固まったままの彼を見た後に、ため息をついた。
「……私が、シオンをフる?」
「そういうことだろ? いつか自分が俺をフる立場になって、俺が死ぬかもしれないって怯えてんだろ?」
「……いや……や、そうかも、しれない」
「そうなんだよ! もう! 分かれよ!」
ベルンハルトは未だ困惑しているようだった。俺がキッパリ言うと、ようやく彼はストンと憑き物が落ちたような顔になった。
「じゃあ、あの時死んでいれば良かったとは……」
「あんたに会った事がムカついたからだ。こんなことになるくらいなら、会わなければ良かったって思ったからだ」
「……でも、私のことを恋人にしたいなんて思ってないと」
「今でもそう思ってますよ。こんな面倒臭いヘタレなやつなんか、こっちから願い下げだって思ってますよ」
そう言うと、彼は凄くショックな顔になった。俺は笑いそうになるのを必死に抑えた。ここで笑ったら、ぶち壊しだ。
「けどしょうがないでしょう。あんたがそんなに怖がるほど、俺のことが好きなら」
両親にも、桃にも、本当に好かれてるか、愛されているのか分からなかった。
ベルンハルトにこんな愛され方をされたって、俺だって分かるわけない。
けど、分かりたいと思う。
この自分の未だ彼を本当に好きか分からない気持ちも、いつか分かりたい。
出来れば、彼に応えたい。
彼なら、きっと俺を愛してくれる。
「シオン、好きだ。……一生を共にしたい」
「……重いな。 一生は分かんないですけど、一緒には居てあげますよ」
彼がようやく微笑んだ時に、俺もようやく胸が暖かくなった。
シルヴィド商会は、そこらの商会よりデカいというのは、この間ようやくアイザック先輩に聞かされ、知った。
良く見なくとも、デカい門構えに屋敷のような店は、明らかに貴族など偉い人向けの店であり、金持ちとやり取りしているのだろうなと思わせた。今まで気づかなかったのは、自分の興味のなさか、それとも世間を知らないだけなのか。
その、シルヴィド商会の裏口は使用人の通用口となっている。取引している商人が入ることもあり、俺が入っても全く怪しまれることは無かった。
多少聞かれもしたが、工場の名前を言うだけで通り抜けたので、ザルにも程がある。
けれど今はありがたい。とりあえず潜入出来たのだ。
わざわざ行かなくともパン屋にいれば会える可能性はあった。
しかし、そんな不確定の待ち方はもう止めることにした。
たくさん後悔した。
家族のことも、桃のことも、この世界に来たことも、情人になったことも。
流されるままに生き続けてきた自分が悪かったのだと分かった。
せめて、彼に出会ったことだけは後悔したくなかった。
廊下を歩いて行って、なんとなく偉い人がいそうなのは1番上の奥だろうと予想した。そして、それは正しかった。
あからさまにドアの重厚感が違う。
ここに、居ると確信する。
ノックをすると、聞き覚えのあるバリトンボイスが返事をする。
一瞬、扉を開けるのを躊躇した。
彼がどんな顔をするのか不安だった。
俯いて目を一度、力を込めて瞑る。
そして、瞼を開けて、前を向いて扉を開いた。
「……シオン」
彼は執務机にある椅子に座って、書類を持っていた手が止まっていた。
俺の姿を見て、目を見開いて固まっていた。
「ベルンハルトさんが何も言わないから、貴方の噂を聞いてきた」
彼はビク、とほんの少しだけ肩を揺らした。
「でも、ちゃんと聞きたい。俺は、貴方の口から聞きたい」
彼は何も言わない。いや、何も言えないのだ。 驚きと、俺に対する恐怖でどう動いていいのか分からないのだ。
「教えてくれよ。ちゃんと、貴方のこと」
俺がそう言っても、ベルンハルトはしばらく動かなかった。静寂が執務室に訪れる。
けれど俺はそれ以上何も言わなかった。
両者動かないまま、どれほど時が経っただろうか。数十秒か、数分、俺には数十分に感じたけれど、本当はそんなに時間は経ってないだろう。
ベルンハルトがようやく口を開いた。
「……分かった。話すよ」
ぽつりと呟くように、囁くように、観念したかのように言った。
ベルンハルトは書類を机に置いて、俺を近くにあったソファに座るように促した。俺は遠慮なく座ると、彼はその対面に座った。
そういえば対面で座るなんて、情人になってほしいと頼まれたカフェ以来だな、と思った。
「どこまでシオンが聞いたかは分からないけれど、私には一生一緒に居ようと約束した幼なじみがいた」
ベルンハルトはため息でもつくかのように、ゆっくりと話し始めた。
「その幼なじみは、両親がいなくて1人で生きていた子だった。彼には、私しか居なかった」
カフェと同じように、指を擦る動作をしている。緊張が伝わる。
「お互い、本気だった。本気で、一生添い遂げるつもりだった。……けれど、私はこの通り、大きな商会のトップになった」
「それで、ベルンハルトさんの両親が出てくるんだろ」
「そう。私の両親は大反対だ。子も産めない、同性同士では醜聞が立つ。両親は片っ端から無理やりお見合いをさせてくるようになった」
ベルンハルトの顔は俯いていて良く見えない。しかし、擦る指は止められないようだった。
「その内に、彼にお見合いをしていることがバレたんだ。……そして、彼は自殺した」
「本気だったからか?」
「そうかもしれない。本当の所は遺書もなくて分からない。けれど、私はそうだと思っている。彼は本気で私を好きでいてくれていて、私に1人にされると思ったから自殺したんだと思った」
ベルンハルトは一度大きくため息をついた。彼に残酷なことをしている自覚はあった。話す声は震えているし、緊張も伝わってくる。
俺はそれでも聞かなくちゃいけない。前を向けないと思った。
「私は、彼を1人にするつもりなどなかった。お見合いは全て断っていたし、両親も説得し続けていた。……でも、結局、意味の無い事だった」
「意味が無いって……」
「生きてくれていれば、どうとでもなった。けれど死なれては、もうどうにもならない」
最愛が死んで、絶望した様子が浮かぶ。ベルンハルトは膝に肘を当て、顔の前に手を当てている姿で俯いている。だから、想像でしか彼の表情は分からない。
「そして、シオンにあった少し前に両親が事故で亡くなった。悲しむよりも、もう私を縛る者が居なくなって、清々するかと思ったのにそうはならなかった」
「だから」
「そう、だから情人を選んだ」
両親の呪縛が無くならないままだったのだと彼は言う。
「君に交際を申し込むなど、出来なかった。同じことを繰り返すかもしれないと思った。だからどうしても、出来なかった」
「……俺が死ぬと?」
「彼を追い詰めたように、シオンを追い詰め、また私が殺すのかと思ったら……」
「やっと分かりました」
俺は彼の言葉を最後まで聞かずに切った。
彼はようやく顔を上げて俺を見た。酷い顔をしている。泣きそうな、悲しげな、追い詰められているのは彼の方だ。
「あんた、俺が怖くて逃げ出したのか」
「……それは」
「自分が思っている以上に、俺が好きだから逃げたんだ。あんた自身が、傷つきたくなかったから」
真っ直ぐ、彼の目を見つめて言う。
「言わなきゃ分かんないよ。俺だって言葉が足りないかもしれないけど、言ってくれなきゃ何も分からない」
「言いたくなかった。君を」
「怖がらせるって?ふざけんなよ。こちとら一年図太く異世界で生きてるようなやつだ。妹に二度と会えないのが分かってても自殺しないやつだぞ」
彼と話していると、本当にイライラする。何も分かってない彼にムカついている。
「あんたにフラれたくらいで死ぬわけないだろ!」
彼の目が大きく見開いて、微動だにしなかった。しばらく固まったままの彼を見た後に、ため息をついた。
「……私が、シオンをフる?」
「そういうことだろ? いつか自分が俺をフる立場になって、俺が死ぬかもしれないって怯えてんだろ?」
「……いや……や、そうかも、しれない」
「そうなんだよ! もう! 分かれよ!」
ベルンハルトは未だ困惑しているようだった。俺がキッパリ言うと、ようやく彼はストンと憑き物が落ちたような顔になった。
「じゃあ、あの時死んでいれば良かったとは……」
「あんたに会った事がムカついたからだ。こんなことになるくらいなら、会わなければ良かったって思ったからだ」
「……でも、私のことを恋人にしたいなんて思ってないと」
「今でもそう思ってますよ。こんな面倒臭いヘタレなやつなんか、こっちから願い下げだって思ってますよ」
そう言うと、彼は凄くショックな顔になった。俺は笑いそうになるのを必死に抑えた。ここで笑ったら、ぶち壊しだ。
「けどしょうがないでしょう。あんたがそんなに怖がるほど、俺のことが好きなら」
両親にも、桃にも、本当に好かれてるか、愛されているのか分からなかった。
ベルンハルトにこんな愛され方をされたって、俺だって分かるわけない。
けど、分かりたいと思う。
この自分の未だ彼を本当に好きか分からない気持ちも、いつか分かりたい。
出来れば、彼に応えたい。
彼なら、きっと俺を愛してくれる。
「シオン、好きだ。……一生を共にしたい」
「……重いな。 一生は分かんないですけど、一緒には居てあげますよ」
彼がようやく微笑んだ時に、俺もようやく胸が暖かくなった。
応援ありがとうございます!
10
お気に入りに追加
782
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる