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最終章
ムラサキシキブ【聡明】
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もうあの事件から3日目だ。客室用のベッドに横たわるテオはまだ目を覚ましていなかった。
テオが手首を切ったとわかった時、とにかく助けたくて冷静だった自分に感謝した。回復は集中しないと苦手だったからだ。
血を失いすぎて真っ青になっていた顔色は、少しずつ身体が血液を生成したのかほんのり良くなってきている。
テオの実家であるエンシーナ家にはすぐに連絡した。侯爵当主と夫人は今すぐにでも駆けつけたがっていたが、向こうではまた魔獣のスタンピードが発生していて、今すぐには難しいと言っていた。
2人とも、僕を責めるような先触れの返事ではなかった。
「テオ……!」
お願いだ。目を覚まして欲しい。手を握りながら願った。自分にとって、テオがどんなに大切か思い知らされた。
会ってまだそんなに経って居ないのに、自分は彼の第2の親だと思っていた。彼を育てることが楽しくて、成長を感じるのが嬉しくて。自分に子供が居たらこんな感じかと愛しく思った。
テオも自分に心を開いてくれていた。まるで刷り込みのようだったが、自分と話している時の目の輝きは何者にも変え難い宝石のように見えた。
そんなテオを、自分は追い詰めたのだ。手紙にはテオが偉ぶってないか確認した。勉強のことで分からないことはないか、困ってることはないか、テオならきっと大丈夫。頑張ってと書き記した。
そして、期待を込めてタマスダレの花を添えて一緒に渡してしまった。
彼がこれを受け取って、抱えながら自殺を決め込むほどプレッシャーを与えていたとは。自分の浮かれ具合に腹が立った。
「レイ……何か食べろ。今度はお前が倒れる」
傍にいたルークが、心配そうに僕の肩を抱きながら言う。僕は首を振った。お腹が空かないのだ。もう涙も枯れ果てたのに、ルークが水分を取れと言うまでなにも欲しいと思わない。
ただ、テオを追い詰めた自分が許せなくて、消えてなくなりたいとも思った。
「……レイ、俺は」
ルークがポツリと話し始めた。僕はルークの方に顔を向けた。
「テオが自殺したとは思わない」
あの状況を見て、なぜそう思うのか分からなかった。手首を切ったカミソリは近くに落ちていたし、他に暴れたような跡もなかった。
「…お前、テオに頼まれて学園に行ったって言ってたな」
「……行ったよ、何も、分からなかった」
「いや、分かっただろ。確かに魔力かあったんだろ」
何を言っているのか。あんな何にもならないような魔力の残骸のようなもの。
「なぁ、似てないか?」
ルークが何を言いたいのか分からなかった。不思議に思って見つめていた。
「王女の時と似てないか?」
ルークにそう言われ、考えを巡らせようとした時だった。
テオの手が、ピクリと動き出した。
「っ!テオ!」
テオはゆっくりと目を開けた。ボーッと天井を見上げたあと、ここがどこだか、なぜ僕たちがいるのか分からない様子だった。
「ここ、は……?」
「テオ!テオ!ごめんね!僕……!」
「なんで、レイ……泣いて、るの……?」
目を覚ましたばかりで、喉がカラカラなのか掠れた声でテオは一生懸命話をする。混乱していて覚えていないようだった。
「テオ、よく聞け」
「ルーク……?」
「お前は部屋で手首を切ってたんだ。それをレイが助けたんだ」
テオはまだ混乱している頭でルークの言葉を必死に考えているようだった。そして驚いたような顔に徐々に変わっていった。
「は……?なんの、冗談?」
「冗談でもなんでもない。お前は3日眠っていたんだ」
「俺が? なんで……?」
「テオ、どうしてやったか、覚えてないの……?」
僕が問うと、テオは頭が痛くなってきたようで手で抑えた。ルークは落ち着くようにテオの頭を撫でていた。
「……いや、覚えてる。俺、手首を切ったんだ」
「…どうして……っ、テストの点が少し悪かっただけだって!どうして!僕はそんなの……!」
「は?点数? なんの事?」
今度は全く身に覚えがなさそうだった。ルークはテオの頭を撫でながら続けた。
「魔法科のテストの点が悪かったと最近落ち込んでいたと、聞いたんだ」
「はぁ? 魔法科がいちばん簡単なのに……そんな訳ないだろ……っ」
声を出すと頭が痛いようで、テオは辛そうな表情をしながら訴えた。
だけど、あの時魔法科の先生は確かに言っていたのだ。自分のテストの点数が悪かったと。
「騎士と文官志望しか居ない、学園に……、基礎くらいしか教えない魔法のテスト、なんて……レイの問題の方がよっぽど難しいよ」
テオに言われて、ルークと顔を見合わせた。テオが嘘をついている様子は全くない。ということは自ずと答えは決まっている。
「テオ、手首を切ったのは覚えてんだな」
「覚えてる。なんで切ったのかは、分かんないけど」
「……テオ、誰かに会った?切る前に」
テオは思い出そうと考えているようだった。頭痛を抑えながら、必死に思い出しているようだった。
「テオ、つらいのにごめん……」
「なんでレイが謝ってんの。会ったよ、確か、アラン先生に」
「魔術師の格好した先生?」
「そうそう。学園では魔術師はあの人しかいないから、それがアラン先生だ」
何をしたのか、それでも分からない。魔力はほとんど感じなかったのだ。なにかしていれば、痕跡が残るはずなのに、テオには何も残っていなかった。
「……アラン先生が突然、寮の部屋に入って来たんだ。それで、俺レイのくれた手紙を読んでて…花の名前を聞かれたんだ」
「花?」
「ノア先生に教えて貰ったんだ。レイがくれたの、タマスダレって言うんだろ?」
「……それを言っただけか?」
ルークがテオに聞くと、テオは頷く。
「レイ、花に魔力はなかったのか」
「わ、分かんない……」
あの時は必死で、回復にしか集中していなかった。周囲のものを確認するなんてしていなかった。
「花の名前を言ったら、アラン先生に……そう。言われたんだ。いや、頭に流れたんだ」
「何が……」
「【期待】って、【君にとって、もっとも簡単な方法で自死することを期待している】って流れてきた」
「……それで、手首を……!」
ルークが言った、王女の侍女の時に似ていると。そう、それは痕跡がほとんど無くて、王女を怒らせないと分からないほどの微かな魔力。あんな小さな魔力で人を動かせて。
そして王女はあの時何を着ていた?
「ソフィア王女は……薔薇の刺繍のドレスだった……」
ノアが作った薔薇の刺繍のドレスをいつも着ていた。まさか、花が触媒になっているのか。そうだ。教室でも絵画に書かれていた多くは花の絵だった。
「……ノアが、危ない」
「レイ?」
「ノアが危ない!ノアに、僕が学園を調べたことをアランに伝えるように言わせたんだ!」
ルークに僕は詰め寄るように言った。魔法科の先生に、伝えといてくれと。
「ノアのところに、転移しなくちゃ」
「……レイ、待って。ノア先生はアラン先生と仲が良いことで有名なんだ」
テオはまだ頭痛がする頭を抑えているが、必死に伝えようとしてくれる。
「クラスの、女子が言ってた。アラン先生とノア先生の部屋には、いつも同じ花が飾ってあるって……」
動悸がする。あんなにヒントは沢山あったはずなのに、僕は全然気づかなかった。ノアが、僕の半身が、狙われていることに。僕はいつも気がつけない。
「ルーク、テオを頼む」
「ああ。気をつけて」
僕はルークの言葉に頷いて、魔法を行使した。ノアのところに、たどり着く為に。
いつの間に俺は、相談室に来たんだ。どうやってここまで来れたんだろうか。フラフラになりながら、アイリスとスイレンの目を盗んで、なぜ俺は来たくない場所に来ているのか。
いや、理由は分かっている。ここにくれば、きっと会える。それが分かっている。
テーブルに転がった桃の花は、一つだけ残っていた。
「ノア先生、来れたんですね。良かった……」
「っ!」
後ろから声をかけられ、ビクリと肩を揺らす。驚いたけど、声だけで腰にゾワリと疼くものを感じた。
「…っあ、ん……」
振り返って、姿を見た。男は穏やかに微笑んできた。腰を抱き寄せられ、流れる快感に身をよじった。
男は俺を連れて楽しそうにソファに座る。俺は男が座る膝の上に乗せられた。
「昨日の続きをしましょう」
男の言葉に背中がゾクゾクする感覚が、俺の心を蝕んでいるようだった。
テオが手首を切ったとわかった時、とにかく助けたくて冷静だった自分に感謝した。回復は集中しないと苦手だったからだ。
血を失いすぎて真っ青になっていた顔色は、少しずつ身体が血液を生成したのかほんのり良くなってきている。
テオの実家であるエンシーナ家にはすぐに連絡した。侯爵当主と夫人は今すぐにでも駆けつけたがっていたが、向こうではまた魔獣のスタンピードが発生していて、今すぐには難しいと言っていた。
2人とも、僕を責めるような先触れの返事ではなかった。
「テオ……!」
お願いだ。目を覚まして欲しい。手を握りながら願った。自分にとって、テオがどんなに大切か思い知らされた。
会ってまだそんなに経って居ないのに、自分は彼の第2の親だと思っていた。彼を育てることが楽しくて、成長を感じるのが嬉しくて。自分に子供が居たらこんな感じかと愛しく思った。
テオも自分に心を開いてくれていた。まるで刷り込みのようだったが、自分と話している時の目の輝きは何者にも変え難い宝石のように見えた。
そんなテオを、自分は追い詰めたのだ。手紙にはテオが偉ぶってないか確認した。勉強のことで分からないことはないか、困ってることはないか、テオならきっと大丈夫。頑張ってと書き記した。
そして、期待を込めてタマスダレの花を添えて一緒に渡してしまった。
彼がこれを受け取って、抱えながら自殺を決め込むほどプレッシャーを与えていたとは。自分の浮かれ具合に腹が立った。
「レイ……何か食べろ。今度はお前が倒れる」
傍にいたルークが、心配そうに僕の肩を抱きながら言う。僕は首を振った。お腹が空かないのだ。もう涙も枯れ果てたのに、ルークが水分を取れと言うまでなにも欲しいと思わない。
ただ、テオを追い詰めた自分が許せなくて、消えてなくなりたいとも思った。
「……レイ、俺は」
ルークがポツリと話し始めた。僕はルークの方に顔を向けた。
「テオが自殺したとは思わない」
あの状況を見て、なぜそう思うのか分からなかった。手首を切ったカミソリは近くに落ちていたし、他に暴れたような跡もなかった。
「…お前、テオに頼まれて学園に行ったって言ってたな」
「……行ったよ、何も、分からなかった」
「いや、分かっただろ。確かに魔力かあったんだろ」
何を言っているのか。あんな何にもならないような魔力の残骸のようなもの。
「なぁ、似てないか?」
ルークが何を言いたいのか分からなかった。不思議に思って見つめていた。
「王女の時と似てないか?」
ルークにそう言われ、考えを巡らせようとした時だった。
テオの手が、ピクリと動き出した。
「っ!テオ!」
テオはゆっくりと目を開けた。ボーッと天井を見上げたあと、ここがどこだか、なぜ僕たちがいるのか分からない様子だった。
「ここ、は……?」
「テオ!テオ!ごめんね!僕……!」
「なんで、レイ……泣いて、るの……?」
目を覚ましたばかりで、喉がカラカラなのか掠れた声でテオは一生懸命話をする。混乱していて覚えていないようだった。
「テオ、よく聞け」
「ルーク……?」
「お前は部屋で手首を切ってたんだ。それをレイが助けたんだ」
テオはまだ混乱している頭でルークの言葉を必死に考えているようだった。そして驚いたような顔に徐々に変わっていった。
「は……?なんの、冗談?」
「冗談でもなんでもない。お前は3日眠っていたんだ」
「俺が? なんで……?」
「テオ、どうしてやったか、覚えてないの……?」
僕が問うと、テオは頭が痛くなってきたようで手で抑えた。ルークは落ち着くようにテオの頭を撫でていた。
「……いや、覚えてる。俺、手首を切ったんだ」
「…どうして……っ、テストの点が少し悪かっただけだって!どうして!僕はそんなの……!」
「は?点数? なんの事?」
今度は全く身に覚えがなさそうだった。ルークはテオの頭を撫でながら続けた。
「魔法科のテストの点が悪かったと最近落ち込んでいたと、聞いたんだ」
「はぁ? 魔法科がいちばん簡単なのに……そんな訳ないだろ……っ」
声を出すと頭が痛いようで、テオは辛そうな表情をしながら訴えた。
だけど、あの時魔法科の先生は確かに言っていたのだ。自分のテストの点数が悪かったと。
「騎士と文官志望しか居ない、学園に……、基礎くらいしか教えない魔法のテスト、なんて……レイの問題の方がよっぽど難しいよ」
テオに言われて、ルークと顔を見合わせた。テオが嘘をついている様子は全くない。ということは自ずと答えは決まっている。
「テオ、手首を切ったのは覚えてんだな」
「覚えてる。なんで切ったのかは、分かんないけど」
「……テオ、誰かに会った?切る前に」
テオは思い出そうと考えているようだった。頭痛を抑えながら、必死に思い出しているようだった。
「テオ、つらいのにごめん……」
「なんでレイが謝ってんの。会ったよ、確か、アラン先生に」
「魔術師の格好した先生?」
「そうそう。学園では魔術師はあの人しかいないから、それがアラン先生だ」
何をしたのか、それでも分からない。魔力はほとんど感じなかったのだ。なにかしていれば、痕跡が残るはずなのに、テオには何も残っていなかった。
「……アラン先生が突然、寮の部屋に入って来たんだ。それで、俺レイのくれた手紙を読んでて…花の名前を聞かれたんだ」
「花?」
「ノア先生に教えて貰ったんだ。レイがくれたの、タマスダレって言うんだろ?」
「……それを言っただけか?」
ルークがテオに聞くと、テオは頷く。
「レイ、花に魔力はなかったのか」
「わ、分かんない……」
あの時は必死で、回復にしか集中していなかった。周囲のものを確認するなんてしていなかった。
「花の名前を言ったら、アラン先生に……そう。言われたんだ。いや、頭に流れたんだ」
「何が……」
「【期待】って、【君にとって、もっとも簡単な方法で自死することを期待している】って流れてきた」
「……それで、手首を……!」
ルークが言った、王女の侍女の時に似ていると。そう、それは痕跡がほとんど無くて、王女を怒らせないと分からないほどの微かな魔力。あんな小さな魔力で人を動かせて。
そして王女はあの時何を着ていた?
「ソフィア王女は……薔薇の刺繍のドレスだった……」
ノアが作った薔薇の刺繍のドレスをいつも着ていた。まさか、花が触媒になっているのか。そうだ。教室でも絵画に書かれていた多くは花の絵だった。
「……ノアが、危ない」
「レイ?」
「ノアが危ない!ノアに、僕が学園を調べたことをアランに伝えるように言わせたんだ!」
ルークに僕は詰め寄るように言った。魔法科の先生に、伝えといてくれと。
「ノアのところに、転移しなくちゃ」
「……レイ、待って。ノア先生はアラン先生と仲が良いことで有名なんだ」
テオはまだ頭痛がする頭を抑えているが、必死に伝えようとしてくれる。
「クラスの、女子が言ってた。アラン先生とノア先生の部屋には、いつも同じ花が飾ってあるって……」
動悸がする。あんなにヒントは沢山あったはずなのに、僕は全然気づかなかった。ノアが、僕の半身が、狙われていることに。僕はいつも気がつけない。
「ルーク、テオを頼む」
「ああ。気をつけて」
僕はルークの言葉に頷いて、魔法を行使した。ノアのところに、たどり着く為に。
いつの間に俺は、相談室に来たんだ。どうやってここまで来れたんだろうか。フラフラになりながら、アイリスとスイレンの目を盗んで、なぜ俺は来たくない場所に来ているのか。
いや、理由は分かっている。ここにくれば、きっと会える。それが分かっている。
テーブルに転がった桃の花は、一つだけ残っていた。
「ノア先生、来れたんですね。良かった……」
「っ!」
後ろから声をかけられ、ビクリと肩を揺らす。驚いたけど、声だけで腰にゾワリと疼くものを感じた。
「…っあ、ん……」
振り返って、姿を見た。男は穏やかに微笑んできた。腰を抱き寄せられ、流れる快感に身をよじった。
男は俺を連れて楽しそうにソファに座る。俺は男が座る膝の上に乗せられた。
「昨日の続きをしましょう」
男の言葉に背中がゾクゾクする感覚が、俺の心を蝕んでいるようだった。
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