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番外編

愛の言葉 side アドルフ ④

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  アドルフは結局ヴァレリの所に直接行って、この女誰だ!なんてことは言えなかった。そんな度胸、一欠片だってない。
  女性とだって仕事かもしれない。けれどドレスに身を包んだあの女性は美しく、気品に満ち溢れていた。まるで恋人同士のように微笑みあっていたし、遠目から見てもため息が出るほどお似合いだった。

  どうしたらいいのか分からなくなった。
  途端に足元の地面がガラガラと崩れ、深穴に落ちていくような感覚が襲ってくる。

  自分だって根負けして後輩とご飯に行ってしまったではないか。それも仕事は関係なく、ほぼプライベートみたいなものだ。そんな自分がヴァレリを責められるはずない。そんな資格何処にもない。

  そして、あの時ホテルに行かなかったら、自分はまだ幸せだったのに。

「うううう……お前のせいだからな。ほんと許さない。絶対許さないいいい……!」

「はいはい。そんな怖い顔しないでくださいよ。可愛い顔台無しですよー?」

「うるさいうるさい!可愛いとか言うな! どうせ俺は可愛くない!」

「そういうとこが可愛いんだけどなぁ?」

  カラン、と氷がグラスを奏でる音とジャズの音楽が耳に心地よく響いてくる。良い感じで酒が入っていることは分かっているが、もう止められなかった。

  ディナーの場所から移動して、もう一つ上の階にあるバーに入った。絶対に泊まりはしないと明言してから飲み始めた。なんならここの名義はアドルフだし、帰れなくなったら一人で泊まればいいのだ。そう思ったらどんどん酒が進む。

「……お客様、少しお水を飲まれませんか?」

  カウンターにいるマスターもアドルフのことを知っているようだった。というか、恐らく支配人が全スタッフに伝達していそうだ。

  でももうそんなことどうだっていい。

  ヴァレリがもしアドルフに飽きて女性に走るのなら、このホテルだってアドルフのものでは無くなるのだ。だからスタッフになんて思われたってどうでもいい。

「やだ」

「ははは。マスター、この人めちゃくちゃ可愛いくないですか? これで恋人いるんですよ? 奪いたくなりますよねぇ」

「……危ない橋は、あまりお勧め出来ません」

  言葉を選んでなんとか絞り出したような答えを言うマスターに、カインはくく、と笑う。凄く悪い顔だ。まるでヴァレリが若返ったような気がする。

  なんか覚えがある。こうやって、昔もバーで飲まされて、へべれけにされて、人間不信で人見知りの自分が信じられないほどペラペラと身の上話をして、そしてホテルに連れてかれた。

  そんな、ほとんど身体からの関係だったけれど、アドルフは大声で叫べるほどにこの七年間幸せだった。

「あー…結局、また女に取られるのか」

  あっけなかったな、と笑いながら自嘲する。七年なんて長いようで短かった。

  まだ望みは捨ててない。ただの未練じゃなくて?ヴァレリはゲイだ。女に興味ない。本当に?跡継ぎだって父の養子にすると言っていた。嘘じゃなくて?

  そんな風に自問自答してしまうほど、もう何を信じていいのか分からなかった。

「ええ? 先輩、恋人を女に取られたことあるんすか?」

「あるよ。いや、取られるというか、そもそもそいつは恋人でもなかったと思ってるかな…俺だけが、恋人と思ってた」

「へぇ、前の恋人はどんなやつ?」

  酒で緩くなった頭で俺はへらへらと笑いながら話し始めた。

「職場の上司らったよ。元々お貴族様で…なんだっけ、伯爵家との縁談がまとまって、そのまま俺とはしぜんしょーめつ」

「ふぅん。どこ?」

「さあ。どこかは気にしたことない。友達にも、『やり返したりなんかしない方がいいよ、貴族は平民より多分怖いから』って言われたから、俺は一切聞かなかったんらよ」

「伯爵家、ねぇ…その上司の名前教えてよ」

「なんれよ。聞いたってしょーがないだろー!」

  思い出したくもない、そういうが思いの外カインは真剣な目をしている。

「……俺さぁ、こういう時の勘、当たっちゃうんだよなぁ」

  あーあ……とため息ついてカインは落ち込んでいる。どうしてか分からず首を捻る。それでもジッとアドルフを見て知りたそうにしている。仕方なしにその元上司の名を言うことにした。

「オーランドらよ」

  するとカインは机にゴン、と突っ伏した。

「…………はああああぁ……マジか、マジかよ。信じらんねぇ、あー…俺本気だったのに、嘘だろ…」

「らに。らんらんだよ!」

「なんでもないっす。はぁ。マスター、水下さい。この人ちゃんと送り届けるんで」

  マスターに突然水を要求していたカイン。

「はい」

  しかし、水の入ったグラスは前からではなく、何故か後ろから現れた。

「随分楽しそうじゃねぇか。アドルフ?」

  振り返った先にいたのは、ヴァレリだった。

  時が止まった。いや、息が止まったのだ。一瞬肺に空気を送ることを忘れるほど驚き、そして次にムカムカと怒りが湧いてきた。

「うるへー! 美女と楽しそうに食事してたくせに!!」

「あー、はいはい。酔っ払いが。んで?君は?アドルフの何?」

  ポカポカと殴りながら叫ぶも、簡単にあしらわれ、水を押し付けられる。飲め、と言わんばかりに軽く睨まれて怯み、渋々水を飲み始めた。

  アドルフとカインの間に無理やり入ったヴァレリは、どんな顔をしているかアドルフに背中を向けているので分からない。けれどさっきまで余裕そうだったカインが「あー…」と逃げ腰になっている所を見るによっぽど凶悪な顔をしているのかもしれない。

「職場の後輩っす」

「へー、それだけでこんな何ヶ月も前から予約取らないと入れねぇホテルに来るわけねぇけどなぁ?」

「……いや、あー……」

  カインは暫く唸った後、ガシガシとセットされていた髪をぐしゃぐしゃにするほど掻きむしって「降参です」と手を挙げた。

「すみません、恋人いるってのに横恋慕してました。知ってたんすけど、どーにも隙だらけで可愛か…っと。はい、なんでもないっす」

  途中でカウンターをドン、とヴァレリが叩き、俺とカインはビクリと肩を震わせた。
  アドルフにようやく恐怖が訪れる。あれは確か、まだちゃんと好きって言ってもらってなかったにせよ、事実上付き合っていて、捨てられるのが怖かったアドルフが童貞狩りを再開しようとしていると知った時のヴァレリだ。

「人のモンに手ぇ出しちゃいけませんって、ガキでも知ってると思うけどなぁ?」

「あー、はい。身をもって実感しました! それに、この人、俺には絶対に靡かないって分かったんで諦めます!」

  慌ててカインが言うので、どんな心境の変化なのかとアドルフは首を傾げた。

「……お前、ハーヴェスト伯爵家か」

「そうっす。そしてアンタはコステリン商会長ですよね」

二人だけが分かりあっていてアドルフは一つも理解できない。どうしたらいいのか分からなかった。けれど二人はボソボソと相談しあい、終わったのかカインが立ち上がる。

「じゃ、アドルフ先輩。明日は休みですし、また来週会いましょ!二日酔いに気をつけてくださいねー!おやすみなさい!」

「……おぅ?」

  そう言い残してカインはブンブン手を振って帰って行った。

  その後ろ姿を暫くジッと見ていると、ヴァレリは急にアドルフの腰に手を入れて抱き上げた。文官でヒョロい小柄な方なアドルフと言えど、男である。それなのに、ヴァレリはものともせずヒョイ、と持ち上げられてしまい驚いてバタついた。

「にゃ、にゃに!にゃんで!」

「うっせー酔っ払い。酒クセェ。マスター、本当に酒薄めてくれたのかよ」

「なるべく薄めてました。けれどなんか聞いていたよりお酒が弱いようでしたよ。……後は多分、ショックだったのでは?」

「……それ言われたら何も言えねぇな。じゃ、お疲れ様」

「はい。おやすみなさいませ」

  ヴァレリとマスターのやり取りをボーッと聞いて居るうちに、お酒のせいで眠気が脳を襲ってきた。

  恋人に抱きつくと首筋の匂いがした。安心する。キツくない甘やかでそれでいて落ち着く香水の香りが鼻腔を擽る。ヴァレリが帰ってきたのだと、全身が喜んでいるのが分かる。

  彼がこんなふうに自分を変えたのに、彼が自分を置いていくかもしれないと思うと涙が勝手に頬を伝う。そしていつの間にか意識は途切れていたのだった。


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