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番外編
シュリ=エルネストの後悔①
しおりを挟む「あれ?ヴァレリの恋人は帰ってしまったか?」
アドルフが帰った後も少しゆっくりして窓の外を見ていると、そんな声が聞こえてきて振り返る。
振り返った先にいたのは、声の主であり、この家の主であるメア=エルネストであった。
「お帰りなさい、メア。アドルフはもう帰ってしまいましたよ」
「ただいま、シュリ。残念だ。まだ私は会ったことがなかったから」
「泊まっていくことも提案したんですけどね」
アドルフはヴァレリと付き合って五年。アドルフから『ヴァレリと別れないためにはどうすればいい?』なんて、シュリがかわいらしい相談を受けたのは1ヶ月ほど前のことである。
アドルフは過去、手痛い恋愛をした。
職場の上司に酔った勢いで抱かれてしまい、なあなあで付き合い始めた。最初は上司の方が強引に誘っていたようだが、徐々にアドルフの方がのめり込んでいってしまった。そして最悪なことに、上司が伯爵家の娘との結婚によりアドルフは捨てられた。
そんな深い傷を負ったアドルフが、五年かけて前を向いた。
別れないために、なんて一見後ろ向きなことを言うが、アドルフにとったらきっと二人の未来を考えているからこそだ。
「童貞ばかり手を出していた彼だろう?」
「…アドルフの黒歴史だと思うんで、初対面のメアは本人の前で言っちゃダメですよ」
言わない言わない、とメアはシュリに微笑んだ。
メアは相変わらず、神の如き微笑みを携えている。結婚から五年たった現在もだ。
美人は三日で飽きるとはよく言ったものだが、シュリにしてみればそんなもの鼻で笑えるというものだ。この五年、全く飽きないし、むしろずっと見ていたいとすら思う。
五年ほど前、シュリはメアと出会った。夜会か何かでメアがリリー子爵令嬢とクリステン殿下に婚約破棄をされていたところをシュリは出くわした。
後日、『女性はもう懲り懲りだ』と言い放ったメアは女性男性問わず、婚約者を募ったらしい。一応女性は募ったが、両親以外の周囲の人間が煩わしかったからだと言っていた。メアはもうこの時、男性ばかり見ていたそうだ。
体の関係なしに、契約結婚で構わないとすら考えていたと言う。
そんな中、リリーが乱入してきた。リリーは婚約破棄した側なのに、婚約破棄されたことに納得していなかったのだ。思えばリリーは、ハーレムか何かを作りたかったのだろうか。
そして、リリーは騒ぎ立て、たまたま隣に立っていたシュリに、暴言と強く骨が軋むほどの握力で腕を握り締められ、シュリの欠点が顔を出してしまった。
シュリの欠点は、自分でいうのも何だが、たった一つだと自負している。
口調荒く、早口で捲し立て、相手を詰り、そして。手癖が悪くなる。
アドルフが童貞を食い荒らしていたことが黒歴史ならば、シュリはこの悪癖が黒歴史である。
最近は、パーティーに参加するたびに周囲の人間から期待の眼差しを向けられている気がする。貴族は面白いものが大好きで、シュリはその面白いものと認定されてしまったようなのだ。
シュリはこの悪癖を二年前に封印した。
最後にやったのは、すっかり姿形の変わってしまったリリーに対してだ。
その時に「逆上の公爵夫人」なんて不名誉なあだ名をつけられてしまった。あの日、メアはおよそ三年ぶりに見たシュリの悪癖を本当に嬉しそうにキラキラとした瞳で見つめていた。夫が嬉しそうにしてくれるのはとても嬉しいが、そういうことで喜んでもらうのはあれっきりにしたいと思って封印したのだ。
まぁ、封印した、というよりは、それ以降は事件も何も起きなかったのだが。
毎日がとても平穏で、シュリはとても心穏やかに過ごすことができている。
メアの領地視察に同行したり、パーティーやお茶会に出席したりと、たまにあるイベントでもゆったりと過ごすことができている。
しかし、パーティーの度に貴族たちからワクワクと言った瞳でチラチラ見られるのは解せない。
「そうそう。実は今度、ヴァレリが新しいホテルをオープンするんだ」
思い出したかのように、メアは話を切り出した。アドルフは何も言っていなかったので目を何度か瞬きした。
「え?そうなんですか?それはおめでた…まさか」
「はは、そのまさかだ。またお呼ばれしているんだよ」
「うぐ」
シュリの黒歴史は、何度かある。
その内の一つが、ヴァレリのホテルオープン記念のパーティーだ。どこぞの伯爵閣下に色目を使ってきたと見当違いなことを言われて、シュリはついキレてしまった。
そのことを一瞬で思い出し、シュリは『行きたくない』という言葉を一生懸命飲み込んだ。
「メアがいくなら僕も行かなくてはならないですね…」
「そうだね。シュリと行くのがとても楽しみだ」
「あああ…」
手で顔を覆いながら絶望しかける。しかし、ニッコリと微笑まれれば、シュリに行かないという選択肢は無い。
シュリにとってはこの神の如き頬笑みに抵抗できるはずもない。
それに、都合よくあの黒歴史が繰り返されるわけもないのだから。
そうして一ヶ月ほどが経った。
前回のホテルとは違ったテイストで、リゾート風の高級感あるホテルだった。
ロビー中央に上から流れる滝のような噴水と、草木が至る所に配置され、まるで南国に来たかのような錯覚を起こさせる。
入ってすぐに、見知った顔が受付の近くにいることに気がつく。
「あ、シュリ…っと、公爵夫人。本日はご足労頂いてとても嬉しいです」
「こちらこそお招きいただきありがとうございます。って、やめてよアドルフ」
ホテルの受付付近に立っていたのはアドルフだった。
公爵夫人なんて友人に呼ばれるのは何となく気恥しいものがある。
アドルフ自身は結婚していないので、夫人としての役割というよりはスタッフとしての立ち位置だそうだ。
なので別に招待客全員に挨拶する必要もないわけだ。事情を知る数人としか挨拶するつもりはないらしい。
「君がヴァレリの恋人か?」
「あ、えと…はい」
「メア、アドルフは人見知りだからズイズイ行っちゃダメですよ。アドルフ。こちらはメア=エルネスト。僕の旦那様です」
「は、初めまして…アドルフで、シュリの元同僚です」
アドルフは人見知りを発揮しながらも、シュリがいることでなんとか逃げずに挨拶をする。
「初めまして。ようやくお目通りが叶ったよ」
「メアはアドルフとずっと会いたかったみたいなんだ」
「俺も、シュリの旦那さんは見たかったから……」
アドルフがメアに興味を持っていたことに少しだけ驚き、キョトンとしてしまった。
人見知りのアドルフは誰かと会いたいとかそういうことは今まで聞いたことがなかった。
「え、なになに。どうして?」
「どうしてって…」
「よぉ、来てたのか。メア、それとシュリも」
アドルフがなにか言いかけていた時に後ろから声をかけてきたのはこのホテルのオーナーであるヴァレリだった。
ヴァレリはアドルフの横に立つと、「ここの人員はもう足りてるから、中に入って食事しても良いぞ」と声をかけ、「……スタッフが食事してたら変だろーが」とアドルフは小声で馬鹿、と言う。
ヴァレリが耳の近くで囁いたせいか、アドルフの顔がほんの少し朱に染まっていた。
「……いや、驚いた。ヴァレリも恋人の前だとあんな顔をするんだな」
「ほんとですねぇ…アドルフも全然違う」
ヴァレリはとても優しく穏やかで、それでいて柔らかな光を感じさせる微笑みで。アドルフはそんなヴァレリを見て恥ずかしそうに、でも嬉しそうに享受する。
どこからどう見ても、幸せそうなカップルだった。
「そりゃ恋人には違う顔するだろ。なんならここでキスするか?」
「しない!」
ヴァレリの冗談に、カッと顔を真っ赤にしたアドルフが胸を叩いて抗議している。
いやはや、あの童貞を食い荒らしていたアドルフとは思えない程の甘やかな雰囲気に、なんとなくジーンとシュリの胸が熱くなりそうだった。
「もう…! 変な事言うな!シュリ!行くぞ!」
「うぇ?! アドルフ?!」
恥ずかしくなったのか、シュリの腕を掴んで奥の部屋へアドルフは歩き出してしまった。
つまりメアとヴァレリは置いていってしまっているのだが、まぁ二人も友人同士積もる話もあるだろうからと、シュリはそのままズルズル引きずられることにしたのだった。
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