【完結】婚約破棄された公爵閣下を幸せにします

七咲陸

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番外編

アドルフの悲劇①

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  目の前の事実が、アドルフには信じられなくて息が止まりそうだった。
  いや、実際少しの間止まっていたように思う。

  そもそもアドルフにとってこの光景自体は珍しいものでは無い。
  気持ちいい事が好きだし、気持ちよくさせる事も好きだ。

  だから、アドルフとその隣に一夜限りのベッドで裸であるこの光景は珍しくもない。

  アドルフはよくよくと童貞を選ぶ。
  童貞は大抵初めての行為に興奮して何発かしてくるし、獣のように荒々しいことがある。それを制御してアドルフの思う通りにできるのも楽しい。初めてを自分の色に染めてやったという事実も、アドルフにとって興奮させる材料の一つだった。

  童貞を選ぶ理由はそれだけでは無い。

  アドルフは過去のトラウマがあって、手馴れてる男は苦手だった。

  けれど目の前にいる男は、どう見ても手馴れていた。
  そう、このアドルフの横で裸で眠っているこの男、

  ヴァレリはアドルフの最も苦手とする男であった。


  事の発端は、数時間前に及ぶ。


「あ、アドルフ…! やっと見つけた!」


  げ、と思わず声を出しそうになった。アドルフはチビチビと行きつけの店のカウンターでお酒を嗜んでいた。
  ついでに、好みの童貞が居たらラッキーだな、くらいには考えていた。

 しかし話しかけてきた男は、つい一ヶ月くらい前に見覚えのある男だった。

「なんだよ…」

「なんだよって、酷いな。あんなに愛し合ったのに」


  そう。一か月前、彼は童貞だった。
  アドルフは遠慮なく食ったし、むしろ食い荒らしたと言っても過言ではない程には、アドルフの持つ性技の限りを尽くしてやった。

  こういう言い方をしてくるということは、この男はアドルフを忘れられなかったということは間違いない。


「あれは、あの日だけだって約束だろ? 次は好きなやつをちゃんと探すって約束だったはずだ」

「そ、そうだけど……」


  カラ…とグラスを傾けた時になる氷の音が響く。

  童貞が自信をつけるのは嬉しい。
  この男のようにアドルフとあわよくばもう一度関係を持ちたい、という男もいる。

  けれどアドルフで自信がついて彼氏を作るなり、違う男と寝ることが出来たと報告を受けた時が一番ゾクゾクする。
  最初にこの男を育てたのが自分なのだと実感するとたまらなく興奮する。

  だから目の前の男も是非、アドルフではない違う男に目を向けて欲しい。その方がアドルフにとっても喜ばしいし、男にとっても有意義な時間になる訳だ。


「んじゃ、そうしてくれ。大丈夫だって。お前ちゃんとイイ男だったぜ?」


  童貞を卒業した時に必ず言ってあげる言葉だった。男は一か月前に同じことを言われたのを思い出したのか、グッ、と喉を詰まらせていた。

  アドルフが馬鹿にしてないことはきっと分かっている。こうやって肯定して自信を付けさせることが大切なのだ。


「けど、俺は……アドルフが」

「そういうのはナシって言っただろ?約束は守れよ。嫌われるぜ?」

「……それは」


  アドルフとのワンナイトが良すぎて忘れられない童貞は少なくない。それもそのはず。そうなるように尽くして尽くして尽くしまくるからだ。
  多分他の男と一度寝たら驚く。アドルフのように甲斐甲斐しく尽くさないのが普通である。

  それでも大抵は、これが普通なのだ、と直ぐに現実を見てくれるのでこんな問題はなかなか起きない。
  けど今日の男は違ったようだった。

  カウンターの向こうにいるマスターは明らかにアドルフを見て「またか…」と言う顔をしている。この店のマスターはアドルフが童貞喰いしていることを知っているし、何なら食い過ぎてそろそろ止めとけと言われている。こんな勘違いをする男がこうやって現れることが多々あるからだ。


「アドルフが二度同じ男と寝ないのはわかってる!でも…」

「でもも何もない。呑むだけなら一緒に呑んでやるか」


  ら、の口の形で止まった。ふと、男とアドルフの間に人影が入り込んだからだった。


「へぇ、なら俺も一緒に呑んでもいいか?」


  以前見覚えがある男だった。スラっとしているのに肩幅は広く、着痩せしていそうな胸板の厚さを感じさせる。顔も美形で、こんなとこにいるよりも普通のバーに行った方が物凄くモテるのではないかと思ってしまう。

  アドルフがいるのは、男が男の出会いを求めるようなバーだ。前回も思ったが、彼はどうしてこんな場所にいるのか。

  そういえば、彼、ヴァレリはここのオーナーだと言っていた。


「ヴァレリさん…」

「よぉ、久しぶりだなアドルフ」


  ヴァレリが現れたことで男はジリジリと下がり始める。そりゃそうだ。狙ってたはずのやつが自分よりも明らかに美形に迫られていたら腰が引けるだろう。


「んで?一緒に飲むか?」

「い、いえ!帰ります…!」

  そう言って、男は何も呑まずにバーを慌てて出ていった。
  童貞を脱出したとしても、人間、元の性格はどうにも成らないものである。あの男は少し小物感があった。

  ヴァレリはつまらなそうに、「帰っちまうのか」とボヤいている。さすが、国一番の商会トップは貴族と渡り歩いているだけあって、度胸もコミュニケーション能力も段違いである。

  とはいえ、感心している場合ではない。アドルフはヴァレリの機転で助かったわけだ。たまたまの気まぐれだとしても助かったのだ。礼の一つや二つ、言うのが当然である。


「助かりました。ありがとうございます」

「いえいえ、どういたしまして。アドルフはいつもここで呑んでるのか?」


  ヴァレリはそう言って、カウンターにいるマスターに酒を頼み始めた。アドルフはもう隣に座ってもらうしかなかった。恩人を追い返すわけにいかない。今日は童貞漁りを諦めるしかなさそうだ。


「まぁ、大抵は。いつもってほどじゃないですけどね」

「この辺で一番雰囲気いいしな。価格も抑えてあるし」

「…自分の店でしたよね?」


  ヴァレリは何店舗も経営しているオーナーでもある。その内の一店舗がここであることは、前にシュリと一緒に呑んでいた時に教えてもらった。
  ヴァレリはそれには応えず、話題を切り替えた。


「そういや、  シュリがどうなったか聞いたか?」

「シュリから連絡があったので聞きましたよ。何でも、やっぱりメア様と結婚することになったからそのまま寿退職になるって」

「だよなぁ。面白かったよ、あのメアが頭抱えてたからな。『勘違いとはいえ、他の人と結婚するのにシュリを抱こうとする最低な男に思われていたのがショックだった…』ってな」


  ヴァレリの言葉に苦笑するしかなかった。

  シュリは友人として良い奴ではある。決してシュリもアドルフもお互いのことをお互いタイプとは思っていない。
  ただし、お互いの性癖は筒抜け状態であった。同じところで狩ってたらそうなるのは必然である。
  特にアドルフなぞシュリにバレまくっていて、少し呆れられていた。
  童貞をひたすら食い漁ってる男なんて、アドルフだったらとっくに友人を辞めているかも知れない。

  一方、シュリの方は可愛らしい顔に見えて、かなりお堅いところがある。
  タイプの男がいても、付き合わなければ一切手を出さない。もちろんアピールくらいはしているのだが、その男に妻子はもちろん、恋人、好きな人がいるとすぐに引っ込む。
  争いは好まないんだそうだ。


「シュリは普段そんなことしないんですけどね。よっぽどメア様が好きだったんじゃないでしょうか」

「それは良く良くと伝わった。明らかに目が違ったからな。それより…」

「何ですか?」

「マスター、彼に同じの」


  ヴァレリはアドルフのグラスが空になっているのを見て、カウンター越しにいるマスターへ頼む。
  今日はもう童貞も捕まらないだろうし、さっきの男のせいで興醒めしていた。これを呑んだら帰ろうと思っていたのだが、ヴァレリに勝手に注文されてしまっては帰りにくい。

  アドルフは基本的にコミュ障である。社会人になって、何とかこうやって普通に返答できるようになっていったが、元々は少し人が苦手だ。ヴァレリと普通に会話できているのはとても珍しいことであり、おそらくヴァレリの雰囲気がそうさせてくる。


「もう一杯くらい付き合ってくれるか?」

「頼んだ後じゃないですか…」


  はにかんだ顔は、実際の年齢と思われるものより幼く見えた。その顔が、どうにも童貞を捨てる前の男たちの顔とダブり、楽しくなってきてしまったアドルフ。

  いつもなら酔わない酒も、なぜか回りが早い。別に変な薬を入れられているわけでもないし、どうしてなのか。
  ぐわんぐわんと世界が揺れている。いや、自分の体が芯を無くしたように揺れているのだ。


「ちょっと、オーナー。呑ませすぎじゃないですか?普段この子そんな呑まないですよ」

「…慣れてんのかと思って呑ませすぎたな。ま、いいや。マスターには迷惑かけねぇから」

「全く…まーその子、ちょっと遊びすぎてましたからちょうど良かったです。さっきの男じゃなくても色んな男が探し回ってて、職場まで行こうとしていたのを止めたくらいなんで。オーナーの気に入りってことで触れ回っときますよ」

「頼むわ。多分こいつは俺に囲……遊び……らな」


  ヴァレリの声がどんどん遠くなっていく。アドルフは気付けばヴァレリの肩に寄りかかっていた。そんな失態、いつぶりだろうか。確かあれは。

  ゆっくりと意識を下降させ、ゆらゆらと夢現に身を委ねていった。
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