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12、シュリ=セレットの沸点
しおりを挟むそして立食パーティー中は壁の花とはなれないのはなんとなく予想していた。
公爵家次期当主で人当たりの良いメアが目立たないわけがない。
シュリはたまにメアが何を話しているのかわからない内容だったりするので、愛想笑いで誤魔化すしかできなかった。
「大丈夫?シュリ。疲れてない?」
「大丈夫ですよ。メアこそ疲れてませんか?ずっと話してますし」
「私は平気だよ、食事もほとんど食べてないし、何か食べようか」
二人でオードブルが置いてあるテーブルまでいき、お皿を持っていろんな料理に舌鼓を打つことにした。
メアの家の料理も美味しいが、ホテルの料理も美味しくて勝手に笑みが溢れる。
そんなシュリを見てメアがニコニコとしていることに気づいて、ちょっと恥ずかしくなる。
「メア=エルネスト殿、お久しぶりです」
ほんわかした雰囲気に割って入るように来たのは、恰幅の良い壮年の男性だった。
シュリの記憶が正しければ、シュリと同じ伯爵家の当主だったはずだ。
有力者ばかりだし、公爵家次期当主であるメアと話しておきたい気持ちもわかるので、シュリは邪魔しないようにまたメアの隣の花のようにニコニコと立つことに決める。
「ああ、伯爵お久しぶりですね」
「覚えてくださっていましたか、いやはや…この度は婚約おめでとうございます」
何となくシュリを見る目が蔑んでいるように見える。
この男よりも格下の伯爵家三男だし、仕方ないかとシュリは思うことにした。
「あの婚約者探しのパーティーには私の娘も出席していたんですがね…残念です」
「こればかりは縁ですよ。私より良い人がきっとすぐ見つかります」
メアはそういうが、メア以上の優良物件なぞ早々見つかるはずがない。
容姿端麗で体格も良く、健康。公爵家次期当主で陛下の覚えもよく、領地経営の手腕も良いから資産もかなりのものだ。
メア以上となるには王族しかありえないと言っても過言ではない。
「しかし…招待状に男性可と記載はありましたが…本当に男性をお選びになられるとは。後継はどうされるおつもりで?」
「そこはおいおい。親戚という手もありますし、養子を取るかもしれません」
「そうですかそうですか…。ならば第二夫人というのはいかがですかな?」
あろうことか婚約者であるシュリの目の前で言い放つ。
シュリを目の敵にしているのはなんとなく伝わっていたが、まさか目の前で言われるとは思ってもみなかった。
「そういうのは考えておりませんので。私はそんなに器用な方でもありませんし」
「いやいや、ご寵愛されるのはもちろんそこにおられる婚約者殿で良いんですよ。ただやはり直系の後継が必要でしょう」
メアは笑顔を絶やさずに伯爵家当主を相手に引かない様子を見せる。
メアの性格からしてシュリの目の前で傷つくようなことは流石に言ってこないだろうなと思った。
王太子以外は一夫一妻が法律で定められているし、この男が言っているのは愛人ということだ。
だがメアにとっても、シュリにとっても、悪い話ではない。
メアは何度も言うように次期公爵家当主であり、後継を産むことも立派な当主としての役割だ。
シュリを選ぶということは、その大切な役割を放り出すことになってしまうし、シュリとしてもそこは心が痛む。
だから愛人側が了承をしてくれるのならば、シュリとしてもメアが愛人を作ることを止めることはない。
「今すぐでなくとも良いのですよ。やはり必要だと思った際はぜひ私の言葉を思い出してくださると嬉しいですね」
「はは、そんな未来は来ないと思いますが」
すると、パリン!と何かガラスのような物が割れる高い音が会場に響き渡った。
シュリもメアも会場にいる誰もが音がする方を一斉に見る。
運の悪いことに、それは目の前にいる伯爵の背後にいたスタッフがぶつかってしまったようだった。
「おい!何をするんだ!お前!この服が一体いくらすると思ってるんだ!」
「も、申し訳ありません…!」
先ほどまでメアと話していた伯爵の笑顔は何処へやら。ホテルスタッフに怒鳴り散らし始めた。
「伯爵、いかがされましたか?」
さっと現れたのはこのホテルの責任者でありメアの友人のヴァレリだった。
伯爵はヴァレリが現れても怒りをそのままに怒鳴っているようだった。
「このスタッフが私の服にシャンパンをかけてきたのです!信じられん!」
「それは大変申し訳ありませんでした。すぐに新しいお召し物とクリーニング代をお支払いさせていただきます」
「そんなことで怒りが収まるとでも!?」
シャンパンと言っても白いシャンパンしか会場にはなく、濡れているだけで汚れているようには見えない。
濡れているのもスラックス部分に少しだけだ。
しかし伯爵はぶつかったことに対してイライラしているようだった。
「伯爵、ここはヴァレリと私の顔に免じて収めてはいただけないでしょうか?」
「ほう。メア殿がそうおっしゃるのならば考えないこともないですな」
「…と言うのは?」
メアがヴァレリの助け舟を出すと、伯爵はこれ見よがしにメアに提案を持ちかける。
「そこの婚約者と私の娘を交換していただくのはどうでしょうか?」
「伯爵。それとこれとは話が違います。伯爵のズボンが濡れてしまったことと私の婚約者は関係ありません」
「関係なくはない。私のことをこの男がよくよく見てくるもので私も困っていたのですから」
シュリは意味がわからなくてむしろ伯爵を見てしまった。
伯爵はおそらく、シュリが伯爵に色目を使ったとでも言いたそうにしているのだ。
メアは意味が分かったようで、珍しく怒りを露わにしているようだった。
「伯爵。シュリは私の婚約者です。それ以上の侮辱は私への侮辱と捉えさせていただきます」
「い、いやいや!本当です!おいお前!そうだろう?!私に気があるんだろう!?」
「わ!」
そしてシュリはまたしても腕を掴まれ伯爵の方へ引き寄せられる。
リリーの時とは違い、掴む腕力も強く、引き寄せる力も強い。そして油断していたせいで転びそうになってしまった。
「な、何するんですか…っ」
「セレット家の伯爵如きが…!私に色目を使ってくるなど許されるものではないな!」
「伯爵!シュリを離してください!」
メアが伯爵に怒りを見せても伯爵はシュリの腕を離さない。
しかもリリーの時よりも早いペースでミシ…っという音を立てる。痛みに顔を歪めても、伯爵の手は力を緩めなかった。
ヴァレリは慌てて止めようと手を伸ばし、メアもシュリの腕を掴む伯爵の腕に手を伸ばそうとしていた。
「伯爵、おやめ下さい!このような場所で騒ぎを起こされては困ります!」
「うるさい!大体この男がいるせいで私の娘が婚約者に選ばれんかったのだ!メア殿も見る目がないようだ!リリー子爵令嬢を選んだときもそうだったが、やはりこんな男を選んでる時点でエルネスト家自体見る目がないようなものだ!」
シュリの頭の中で沸点が通り過ぎたのを感じた。
「うるせーのはそっちだよ豚が」
伯爵は掴んでる腕の先から静かな暗く重い声が聞こえてきて動きを止めた。
そして助けようとしていたメアもヴァレリも動きを止めた。
「ぶ、豚…?」
「豚に豚って言って何が悪いんだよ、あ?さっきからごちゃごちゃうっせぇんだよ」
メアの瞳は爛々に輝き出す。
ヴァレリも周りの人々も先ほどまで大人しく穏やかにニコニコとしていたシュリの様子が変わったことに呆然としていた。
「お前みたいなブッサイクな豚が飼ってる女をメアが選ぶはずねーだろ!シャンパンかけられたぐれーでギャアギャア喚き散らして養豚場みたいな声出してんじゃねぇよ!これだったら豚の娘よりブスのリリーの方が百倍マシだ!大体豚になんで僕が色目使わなきゃなんねぇんだよ!ふざけてんのか、ああ?!」
伯爵は掴んでいる腕をスル…と離す。
先ほどまで大人しくニコニコとしてなんら反抗心のカケラも無さそうだったシュリの口から、罵詈雑言が次々と出てくることに怒りが込み上げるよりも先に驚いてしまっているようだった。
「分かったら養豚場に帰れ!この豚が!」
シュリはドアの方を指差して、豚へ言い放ったのだった。
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