彼に囲われるまでの一部始終

七咲陸

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士郎×雪夜

仕事

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  付き合って一年。ストーカー事件からは半年。僕は士郎が買ったマンションに居を構えていた。
  まさか一年も続くと思っていなかった。同性同士はなかなか続かないことが多くて、別れたりくっついたりが多いのだが、士郎とは今も続いている。

  あのカフェのバイトはストーカーの件があって辞めた。士郎に働くならばあのカフェは辞めて欲しいと懇願された。あの時ストーカーはナイフを持ち出していたし、刺されていたらと考えると怖かったので士郎の考えに同意した。
  せっかくだし、本格的に就職活動しようかなと士郎に言うと、「それでも構わないけれど、必ずここから通える範囲にしてくれ。あと、残業は無しだ」と強くいわれてしまう。心配してくれているのは有難いけれど、残業だらけのブラック職業である医者に言われると苦笑するしかなかった。

  結局僕はどうしたかというとまたカフェで働きだした。今度はおしゃれなカフェというよりは雰囲気のある、常連ばかりが来るようなカフェにすると士郎は安心してくれた。今はバイトだが、もう少し経ったら普通に従業員になって欲しいと言われている。店員はマスターと僕の二人だけだし、マスターも常連さんも良い人ばかりなのでこのまま正社員になっても良いかなとは思っているけれど、まだ少し保留にしている。

  だって、もしかしたら士郎とはそのうち別れるかもしれないのだ。大病院の一人息子とずっとこのままという訳にはいかないというのはちゃんと理解している。士郎もこのカフェをすっかり気に入って常連になっているし、僕と別れた後に行きにくくなってしまって常連が一人減ったらマスターに申し訳ない。だとしたら僕の方が居なくなった方が損をしなくて済む。
 結局、僕の就職は二の足を踏んでいるという訳だ。

「おはようございます」
「おはよう、雪夜君。今朝もやられた?」
「はは…まぁ今日は短くて助かりました」

  マスターは勘が鋭い。僕が士郎の母、玲香に拒絶された時に何かあったのかと気づかれ、それから度々こうやって心配してくれる。僕がたまに玲香との電話で遅刻していることも黙認してくれていた。

「士郎君の方は全く母親に依存してないのに、怖いねぇ。恋愛くらい、当人の好きにさせてあげればいいのになぁ」
「仕方ないですよ。士郎も僕も男なので」

  マスターと話しながらエプロンを付ける。カウンターやテーブルを拭いて、昨日帰る前にもやったテーブルの上の小物の整理をもう一度確認した。

「そんな雪夜君の今日の賄いはオムカレーにしよう」
「やったー!マスターのオムカレー好きです」

  マスターの労いに本気で嬉しく、ありがとうございますと感謝した。ただこうやって聞いてくれるだけが、こんなにも心を軽くしてくれる。マスターはそうやって常連の心をつかんでいくのだ。見習いたい。

「さ。開店にしようか」
「はい」

  そして僕は扉を開けて、外にあるCLOSEの文字がある板をOPENに反転させた。



「おい士郎!今日は早く帰りたいってなんだよ。恋人でもできたのか?」

  白い巨塔の一角の廊下を歩いていると、同僚である理人が話しかけてきた。理人は学生時代からの同期で同じ心臓外科医だ。気の置けない仲である理人は仕事上とても頼りになり、プライベートの話もしばしばすることがある。

  ニヤニヤとしながら肘で小突いてくる理人は嫌味でもなく、ただ単に気になっているだけだ。

「ああ」
「えっ、マジで?あれ?お前別れてなかったっけ。母親から勝手に紹介されて勝手に恋人になってた女」
「いつの話だ。あんなの一年前に向こうが勝手に別れ話を持ち掛けてきた」
「もうそんなに経ったか。てか勝手に別れ話って。お前別れるように仕向けるために男あてがってただろーが」
「どうでもいいな」

  理人には前の恋人のことは全て話してあった。
  いや、自分にとってはあんなのは恋人でもなんでもないと思っている。家に帰ったら母親が連れてきて、勝手に付き合うことになっていた。その訳の分からない状況が気持ち悪いのと鬱陶しくて煩わしかったので、すぐに後輩の独身の医者に声をかけて一緒に食事をした。俺がそっけなくしていると、女の気持ちはその後輩の医者に向かっていき、雪夜の働いていたカフェで別れ話をされたのだ。

「で?新しい恋人はいつから?」

  廊下を渡り切り、二人でスタッフステーションに入る。看護師と医者、薬剤師やらたくさんのスタッフたちがいてざわついていたはずが、急に皆ピタリと動きが止まりシンとなる。

「もう一年経つ。今日は一年記念日なんだ。だから絶対定時で上がる」

  どしゃあああ、と看護師の何人かが膝を折って床に倒れた。
  聞いてきた理人も目を丸くして驚いていた。自分でもなんとなく口端が自然と上がっているのが分かるからだ。仏頂面だ、ロボットだといわれる自分が、雪夜のことを考えただけでこんな風に変われる。

「…おお、お前…いつも全然笑わないくせに。すげぇ良い顔するな。一年も隠してたのかよ。よっぽどいい女なんだな…」
「そうだな。綺麗で可愛くて優しくて、家庭的だ。自慢したいが見せびらかす趣味はないからな」
「非の打ちどころもない。おーい、みんな。死ぬな。聞いた俺が悪かったよ…」

  倒れてズーンと落ち込んでいるステーション内の空気に理人が謝った。看護師たちはブツブツと『玉の輿が…』『私マジで狙ってたのに…』『うそだ…嘘。信じたくない…』と患者たちよりも病人のような表情でスタッフステーションを出ていく姿が見えた。

「なんで一年も話してくれなかったんだよ」
「さっきも言ったが見せびらかす趣味はない。お前に言ったら会わせろの一点張りだろう」
「…否定できないな。今度会わせてくれ」

  理人の言葉に気が向いたらな、と返事をする。当然会わせるつもりはない。理人は友人としては良い奴だが、恋愛関係に関しては手が早く、見た目が良い女には見境はない。雪夜は決して女性的という訳ではないが、中性的な外見をしている。男にしては可愛く、綺麗な細身の彼をつまみ食いしたいと思うかもしれない。
  もちろん俺との友情の方をとってくれるとは思うが、心の中で雪夜をつまみ食いされるだけでも嫌なので理人に会わせるのはおそらく当分先だろうと思う。

「しかし、大病院の御曹司の心を射止めるとは。どんな美女だ」

  スタッフステーションにいた人たちはだいぶ減り、皆通常業務に入っていた。カルテの前の席に座って、理人はおしゃべりを続けてくる。仕事が終わらないので理人のおしゃべりには付き合いたくないが、こういう時の理人はしつこいのでカルテを入力しながら話を続けた。

「美女、というよりは可愛いな。あとコーヒーを淹れるのが上手い。料理は店レベルだ」
「おいおい…今まで全然話してなかったのに自慢し始めたぞ」
「お前が聞いてきたんだろう。聞きたくないなら話さない」
「いやいやいや!待てって。聞きたい。聞きたいです!お坊ちゃまの恋愛話に興味あります!」
「馬鹿にしてるのか」
「大変申し訳ありませんでした。教えてください士郎先生」

  調子のいい理人にため息をつく。

「この俺に対して、感情が豊かな人だと言ってくる」
「仏頂面で患者からもロボット先生と言われてるお前が…?!」
「人一倍優しい人だともいってくるぞ」
「うっそ!タバコ止められない患者に『次吸ったら診ない』って薬出して診察室から追い出したし、失敗だらけの研修医にキレ散らかしたお前を…?!」

  信じられないと口元を抑える理人。

  俺からすれば、そんな風に俺を評する雪夜の方が優しいと思う。そして雪夜は基本的に笑顔だ。俺なんかよりよっぽど感情豊かである。

「あと拗ねると可愛い。俺が金を使いすぎると拗ねてくる」
「はぁあああ?! 大病院の御曹司だぞ?金なんかあるに決まってんのに?知ってんだろ?医者だって」
「まぁ向こうはバイトだからな。自分が返せないのが悔しいらしい」
「…え?学生?」
「いや。成人してる」
「フリーター?!マジか!」

  耳を傾けて聞いているスタッフがいることも気づいていたが、理人の声は全然大きいので全員に聞こえているようだった。

「バイト先で出会ったとか?」
「当たりだ。別れ話をしてる所をばっちり見られてた」
「へー、それで向こうから声かけてきて告白された?」
「まぁそうだな」

  雪夜が声をかけてくれなければ俺は多分一生雪夜と出会ってなかったと思う。今にして思えば、あの時の雪夜のお節介に感謝しかない。

「えーじゃあ狙ってたんじゃね?」
「そうかもな。確かにタイプだとは言われた」
「おおう…一気にその子を計算高い子としか思えなくなってきた」
「それならそれで構わない」
「ベタ惚れか!」
「一歩間違えればストーカー並みに通い詰めた」

  あの夜の本当のストーカーは、まるで自分のあったかもしれない未来の一つのように感じ、それがさらに恐怖を呼んだ。あの男のように哀れにもナイフを持ち出して脅すように付き合ってくれといっている自分が容易に想像つく。きっと優しい雪夜は、「ストーカーと士郎さんは違います」と言ってくれるかもしれないが、自分はそう思わない。

  理人のあんぐりとした表情を見て、俺はストーカーにならずに済んでよかったと心の底から嬉しく思った。






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