【完結】薄幸文官志望は嘘をつく

七咲陸

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番外編

取り引き side ダリル

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ダリル=ジルヴァールの表情は苦虫を噛み潰したような顔つきであった。

不愉快だった。
あの男に廊下で会ってしまっただけで腕を掴まれ授業に遅刻し、教師に面倒な荷物運びをさせられる羽目になってしまった。
もちろん1人で運べるような量ではなく、友人の居ないダリルは1人で運ぶためには何往復もさせられた。
そこまで体力のないダリルは、気を抜くと筋肉の疲れからか、手と足がガクガクと震えてしまっていた。

それもこれも、あの男のせいだ。
ダリルは誰かのせいにしないと、もう上手く人生を生きれなかった。
そもそも授業に遅刻しかけていたのも、ダリルが家で寝付けなくて、休憩時間中に少し眠ってしまったのが大きな原因である。
分かっていても、納得出来なかった。
自分のせいであると理解したら、きっとこの学園にも居られなくなるくらい、自分が保てなくなるとダリルは思ったからだ。

ダリルは溜息をつきながら、帰路に着いた。
しかし、学園の正門の所に、あの忌々しいまでの男が立っていることに気がついたのだ。
ダリルは荷物運びの疲れで、男が『また後で』と言った言葉をすっかり忘れてしまっていたのだ。
ダリルが気づかないフリをして通り過ぎれば問題ないと思い、怪しまれないよう普通に通り過ぎようとした。凡庸な茶色の髪なら、他に紛れてバレないと踏んだ。

けれども、門に差し掛かった所でまた腕を掴まれた。

「っ、何するんだよ!」
「おーおー、なんで無視しようとしてんだ? 約束しただろ?」
「あ、あんなのお前が勝手に…!」

ダリルはそこまで言って、はっ、と気づく。正門を通る生徒の目が射抜くようにこちらを見てきているのだ。
男は気にしなくとも、ダリルはこの学園に通い続けなくてはならない。
この学園に通う退屈な奴らに、更なる噂を与えたくはなかった。

「…場所変えた方がいいのか?」
「な、なんでついて行かなきゃならないんだっ」
「はいはい、叫ぶと目立つぞ?」

周りの生徒たちには、おそらくカツアゲされているように見えているのではないだろうか。ダリルは明日からの学園生活が憂鬱になっていった。

男はダリルの腕を掴んで、近くの小さな公園に辿り着いた。学園の近くにしては遊具も小さく、学生は誰もいなかった。
おそらく、近隣に住む小さな子供くらいしか使っていないのであろうと思った。
その小さな子供たちもこんな夕方にはもう家路に向かっているため、公園にいるのはダリルとダリルの腕を掴む男の2人だけであった。

「ここでいいか」
「なんだよ。僕は何も話す気なんてない」
「いやいや、俺があんだわ。お前、サシャ=ジルヴァールの何?」
「……だったらなんだよ」

またしても兄の名前だ。いい加減兄の名前は聞き飽きた。学園でも、家でも、一生聞いている。

「俺の親友がサシャ=ジルヴァールと結婚したんだわ」
「! お前、アーヴィン=イブリックを知ってるのか!」
「おー、そいつな、アーヴィン。で、サシャ=ジルヴァールのことも少し知ってるから、お前の噂が気になってな」

ただの詮索好きな奴だった。
煩わしいとしか思えない。兄を蔑ろにしてきたのはダリルに問題があったとしても、そんなの他人には関係の無いことだ。わざわざ話すことでもない。
どうしてこの男は聞き出そうとするのか、やはりどう考えても、ただ聞きたいだけな首を突っ込んできた奴だとしか思えなかった。

「僕の噂なら本当だよ。それでいいだろ。離せよ」

もうダリルは面倒くさいという感情しか持てなかった。この場を早く去るためには、男が言うことを認め、掴んだ腕を離させるしかなかった。

しかし、男はそれでも腕を離さなかった。

「ふーん? じゃあダリル=ジルヴァールはサシャ=ジルヴァールを蔑ろにしてたってことか。はー、お前サシャ=ジルヴァールより明らかに年下だろ?弟だよな?」
「だからなんだよ!」
「へぇ。弟に虐められてたのか。アーヴィンもその辺は教えてくれなかったんだよなぁ、俺が面白がるって分かってるからな」

面白いものを見つけた、と肉食獣のような捕食する瞳を見せてきた男に怯えた。

「ってことは。ダリル、お前噂で困ってんだろ?」
「……お前には関係ない」
「兄弟で面白いわ、はは。サシャ=ジルヴァールも噂に振り回されて、お前は自業自得とはいえ噂されて学園中にハブにされてんだろ?」

ダリルは男の言葉に身体が揺れてしまった。これでは肯定しているのと同じである。
もう表情は隠せなかった。苦渋のような、腹立たしいような表情で男を睨むことしか出来なかった。

「はーウケる。いやー、こんな面白いネタが転がってるなんてなぁ」
「うるさい!早く離せよ!」
「待てって。ダリル、お前のこと助けてやるよ」
「は?」

男はバカにしたように笑いながら言った後、ダリルを救済すると甘言をしてきた。
信用出来るわけが無い。なぜ、見ず知らずの男が自分に手を貸そうなどと思うのか理解ができなかった。

ダリルは理解できないものが嫌いだった。だから呪われているとかいう訳の分からない紫の瞳が大嫌いだった。

つまり、この理解できない目の前の男も大嫌いだ。

「助けてやるって言ってんだよ。面白いものを教えてもらったしな」
「わ、訳が分からない。何考えてんだよ」
「ダリル=ジルヴァールの噂をかき消してやるよ。学園中だけじゃない、貴族連中からもだ」

目を見開いて男を見た。
ダリルにとって、それは神のような言葉で悪魔のような提案だった。
そして、そんなこと出来るはずもないとも思った。

「無理に決まってる。お前のことなんか信じない」
「いや、俺はできるぜ? 約束してやるよ」

やっぱりこの男は悪魔だ。ダリルを甘い言葉で誘惑して、騙そうとしているのだ。
しかし、ダリルとしても願ってもない提案である。受け入れ難い約束でも、縋りたい気持ちだった。

「……本当に、できるの?」
「ああ、絶対だ。ただし、条件がある」
「っ、なんだよ」

見返りがあるのは当たり前のことだ。取り引きしているようなものである。けれどもダリルに今自由にできる金はないし、男に渡せるような物もない。

何を求められるのか、不安になって男を見ると、男は口端を上げて機嫌良さそうに言った。

「5日間、ここで俺とキスをすること」
「……はぁ?」
「だから、俺にお前が5日間、キスするの。口付け、接吻。分かる?」
「馬鹿にするな!そんなの分かる!」

突然の事で、顔が火照ってくる。
なんで男が男にキスしなくてはならないのか。ダリルの性的嗜好はノーマルであって、決して男はストライクゾーンではない。

「まずは一日目だ。ほら、やれよ」
「な…っ、ぐ……」

男は面白そうにニヤニヤとダリルを見下ろす。ダリルが赤面して恥ずかしがっているのが楽しいようだった。

この男の言う通りにすれば、5日後には約束を守って貰えるはず。
保証なんかどこにもない、けれどダリルにはもうこの方法しかおそらくないのだ。

ダリルは本日2度目の苦虫を噛み潰したような表情をして、覚悟を決めた。

掴まれた腕はそのままに、ダリルは男の胸倉を引っ張り、触れるだけのキスをした。

「っ、これでいいだろ!」
「はは。んな訳ねぇだろ」
「な…っ、ん!んんー!」

今度はダリルの胸倉を掴まれ、唇を男に奪われた。それだけでない。ぬるりと侵入する舌の感触に驚いた。
男の胸を思い切り叩くが、文官の非力さでは鍛え上げられた騎士にはなんの効果もなかった。
口内を掻き回されると、ダリルの声は勝手に漏れ出てしまっていた。

「んっ……んん、ん!」

驚いて見開いていた目をギュッと閉じると、涙が滲んでくるのが分かる。羞恥と怒りと、混乱と、息苦しさで勝手に涙が出てしまう。一頻り、口内を蹂躙すると、男は満足したのか唇を離した。口内にジンと痺れる感覚が残っていた。

「このくらいしろよ? お前が俺に渡すお礼なんだからな?」
「っく、お前!最低だ!」

やはりダリルの勘は正しかった。
この男は、関わってはいけない男だったのだ。
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