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浮かれるsideサシャ

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サシャ=ジルヴァールは浮かれていた。 
アーヴィンに熱烈に毎日好きだとキスをされ、更には結婚しようとまで言われる。
気づけば勝手に表情が緩んできてしまうのを必死に抑えていた。

クラークのことはまだ思い出すと辛い。
胸が苦しい程に締め付けられそうになる。
本当に好きだったし、クラークだけがサシャの唯一だった。

けれど、アーヴィンはサシャの傷ついた心を癒してくれた。
穏やかなクラークとは違う。
強引な所があるアーヴィンを思う気持ちも、クラークが好きだった時と同じか、それ以上になっている。

クラークは全てを包んでくれる愛を感じていた。アーヴィンはサシャをどこか、もっと素敵な場所に連れ出してくれる。
そんな気がしていた。

家にいても、相変わらず両親はサシャとは一切会話しない。目も合わせないし、いないも同然の扱いを受ける。
弟からは相変わらず蔑まれていた。
でも今のサシャには関係なかった。
アーヴィンが結婚してくれるなら、この家ともおさらばできる。それはサシャにとって救いであった。

「アーヴィン、早く来ないかな」

図書館のいつもの定位置で、サシャは読んでもない本を広げながらアーヴィンを待った。

アーヴィンは昼も放課後も来てくれる。 
そして少し強引だけど優しくサシャに触れてくれる。

キスを沢山されるのも、抱きしめられるのもちっとも慣れない。
けれど好きな人の体温を感じるのがこんなに幸せなことなのかと教えてくれたのは、全てアーヴィンだった。

逢瀬を思えば、アーヴィンの歩く足音が響いてきていることに気づいた。
すっかりアーヴィンの足音を覚えてしまった。
サシャは満面の笑みを浮かべて、アーヴィンを待った。そして、姿を確認してから声を掛けた。

「アーヴィン!」

いつもと同じように、笑顔で名前を呼んだ。けれども、アーヴィンは両親と同じ眼をしていた。

「は? お前誰?」
「え、アーヴィン?」

サシャを見るアーヴィンの翠眼は鈍く暗いものだった。
もう一度好きな人を呼んでから、思い出した。サシャのままの姿であったことを。

アーヴィンはサシャのことをどう思っているのかは知らなかった。
クラークはサシャを蔑んだりすることは無かった。
けれど、アーヴィンが蔑まない保証はどこにもなかった。

毎日気をつけていた。
認識阻害眼鏡を外すことを忘れないようにしていた。
アーヴィンが好きだと言ってくれた紫眼も、綺麗だと言ってくれた銀の髪も、全てさらけ出しても忌々しく思われないから。

なのに今日に限って失念してしまった。サシャは浮かれていたのだ。

「ああ、お前あれか。噂のサシャ=ジルヴァール。なんでお前が俺の名前を呼ぶんだよ」

心臓の位置が分かるほど、動悸がする。

「二度と俺の名前を呼ぶな、ビッチ」

アーヴィンはサシャに言葉を吐き捨てて、忌々しいと言わんばかりに蔑んだ瞳を一瞥した。
そしてすぐに踵を返して本棚の向こうへ歩いて行ってしまった。

サシャは混乱した。一体、あれは誰だったのか。
いや、あれはサシャにいつも優しいキスをしてくれる恋人だったはずだ。
同じ口から、好きだと毎日言ってくれる優しい恋人だったはずだ。

サシャの信じられないほど冷たくなった手に、暖かい水滴が落ちた。

「う、ううう」

サシャは分かっていた。
嘘をついたから、天罰が下ったのだと。
勘違いするなと。
そう言われていると理解した。

クラークの前では、本当の自分の姿を見せれなくて。
アーヴィンの前では、本当の自分の名前を明かせなくて。

2人を騙した罰が今、サシャに下ったのだ。

「アーヴィン」

二度と名前を呼ぶなと、そう言われたのに。呼びたくて堪らなかった。
サシャにはもう、アーヴィンしか居なかった。

結婚しようと、言ってくれたのに。

サシャには勇気が足りなかった
。アーヴィンに、本当の名前を伝えていれば何か変わっていたかもしれない。
もしかしたら、そんな噂は信じないと言ってくれたかもしれない。

けれどサシャはもう立ち上がる勇気はない。
きっと、アーヴィンはもうこちらを見てはくれない。

アーヴィンが好きだと言ってくれたティムですら、サシャ=ジルヴァールと知られたら、きっと同じように蔑まれる。

図書館から、どうやって帰宅したのかは分からない。
気がついたら家に辿り着いていた。
サシャは泣き腫らした眼をそのままに、両親の下へ歩いた。

「何言っているんだ! 学園を辞める?!」

いつの間にか父に学園を辞めたいと言っていたようだった。
サシャはもうどうでも良くなっていた。
父の目も、母の目も、弟の目も。

「辞めてどうする! 伯爵家はお前には継がせん!」
「分かりません」
「はぁ、信じられない。本当にお前はグズね。貴方、辺境に送るのはどうかしら」

母には呆れたような声で言われる。 
弟は後ろでニヤニヤしていた。

辺境地区は、魔獣が多数存在する区域だ。魔獣にやられて死ぬ者も少なくない。
左遷場所として有名な場所である。

サシャはそれでも良いかと思った。
アーヴィンに会わなければ、学園に行かなければ後はなんでも良かった。
どうせ、死んだとしても誰も悲しまない。

「そうだな、お前には明日出発してもらう。クソッ、金の無駄だったな!学園にせっかく入学させてやったのに!」
「分かりました」

父親は机を殴りながら吐き捨てるように言う。
サシャは抑揚なく答え、両親と弟がいる部屋から出た。

サシャはもうどうでも良かった。
友人たちからは最低なやつだと言われ、クラークにも不貞を働いたと言われ、アーヴィンからも二度と名前を呼ぶなと言われ、付いた傷はジクジクと化膿するかのようで、癒してくれるものは何も残っていなかった。

ベッドに倒れるようにうつ伏せになって、サシャは自分の人生は一体なんだったのか考えた。

両親や弟、クラークもアーヴィンにも嫌われ、どうしてこんなに不幸なのかと思った。
なぜこんなにもツラいことばかり起こるのか考えた。

クラークやアーヴィンを騙したのは自分だ。
それでも、もしかしたら幸せになれると思った。
多くは望んでない。毎日が少し色付くことだけを願っていた。

どうか、どうか。

新しい地では幸せになりたい。
死ぬのは、幸せを感じてからが良い。
勝手に流れる涙に、静かに祈ることしかサシャには出来なかった。

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