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73、春と秋⑤
しおりを挟む慊人のお父さんは戸惑っている表情をもう隠すことは無かった。
「……本当に良いのかい?」
「ええ。大丈夫ですよ、後悔なんてしません」
上手く笑えているだろうか。
慊人と旅行に行くと決めた時から、僕は決心した。
「…そうか。ならこれを」
「ありがとうございます」
渡された白い小さな紙の袋の中には薬が入っている。一回分だけ。医師の処方がなければ出せない薬だそうだ。
慊人のお父さんが手を離すのが遅れて、一瞬だけ引っ張る形になる。僕が受け取ったのを見て小さくため息をついた。
「こんなつもりじゃなかった、と言うのは……ダメだな。良くない。今更良い人ぶるものじゃないな」
「そうですね。……もう僕達は共犯者です」
もう今更だ。この人が慊人にしてきたことを僕は許したくないし、僕自身も許せない。
慊人を二十四時間監視して、それを知っておきながら僕は慊人にずっと言えなかった。
そして今、僕は慊人を嵌めようとしている。
「……その薬は、少しずつ効いてくるはずだ。徐々に発情期と同じような症状が出る。ただし、それは偽物だ。本当の番にはなれない」
「分かってます。バレる前に彼から離れるので大丈夫ですよ」
苦笑するとまたため息。渡したことを後悔している表情が見て取れた。
僕は後悔しない。…いや、したくない、が本音だ。後悔したくないから、全部慊人に捧げようと決めた。
「念の為、もう一つ薬を入れておいた。万が一の時は使いなさい」
「……ありがとうございます。 あの」
「なんだい」
「斗真さん…どうなったんですか」
すると、慊人のお父さんは首を振った。
「彼は一応こちらでヒート中は面倒を見ていた。ダニエルが主にね。……慊人は家に近寄りもしなかった」
「そう、ですか」
慊人の今までの言動からしてそれは予想出来た。運命の番が現れても、僕がいる限りきっと受け入れないだろうと。
「君が落ち着くまで支援し続けることを約束する。施しのようで嫌かもしれないが、せめてもの償いだ」
「ありがとうございます。……といっても、母からももう貰ってて」
「金はいくらあっても困るものじゃない。受け取ってくれ」
本当は、友人に戻って慊人の幸せな姿を見たかった。隣に立っているのが僕じゃなくても構わない。特等席じゃなくて立ち見のような場所からでも構わないと思っていた。
でも、そんなの無理だった。
「では有難く。 ……慊人を、よろしくお願いします」
父親なのだから、元恋人がお願いしても意味は無いと分かっている。でも慊人のお父さんはただ頷いてくれた。
慊人と二度目の旅行に行った。これが最後なんだと思うと何度も何度も泣きそうになった。その度に笑えと自分を奮い立たせた。
何もかも忘れたくなかった。愛してると囁く慊人の声も、僕を抱きしめてくれる腕の力も、優しく撫でてくれる手も、荒々しく官能を引き出してくる舌の感触も。そして、慊人の香りも。噛み締めるように味わった。
僕が幸せにしたかった。彼のことを、世界一幸せにしたかった。中途半端な僕を好きだと言ってくれる彼と添い遂げたかった。ずっと変わらない気持ちが、自分を苦しめていく。
嫌いになれたら良かった。慊人が僕のことを嫌いになってくれれば良かった。今更悪者ぶったって慊人には全部お見通しだろうし、演技なんて僕には出来ないから、離れることしか考えられなかった。
彼を幸せにするのは僕じゃない。
淫蕩にふけ、まだ明けきれない夜の中で僕は隣に眠る慊人を起こさないように身体を起き上がらせた。
薬の効果は凄まじかった。理性を完全に手放して慊人を欲しがった。たったの数時間で効果は切れてしまったが、慊人は気づくことなく僕に貪りついた。項にある咬み跡をゆっくりと撫で、これからこんな風に彼が他の誰かを抱くのだと思うと苦しくて、同時にやっと彼が本当に幸せになれるのだと嬉しくもあった。
上手に心の底から祝福できる時が来るのを、静かに穏やかに隠れて待てばいい。
番解消で身体が焼け切れるようなことになっても構わない。最後だからと甘えた自分が悪いのだ。
そして、僕は慊人の前から姿を消した。
咬み跡が消えてないことに気がついたのは島についてしばらく経ってからだった。
島に唯一ある生活用品から食料品まで売っているお店で買い物をしている時に、仲良くなったおばあさんに言われた。
「島の男どもがソワソワして悪いねぇ。番が居るから諦めろって言ってるんだけど」
恐らくおばあさんは、先日の咲ちゃんの幼馴染が荷物を持ってくれたことに対して言っている。なんとなく好意には気づいてたけれど、彼の好意は一時的なものだ。慊人のような、想い続ける強さのようなものは見られなかった。
けれど番。番と言ったか。
慊人のことは誰にも話してない。
それまでは何度か撫でた項は、咬み跡が薄くなっていく度慊人との繋がりが薄くなっていったみたいで辛くて触れるのを辞めたせいで残っていることに気が付かなかったのだ。だからチョーカーも付けていたのに。
「そんな立派な咬み跡、もう何年見てないかねぇ……この島も昔はαとΩが居たんだが」
次の日、身体が怠くなった。それと同時に熱っぽくもあった。咲ちゃんのお母さんに検査薬を渡され、全身の血の気が引いていくのを感じた。
結果が出て、それを咲ちゃんと咲ちゃんのお母さんの二人に伝えると同時に、声が震えているのが分かった。
妊娠するのが難しいのではなかったのか。確かにあの時は慊人から離れることで頭がいっぱいでアフターピルを飲むのを忘れた。忘れたと言うより、必要ないだろうとも思っていた。
まさか、本当に。葉月さんに言われた様に慊人が僕の身体を徐々に作り変えていたのだろうか。今まで精を注がれたことはなかったけれど、重要なのはそこではなかったということだ。
「どうして……」
どうして神は離れてからこんな奇跡を与えたのだろうか。酷い。酷い。
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