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それぞれの了
第26話『柳生宗章の了』
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関ヶ原の戦いから二年と少し。
小早川家の改易からすぐのことである。
柳生宗章は東軍であった伯耆国は米子藩藩主、中村一忠の客分として身を寄せていた。このときの中村一忠、わずか十一才である。年若い殿に仕えることを嫌がっていた柳生宗章であったが、家老である横田村詮の人柄にほだされた形でのんだ。
「むらあき、むねあき、と、名前が似ておるからな」
と顎を掻く宗章であったが、終に守り切れなかった、支えきれなかった小早川秀秋のことを思っていたのは相違なかった。近侍としての腕前を高く買っていた横田が、宗章にきっかけを与えたことになる。
宗章は、生涯の悔いを払拭する好機であると、身命を賭けることを横田に誓ったという。
この老中、横田村詮。人格者であり、才覚に優れた人物であり、幼い藩主の宰相として活躍する人物であった。
故に、藩内に敵が多かった。
小さくとも、権力闘争はどこにでも巻き起こる。
慶長八年、一六〇三年の、十一月半ばのことであった。
藩主側近の安井清一郎、天野宗杷らが、御年十四才の一忠に甘言をし、酒宴に招いた横田村詮をなんと手討ちにしてしまったのである。
この時代、すでに上意討ちは詰みであった。
藩主自らの手で行われるそれは、とにもかくにも、拒否すれば死、受け入れても死である。
そそのかされた若き藩主は、村詮の心臓を貫き誅したという。
「横田どのはこうなることを分かっておったのだろうか」
柳生宗章は、若き主君を守れなかった。
甘言奸臣から守れなかった。
柳生の意地が、二度も潰えた瞬間であった。
「横田どのの御子息郎党を守り、飯山に籠もる。なあに、公儀が遣わせた御家老を無礼打ちなぞしたのだから、必ずや公正な裁きが下されよう。それまで辛抱でござる」
ことの重大さに慌てたのは、中村一忠ならびに安井清一郎、天野宗杷である。戦国の世の下剋上を許さぬ幕府が拓かれたのだ。気質粗暴なふたりは、慌てて口裏を合わせようと飯山の柳生宗章を討ち取らんと動きを開始した。
隣国出雲の武将、堀尾吉晴に助けを乞うたのである。
朝。
しんしんと浅く降っていた雪がやんでいた。
薄曇りだが、晴れ間が見える。
日が昇れば、快晴だろうか。
飯山は八幡神社がある小山である。正式には軍陣八幡宮と呼称される古い神社であるが、近年、神遷し――神社の引っ越し――が行われ、無人であった。ここに宗章は横田一族を匿い、立て籠もっている。
小規模ながら軍である。
動けば公儀が察知する。
(だが。――)
来たか。
宗章は甲冑姿で、初代兼定を抜く。
あれから少し研いだため、刀刃は磨き上げられたかのように美しい。雪を移し返し、明けの薄闇の中でその刃紋に目を落とす。
「なるほど、暁光の中の映りは、かくも美しいものであったか」
本阿弥光徳の言葉を思い出し、宗章は「いまさらだな」と乾いた笑いを放つ。その鋒の先に、敵がいた。敵勢がいた。明らかな敵である。
「出雲の手勢か。ここから先は通さぬぞ」
宗章は、石階段の終わり、鳥居の側に盛り固めた雪山の上に、数本の太刀を突き刺してゆく。
「かつて剣豪将軍と名高い足利義輝は、畳に突き刺した幾本もの名剣を、斬って駄目になればとっかえひっかえ戦い抜いたという話があるが、あれはホラ話だな。どうして刀刃の美しさを知る者が刀刃を粗末に扱えよう。――俺は愛情を以て、道具を道具として使い潰すさ」
敵勢は五十人をくだらない。
「仕掛けてくるなら相手をするが。――」
言われるまでもなく、甲冑武者が刀槍引っ提げて石段を上がってくる。
山は囲まれているが、突破口を開いて横田一族を南に、備前まで逃がす。備前は長船の刀匠郷が洪水で壊滅した後、再興のために技術ある者らがあつまっている。縁故がある。彼らなら守ってくれるだろう。
(俺がいなくともな)
「柳生宗章、お相手仕る」
やはり兼定は手に馴染む。
この狭い踊り場が俺の死地である。
宗章は出雲の手勢が槍を突いてきたところに、一歩踏み込んで兜のシコロ(薄鉄を数枚重ね頸動脈を守る場所)ごと、その首を半ばまで断ち割って即死させる。死体は邪魔なので、蹴り落とす。
「貴様、小早川の家臣だった男か」
「知らん顔だが、お主は……と、名乗らんだろうな。他藩の者が米子で武装して刃傷沙汰など、公儀は許さぬからな」
「公儀を語るでない、この裏切り者『小早川』の家臣が」
「ほう。――」
出雲の堀尾吉晴は、豊臣政権の老中のひとりであり、秀吉の死後は我先にと徳川家康に擦り寄り、豊家の安泰を図った傑物だが、関ヶ原では平然たる顔で東軍――家康の側、豊臣の敵として推参している。
「その家臣が、その口で、我が殿、小早川金吾中納言秀秋さまを裏切り者とのたまうか」
そのとき、柳生宗章の気配が変わる。
柳生の剣士として、愛憎怨怒は水月を揺らす大敵である。
しからば、今生、今の今まで、柳生宗章はその剣に誓って無念無想で斬り結んできた。
しかし。
「ほざいたな、裏切り者と。貴様ら、純朴たる若者の魂を陵辱せし蒙昧な愚者共は、この俺が、全員――斬り捨てる」
今。
今の今。
愛憎怨怒が、すべていちどきに涙と共に溢れていた。
柳生宗章は、兼定を雪に投げ突き立てる。
今の自分には、兼定は使えない。
後ろ手にひとつの太刀を取る。
「堀川国広――」
――の、偽物。
手に馴染む、鹿の裏革細身巻。
右八双の構えである。
左足をずいと前に出し、四股で構えて吠える。
「かかってまいれ」
「かかれぇ」
檄一閃、兵がふたり一斉に襲いかかってきた。
間合いに入れば武器を振るう、戦場の剣である。さだめし益荒男どもの体さばきである。出雲は手練れを送り込んできたのであろうことがそれだけで分かった。
「えいやあ」
右手からの一撃を躱しながら喉を突き破る。
血肉諸共、脛骨まで鋒が届く。殺しすぎであった。
兵はか細く呻きながら石段を転げ落ちる。その肉体が他の兵に当たるころには、左手の兵も首を突かれて即死した。
勢い余って、鋒がねじれて欠ける。
抜き放ち、長巻を振りかざしてきた三人目の懐に入り込むと、ズンとばかりに脇から肺を貫く。腋下の動脈から遅れて鮮血が吹き出し、純白の雪面にピピと朱が飛ぶ。
血振りの血潮が重なるように十字を描き、宗章の構えは左の霞へと移る。
「四人同時だ、かかれぇ」
「長船祐定――」
――の、偽物。
これで二刀流である。
太刀二本であれ、刀は通常片手で扱うものである。正しく持ち正しく運べば、正しく殺傷できるものだ。両断に拘らぬ運刀は、舞うように四人の兵を屠る。
指を切り、喉を刺し、腹を抉り、口中から脳を貫く。
もとより、同時にかかることなど木偶を相手にしなければ成し得ぬ行動である。達者の宗章には通じない。
殺人剣が、猛威を振るっている。
宗章は斬るたびに雄叫びを上げ、獣のように威嚇する。相手の心を萎縮させるその咆吼は、相手方の目をこちらに向けさせるためのものでも在った。
遠からん者は音に聞け、近くば寄って目にも観よ、と言わんばかりの戦いぶりである。
柄頭で顔面を砕き、柔術で腕を折り脇を貫き、肉薄してきたら、その首をへし折り首を裂く。
活人剣である。
兵法八重垣。
十人を屠ったところで、しかし堀川国広が折れた。鎧をかんで、そこを打たれたのである。
「大和保昌――」
――の、偽物。
鎧武者を屠るために箇所、その総てを最小限最大効率で害してゆく。
戦闘力を奪っても、のし掛かるよう押し込んでくる。そんな死兵を相手に、命を奪わずに勝てる余裕はない。
ともすれば横田の一族を追う者になるのだ。
生かしてはおけない。
生かしておいてなるものか。
「岡崎正宗――」
――の、偽物。
十五人を斬ったあたりで、息が上がってきた。
怒りで戦うと、呼吸が乱れる。
若造の時分で知っていたことが身に染みて思い出される。
愛憎怨怒は、力みを生み、相手に付け入られる。
(わかってはいた。わかってはいる。しかし、我慢できようか)
誰に怒っている。
ああ、俺だ。柳生宗章、お前は三日前ですらない、三年前の自分に怒っているのだ。
主君、小早川秀秋の正面に立ち、ぶん殴ってでも自分が真っ先に大谷陣に斬り込むべきだったのだ。
(よくもまあ、佐助に説教できたものよ)
「えいやあ」
柄だけ残っていた祐定を捨て、真っ向上段から正宗を叩き込む。兜の半ばまで斬り落ち、脳症がぶしゃりと漏れ飛ぶ。
「新陰流、兜割」
その気迫に、兵が数歩石段を後退っていく。
「どうした、お前は来ないのか。お前だけは逃げても斬り捨てる」
「ううっ。――」
ほざいた男である。大将首だ。
奴は逃がさぬ。
そこでやっと、頭に冷風が入り込む。
すでに、二十人斬っている。
ようやく宗章は深呼吸し、腹を落ち着け、半眼で仏のような微笑みにもにた表情で脱力する。
明珍兜を砕き割ったため刃の欠けた正宗を捨てる。
「志津三郎――」
――の、偽物。
おいおい、こいつは少し婆娑羅味が強いな。分厚く重いが、鋒は頑丈である。
面白い。
「血で滑るか。よし、ならばこちらから――」
これならば、あと五人は斬れるだろう。
だがそこでおしまいである。
柳生の剣士として、最期は水月の境地で死にたかった。
心胆を深く落とし込む。
「参る。――」
その後の斬ったはったは、生涯で初の夢想剣であった。
状況に術が反応し、ついには八人を斬り伏せたところで、生き残ってる自分を感じてアラ不思議とばかりに笑ってしまう。
「いまようやく、親父の剣境に手が届いたような気がする」
そして、眩暈を覚えた。
体力もそうだが、手傷の限界であった。
さしもの柳生宗章も、二十八人を斬って無傷ではいられなかった。
相手は出雲の兵なのだ。
「願わくば、兼定次代担い手よ。愛憎怨怒を抱くことなかれ。仁義、勇の三の厳を心胆に刻み生きてくれぃ。――」
目の前が、霧がかっていくように霞んでいく。
酷く眠く、突き立てた兼定を掴もうと手を伸ばして――。
「殿。――」
そのまま斃れた。
柳生宗章、三十七歳で斬り死ぬ。
一六〇三年のことである。
霧が収まると、出雲の手勢は二十八の死体と、宗章の骸を見つけた。
すぐさま神社へと討ち入ったが、不思議、横田一族の姿はひとりもなく、静寂と冷えた空気だけが残っていたという。
横田一族は裏手から逃げおおせたらしく、太刀で兜ごと頭蓋を割られた兵や、鎧を叩き潰された者、滅多打ちにされて斬り殺された者が残されていたらしい。死んでいたのは総ていわゆる盗賊夜盗の類いとされた出雲の兵であったという。
総て雑木林で始末されたらしく、護衛は少なくともふたりいるとの味方が強い
その後の顛末は、以下の通りである。
ことの一件の報告をうけた徳川家康は、公儀が派遣した村詮を殺害した事件、その全容に恐ろしいまでの怒りを露わにした。
事件解決のため派遣された目付、柳生宗矩は、安井と天野を問答無用で腹を召させた。
事件を阻止出来なかった咎により江戸において切腹差せた者も多い。
公儀、徳川家康――江戸幕府は、村田一忠に於いてはお膝元である品川宿に御止めで、事実上の謹慎に収め、以降、処罰なく米子を治めることとなる。
これは、戦のためとはいえ幼き、いや、若き小早川秀秋を翻弄した家康が、この若き藩主に罪悪感にも似た同情を感じたためだと言われている。
そして横田一族が保護される少し前、死体検分のため、柳生宗矩は軍陣八幡宮――宗章が斬り死にした神社へと向かった。
そこに横たえられた宗章の死に顔、傷だらけの肉体を見、とりわけ深い左頬の傷跡を撫でながら、はらりと落涙し――。
「間違いなく、兄上でござる」
そう言葉を詰まらせた。
検分役の他数名も、冷徹な柳生宗矩の涙に言葉がなかったという。
柳生宗矩は、遺品である折れ果てたものや刃こぼれ激しい太刀のなかに、柳生伝来の初代兼定がほぼ無傷で残っているのを見て、深く黙考したという。
「どこぞの手勢に分捕られるかとも思いましたが、襲った盗賊連中は死体を放り投げて遁走しておりました。よほど、この御仁が強かったのでしょう」
「二十八人。――」
「左様です。そこで力尽きたと看ます」
自分でも、関ヶ原で甲冑武者をいちどきに七人斬り伏せた。
しかし、兄はそれを上回った。
「俺の勝ちでいいか」
そんな声が聞こえた気がした。
やっと、宗矩は笑った。
「で、その遺された太刀は。――」
「や。出来は素晴らしいのですが、作風も五箇所伝のあちこちに似ており、さりとてナカゴにはただ一文字『藤』とだけ。偽物は各上の銘を刻むもの。不思議ですな、どれも偽物ということなのでしょうか」
「で、あろうか。……この太刀は」
ひとつ、気になる太刀が添えられている。
白木の鞘に入った、実戦で使うには相応しくない姿の太刀である。
「鎧武者相手に、がむしゃらに斬り込んだような刃こぼれ、そして物打ちの欠け、折れ、削られたナカゴ、本来なら相当の名物でしょうが」
「本物ならばな」
しかし、この毀れかたは、剣者の、柳生の者の振るいし技術の起こすそれではない。まるで、宗章が倒れた跡、霧に紛れて誰かが戦ったかのような、そんな無謀な毀されかたであった。
太刀は、健全ならば都の作風のものだろうか。
「銘は、削られておるな。これも、『藤』であろうかな」
「はて。――」
宗矩はこの一件の落着を以て、江戸に帰る。
柳生宗章の骸は、この後、菩提寺にて荼毘に付され弔われる手はずとなっていた。
しかし、死体を清めようと、深夜、ひとりの坊主が湯灌の用意をしていたときである。
ふと寒気と霧を感じて境内に戻ると、死体の目がかっと見開き、坊主が悲鳴を上げて腰を抜かす。
その隙に死体は――。
「きえい」
と、まるで猿のような奇声を上げて飛び消えたという。
その顛末を訊いた宗矩は、別段驚きもせずに、江戸で苦笑交じりに頷いてみせた。
「実に兄上らしい」
これが、柳生宗章の了である。
小早川家の改易からすぐのことである。
柳生宗章は東軍であった伯耆国は米子藩藩主、中村一忠の客分として身を寄せていた。このときの中村一忠、わずか十一才である。年若い殿に仕えることを嫌がっていた柳生宗章であったが、家老である横田村詮の人柄にほだされた形でのんだ。
「むらあき、むねあき、と、名前が似ておるからな」
と顎を掻く宗章であったが、終に守り切れなかった、支えきれなかった小早川秀秋のことを思っていたのは相違なかった。近侍としての腕前を高く買っていた横田が、宗章にきっかけを与えたことになる。
宗章は、生涯の悔いを払拭する好機であると、身命を賭けることを横田に誓ったという。
この老中、横田村詮。人格者であり、才覚に優れた人物であり、幼い藩主の宰相として活躍する人物であった。
故に、藩内に敵が多かった。
小さくとも、権力闘争はどこにでも巻き起こる。
慶長八年、一六〇三年の、十一月半ばのことであった。
藩主側近の安井清一郎、天野宗杷らが、御年十四才の一忠に甘言をし、酒宴に招いた横田村詮をなんと手討ちにしてしまったのである。
この時代、すでに上意討ちは詰みであった。
藩主自らの手で行われるそれは、とにもかくにも、拒否すれば死、受け入れても死である。
そそのかされた若き藩主は、村詮の心臓を貫き誅したという。
「横田どのはこうなることを分かっておったのだろうか」
柳生宗章は、若き主君を守れなかった。
甘言奸臣から守れなかった。
柳生の意地が、二度も潰えた瞬間であった。
「横田どのの御子息郎党を守り、飯山に籠もる。なあに、公儀が遣わせた御家老を無礼打ちなぞしたのだから、必ずや公正な裁きが下されよう。それまで辛抱でござる」
ことの重大さに慌てたのは、中村一忠ならびに安井清一郎、天野宗杷である。戦国の世の下剋上を許さぬ幕府が拓かれたのだ。気質粗暴なふたりは、慌てて口裏を合わせようと飯山の柳生宗章を討ち取らんと動きを開始した。
隣国出雲の武将、堀尾吉晴に助けを乞うたのである。
朝。
しんしんと浅く降っていた雪がやんでいた。
薄曇りだが、晴れ間が見える。
日が昇れば、快晴だろうか。
飯山は八幡神社がある小山である。正式には軍陣八幡宮と呼称される古い神社であるが、近年、神遷し――神社の引っ越し――が行われ、無人であった。ここに宗章は横田一族を匿い、立て籠もっている。
小規模ながら軍である。
動けば公儀が察知する。
(だが。――)
来たか。
宗章は甲冑姿で、初代兼定を抜く。
あれから少し研いだため、刀刃は磨き上げられたかのように美しい。雪を移し返し、明けの薄闇の中でその刃紋に目を落とす。
「なるほど、暁光の中の映りは、かくも美しいものであったか」
本阿弥光徳の言葉を思い出し、宗章は「いまさらだな」と乾いた笑いを放つ。その鋒の先に、敵がいた。敵勢がいた。明らかな敵である。
「出雲の手勢か。ここから先は通さぬぞ」
宗章は、石階段の終わり、鳥居の側に盛り固めた雪山の上に、数本の太刀を突き刺してゆく。
「かつて剣豪将軍と名高い足利義輝は、畳に突き刺した幾本もの名剣を、斬って駄目になればとっかえひっかえ戦い抜いたという話があるが、あれはホラ話だな。どうして刀刃の美しさを知る者が刀刃を粗末に扱えよう。――俺は愛情を以て、道具を道具として使い潰すさ」
敵勢は五十人をくだらない。
「仕掛けてくるなら相手をするが。――」
言われるまでもなく、甲冑武者が刀槍引っ提げて石段を上がってくる。
山は囲まれているが、突破口を開いて横田一族を南に、備前まで逃がす。備前は長船の刀匠郷が洪水で壊滅した後、再興のために技術ある者らがあつまっている。縁故がある。彼らなら守ってくれるだろう。
(俺がいなくともな)
「柳生宗章、お相手仕る」
やはり兼定は手に馴染む。
この狭い踊り場が俺の死地である。
宗章は出雲の手勢が槍を突いてきたところに、一歩踏み込んで兜のシコロ(薄鉄を数枚重ね頸動脈を守る場所)ごと、その首を半ばまで断ち割って即死させる。死体は邪魔なので、蹴り落とす。
「貴様、小早川の家臣だった男か」
「知らん顔だが、お主は……と、名乗らんだろうな。他藩の者が米子で武装して刃傷沙汰など、公儀は許さぬからな」
「公儀を語るでない、この裏切り者『小早川』の家臣が」
「ほう。――」
出雲の堀尾吉晴は、豊臣政権の老中のひとりであり、秀吉の死後は我先にと徳川家康に擦り寄り、豊家の安泰を図った傑物だが、関ヶ原では平然たる顔で東軍――家康の側、豊臣の敵として推参している。
「その家臣が、その口で、我が殿、小早川金吾中納言秀秋さまを裏切り者とのたまうか」
そのとき、柳生宗章の気配が変わる。
柳生の剣士として、愛憎怨怒は水月を揺らす大敵である。
しからば、今生、今の今まで、柳生宗章はその剣に誓って無念無想で斬り結んできた。
しかし。
「ほざいたな、裏切り者と。貴様ら、純朴たる若者の魂を陵辱せし蒙昧な愚者共は、この俺が、全員――斬り捨てる」
今。
今の今。
愛憎怨怒が、すべていちどきに涙と共に溢れていた。
柳生宗章は、兼定を雪に投げ突き立てる。
今の自分には、兼定は使えない。
後ろ手にひとつの太刀を取る。
「堀川国広――」
――の、偽物。
手に馴染む、鹿の裏革細身巻。
右八双の構えである。
左足をずいと前に出し、四股で構えて吠える。
「かかってまいれ」
「かかれぇ」
檄一閃、兵がふたり一斉に襲いかかってきた。
間合いに入れば武器を振るう、戦場の剣である。さだめし益荒男どもの体さばきである。出雲は手練れを送り込んできたのであろうことがそれだけで分かった。
「えいやあ」
右手からの一撃を躱しながら喉を突き破る。
血肉諸共、脛骨まで鋒が届く。殺しすぎであった。
兵はか細く呻きながら石段を転げ落ちる。その肉体が他の兵に当たるころには、左手の兵も首を突かれて即死した。
勢い余って、鋒がねじれて欠ける。
抜き放ち、長巻を振りかざしてきた三人目の懐に入り込むと、ズンとばかりに脇から肺を貫く。腋下の動脈から遅れて鮮血が吹き出し、純白の雪面にピピと朱が飛ぶ。
血振りの血潮が重なるように十字を描き、宗章の構えは左の霞へと移る。
「四人同時だ、かかれぇ」
「長船祐定――」
――の、偽物。
これで二刀流である。
太刀二本であれ、刀は通常片手で扱うものである。正しく持ち正しく運べば、正しく殺傷できるものだ。両断に拘らぬ運刀は、舞うように四人の兵を屠る。
指を切り、喉を刺し、腹を抉り、口中から脳を貫く。
もとより、同時にかかることなど木偶を相手にしなければ成し得ぬ行動である。達者の宗章には通じない。
殺人剣が、猛威を振るっている。
宗章は斬るたびに雄叫びを上げ、獣のように威嚇する。相手の心を萎縮させるその咆吼は、相手方の目をこちらに向けさせるためのものでも在った。
遠からん者は音に聞け、近くば寄って目にも観よ、と言わんばかりの戦いぶりである。
柄頭で顔面を砕き、柔術で腕を折り脇を貫き、肉薄してきたら、その首をへし折り首を裂く。
活人剣である。
兵法八重垣。
十人を屠ったところで、しかし堀川国広が折れた。鎧をかんで、そこを打たれたのである。
「大和保昌――」
――の、偽物。
鎧武者を屠るために箇所、その総てを最小限最大効率で害してゆく。
戦闘力を奪っても、のし掛かるよう押し込んでくる。そんな死兵を相手に、命を奪わずに勝てる余裕はない。
ともすれば横田の一族を追う者になるのだ。
生かしてはおけない。
生かしておいてなるものか。
「岡崎正宗――」
――の、偽物。
十五人を斬ったあたりで、息が上がってきた。
怒りで戦うと、呼吸が乱れる。
若造の時分で知っていたことが身に染みて思い出される。
愛憎怨怒は、力みを生み、相手に付け入られる。
(わかってはいた。わかってはいる。しかし、我慢できようか)
誰に怒っている。
ああ、俺だ。柳生宗章、お前は三日前ですらない、三年前の自分に怒っているのだ。
主君、小早川秀秋の正面に立ち、ぶん殴ってでも自分が真っ先に大谷陣に斬り込むべきだったのだ。
(よくもまあ、佐助に説教できたものよ)
「えいやあ」
柄だけ残っていた祐定を捨て、真っ向上段から正宗を叩き込む。兜の半ばまで斬り落ち、脳症がぶしゃりと漏れ飛ぶ。
「新陰流、兜割」
その気迫に、兵が数歩石段を後退っていく。
「どうした、お前は来ないのか。お前だけは逃げても斬り捨てる」
「ううっ。――」
ほざいた男である。大将首だ。
奴は逃がさぬ。
そこでやっと、頭に冷風が入り込む。
すでに、二十人斬っている。
ようやく宗章は深呼吸し、腹を落ち着け、半眼で仏のような微笑みにもにた表情で脱力する。
明珍兜を砕き割ったため刃の欠けた正宗を捨てる。
「志津三郎――」
――の、偽物。
おいおい、こいつは少し婆娑羅味が強いな。分厚く重いが、鋒は頑丈である。
面白い。
「血で滑るか。よし、ならばこちらから――」
これならば、あと五人は斬れるだろう。
だがそこでおしまいである。
柳生の剣士として、最期は水月の境地で死にたかった。
心胆を深く落とし込む。
「参る。――」
その後の斬ったはったは、生涯で初の夢想剣であった。
状況に術が反応し、ついには八人を斬り伏せたところで、生き残ってる自分を感じてアラ不思議とばかりに笑ってしまう。
「いまようやく、親父の剣境に手が届いたような気がする」
そして、眩暈を覚えた。
体力もそうだが、手傷の限界であった。
さしもの柳生宗章も、二十八人を斬って無傷ではいられなかった。
相手は出雲の兵なのだ。
「願わくば、兼定次代担い手よ。愛憎怨怒を抱くことなかれ。仁義、勇の三の厳を心胆に刻み生きてくれぃ。――」
目の前が、霧がかっていくように霞んでいく。
酷く眠く、突き立てた兼定を掴もうと手を伸ばして――。
「殿。――」
そのまま斃れた。
柳生宗章、三十七歳で斬り死ぬ。
一六〇三年のことである。
霧が収まると、出雲の手勢は二十八の死体と、宗章の骸を見つけた。
すぐさま神社へと討ち入ったが、不思議、横田一族の姿はひとりもなく、静寂と冷えた空気だけが残っていたという。
横田一族は裏手から逃げおおせたらしく、太刀で兜ごと頭蓋を割られた兵や、鎧を叩き潰された者、滅多打ちにされて斬り殺された者が残されていたらしい。死んでいたのは総ていわゆる盗賊夜盗の類いとされた出雲の兵であったという。
総て雑木林で始末されたらしく、護衛は少なくともふたりいるとの味方が強い
その後の顛末は、以下の通りである。
ことの一件の報告をうけた徳川家康は、公儀が派遣した村詮を殺害した事件、その全容に恐ろしいまでの怒りを露わにした。
事件解決のため派遣された目付、柳生宗矩は、安井と天野を問答無用で腹を召させた。
事件を阻止出来なかった咎により江戸において切腹差せた者も多い。
公儀、徳川家康――江戸幕府は、村田一忠に於いてはお膝元である品川宿に御止めで、事実上の謹慎に収め、以降、処罰なく米子を治めることとなる。
これは、戦のためとはいえ幼き、いや、若き小早川秀秋を翻弄した家康が、この若き藩主に罪悪感にも似た同情を感じたためだと言われている。
そして横田一族が保護される少し前、死体検分のため、柳生宗矩は軍陣八幡宮――宗章が斬り死にした神社へと向かった。
そこに横たえられた宗章の死に顔、傷だらけの肉体を見、とりわけ深い左頬の傷跡を撫でながら、はらりと落涙し――。
「間違いなく、兄上でござる」
そう言葉を詰まらせた。
検分役の他数名も、冷徹な柳生宗矩の涙に言葉がなかったという。
柳生宗矩は、遺品である折れ果てたものや刃こぼれ激しい太刀のなかに、柳生伝来の初代兼定がほぼ無傷で残っているのを見て、深く黙考したという。
「どこぞの手勢に分捕られるかとも思いましたが、襲った盗賊連中は死体を放り投げて遁走しておりました。よほど、この御仁が強かったのでしょう」
「二十八人。――」
「左様です。そこで力尽きたと看ます」
自分でも、関ヶ原で甲冑武者をいちどきに七人斬り伏せた。
しかし、兄はそれを上回った。
「俺の勝ちでいいか」
そんな声が聞こえた気がした。
やっと、宗矩は笑った。
「で、その遺された太刀は。――」
「や。出来は素晴らしいのですが、作風も五箇所伝のあちこちに似ており、さりとてナカゴにはただ一文字『藤』とだけ。偽物は各上の銘を刻むもの。不思議ですな、どれも偽物ということなのでしょうか」
「で、あろうか。……この太刀は」
ひとつ、気になる太刀が添えられている。
白木の鞘に入った、実戦で使うには相応しくない姿の太刀である。
「鎧武者相手に、がむしゃらに斬り込んだような刃こぼれ、そして物打ちの欠け、折れ、削られたナカゴ、本来なら相当の名物でしょうが」
「本物ならばな」
しかし、この毀れかたは、剣者の、柳生の者の振るいし技術の起こすそれではない。まるで、宗章が倒れた跡、霧に紛れて誰かが戦ったかのような、そんな無謀な毀されかたであった。
太刀は、健全ならば都の作風のものだろうか。
「銘は、削られておるな。これも、『藤』であろうかな」
「はて。――」
宗矩はこの一件の落着を以て、江戸に帰る。
柳生宗章の骸は、この後、菩提寺にて荼毘に付され弔われる手はずとなっていた。
しかし、死体を清めようと、深夜、ひとりの坊主が湯灌の用意をしていたときである。
ふと寒気と霧を感じて境内に戻ると、死体の目がかっと見開き、坊主が悲鳴を上げて腰を抜かす。
その隙に死体は――。
「きえい」
と、まるで猿のような奇声を上げて飛び消えたという。
その顛末を訊いた宗矩は、別段驚きもせずに、江戸で苦笑交じりに頷いてみせた。
「実に兄上らしい」
これが、柳生宗章の了である。
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