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刀剣が持つ魔性
第14話『太閤参内話』
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武士の中に、『源氏の頭領』という概念がある。
足利義輝の暗殺によって事実上終わった室町時代が象徴する、『将軍(征夷大将軍)』という役職のことである。
以後、擁立となった将軍こそいたものの、その実、擁立した武将の傀儡に過ぎなかった。それでもなお、軍を率いるものである以上、武士のみの頂点という意味合いを持つ。
貴族は公家であり、最高権力者は事実上、成立上、天皇に在った。
武家と、公家、そして禁中(皇室)。日本の権力はこの三角で構成されていた。別勢力である寺社仏閣の力を削いだ武将たちの苦労如何に伺うやという構造であったろう。
つまり、権力者であろうと思ったのなら、天皇に拝謁できる身分を得ての参内が絶対条件となる。その身分こそが禁中並びに公家の職、そのうちがひとつの通称『太閤』である。
将軍家を抑え武門を抱え込みつつあった信長の後を継いだ秀吉の、公家と禁中を抑えるために苦悶したもうひとつの戦国であろう。
「参内は、山城の気風に満ちた腰の物をという定めがございます」
「やはり宗近か」
聚楽第で相談を受ける本阿弥光徳は、刀の流派一大ブランドのひとつである、京都を中心とした『山城伝』のものを参内必須の格と箔であると知っている。秀吉の返す宗近というのは、京都の南、三条に拠点を構える刀工のことである。
着物は、どうとでもなる。人に合わせ時代時代で繕い直すものだからだ。
しかし、この『格調を求められる装備品』だけは、秀吉も金の力でなんとかするのにかなりの時間を要したと言ってもいい。戦国が国土と名物の奪い合いという側面を持つのは、この参内を可能たらしめる箔の獲得が権力掌握の最終的な条件であることが大きい。
公家の、とりわけ摂家の定番は、名高い『三条宗近』であり、秀吉はこの宗近の作として、ふたつ名を持つ『三日月宗近』を所有している。この宗近がなければ太閤には就けなかったであろう大名物である。
「でしょうが。――」
「やはり、藤四郎か」
光徳の前にはもうひとつの刀がある。
いままさに渦中にある藤四郎の作、『一期一振』である。
吉光藤四郎、この刀工も京都は帝のお膝元で許された山城伝の刀工であり、御所に近い粟田口地区を代表する名工である。
「公家の箔を塗り替えるならこその『藤四郎』。粟田口吉光の『一期一振』である必要がございましょう」
「公家の箔を塗り替えるか」
慎重な秀吉が、この禁中並びに公家に対する侵略戦争を仕掛けているのは豊臣家のためである。帝には尊皇敬意しかないが、公家には反吐が出る思いだったからだ。腐った格式を日本の宝と謳われるのは、本物の名物を目にしていると信じている秀吉には我慢が出来なかったのだ。
(この私が、畏れ多くも帝に本物の格式をお渡しするのだ)
大それた着想であった。
そのための『一期一振』であった。
だからこそ、今回の一件。実に巧妙に上杉が仕掛けてきた大爆弾であったのだ。箔を得るのに、箔を上書きするのに「まさか偽物を用意してまで御帝をたぶらかすとは」となっては、この数十年の戦いが無――となる。
あってはならない事態である。
「ご覧くだされ。この三日月宗近、上品な小板目が能く詰み上がり、刃紋は切っ先よりススりと小乱れ、小沸、半ばより刃区に掛けての『打ちのけ』が刃縁にそり、みっつ」
この『打ちのけ』というのは、焼入れの際に生じた三日月状の模様のことである。これがしきりの働くため、この宗近の別名は『三日月宗近』とされている。かつては足利義輝が所有していた大名物であり、刀剣界の横綱である。
「余を太閤にのしあげた太刀よ」
「まさに。して、こちらの一期一振は。――」
「真正のものであろうな」
「殿下」
さしもの物言いに、秀吉も「すまんすまん」と苦笑する。だが、それほどまでの懸念であったのだ。
白鞘を外し、刀身を吟味する。
光徳はナカゴを秀吉に差し出し、検めさせる。
「小板目の肌も、地沸も、刀剣史上最上位のものかと。同じく将軍足利義昭さまが所有していた鎌倉期の大名物でございます。格、箔、決して劣るものではございません」
「かつては宗近が太閤に、して此度、藤四郎は俺を何に仕立て上げるや」
「……。――」
関白秀吉が己を「俺」と無意識に呼称したとき、かつての戦乱を刀刃片手に走り抜けた青春時代に心が戻った証左であることを知っている。野心である。
「殿下」
「すまぬな。口では帝に新しい箔をと申しておきながら、その実。――」
「お話になると刀身に飛沫が」
その先に続くであろう「己が帝にならんと」たる意味合いの言葉を、マナーで飲み込ませ、光徳は刀身を預かりなおしひと息つく。
(まこと名物は人の心をかように惑わす。本阿弥家のものとして、揺れぬよう心せないかんな)
「して、どちらに致すか」
「一期一振をおいて他にはありますまい」
迷うようなそぶりの秀吉に、光徳は即座に「藤四郎は殿下の運命を切り拓いたもの」と重ね、念を押して勧める。その圧に、さしもの秀吉が一瞬息を呑むほどであった。
「光徳」
「拵えは、お任せくだされ。決して公家の面々に劣らぬものをご用意いたします。公家平安の終わりの宗近の箔を、武門鎌倉の始めたる藤四郎で上書きするに意味がございます」
「光徳」
二度目の呼びは、咎める気風が強かった。
秀吉自身自らの口で言いそうになった禁中への侵略を、この刀剣研師は時代来歴をもとに臭わせてきてしまったのだ。
「平安の終わりの宗近を。――」
「鎌倉の始まりである藤四郎で」
秀吉は、その魔性の言葉の響きに脳を融かされ始めているのに気が付いた。いや、融かされているのは外側だけである。熟した柿の皮がべろりと捲れるようにあらわれた己が本性を自覚するや、秀吉は掌にじっくりと汗を掻いていたのにも気が付く。
「できるか、光徳」
「できましょう。この光徳、案がございます」
「申せ」
平伏する光徳が語ることに、秀吉は再度、この男に対して恐怖を覚える。
「なんと、申した」
「参内の後、『一期一振』を打ち刀に擦り上げると申しました」
「擦り上げる。――」
光徳は頷いた。
「古き姿の太刀を、新しき打ち刀の姿へ変えることこそが狙いであります」
「と、藤四郎が唯一無二の太刀を擦り上げる。貴様、なんと畏れ、恐れ多いことを。日の本の宝ぞ」
「大名物であれ、用いることが大前提の武器である以上、武門の殿下にあわせて短く拵え直すのに何の不都合がありましょう。その姿を禁中の公家にお見せなされ。度肝が抜かれましょう」
この男を殺さねばならぬ。
秀吉は強く思った。
しかし、ふと、光徳は柔らかく笑う。
「殿下、擦り上げでもよい一期一振ならひとつあるではありませぬか」
「光徳。――」
秀吉は膝を打った。
影武者を擦り上げるとは、思い至らなかった。
禍転じて福と成す、その思考に、名物の威光に頼ってきた秀吉にそれは思い至らなかった。人命ならばいかようにもできるが、その戦国の気質は確かに本阿弥にも流れている様子であった。
「ナカゴの錆、いかようにも。銘は切り外し、額銘とすれば後生まで語り継がれましょう。『太閤藤四郎』との号で」
「太閤藤四郎」
「一期一振はそのまま。後の世、唯一の太刀がそれであり、擦り上げ打ち刀が太閤藤四郎と呼ばれる未来、いかがでございましょうか」
「貴様もなかなかの武人よの」
「一介の研ぎ師なれば」
平伏する。
秀吉はその頭に、やはり殺すべきかと考え始めてしまう。
「茶器は使いますが、刀剣はこれから使うことも少なくなりましょう」
「であるか」
「新しき箔を」
面を揚げ、じっと見据えてくる光徳に、秀吉の隠れた殺意が霧散する。
この男もまた、刀剣の魔性に魅入られたものなのだ。
「なに、話の流れ如何では、いくらでも複製が可能でございましょう」
「鍛治師の技か」
「如何様」
「こうなると、あの野良犬の働きが重要になるか。よし、三成にはこれ以上の手出しは無用とさせる」
「はは。――で、真田の、信繁さまの一件は」
「そこは武門に俺に任せておかぬか、光徳」
その笑いに、光徳は「やはりこの太閤には早々に死んでいただかなくてはなるまい」と、そう思わせるに充分な魔性を帯びていた。
足利義輝の暗殺によって事実上終わった室町時代が象徴する、『将軍(征夷大将軍)』という役職のことである。
以後、擁立となった将軍こそいたものの、その実、擁立した武将の傀儡に過ぎなかった。それでもなお、軍を率いるものである以上、武士のみの頂点という意味合いを持つ。
貴族は公家であり、最高権力者は事実上、成立上、天皇に在った。
武家と、公家、そして禁中(皇室)。日本の権力はこの三角で構成されていた。別勢力である寺社仏閣の力を削いだ武将たちの苦労如何に伺うやという構造であったろう。
つまり、権力者であろうと思ったのなら、天皇に拝謁できる身分を得ての参内が絶対条件となる。その身分こそが禁中並びに公家の職、そのうちがひとつの通称『太閤』である。
将軍家を抑え武門を抱え込みつつあった信長の後を継いだ秀吉の、公家と禁中を抑えるために苦悶したもうひとつの戦国であろう。
「参内は、山城の気風に満ちた腰の物をという定めがございます」
「やはり宗近か」
聚楽第で相談を受ける本阿弥光徳は、刀の流派一大ブランドのひとつである、京都を中心とした『山城伝』のものを参内必須の格と箔であると知っている。秀吉の返す宗近というのは、京都の南、三条に拠点を構える刀工のことである。
着物は、どうとでもなる。人に合わせ時代時代で繕い直すものだからだ。
しかし、この『格調を求められる装備品』だけは、秀吉も金の力でなんとかするのにかなりの時間を要したと言ってもいい。戦国が国土と名物の奪い合いという側面を持つのは、この参内を可能たらしめる箔の獲得が権力掌握の最終的な条件であることが大きい。
公家の、とりわけ摂家の定番は、名高い『三条宗近』であり、秀吉はこの宗近の作として、ふたつ名を持つ『三日月宗近』を所有している。この宗近がなければ太閤には就けなかったであろう大名物である。
「でしょうが。――」
「やはり、藤四郎か」
光徳の前にはもうひとつの刀がある。
いままさに渦中にある藤四郎の作、『一期一振』である。
吉光藤四郎、この刀工も京都は帝のお膝元で許された山城伝の刀工であり、御所に近い粟田口地区を代表する名工である。
「公家の箔を塗り替えるならこその『藤四郎』。粟田口吉光の『一期一振』である必要がございましょう」
「公家の箔を塗り替えるか」
慎重な秀吉が、この禁中並びに公家に対する侵略戦争を仕掛けているのは豊臣家のためである。帝には尊皇敬意しかないが、公家には反吐が出る思いだったからだ。腐った格式を日本の宝と謳われるのは、本物の名物を目にしていると信じている秀吉には我慢が出来なかったのだ。
(この私が、畏れ多くも帝に本物の格式をお渡しするのだ)
大それた着想であった。
そのための『一期一振』であった。
だからこそ、今回の一件。実に巧妙に上杉が仕掛けてきた大爆弾であったのだ。箔を得るのに、箔を上書きするのに「まさか偽物を用意してまで御帝をたぶらかすとは」となっては、この数十年の戦いが無――となる。
あってはならない事態である。
「ご覧くだされ。この三日月宗近、上品な小板目が能く詰み上がり、刃紋は切っ先よりススりと小乱れ、小沸、半ばより刃区に掛けての『打ちのけ』が刃縁にそり、みっつ」
この『打ちのけ』というのは、焼入れの際に生じた三日月状の模様のことである。これがしきりの働くため、この宗近の別名は『三日月宗近』とされている。かつては足利義輝が所有していた大名物であり、刀剣界の横綱である。
「余を太閤にのしあげた太刀よ」
「まさに。して、こちらの一期一振は。――」
「真正のものであろうな」
「殿下」
さしもの物言いに、秀吉も「すまんすまん」と苦笑する。だが、それほどまでの懸念であったのだ。
白鞘を外し、刀身を吟味する。
光徳はナカゴを秀吉に差し出し、検めさせる。
「小板目の肌も、地沸も、刀剣史上最上位のものかと。同じく将軍足利義昭さまが所有していた鎌倉期の大名物でございます。格、箔、決して劣るものではございません」
「かつては宗近が太閤に、して此度、藤四郎は俺を何に仕立て上げるや」
「……。――」
関白秀吉が己を「俺」と無意識に呼称したとき、かつての戦乱を刀刃片手に走り抜けた青春時代に心が戻った証左であることを知っている。野心である。
「殿下」
「すまぬな。口では帝に新しい箔をと申しておきながら、その実。――」
「お話になると刀身に飛沫が」
その先に続くであろう「己が帝にならんと」たる意味合いの言葉を、マナーで飲み込ませ、光徳は刀身を預かりなおしひと息つく。
(まこと名物は人の心をかように惑わす。本阿弥家のものとして、揺れぬよう心せないかんな)
「して、どちらに致すか」
「一期一振をおいて他にはありますまい」
迷うようなそぶりの秀吉に、光徳は即座に「藤四郎は殿下の運命を切り拓いたもの」と重ね、念を押して勧める。その圧に、さしもの秀吉が一瞬息を呑むほどであった。
「光徳」
「拵えは、お任せくだされ。決して公家の面々に劣らぬものをご用意いたします。公家平安の終わりの宗近の箔を、武門鎌倉の始めたる藤四郎で上書きするに意味がございます」
「光徳」
二度目の呼びは、咎める気風が強かった。
秀吉自身自らの口で言いそうになった禁中への侵略を、この刀剣研師は時代来歴をもとに臭わせてきてしまったのだ。
「平安の終わりの宗近を。――」
「鎌倉の始まりである藤四郎で」
秀吉は、その魔性の言葉の響きに脳を融かされ始めているのに気が付いた。いや、融かされているのは外側だけである。熟した柿の皮がべろりと捲れるようにあらわれた己が本性を自覚するや、秀吉は掌にじっくりと汗を掻いていたのにも気が付く。
「できるか、光徳」
「できましょう。この光徳、案がございます」
「申せ」
平伏する光徳が語ることに、秀吉は再度、この男に対して恐怖を覚える。
「なんと、申した」
「参内の後、『一期一振』を打ち刀に擦り上げると申しました」
「擦り上げる。――」
光徳は頷いた。
「古き姿の太刀を、新しき打ち刀の姿へ変えることこそが狙いであります」
「と、藤四郎が唯一無二の太刀を擦り上げる。貴様、なんと畏れ、恐れ多いことを。日の本の宝ぞ」
「大名物であれ、用いることが大前提の武器である以上、武門の殿下にあわせて短く拵え直すのに何の不都合がありましょう。その姿を禁中の公家にお見せなされ。度肝が抜かれましょう」
この男を殺さねばならぬ。
秀吉は強く思った。
しかし、ふと、光徳は柔らかく笑う。
「殿下、擦り上げでもよい一期一振ならひとつあるではありませぬか」
「光徳。――」
秀吉は膝を打った。
影武者を擦り上げるとは、思い至らなかった。
禍転じて福と成す、その思考に、名物の威光に頼ってきた秀吉にそれは思い至らなかった。人命ならばいかようにもできるが、その戦国の気質は確かに本阿弥にも流れている様子であった。
「ナカゴの錆、いかようにも。銘は切り外し、額銘とすれば後生まで語り継がれましょう。『太閤藤四郎』との号で」
「太閤藤四郎」
「一期一振はそのまま。後の世、唯一の太刀がそれであり、擦り上げ打ち刀が太閤藤四郎と呼ばれる未来、いかがでございましょうか」
「貴様もなかなかの武人よの」
「一介の研ぎ師なれば」
平伏する。
秀吉はその頭に、やはり殺すべきかと考え始めてしまう。
「茶器は使いますが、刀剣はこれから使うことも少なくなりましょう」
「であるか」
「新しき箔を」
面を揚げ、じっと見据えてくる光徳に、秀吉の隠れた殺意が霧散する。
この男もまた、刀剣の魔性に魅入られたものなのだ。
「なに、話の流れ如何では、いくらでも複製が可能でございましょう」
「鍛治師の技か」
「如何様」
「こうなると、あの野良犬の働きが重要になるか。よし、三成にはこれ以上の手出しは無用とさせる」
「はは。――で、真田の、信繁さまの一件は」
「そこは武門に俺に任せておかぬか、光徳」
その笑いに、光徳は「やはりこの太閤には早々に死んでいただかなくてはなるまい」と、そう思わせるに充分な魔性を帯びていた。
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