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ふたつの『一期一振』

第2話『柳生宗章という男』

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 さて面白いことになったと一息ついたころには、刀蔵には宗章と光徳、そして一期一振をふた振り乗せた忍者の死体のみが残されていた。秀吉も光成もとっくにいなくなっている。

「本阿弥殿、刀をどけてもらわねば死体の始末ができませぬ」
「殿下もおらぬゆえ、せっかくだからよく見ておいきなさい」

 さて面倒くさいことになったと息をのんだときには、偽物とされた一振りのナカゴが差し出されていた。手入れこそすれ、刀の鑑賞作法など知らぬ男である。

「古の鉄の味を帯びた、真新しき粟田口。この鍛冶師を見つけたら、まずは生け捕りに。鉄の製法を何としても聞き出していただきたい」
「こちらは偽物。本物は――」
「もう納めてあり申す」

 本物の一期一振は、どうやら死体に横たえているひと振りのほうだったらしい。確かにいま自分が受け取ったひと振りは、ナカゴの錆がない。話半分で聞いていたが、うりふたつらしい。玄妙なハモンだとかニエだとか、そういう類の食指は自分より弟の宗矩のほうが精通している。

「確かに斬れそうだ。玄妙不可思議な刀の――鉄の味わいについては、無教養の無骨故にわかり申さぬ。が、吸い込まれるような鉄の白には不思議な魅力を感じぬこともなく。使うならば好みに合いませぬが、さて」
「見ておくとよい。この粟田口吉光、通称『藤四郎』の作風は唯一の手掛かりですゆえ。……なればこそ、いまここに私が残り、宗章殿が残っている理由なれば」

 なるほどな。と、宗章は首肯した。
 それから行燈のか細い明りで特徴などを見比べながら、明け方までふたりは言葉と知識を交えた。三重の鎧戸をずらし開きながら、光徳は「陽光が刀の鑑定に向くことも多かろうが、まことは行燈の温い光こにこそ浮かび上がり申す。そしてそれを超えるのが、払暁・暁のか細き陽光」と、もういちど宗章を促す。

「鎬から刃にかけた狭間に、スっと切っ先まで伸びる真白きものが見えましょうか」
「うム。――」確かに見える。宗章は息をのんだ。
「武芸者でそれが見えるなら、たいしたものです。『映り』でございます。古の鉄のみ生じる鎬地の蜃気楼。よぉ覚えてくださりませ」

 理屈では、白き影などできるはずもなく。
 しかし、古の鉄は浮かび上がらせる。

「古刀の魅力か」
「再現不能の鉄味の極致であろうかと」
「なるほど、名物というものが褒美になる理由がわかり申した」
「ゆえに、ことの切迫はよくわかるかと。価値というもの、名物がくにと匹敵する褒美たる根拠、命の代わりとなる道理が瓦解しようとしているのです」

 本物と同じ新作。偽物ではない。完全な量産品となり果てるのだ。

「なるほど天下の一大事。だが、それだけではあるまいて」と宗章。
「是非に。この技術、受け伝えるべきかと」光徳は正直に首肯する。

 ゆえに「製法を聞き出せ、か」と述懐する宗章に「如何様いかさま」と光徳は返す。英知復活、鉄味の再臨は天下太平よりも重いといったに等しい。恐らく光徳は生け捕りを依頼するだろう。秀吉がいないのをいいことに、己の欲を抑えずにいる。

「講釈の代価にしては、チト高ぉないですかな」

 忘れていたかのように、宗章は忍者の死体の襟首をたぐり寄せ、脱命させた己が脇差しを拭いながら引き抜く。大気に曝されていなかったが、それでもドロリとした赤黒い体液が付着し、切っ先まで尾を引くように伸び、乾き始める。
 ヒョイと手を出した光徳に促されるまま、宗章は脇差しを渡す。受け取った彼が懐から素焼きの小瓶を出し、中身を布に含ませながらじっと目を伏せる。
 きつめの清酒を含ませた布か、酒の香りが白んだ部屋に漂う。揮発しやすく汚れを拭いやすくするための工夫である。丹念に刀身を拭い、打ち粉をふって拭うまでの汚れではないと判じ、光徳はその刀身に目を向ける。

「この本阿弥の手入れで駄賃とはいきますまいか。美濃の掟どおりの、善い刀ですな」
「折り紙がつくならこの一件考えぬでもないのだが。――」

 折り紙とは鑑定書である。
 本阿弥の折り紙付きであれば、その内容は真となる。

「初代兼定――の偽物ぎぶつ

 ぴたりと光徳は言い当てる。
 美濃ものといえば二代兼定と孫六兼本を挙げる者が多いが、実用ならば初代兼定に限ると光徳は断じる。今は預け、帯びていない太刀もそうであろう。草臥れた格好をしているが、なるほど、それでも柳生の男であるなと頷き、返す。
 それを鞘に納めながら宗章は「柳生の鍛冶が打った」と笑う。
 つられて笑う光徳は「地鉄がやや劣る。研ぎと鍛練は上々作かと」と素直に頷く。

「とても三十人あまりを斬り伏せた刀身とは思えませぬ」
「ほぅ。――」

 またしても、ぴたりと。光徳は言い当てた。

「なに、武者修行ゆえ」
「よくぞ生きておいでだ。太刀の方を見るのが怖ぉござるよ」
「あちらはそれほど多くはない」

 宗章は忍者の死体から血液が零れていないのを確認し、ひょいと担ぎ上げる。光徳は本物の一期一振を納めた天の櫃を一瞥し、偽の一期一振を手に立ち上がる。

「この白鞘のほおのき、香りがまさに磐梯北嶺の気配。越後とまでは断ぜませぬが、あながちでは。で、その死体は検分するので?」
「いや、弔ってやるさ。胃の腑に残ったもの、手足の特徴、切り検べる趣味はない。それに」
「それに?」
「忍者は証拠を遺さぬものだ」
「ですかな」

 これには光徳も従うほかはない。

「鍛治師の件、なにとぞ」
「なに、製法そのものを聞いたところで俺にはわからんだろうしな。ともあれ、鍛冶場に落ちてるめぼしいものくらいは拾っておくさ。見つけられたらの話だが」
「生きのこれば、ではなく、ですか」
「柳生新陰流は負けぬ為の剣ゆえ」

 ふふ、と笑う。
 光徳と宗章は刀蔵をあとにする。入れ替わりに警護の者が引き継ぎ、帰りしなに返された太刀を腰に、宗章は担いだ死体越しに光徳に「それでは」と一礼。光徳も「ではお頼み申す」と返し、去りゆく。

(あの太刀、やはり兼定か)

 脇差しとは違い、偽物の臭いはしなかった。分かるのである。本阿弥光徳は、鉄を臭いで嗅ぎ分けるのだ。さらには、拭いきれぬ血の香り。いったい何人の命を奪ってきたのであろうか、予想もつかない。

 光徳の気配が遠ざかると、担ぎなおした死体を軽々と、城を抜け、城下へと。宗章が見上げる月は白んだ空に薄く消えようとしていて、あとすこししたら雲間に隠れ陽光に消されるのだろう。

(なくなるわけではない。見えなくなるだけだ)

 世話になっている小早川屋敷へ向かう途中、ふと道をそれる。山門が見えると、大慶寺の一画へと曲がる。ひっそりとした空気の中、漆喰の塀に寄りかからせるよう死体を座らせ、「お返しいたす」と背後に声をかける。

「なに、名乗らずともよい。俺は柳生宗章。刀蔵の番をしておったがゆえ、斬り申した。……遺体を辱めるつもりはない。お返しいたす」

 そう言葉にして、宗章はゆっくりと振り返る。
 暁の空を背に、ひとりの武士が立っていた。
 短躯といってもいい。しかし四肢はがっしりと太く、酒樽に手足が生え、煙草入れのような顔がでんと乗っかっているような男である。
 男は無言であった。

「この者は、忍者ではありますまい。おそらく、鍛冶師。身体を検めれば素性にかかわる証拠はいくらでも出てきましょう。遺体を辱めてでも、関白一党は叩いて埃を出す。そういう連中よ」
「貴殿はそうせぬと」

 初めて酒樽が口を開く。神妙沈思を思わせる太い声だった。

「死体を検めるため、屋敷に入る。……その前にこれを奪取せんと見張っていたのは存じている。傷は一条、正面より鎖骨から心臓を貫きおろし申した」
「そうであったか」

 酒樽が一礼する。
 五歩ほど後ろへ退いた宗章が譲った場に、男がすたすたと。着ているものに身分や素性を表すものはなかったが、やや柄の長い太刀と菖蒲しょうぶの鍔が目に留まる。
 菖蒲しょうぶ勝負しょうぶに通じ、別名の菖蒲アヤメ殺めアヤメに通じる。抜けば必殺の意を込めた拵えとあれば、腕もたつだろう。その証拠に、死体を担ぎ上げる際もこの男は目線も体制も崩さずにこなし、ススと下がり直す。打ち込む隙のない所作であった。

「では、後日。越後にて」と、宗章。
「承知仕った」と、男。

 間合いから外れて歩き去る男が丁字路の向こうへと消えると、「こういうのは苦手なんだがな」と無精ひげが混ざり始めた顎を掻く。

「ところで、仕掛けてくるなら相手になるが。――」

 宗章が静かに告げると、背後に気配がふたつ――現れた。
 忍び装束のふたりである。濃緑色のそれをまとっている。刀蔵で死んだ男のそれと同じである。忍びは単独で動くことはまれである。必ず虚実併せて動く。

「その働き、月影のごとく」

 とん、と――刀の柄に右手を置く。「やるかね」という促しである。しかし相手は乗ってはこなかった。そのまま土塀を超えて姿を消す。達者の動きか、気配はもうすでにない。
 そんな、ふと気を抜いた瞬間のことである。
 宗章はヒョイとばかりに一歩左へとずれる。今までいた場所に風切りの音が走り、通り向こうに矢が刺さる。射角から見て、寺の松の上。もう姿を消しているだろう。

(なくなるわけではない。見えなくなるだけだ)

 これだから忍者の相手は気が抜けぬ。されど、これは挨拶の類。
 ゆえに、越後では呵責なく血刃が舞うであろうことは明白である。

「ほんとに越後かあやしいが。下命とあらば行かねばならぬが。ええい、しかし殿には何といえばよいものか。勝手に首を突っ込んだわけでもなし。なんとかなればよいのだが。俺に宮仕えはできぬよ、まったく」

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