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第三章 呪い目の不動明王
第25話『鬼哭剣――死逢独楽』
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無貌の忍者が直刀片手に、藤の左右前腕より生え伸びた二刀の刀身を受け流す。生え来る速度はバネ仕掛けの無音動作のようで、藤の持つ殺気がその意識を向ける一瞬がなければ察知するのは不可能と思われた。
必殺の左右撃ちを凌がれた藤はふたたびトンボを返して空へと逃げる忍者を面白そうに見、己が生やした刀身に微かな刃こぼれを確かめて表情を引き締める。
鬼の美が、滲み出す。
「備中、三原玄真。――」
備中三原は備前長船の西に現存する工房である。
ブランドでは備前長船の後塵を拝するも、細直刃の利刀を愛する者は多い。その直刀が、藤の刀身を傷つけながら受け流したのだ。
(技量は、忍びが上手か。しかし、藤の鬼気は彼奴を上回る。これは面白い)
宗章の感受はそう見取り、「これは危ういかもな」と独りごちる。双方左右を入れ替え着地し、ジリとばかりに具合を伺い合う。
忍者の背中が、宗章の間合いに入っている。
無防備な背中であった。
「斬りたくなったら斬ってもよいぞ、侍」
忍者がにやりと笑った気配がする。誘いか――と宗章も笑い「その瓶の底の内、どうやら顔はあるようだな」と腕を組む。忍者も誘いに乗らぬ彼が自ら二歩三歩と退くのを感じ取り「酔狂者め」と苦笑する。
「息は整ったか、顔なし」
藤は、腕から生やした刀身を引き戻し、再度、ゆっくりと生やす。光る刀身は、均一な湾れの刃。刃こぼれが、体内で治されたのだと理解したとき、忍者を徹して宗章にまで届く殺気が吹き付けられた。
――いや、妖気か、鬼気か。
はたまた。
忍者は腰を深く落とす。背は垂直だが、膝は直角に曲がっている。後ろに倒れかねない重心だが、つま先が開いており縦横無尽に身を移せる柔らかい構えであった。
三原玄真は左逆手、鋒はそのまま左水平に流れている。
柄に右手手刀を添える。
「おん、まりしえいそわか」
真言。
摩利支天のタントラである。
ゆるりと、忍者の体が前に倒れる。両足は曲げたまま、大地に倒れる寸前の刹那。
刎ね飛び銀光引く無貌の濃緑は地を跳び這う一条の矢の如し。
瞬く間に間合いを詰めた忍者の肉体が藤斬丸に迫る。
藤の体は、呼応するかのように旋風に廻る。
颶風、左旋回。
刹那、互いの間合いが存分に肉薄した瞬間である。
忍者の肉体が慣性を無視したかのように垂直に跳ね上がる。
藤斬丸の下肢より新たに生えたふた振りの刀身、あわせ四丈の刃が忍者の肉体を細切れにせんと併せて中空へと飛ぶ。
「顔削ぎ御免。――」
「鬼哭剣死逢独楽。――」
銀光の旋風が舞ったは僅か数瞬。
合い撃った金属音は実に十と四度。
藤斬丸の刀身は、その旋風の中、己が体表を自在に滑り移る四本の刀閃を巻打つように見舞っていた。刀は手で固定し撃つものという常識をただでさえ裏掻く下肢の刀身、さらにその常識すら一枚も二枚も上回る人外の刀術であった。
忍者はその悉くを逆手の三原玄真で受け流した。
その数、十と三度。
三原の太刀はそこで忍者の手より弾かれた。
が、刹那。
「ちぇい」
裂帛の気合い。
熊手のような右開手が藤の顔面を抉るよう振り抜かれた。
無明、顔削ぎ。
無貌の忍者が必殺の一撃は太刀によるものではなかった。その鍛え上げられた鋼鉄が四肢による人体破壊こそが真であった。
されど。
――ギン。
と、遅れて一度。
その手は藤の額から生えた角――剣の茎によって強かに弾かれていた。
これで十と四度。
苦し紛れの牽制は、互いに空を切っている。
跳躍が頂点に達したとき、睨み合ったままゆるりと双方着地する。肉薄漆膠の間合いである。
常ならば、この間合いから繰り出せる技は、そう多くはない。
常ならば。
仕掛けるか、と思ったとき、スッ――と間合いを離したのは藤斬丸の方であった。
殺気は、霧散している。
「蹴足、か」
「四肢が武器は、忍びだけの得意ではない」
「鬼、一日の長か。――」
無貌の忍者が肩をすくめ、宗章を振り返る。
「俺の負けだ」
ぴしりと、無貌の瓶底が縦に割れ落ちる。
いつ放ったのか、藤斬丸の蹴りが当たっていたのだ。
そして、忍者の相貌が顕かとなる。
暫時、宗章は息を呑む。
「どうだ侍、思うておったような顔は在るか。――」
「男前だな。俺の次くらいだが。――」
面を削がれた髑髏が、纏った肉を歪ませた。笑ったのである。
辛うじて残った眼球、その鼻から下は亡い。下顎から鼻梁まで全き無である。その断面は赤黒き肉と血管で覆われているも、黄白色の骨が垣間見える。
どのように喋っているのだろうか。
「忍術を用いても、遁走は難しかろう。俺の負けだ。お主、但馬守に似ておるが。――」
「宗矩は弟だ」
宗章は三原玄真を拾い、刃を己に向け垂直に柄を差しだし返す。受け取った忍者が、頭巾の頬を寄せて顔を隠し、藤を振り返る。
「そんな顔をするな、鬼の娘。この醜顔を曝されたところでいかほどのものよ」
「……。――」
露わになった忍者の顔に一番衝撃を受けたのが藤斬丸であった。そのグロテスクな顔と、そうなるに至った経緯や、隠して生きてきたこの忍者の心胆を慮ってしまったのだ。
それがなければ、その菩薩心がなければ、あの肉薄した状況からいまだ死闘は続いていただろう。
毒気が抜かれたのだ。
「喘月の遣い手、よもや柳生とはな。新陰流、察するに陰流の刺客との因縁か。――」
「お主何者ぞ。いや、忍者に答えを聞こうとは思わぬが。――」
忍者は、腕を組み、フムと唸る。
「北条が家臣、尾白仁左衛門。またの名を――」
白濁した目がにやりと笑う。
「風魔小太郎。五代目、いや、末代か。――」
必殺の左右撃ちを凌がれた藤はふたたびトンボを返して空へと逃げる忍者を面白そうに見、己が生やした刀身に微かな刃こぼれを確かめて表情を引き締める。
鬼の美が、滲み出す。
「備中、三原玄真。――」
備中三原は備前長船の西に現存する工房である。
ブランドでは備前長船の後塵を拝するも、細直刃の利刀を愛する者は多い。その直刀が、藤の刀身を傷つけながら受け流したのだ。
(技量は、忍びが上手か。しかし、藤の鬼気は彼奴を上回る。これは面白い)
宗章の感受はそう見取り、「これは危ういかもな」と独りごちる。双方左右を入れ替え着地し、ジリとばかりに具合を伺い合う。
忍者の背中が、宗章の間合いに入っている。
無防備な背中であった。
「斬りたくなったら斬ってもよいぞ、侍」
忍者がにやりと笑った気配がする。誘いか――と宗章も笑い「その瓶の底の内、どうやら顔はあるようだな」と腕を組む。忍者も誘いに乗らぬ彼が自ら二歩三歩と退くのを感じ取り「酔狂者め」と苦笑する。
「息は整ったか、顔なし」
藤は、腕から生やした刀身を引き戻し、再度、ゆっくりと生やす。光る刀身は、均一な湾れの刃。刃こぼれが、体内で治されたのだと理解したとき、忍者を徹して宗章にまで届く殺気が吹き付けられた。
――いや、妖気か、鬼気か。
はたまた。
忍者は腰を深く落とす。背は垂直だが、膝は直角に曲がっている。後ろに倒れかねない重心だが、つま先が開いており縦横無尽に身を移せる柔らかい構えであった。
三原玄真は左逆手、鋒はそのまま左水平に流れている。
柄に右手手刀を添える。
「おん、まりしえいそわか」
真言。
摩利支天のタントラである。
ゆるりと、忍者の体が前に倒れる。両足は曲げたまま、大地に倒れる寸前の刹那。
刎ね飛び銀光引く無貌の濃緑は地を跳び這う一条の矢の如し。
瞬く間に間合いを詰めた忍者の肉体が藤斬丸に迫る。
藤の体は、呼応するかのように旋風に廻る。
颶風、左旋回。
刹那、互いの間合いが存分に肉薄した瞬間である。
忍者の肉体が慣性を無視したかのように垂直に跳ね上がる。
藤斬丸の下肢より新たに生えたふた振りの刀身、あわせ四丈の刃が忍者の肉体を細切れにせんと併せて中空へと飛ぶ。
「顔削ぎ御免。――」
「鬼哭剣死逢独楽。――」
銀光の旋風が舞ったは僅か数瞬。
合い撃った金属音は実に十と四度。
藤斬丸の刀身は、その旋風の中、己が体表を自在に滑り移る四本の刀閃を巻打つように見舞っていた。刀は手で固定し撃つものという常識をただでさえ裏掻く下肢の刀身、さらにその常識すら一枚も二枚も上回る人外の刀術であった。
忍者はその悉くを逆手の三原玄真で受け流した。
その数、十と三度。
三原の太刀はそこで忍者の手より弾かれた。
が、刹那。
「ちぇい」
裂帛の気合い。
熊手のような右開手が藤の顔面を抉るよう振り抜かれた。
無明、顔削ぎ。
無貌の忍者が必殺の一撃は太刀によるものではなかった。その鍛え上げられた鋼鉄が四肢による人体破壊こそが真であった。
されど。
――ギン。
と、遅れて一度。
その手は藤の額から生えた角――剣の茎によって強かに弾かれていた。
これで十と四度。
苦し紛れの牽制は、互いに空を切っている。
跳躍が頂点に達したとき、睨み合ったままゆるりと双方着地する。肉薄漆膠の間合いである。
常ならば、この間合いから繰り出せる技は、そう多くはない。
常ならば。
仕掛けるか、と思ったとき、スッ――と間合いを離したのは藤斬丸の方であった。
殺気は、霧散している。
「蹴足、か」
「四肢が武器は、忍びだけの得意ではない」
「鬼、一日の長か。――」
無貌の忍者が肩をすくめ、宗章を振り返る。
「俺の負けだ」
ぴしりと、無貌の瓶底が縦に割れ落ちる。
いつ放ったのか、藤斬丸の蹴りが当たっていたのだ。
そして、忍者の相貌が顕かとなる。
暫時、宗章は息を呑む。
「どうだ侍、思うておったような顔は在るか。――」
「男前だな。俺の次くらいだが。――」
面を削がれた髑髏が、纏った肉を歪ませた。笑ったのである。
辛うじて残った眼球、その鼻から下は亡い。下顎から鼻梁まで全き無である。その断面は赤黒き肉と血管で覆われているも、黄白色の骨が垣間見える。
どのように喋っているのだろうか。
「忍術を用いても、遁走は難しかろう。俺の負けだ。お主、但馬守に似ておるが。――」
「宗矩は弟だ」
宗章は三原玄真を拾い、刃を己に向け垂直に柄を差しだし返す。受け取った忍者が、頭巾の頬を寄せて顔を隠し、藤を振り返る。
「そんな顔をするな、鬼の娘。この醜顔を曝されたところでいかほどのものよ」
「……。――」
露わになった忍者の顔に一番衝撃を受けたのが藤斬丸であった。そのグロテスクな顔と、そうなるに至った経緯や、隠して生きてきたこの忍者の心胆を慮ってしまったのだ。
それがなければ、その菩薩心がなければ、あの肉薄した状況からいまだ死闘は続いていただろう。
毒気が抜かれたのだ。
「喘月の遣い手、よもや柳生とはな。新陰流、察するに陰流の刺客との因縁か。――」
「お主何者ぞ。いや、忍者に答えを聞こうとは思わぬが。――」
忍者は、腕を組み、フムと唸る。
「北条が家臣、尾白仁左衛門。またの名を――」
白濁した目がにやりと笑う。
「風魔小太郎。五代目、いや、末代か。――」
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