それは喘月という名の妖刀

西紀貫之

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第三章 呪い目の不動明王

第23話『傍観者たちの悪辣』

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 毛利輝元の、数年毎の祈願について、ひとつ表に出ていることがらがある。

 慶長五西暦一六〇〇年、八月。
 関ヶ原の合戦、そのひと月前のことである。
 大阪城内の内殿に設けられた祭壇に、このような祈誓文を捧げたとされている。

 年に三度、三年にわたり供物を捧げますので、神妙天地、どうか私に勝利をくださいませ。

 そのような文章であったと伝わっている。
 その願文は後の世にも伝わるものであった。

 しかし、毛利輝元は関ヶ原当日は大阪城に籠もりきりであり、戦いには参加していない。養子と家臣のみが参戦している。
 この戦いで、件の毛利剣勇八部衆がうち陰流一派はすべて戦死している。

 この慶長五西暦一六〇〇年に捧げられしモノがなんであったのか。幕府が拓かれる慶長八西暦一六〇三年までに、なにが捧げられてきたのか。
 都合、九つの捧げ物は何であったのか。
 いまだかつて、それを知る者はいない。

 ――と、このようなことを語りながら、柳生宗矩は日暮れの神田川に延べ竿をヒュンと振り、釣り糸を垂らす。針には石の裏にいたミミズを使っている。

周防の御方毛利輝元と、大御所さま徳川家康の確執は、拙者が仕えし頃にはすでに根深ぉござった故。何が原因か、何が因果か、把握しきれぬものでございますれば」

 弟の述懐に「なるほどなあ」と頷き、宗章は同じようにヒュンと竿を振り、糸を垂らす。針の先には、弟につけてもらったミミズが仕掛けられている。

「此度の一件、いや、一件では済まぬか。一連の動き、駿府の爺さん徳川家康はどう思ってるんだか」
「代理の果たし合いで、何を決め合ったのか、はたまた、なにを反故にし合ったのかは、分かりませぬ。徒に命を損なわず、徒に世を騒がせず、なにかの遣り取りをしていたは明白。されど、何を遣り取りしたかとなると……。――」
「お主でも掴みきれぬか。これは初代半蔵もひとつ噛んでると見るべきだな」
「如何様」

 初代服部半蔵は、徳川家臣である。宗矩の部下である忍び一党とは別である。

「呪術。その一点に関しては、周防どのが無断で仕掛けてると見るべきでありましょう。大御所さまはじめ、魑魅魍魎呪術の類いには、とんと心を置いてはおりませぬ。信じていないのです」
「信じさせればよかろう」
「無駄でしょうな。いや、むしろ、そのような些事はそれがしの役目とばかりに。――」

 宗章はプっと噴き出す。
 哀愁を感じる中間管理職に向かい、「寄らば大樹とはいうが、宮仕えもたいへんだ喃」と労うも、宗矩が「なにぶん働かぬ身内の食い扶持を稼がねばならぬ故、致し方なく」と黙らせる。

 宗矩の浮きが、ピクリと動き――「……。――」すっと竿が跳ね上がるや、鮒が一尾釣り上げられる。大きい。今夕の肴になるであろう。

「ときに、宗矩。不動尊には、に、本尊の真下に新陰流の首が埋められておるぞ。江戸で殺した無辜の魂を口中が不動像に吸わせ、呪いの楔となっておる。先んじて廃することは考えておるのか」
「呪術には明るくない故、それが正しきかは分かりませぬ。が、呪い返しは呪いを掛けた相手が居ればこそ。兄上が先日仕ったように、反魂で黄泉返りし鬼を討ちし過程で解呪せねば、恐らく周囲は愚か大納言さまにまで累が及びましょう」

 正しき手順で、リスクを負わねば解くこと叶わず。
 それを、仕掛けた毛利輝元も、仕掛けられたことを知りながら後進に任せる徳川家康も、お互いひとつのことしか頭にはないのだ。

 毛利輝元は、大坂城にて豊臣再建と、大老職への復帰。
 徳川家康は、豊臣を滅ぼし盤石を得る、その一点のみ。

「老醜とは言わぬよ。お前の前だからな」
「何かがあったのは確か故、何故とは問いませぬが、確かに、どうしたいかすら分からぬのは、困りものですな。ま。かの御仁らは、武断の世の最後の爆弾でござる」

 違いない、と笑う宗章。
 また宗矩の浮きが、ピクリと動き――「……。――」すっと竿が跳ね上がるや、鮒が一尾釣り上げられる。やや小振りか。針を外し、川へと放す。

「悪辣のツケは、すべてこちら持ちにて」
「尻を拭くのはこっちか。まったく、世話の焼ける」
「そう、そう。兄上、『最後の爆弾』といえば、左近爺が隠居するそうで」

 プっと笑う。

「何度目の隠居かな。――」
「数えておりませぬが、おおよそ、いつもの年寄りの自棄ではございませぬ。どうやら、道場のご意見番も、代を譲るとの由。入道するとか、なんとか」
「何度目の出家かな。――」
「数えておりませぬ。ふふ。亡き息子の墓を護ると言っておりましたが、はたしていつまで続くやら」

 耳をすませば、「五郎坊ごろぼう」「又坊またぼう」と呼ぶあの声が聞こえてきそうではないか。

 次は宗章の浮きが、ピクリと動き――「……。――」すっと竿が跳ね上がるが、ポシャンと何かが逃げて行く。
 弟が笑う。「兄上、早きに過ぎて御座る」と、餌のミミズを付け直してあげる。

 ヒョイっと、糸を垂らし直す。

「尋常の立ち合いであったとか」
「左近爺とか」
「いや、佐々木重三郎なる陰流の遣い手」
「……。――」

 ああ、それか、と頷く。

「喘月の呪い、かくのごとし」
「兄上、喘月は。――」
「あんなお札でべっとべとな朱塗り鞘、差して歩けるものか。藤斬丸に預けてあるわ」
「腰に差すがつらくなってきたのでは。――」

 まったく、この弟は鋭い。
 血涙滲ませてからこっち、回復待ちである。
 ただ笑って、頷く。
 強がりはしない負けず嫌いである。

「沢庵和尚が、呪いの粘度が薄まり、かわって鋭さが増したとか申しておりました。灰汁が抜け、純粋な妖力が増したのでしょう。あくまで、和尚の弁ですが」
「夜は読経、まだ続いておるのか」
「如何様」

 大変な苦労だろう。
 まだ若いからできるのだろうが、さて……。

「小半蔵からは、なにか」
「兄上の言いつけ通り、備前での裏取りを進めております。ただ、毛利のお膝元、おいそれとはいかず」
「討たれた者はおるのか」
「おりませぬ」

 そうか、と宗章はひと息つく。

「して、兄上」
(嫌な予感がする喃)

 水面に顔を出す浮きから目を離さぬ兄に、弟が構わず話す。

「頼みたいことが二、三、あり申す」
「人を斬るなら受けぬぞ」
「それはよぉ御座いました」

 宗矩はにっこりと笑い、竿をヒュンと上げる。
 釣り上げられた鮒が、そのまま舞って、魚籠にするりと落ちる。針もうまく抜けている。技術であった。

 器用な男よ、と唸る宗章の耳に、よく分からない頼みが届いてくる。

「桜田門の妖怪を、すこし懲らしめて頂きたい」
「なんと。――」
「城侍の者が、何名も『見た』という、顔のない人間。ときに坊主、ときに侍、ときに町人、ときに夜鷹、ときに蕎麦の主人。次の望月まで暇そうにしておるので、どうかなと思いましてな」

 よくわからない。
 顔のない人間。目も鼻も口も、切り削がれたように何もないのであろうか。酷く残酷な想像をしたが、さにあらずと宗矩は言う。

とした、なにもない貌だそうで」
「柳生の郷の、木村助九郎みたいなつらか」
「……。――」

 珍しく笑いを堪えている。
 木村助九郎は共通の知り合いである。鼻低く目が小さいのっぺり顔だが、いずれは柳門の一角を担うであろう益荒男でもあった。が、やはりその優しい顔は愛嬌が勝る。
 堪える弟の笑いのツボをさらに押そうかとも思ったが、辞めた。

 しかし、単なる怪談であるならいいが、この科学万能の時代になにを――と最近まで思っていた宗章だが、同じく宗矩もだろう、「狐狸の類いなら懲らしめればよし、害為すモノなら。――」と宗矩。
 宗章は「斬るのか」と問う。
 宗矩は「さて、難しいところで」と糸を垂らす。

 小半蔵が漏らしていた、「魑魅魍魎のすべてを把握する」という宗矩の大計画、それは深々と静かに根深く進んでいるのであろう。特に、この江戸に於ける妖魅の引き起こす不可思議な現象は、捨て置くわけにはいかない。

 魍魎相手の事件始末屋というものが確立するまでは、このような些事――と思える案件をこなす者はいないであろう。
 知らぬ者、信じぬ者には、隠れた者は見ることができない。見たりと思えども、枯れ尾花であることがせいぜいだろう。

「どうしても、怪異に触れ、目を拓いた者にしか出来ぬ案件か」

 宗矩はその言葉に頷き、「枯れ尾花であれば、それでもよいのです。いざとなれば、枯れ尾花として処断できる者でなければ、この任、務まりませぬ」と続ける。

「無論……」と、宗章は促す。
「たとえ妖魅相手であれ、柳生の意地、仁義勇は守り申す。剣者の意地も又然り」と、頷く。

「ということでですな。ここは、鬼の共連れが居る兄上にお任せしようかと思うております」
「貴様もたいがい、そんなとこは傍観者よ喃」

 宗章は引き受けたとばかりに、腰の兼定の柄をペシリと叩く。






「馬鹿じゃないのか」

 藤斬丸が鮒を捌いて煮付けながら、宗章の申し出を呆れ顔で流した。

「何処の世界に鬼を共連れに妖怪探しをする武士がいるんだ。そういうものは、町方の仕事だろうに」
「その町方も侍も、見た者が多いが、捕まえられたものはおらぬのだ。化かすだけだが、化かされたときの被害が命に関わるものにならないとは限らぬ。これは、捨て置けぬ問題ぞ、藤斬丸」

 端で聞いている落葉御前は、「まあ、怖いですわね」と、話の内容から一線引いて、聞くに徹している。
 さすがに御前たる者にこのような些事を頼むのは気が引けたので、宗章は鮒三尾を手土産に、この話を真っ先に藤斬丸へと話していた。

 結果が、「馬鹿じゃないのか」である。二、三回繰り返し言われたので、本当に嫌なのであろう。

「お化けが怖いとか」
「鬼にいうことか、それが」
「確かに。――」

 お化けが怖ければ、とても幽鬼が現れる解呪の戦いに同席はできまい。すると、なんだ、俺はどんなタマだ――と宗章は自嘲する。

「しかし、のっぺり坊主か。愉快な奴もいるよナ。なあ、それ、ほんとにそんな顔の人間なんじゃないか」
「その可能性はなくもないが。――」

 しかし、驚いた者を追い詰めるように、「そいつはこんな顔をしてませんでしたかネエ」と方々に先回りして現れ、逃げ損なった町人が三、四人ほど神田川に落ちて風邪を引きかけたと聞く。

「技術でいえば、忍者かもしれぬ。が、そんな愉快きわまる忍者など、見たことも聞いたことも会ったことも斬ったこともない」
「愉快じゃない忍者には会ったのか」
「もう、両の手で余るわ」

 なるほどな、と藤斬丸。

「で、この鮒、いくらだった」
「買ったのではない、もらったものだ」
「だから、貰ったんだ」
「う。――」

 実に、魚が入った魚籠とともに小遣いを貰っていたのである。
 依頼料であろう。

「ん。――」

 とんとん、と、囲炉裏の煮付けを見ながら畳を指先で叩く。
 金を寄越せと言っているのであろう。

「おまえそんなものを何処で覚えた」
「日頃のお主からだ」

 ぐうの音も出なかった。

「喘月の手入れも、お前の兼定らしき脇差しの手入れも、拵えの柄紐の締め直しも、小柄の打ち直しも研ぎ直しも、ずいぶんとやってやってるよな。ん。――」

 そこで御前も、「確かにそのう、江戸を拠点とするならば、多々要り様なときも多く。金子の類いは、鬼とてあるに越したことはないので。――」と、背中を押してくる。いや、尻を叩いてくるではないか。
 女の前に、宗章はたじろいだ。
 女は怖いな、御嶽よ。
 遠く佐渡にいる妖怪を思い、宗章は諦めたように一両を畳に置く。

 とんとん。
 とんとん。

 こんどはふたりが畳を指で叩く。
 結局、宗章は五両すべて差し出す形となったのである。

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