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本物

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「大阪放送 ミュージックジャーナル 司会 大阪放送アナウンサー竹下龍馬 タレント安藤ひろこ、ついに会えるね」

大阪放送へ向かう車内で優希は嬉しそうに資料を読み上げた。

安藤ひろこの写真を見て一目惚れしてからゆうに1年が経つ頃だった。
俺の1年分の想いをぶつけよう。
俺は闘志に燃えていたけど、めちゃくちゃ緊張していた。
会った事もない子に一目惚れして初めて動いている生の彼女に会うんだ。

「挨拶、俺が先に行くから」

リーダーという事で先陣を切るのは聖司に決まり。
楽屋に挨拶に入る順番は決まった。仕出し弁当が搬入され、いよいよ生安藤ひろこに会えるんだと緊張感がMAXになった頃、優希がいない事に気付いた。

もしかして、と思った。先に行くのは聖司なのに優希は先に安藤ひろこの楽屋に行っている可能性が高い。
人懐っこい優希の事だから絶対そうだ。

俺と聖司で楽屋を出て優希を探すと廊下で女の子にカメラを向けて優希が写真を撮っていた。
お団子頭の後ろ姿に俺はすぐに分かった。

安藤ひろこだ。

「春、あれ、だよな。」

隣の聖司の言葉より先に俺は目が釘付けになっていた。

「・・・本物だ。」

俺は走って彼女の隣に行くと優希がシャッターを切った。

その瞬間左側の彼女をみると彼女もまた右側の俺を見た。

4秒くらい見つめあっただろう。

きょとんとした彼女の顔はまさしく夢にまで見た生、安藤ひろこだった。

潤んだバンビみたいな瞳はキレイな顔の輪郭にパチっとはまる。柔らかそうな唇は今すぐ触りたくなるような衝動に駆られた。
俺を見つめる黒目がキレイ。それはカラコンでは絶対に作られない趣きがあった。

写真と同じ。
本物。
いや、写真よりもずっとずっと可愛い。
言葉がなんにも出てこなかった。
初めて見る生の彼女はそれはもう魅力的で。
魅力的すぎて。

今まで付き合ってきた女の子達はなんだったの?って思うくらい。
初めて恋をしたかのように。

ずっと好きだった子。

なんて声をかけていいかもわからなくて、考える余地もなくずっと彼女から目が離せないまま聖司が先に挨拶をした。

「安藤さんはじめまして。僕はリーダーの聖司です。こっちがボーカルのHARU。ギターのケンは今いないので後で挨拶させます。すいません。優希がお邪魔しちゃって。」

俺はただ彼女を見てるしかできなかった。

「安藤ひろこです。よろしくお願いします」

頭を下げる彼女に優希に向かって笑っている表情がまたなんともいえない可愛さだった。

「ねーねー番号交換しよ?明日打ち上げあるから来てよー」

優希はしきりに明日の打ち上げに誘い連絡先を聞いている。もう腕まで引っ張って彼女の肌に触れている。うらやましすぎる。

「うん、」

俺の目の前で2人で番号交換が始まった。
メンバーが1人連絡先交換すればこっちのものだ。
優希よくやった!と思いながらもあまりにもなんともいえない。
自分で行動しなくては何も始まらない。

俺は彼女しか目に入らなくなった。

収録中も彼女の事ばかり見ていた。 
司会の竹下アナウンサーに振られても彼女を見ながら喋っていた。
無意識だった。

「春!安藤ひろこちゃん見過ぎ!」

収録の途中なのにアッキーに呼ばれてスタジオの片隅で注意された。
いつもなら言い返すのに心が奪われすぎてアッキーに言い返す力もなかった。

「生、安藤ひろこかわいかったね。」

「うん。かわいかった。春感想は?」

優希と聖司に振られ俺は深いため息をついた。

「めちゃくちゃ緊張した」


泊まっている大阪ロイヤルホテルの地下で打ち上げをするのに優希がしきりに誘ってはいたが本人から行きますという確約はない。
優希は念押しで電話をしたから絶対来るよ、と自信満々だった。
本当に安藤ひろこは現れるのだろうか。
俺はシャワーで水を被ってから打ち上げに向かった。

ツアー最終日の打ち上げは通例で派手に行なわれる。
スタッフと関係者、レコード会社に現地スタッフ。スポンサーに代理店。
ホテルの地下は結婚式の会場でもよく使われるだけあり、ゆうに100人は超える人であふれた。


「春。デザイナーの高田さん。わざわざ見に来てくれたんだよ。高田さんはスノーボードの高田寛子選手のお兄さんなんだよ」

アッキーの紹介に挨拶しながらも俺は会場の大きな扉を3秒に1回は見ていただろう。スノーボードオリンピック日本代表高田寛子。
ひろこはひろこでも俺は安藤ひろこがいいんだ。

もう1時間経つのにまだ彼女は来ない。
とにかく、友達にならなきゃ何も始まらない。自分が焦っているのはわかっていたけどグズグズしてたら他の誰かに取られてしまう。

すると扉がそっと開いて安藤ひろこが現れた。

来た!

俺は高田さんの挨拶も適当に終わらせ扉へ向かおうとすると優希が安藤ひろこの手を取り連れて行く姿が見えた。

優希はビールを彼女に渡し端っこの段差に座って乾杯をしている。

「春ーおつかれ!」

ライブの音響スタッフの女の子が自分の友達のような女の子も連れて来て俺に紹介をしてくれた。

「あたしの親友の片貝浩子ちゃん。春のファンなんだって。来たいっていうから連れて来ちゃった」
「 HARUさんはじめまして。片貝浩子です。」

同じひろこはひろこでもそれどころじゃなかった。

俺は安藤ひろこがいいんだ。

「優希が話たがってたよ。端っこにいるから呼んであげてよ」

俺はオシャレしてメイクもバッチリな片貝浩子ちゃんへの挨拶も手短にその子達から抜けると音響スタッフは優希を呼んだ。

「ゆーきーちょっと来てー!」

優希がその声に気づき安藤ひろこの元を離れた。
チャンスだ。

俺は1人でいる彼女の横に向かった。

「こんばんは」

俺の方を潤んだ瞳で見た。

「あ、」

生、安藤ひろこを目の前に何をしゃべろうか思ったけどどうにかこの場から連れ出して2人にならなきゃ、と思った。

「飲んでる?」
「ゆうきから」

俺にビールジョッキを見せる。ただそれだけの事なのに可愛くて。どうしようかと思った。 

「疲れたよーでも今日でやっとツアーも終わり。長かったような短かったような。ついでに夏も終わりだな」

多分すごい緊張していて、彼女の隣に座れただけでもう心臓は高鳴っていた。
周りのガヤガヤした声も聞こえなくなるほど俺は彼女の会話に集中していたと思う。

「お酒、好きなの?何か好きなの、持ってくるよ」

「あ、私、最近ワイン呑むようになったんですよ。あそこにあるの、ワインかな」

遠くにあるワイングラスを彼女は指差した時、俺はホテルのオーナーがくれたワインを思い出した。

「俺の部屋来ない?」

唐突だけどとにかく2人になりたくてワインで無理矢理誘った格好だ。

「ちょうどホテルのオーナーから良いワイン貰ったんだ。一緒に飲もうよ」

「え?」

「ここ、人多くて喉もなんか嫌でさ」

「部屋?ですか?」

喉の事なんて普段そこまで気にしてないのにとにかく2人きりになりたくて必死だった。
会場は人が多くて端っこにいる俺たちはあまり注目もされていない。  

今だ。

席を離れる時、彼女の手を繋いだ。
俺は多分すごく力が強かったのかもしれない。
離さないとばかりに手を繋いだ。
彼女は俺に手を絡めなかった。俺が手を離したら簡単に離れていくだろう。
冷たくて薄っぺらい手。それがやけに女を意識させドキドキした。

もうこの手は絶対離さないと思った。

















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