異界辺境のソルプレーザ

壱宮凪

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Another World 3

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 タケルがこちらに来てそれなりの時間が経った。

 日数を数えるのは七日目でやめた、というか数える気力が尽きたと言った方がいい。
 昼間は触手の餌にされかけ、夜は寝たくとも女の喘ぎ声が鳴り響き、眠りが浅い。


 ただそんな環境でも、少年の若さは生死の境で順応さを発揮していく。


 最初に見上げた赤い月が満月から半月になるほどの時間を過ごした頃に縄が外された。

 三日月になった頃、報酬替わりなのか一枚のボロ布がリーダー格の男から支給された。肌触り悪く、チクチクと繊維が皮膚に刺さり、おまけに異臭のする布だったが、地べたに何も敷かないで寝るのとは大違いで、その日の夜は久しぶりに寝転んでも身体が痛くなかった。

 三日月が細い弓なりの大きさの頃になると、死んでいった分だけ、新たに人が補充されることを知った。
 イグアナが引いた荷台でやってきた人間と交換するように、荷台は集めた触手肉を乗せてどこかへ去っていく。

(もしかしたらコレが、この世界での食料なんかな)

 毎日死にそうになりながら、実際沢山の人間を死なせながら触手肉を集めるのは、この世界で唯一のたんぱく源だからなのかもしれない、と細く夜を裂くような赤い月を見上げながらタケルは思った。


 そんな風に、少しづつ周りが見えてくるようになったある夜のこと、タケルは初めてこの世界で熟睡というものができた。
 女のあえぎ声が聞こえなかったからだ。
 翌朝、目覚めた身体はスッキリとしていて、すこぶる軽い、心なしか気持ちも上向きになっていた。

「夜静かだとやっぱ眠れていいなぁ、今夜もこんな感じだといいけど……」

 そうしてその日も、ひたすら触手を狩った、その夕食時――
 焚火を囲んで、触手肉に無言でかぶりついていると、隣で肉をほおばっていた中年の小男がぼつりと零した。
「腹も膨れたし、これで女が抱けりゃいいんだがなぁ。一昨日死んじまったあの女、もったいなかったよなぁ、めずらしく若い女だったのに。おめぇもそう思うだろ?」
 
 同意を求めて残念がる小男の横でタケルは絶句した。






(最悪だ……)

 ボロ布を頭からすっぽりとかぶりながら泣く。

(何が、静かでよく眠れた、だ。なんも分かってねぇで、暢気に寝くさって……俺ってやつは……)

 寝ることに罪悪感を覚える。
 そんなことをしても無意味と分かっていても、タケルは睡魔と懸命に戦い、そしてあっさりと負け、翌朝を迎える。
目覚まし代わりの朝日に自己嫌悪が滲んで、タケルは糸目を一層細くゆがめた。

(帰りたい)

 毎日思っている。
 心底から――

(母ちゃん、親父、ばあちゃん……姉ちゃんたち、心配してっかな、じいちゃんは……怒ってるかもしんねぇ)

 怒られたい、どこに行ってたんだ馬鹿と怒られて、ギャンギャンと五月蠅い姉たちの声が聞きたい。

(家に帰りたい)

 自分の部屋の、あの年中敷いたままの布団で眠りたい。

(帰してくれ)

 そう願っては叶わないことに絶望したその日。
 また人が補充さた。
 ライフルを背負った若い狙撃手の男と小さな女の子だった。

 イグアナが運ぶ荷台から降りて来た十歳ほどの少女を見つけた時、タケルの心臓が悲鳴を上げた。

 (は? 嘘だろ、こんな小さい子……すぐ死)
 
 瞬間、最初に目の前で殺され、見せつけられた死体と少女が重なって脳裏をよぎる。

「うぇっ……」

 カラカラに乾いている喉に胃液と昨夜の糧がこみ上げてきて必死て飲み込んだ。

(最悪だ)

 また人が死ぬ。
 死ぬために補充されていく。
 エンドレスの地獄。
 
 だと思っていた。

(あれ? 今日誰も死んでなくね?!)

 夜、焚火の揺らめきを眺めながらタケルは今日のことを振り返った。
 
(なんか、銃弾が触手にいつもより当たってた気ぃする)

 おかげで動き回りやすかった。
 いくら左足が怪物じみてしまったとはいえ、他の運動能力は15歳のそれだ。今まで傷だらけになりながらも、死なずにいられたのは運に近かったが、今日は生き残ったという手ごたえがあった。

(新しく来た奴、確か銃持ってたよな)
 
 そいつかもしれない。

(どんなやつだったっけ?)

 焚火の前で周囲のキャンプをコソコソと見回していると、明かりから遠ざかっていく人間を見つけた。
 昨夜タケルに残酷な愚痴を吐いた小男が今日きたばかりの少女を濃い影の向こうに連れて行くところだった。

 心臓が軋み、身体が勝手に動いた。
 左足がとてつもないパワーを持ってしまって上手く歩くことが出来ない為、右足をケンケンと跳ねさせ2人を追い、声をかける。

「お、おい、どこに行くん?!」

 小男は追いかけてきたタケルに舌打ちした。

「ああ、ちょいと野暮しにいくだけだ」
「一人で行けよ」
「はぁ~? おいおいおい、正気か? 女は夜の仕事をするもんだぞ、なぁ? お前だってイイことしたいよなぁ?」

 ニチャァとベトついた笑みを小男は少女に向けた。
 倫理観がヤスリがけされたような不快が駆け巡る。

「こんな小せぇ子に何考えてんだ! 放せ!!」

 奪い取るように少女の空いている方の手を掴んだタケルに、小男が黄色い歯を向けた。

「なんだよ、楽しみたいなら一緒にすりゃいい。先を譲ってやるよ」
「あんた……俺がいままで何本肉を蹴り落してきたか知ってっか?」
「……っち」

 小男が投げ捨てるように幼女の腕を放し、焚火の方へと戻っていく。
 その背中を糸目で険しく睨んだあと、タケルは膝を折って少女に笑いかけた。

「大丈夫、守ってやっから」

 昼間、荷台から降りてから、男の手を引かれているときも、そしてこの瞬間も、少女は表情をピクリとも変えない、返事もしない
 それでもタケルは、誓うように小さな手をギュッと握りしめ、自分の寝床に彼女を連れいき、細くて小さな身体にボロ布をかけてやった。

「夜は寒ぃからさ」

 少女は薄く幼い身体にかけられたボロ布とタケルを交互に見やった。

「夜は俺の近くにこいよ、大丈夫。変なことしねーから」

 少女はゆっくりとボロ布を自分の身体にかけなおすと、タケルに背を向けて横になる。
 拒絶するでも、受け入れるでもなく、ただそうしてジッと動かずに丸まって休む姿に、タケルの肩から力が抜ける。

(守ってやらんば……)

 冷え切っていた心臓に、温かいものがポッと燈る。
 脈を取り戻した気分だった。



 翌朝。
 また狩りが始まる。
 朝日を浴びた場所から、1キロほど向こうに触手がうごめいているのが見えて、狩人たちはイグアナが曳く荷台に乗り込みながら、触手に向かう。
 ガタガタと揺れる荷台の上でタケルは少女に念を押した。

「俺から離れんなよ! 絶対! 一緒にいるの危ないと思っても一人になっちゃダメだ、あの触手、アイツは一人になってんのを狙ってくっから!」
 
 小さな手でタケルの服の裾を掴んでいる少女がこくりと頷いた。

「よしっ」

 勇気を貰える返答としては充分過ぎる。
 タケルたちを乗せた三台の荷台は、ウヨウヨと動く触手から100メートルほどの位置で停まった。皆、手に銃や弓矢をもって構えると集団のリーダーが号令を上げる。

「狩れー!」

 雄たけびをあげなら20人規模の人間が触手に向かっていく。
 ピンク色をした羽毛のある化け物は自らにやってくる生き物の気配をキャッチすると、風にたなびくように優雅に触手を振り回した。
 流れ弾に気を使いながら、タケルは少女を背にかばい近づいてくる触手を蹴り上げ、暴れるピンク色の肉を千切っていく。
 ひと際太い触手を地面に蹴りちぎり落としていた時だ、細く長い触手が死角からタケルの背に隠れていた少女を狙う。細い糸目がそれを視界に入れた時には、もう息を呑むことしか出来なくて。

(やばっ)

 恐怖に総毛立つのと同じ瞬間、少女を狙っていた触手がパアンっと弾ける。
 続けざま、別方向からタケルを襲おうとしていた触手がまたはじけ飛び、ドサドサと地面に落ちた。

「えっ?!」

 少女をかばいながらタケルは周囲を見回す、彼らの周りには肉になった触手だけが転がっていた。

「は、ははははは」

 思わずこぼれた笑いに身体が軽くなった。

(これ、イケるかもしんねぇ)

 何かが変わろうとしている。

(この子を守って、俺も生き残って、そんで)

 楽観を笑うように、大地が鳴動した。

「え……?」

 タケルの足が震える感覚を捕らえた瞬間、地面が割れ、身体が宙に放り出される。

 本当に驚いた時というのは、音が止まってしまったように感じるのだと、タケルはその時知った。
 彼の目の前に飛び込んできたのは、真下から飛び出てきたもう一体の触手の化け物。
 毛のない、真新しいつるつるとした肉肌を見せる触手。
 その触手がタケルの背に隠れていた女の子を絡めとっている。
 助けを求めるかのように伸ばされた小さな手に、タケルは細い目を瞠目させる。
 頭にカッと熱をさした。

「……こ、のぉ!」

 がむしゃらに繰り出した左足が少女に巻き付く肉をはじけ飛ばす。
 触手に巻き付かれた小さな身体を捕まえ、守るように地面に落ちた。
 痛みと共に音が戻ってくると、聞こえてくるのは阿鼻叫喚だ。

「嘘らろ……」

 呆然と呟く。
 地面から割り出てきた触手が三体。
 人間達を数で圧し、千切られて小さくなった仲間たちの無念を晴らすかのように、殺し食っていく。
 ゾッと背筋が凍った。

「逃げよう!」

 タケルが声を荒げたとき、つるつると活きのいい触手が一本、また少女へ襲い掛かる。

「あぶなっ」

 トンっと身体が押された。

「へ?」

 軽い力だった。
 それでも、態勢の崩れていたタケルを押すには十分な力――
 小さな手が、自分に迫りくる触手へタケルを献上した。

 触手は飛び込んできた活きの良いお肉を迎え入れる。
 タケルの全身が触手に巻き付けられるなか、少女は逃げた。

(えっ)

 小さな逃げる背中を呆然と見送る。
 醜悪な男の欲から助け、寒さをしのぐ唯一のボロ布をかけてやり、身を挺して守ろうとしていた少女は、彼を一切振り返らなかった。

(なんで……)

 触手に力が入るのが分かった。
 軋む骨の痛みが、数秒後の自分の末路を予告する

「いやだああああ!!」

 破裂音がタケルの悲鳴を打ち消した。
 身体がドサリと肉と一緒に地面に落ちる。
 心臓が早鐘をうち、汗が滝の如く全身から噴出した。

「はっ、はぁっ」

 息を荒げる、まだ生きているのを確かめるように。

(死ぬ、死んだ。死んだかと。今度こそ本当に……)

 這いずるように身体に巻き付いた触手から抜け出すタケルに辛辣な声が投げつけられた。

「人助けなんて馬鹿なことしようとするからそんな目にあうんだ」

 タケルは四つん這いになりながらゆっくりと振り返る。

 ライフルをもった若い男だった。
 少女と一緒にやってきた、タケルと年の近そうな少年。

 狙撃手の彼の目が――
 銃の先を触手に狙いつけているの左目が、緑色に揺れる色を宿していた。

 ぱかっと、驚きにタケルは口を開け、辛辣な男はライフルの引き金を引いた。
 触手がまた、はじけ飛ぶ。
 昨日から銃撃の精度を上げていたのは、やはり彼だ。
 いや、それよりも。

「あんた……その目……」
「この世界は弱肉強食なんだよ。優しいヤツ、弱いヤツから死んでいく。てめえも命が惜しけりゃ、自分のことだけ考えるんだな」

 その言葉に、タケルは泣きそうになって無理矢理に笑った。

「……でも、それは俺がいた世界ではヒトデナシのやることなんさ」
「は? 俺がいた世界?」
 男がライフルから顔を放してタケルを見た。
 緑けぶる左目をもつその顔と正面からかち合いタケルは気が付いた。

(あれ? コイツ……女じゃん)

 ドンッと大地が揺れた。
 ひとしきり殺し終えて食事を終えた触手が地中に戻ろうとする反動で足元が崩壊していく。

「やばっ」
 
 巻き込まれる。
 転がり落ちそうになる身体で、手近にあったものにしがみついた。
 銃身の長いスナイパーライフルを、裂けた地面のくぼみに挟み、触手の巣穴に転がり落ちる難を逃れていた、狙撃手の足だった。

「てんめぇっ! 放しやがれ!!」
「いやだー!」
 
 顔面を非情に蹴ってくる、コイツは鬼だとタケルは確信した。

「はーなーせー!」
「やだやだやだ! 俺もたすけ……おわっ」
 
 また、地面が揺れた。
 タケルはとっさに左足で側面の地割れの大地を蹴りこんだ。程よい深さとバランスで埋まった足のおかげで、自立できる。
 一方、揺れた地面のせいで、狙撃手のライフルが抜けた。

「うおっ」

 巣穴に転がり落ちかけた狙撃手が掴んだのはタケルの腰だ。
 
「うわあああっ! 放すな放すな放すな!!」
「なっ……俺のことは落とそうとしたくせに、このヒトデナシ!!」

 揺れ続ける巣穴口の側面で、ギャーギャーと喚き合いながら2人は懸命に穴から這い上がる。

「酷ぇ、おま、俺のこと蹴落とそうとしといて……」
「おい、やばいぞ!」

 這い出した2人を逃さまいとするかのように、地面の亀裂はどんどん広がっていく。
 タケルたちは顔を見合わせ、走り出した。



 これが、最初の出会いだ。
 異界の辺境での、最低最悪の忘れられない出会い。
 左足と左目。

 タケルとキヌの――

 悲惨で滑稽で困難な、ナニモノにも替えられない、変えられない。
 得難い者との出会いだった。
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