ユグドラシルの梢

壱宮凪

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十六年――

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 現在、高坂葵は二十六歳。
 最初の異世界転移――人食い女王蜘蛛が神として支配する世界から帰還して十六年、そして二度目の異世界転移――彼女の生き方を決定的に変えた、五部族がそれぞれの神の名のもとに殺し合う世界から帰還して十年の月日が流れていた。

 葵は現在、冬の日本からはるばる飛び出し、コンゴ民主共和国モバッカより北へ三十キロ、熱帯雨林の真っただ中にいた。

() 

 葵は鬱蒼と生い茂るジャングルを物ともせずにかき分け進む。
 二十六歳になった彼女は東邦大学北里考古学研究チームの一人としてこの地に来ていた。

「コーサカさん、今アナタしかいないから言うケド、ホントにこの先ニ行く?」
 
 葵と共に熱帯の密林を進むコンゴ人ガイドが訛りのある英語で不満を口にした。

「衛生で位置確認はしています。大丈夫、もうちょっと頑張りましょう」
 日本の冬の寒さに馴染んだ身体が熱帯の暑さに悲鳴をあげるのを無視して、葵は共に道を切り開くガイドに笑顔を向けた。  
 後方から来る教授達の本隊に危険が無いよう先行して現地確認するのが二人の仕事だ。

「こんなトコ、ヒトが暮してタなんて、聞いたこともナイ。いるとしたら密猟者かゲリラ……」

 ガイドが言いかけたとき、鬱蒼する密林の向こうから銃声が響き渡った。
 多彩色の鳥が鳴き声を上げて飛びまわり木々が不穏に揺れる。
 反射的に地面に伏せた二人は林の向こうから樹木をなぎ倒して通り過ぎていく生き物に目を見開いた。

「あれは……マルミミゾウ?」
 
 熱帯雨林に生息する絶滅危惧種。
 白く美しい巨体、威風堂々の森の王者が、力強い突進の勢いで森の中を群れで突き進んでいく。
 荘厳とも畏怖とも言える姿に葵は息を飲む。

(エーラーワン?!)

 二度目の異世界の時の記憶が鮮明に蘇る。
 世界の終わりをかけた五部族終末戦争、その戦場で華麗に大地を蹴り空を舞い、敵を圧倒させたのが風の息吹の民があやるつ神獣が、マルミミゾウと重なった。

(ねえ、フラウカン)

 もう会えない友人を思い出す。

(アナタにこの光景をみせたい)

 エーラワンは、風の息吹の民が崇める神が愛した生き物だ、他部族から迫害と恐怖の対象とされていたエーラワンに似た生き物が、自由に森の中を走っていると知ったら、かの人はきっと泣いて喜んでくれるだろう。

 雄大な獣が通り過ぎ、刻まれた足跡に呆けていると、ゾウ達の群れが通り過ぎていったルートからいきなり一人の男が姿を現した。  

「ひっ!」
「コーサカさん! 逃げっ」
「おいおい、俺達に会いに来てくれたのにもう帰るってのかい?」

 アサルトライフルを携えた男は葵へ笑いかけると目を鋭利に細めた。
 金髪青眼のコーカソイド、見るからに現地民とは違う面立ちに緊張が走る。
 重苦しい沈黙とパンパンに張り詰めた不安が湿度の高いジャングルの中で数拍の迷いを生む。 
 突如、叱咤するかのように葵の腰に付けた無線機がガサガサと咳き込んで教授の声を伝えきた。

《高坂くん! 今の銃声は? 高坂くん?!》
 
 アサルトライフルを持った男が無線機から聞こえるくぐもった日本語に剣呑な目元を緩め、ニヤリと悪戯っ子のように笑った。


「迎えにきてやったよお嬢さん。ワンダーランドを探してるんだろ?」




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