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第三章
錆びたワイン(6)
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「この馬鹿野郎!」
胸を占めるあまやかな幸福感も一瞬で消し飛ぶような怒号と共に、ルネは堅い石壁に背中を叩き付けられた。
どこをどう突っ走って辿りついたのか、人気のないセーヌの河岸にさ迷い出た直後のことだ。
「ロ、ローラン…いきなり何…?」
痛さに顔をしかめながら問い返すルネの鼻先に指を突きつけ、ローランは、まだ怒りが静おさまらないような荒々しさで続けた。
「ワイン・バーで男漁りなんて慣れない真似をするから、あんなしようもない連中に捕まることになるんだ! 俺に対するあてつけにしたって、もう少しましな相手を選べなかったのか。阿保のアメリカ野郎どもなどにくれてやるために、俺はお前を磨いた訳じゃないぞ!」
理不尽な言い草に、ルネは庇ってもらった時の感動も忘れて、ついかっとなった。
「な、何ですか…僕をあなたの所有物のように言うのはやめてください! プライベートで僕が何をしようが自由のはずでしょう? あの人達だって…あなたが現れるまでは楽しい雰囲気で飲んでいたんです。それをぶち壊したのはあなたじゃないですか!」
「ほう…すると、おまえは本気であんな奴らをいいと思った訳か?」
「え…ええ、いい人達でしたよ。皆明るくて親切で、あなたよりもよっぽど優しくしてくれました」
ローランは軽蔑しきったような冷たい目をして、ルネの訴えを鼻先でせせら笑った。
「優しくだ? どうせ見え透いたお世辞と親切そうな笑顔でちやほやされて、ちょっといい気分になっていただけだろうが。それを自分はもてるなんておかしな勘違いをするなよ、ルネ。あんな雑魚どもにいくら餌をばらまいたところで意味などあるか、本物のいい男の1人、2人にでも本気で惚れられて、初めてもてるって言うんだ」
相も変わらずの傲岸不遜、思い切り人を見下した態度で堂々と言い放たれたルネは、反論しようとしたものの、結局力負けした気分で黙り込んだ。
先程のバーでの顛末で、ルネはほとんど彼に惚れ直しかけていたというのに、ガブリエルのために仕事を放り出して駆けつけたことも大目に見てもいいような気になりかけていたのに、どうして、こう人の気持ちを逆撫でするような暴言を吐くのだ。
「…ほんとに、もう…嫌な人…っ…」
ルネは熱くなった額を手で押さえ、おさまりきらない怒りを持て余しながら、小さく吐き捨てた。
そんなルネをしばし見据えた後、ローランは怒らせていた肩を落とし、冷静になろうと苦労しているかのような様子で語りかけてきた。
「もしも、おまえと一緒にテーブルにいたのがもう少しまともな男で、おまえが本当に楽しそうな顔で笑っていたら…俺は声をかけずに帰るつもりだった。確かに、おまえのプライベートにまで、上司の俺が干渉はできんからな」
ローランは、いかにも不承不承といった口調で言い終えると、ポケットから取り出した煙草に火をつけ、ルネが背中を押しつけている石壁に自分ももたれかかった。
「ローラン…」
無言のまま紫煙が上がるのを目で追っているローランは、苦いものを無理矢理飲み下そうとするかのような、不機嫌な顔をしていた。
上司である自分がルネの自由を縛ることはできないなんて台詞をローランの口から聞いたのが、ルネは意外だった。
(僕のプライバシーなんかお構いなしに、自分の都合で振り回して、それを当然と考えているのかとばかり思っていたけれど、尊重しようという気持ちも少しはあったのかな…?)
ローランが黙りこんでいるので、ルネもやはり黙ったまま、彼が言いにくそうに言った言葉を反芻していた。
(確かに僕とローランは上司と部下だけれど、それだけじゃない…かと言って、はっきり恋人同士とも言えない微妙な間柄だ。どこまでなら相手の懐に入っていっても許されるのか、秘書としての顔と僕自身の本音をどう使い分けたらいいのか、線引きに悩んでいたのは僕だけかと思っていたけれど…ローランでも同じような迷いを覚えることがあるんだろうか)
その時ふいに頭の中に閃いた考えに、ルネは目を瞬いた。
(そう言えば、今夜の彼の行動は、僕の上司としてのものだったんだろうか…自分が目をかけている可愛い部下の危機を救ってくれたとか…? それにしちゃあ、度を越していたというか、私情が漲りすぎだったような気がするけど…)
ふっと口元がほころびそうになるのを堪えて、ルネは隣にいるローランに遠慮がちに尋ねてみた。
「…ローラン、あなたのプライベートな時間を費やしてまで、わざわざ僕を探しに来たのはどうしてですか…?」
ローランはルネを見もせず、むっつりとした口調で言った。
「俺のプライベートな時間をどう使おうが、俺の勝手だ」
「答えになってませんよ、それ…」
ルネは、もう少しローランをつついてみるべきかどうか迷った。
どうして自分を助けるためにあんな無茶をしたのか。そもそも、どうして、そんなに怒っているのか―。
「あっ」
「どうした?」
「いえ、そう言えば、さっきのバーで…僕が捕まっていたテーブルに来る前に、あなた、バルマンに何か指示を与えていましたよね。チップにしては高額な紙幣を渡して…」
「おまえも目敏いな。バルマンのベルナールは、オーナーが代わる前から店にいる古株でな、俺もよく知っている男なんだ。客あしらいにも慣れていて、信頼できる奴だから、事情を説明した上で、これから起こす騒ぎの後始末を頼んだんだ。チップの他に、店に与えた損害については、後日俺に請求してくれとも言い含めてある」
あの3人に喧嘩を売る前に、そんな周到な準備をしてきたのかと、ルネは目をまん丸くした。
「あいつらがおとなしくおまえを解放してくれるようには見えなかったし、俺自身、多少むかついていたのは確かだが、後先を考えずに店の中で大喧嘩を繰り広げる訳にはいかない。あいつらに怪我をさせて、後で会社の方に損害賠償だのと騒ぎたてられるのは面倒だ。それに万が一、俺の身に何かあれば、社の業務に支障をきたす。だから、ギリギリの所で衝突するのは回避して、お前を連れて、あの店から脱出する必要があった」
「万が一の事態…?」
ルネはローランの言葉を頭の中でしばらく咀嚼した後、はっと息を吸い込んだ。
ああ、そうだった。この人は、本来ならば、あんな無分別な行動に走るべきではない重要な立場にいるのだった。
「ローラン…いえ、ムッシュ・ヴェルヌ、申し訳ありませんでした」
姿勢を正し、神妙な面持ちでいきなり謝罪するルネに、ローランは面喰ったようだ。
「何だ、藪から棒に…今はプライベートな時間だから、俺に対して畏まる必要はないぞ」
「いえ、仕事中であるとかないとかの問題ではないんです。ルレ・ロスコーの統括責任者であるあなたが怪我をして入院することにでもなったら、社の運営に支障をきたす所でした。そういう意味では、明らかに、今回のことは僕の失態です。僕は、あなたにあんな無茶をさせるべきではなかったのに、庇われることの心地よさに浸って…い、いえ、そんなことより何より、個人的なトラブルにあなたを巻き込んでしまうなんて、あなたの秘書として、してはならないことでした」
いつの間にここまで身に付けたのか、礼儀正しく節度のきいた言葉遣いで、秘書としての立場から申し分のない意見を述べるルネは、これが仕事中ならローランが完璧だと太鼓判を押したことだろう。
「今後は、あなたに迷惑をかけるかもしれない軽はずみな行動は、たとえ仕事を離れていても差し控えるようにします。もしも、また同じ失敗を僕がすることがあれば、その時はばっさりクビにしてください」
今の状況でいきなり仕事モードに切り替わられたら相手は困るだろうということは分かっていても、自分の職務上の失態を見逃すことができないのもまたルネだった。
「いや…これは、おまえのせいじゃないぞ、ルネ。自分の立場も忘れた軽はずみな行動を取ったのは、むしろ俺の方だ。本社にいた時とは違うんだから、慎重に行動しようと思っていても、かっとなるとつい地が出てしまう…困ったことにな」
ルネの思いつめた顔を眺めながら、ローランは本当に困ったように指先で頬のあたりを引っ掻いた。
「大体、好き好んでトラブルを招いた訳じゃないだろうに、そこまで自分を責める必要はないぞ。別におまえは、24時間俺の秘書だという訳じゃないんだ。俺に対する鬱憤が溜まりに溜まって、他の場所で発散したくなったとしても当然だ…まあ、今夜は、相手をちょっと選び間違えたようだがな」
大分腹の虫はおさまったのか、ローランの表情は和らいで、ルネにかける言葉も優しくなっていた。
「もちろん、僕個人としては、あなたに対する不満はまだ山ほど抱えていますよ。あなたのやり方をどうしても認められないこともあれば、あなたの本音をとことん問い詰めてやりたくなる衝動にかられることもあります」
ルネは秘書としての顔から、ふいにまた本来の自分の顔に戻って、少し拗ねたような甘えた目つきでローランを睨んだ。
その変化は、ローランをむしろほっとさせたようだ。
「ふうん…それじゃあ、場所を変えて、これから一戦交えるか? 俺に対して言いたいことをぶちまけて、それでおまえがすっきりするというのなら、そうしよう」
ローランのある意味潔い提案に、しかし、ルネは悩ましげに眉を寄せた。一度彼とはとことん話し合って、その気持ちを確かめたいとは思っていたけれど、今夜そうしたいかというと、ルネの気持ちは微妙だった。
(僕がローランに対して腹を立てていたのは、いつもガブリエルを優先させるこの人に、自分は見捨てられたような気分になったからだ。でも、少なくとも今夜のローランは、僕をわざわざ探しにあそこまで来てくれた、男達に絡まれているのを助けようとしてくれた、僕に怪我させまいと庇ってくれた…)
全てを許した訳ではないけれど、今更口論をしかけて、ローランの口から無理矢理答えを引き出そうとするより、彼が見せてくれた行動だけで今は充分な気がした。
「それも、いいかもしれませんが…でも、今夜はもうお腹がいっぱいみたいです、僕…その代わり、一つだけ質問させてください。それにちゃんと答えてくれたら、今夜はこれ以上うるさいことを言うのはやめにします」
「何だ?」
ルネは、訝しげに問い返すローランの前に回り込み、その顔を下からじっと覗きこんだ。
「もしも―僕と一緒にワインを飲んでいたのが、あなたの目から見てもいい男で、僕も満足して幸せそうに笑っていたら、あなたは本当に、あのまま何もせずにパーから立ち去ったんですか?」
ローランの眉間に深い皺が寄り、鮮烈な緑の瞳が微かに揺らいだ。
胸を占めるあまやかな幸福感も一瞬で消し飛ぶような怒号と共に、ルネは堅い石壁に背中を叩き付けられた。
どこをどう突っ走って辿りついたのか、人気のないセーヌの河岸にさ迷い出た直後のことだ。
「ロ、ローラン…いきなり何…?」
痛さに顔をしかめながら問い返すルネの鼻先に指を突きつけ、ローランは、まだ怒りが静おさまらないような荒々しさで続けた。
「ワイン・バーで男漁りなんて慣れない真似をするから、あんなしようもない連中に捕まることになるんだ! 俺に対するあてつけにしたって、もう少しましな相手を選べなかったのか。阿保のアメリカ野郎どもなどにくれてやるために、俺はお前を磨いた訳じゃないぞ!」
理不尽な言い草に、ルネは庇ってもらった時の感動も忘れて、ついかっとなった。
「な、何ですか…僕をあなたの所有物のように言うのはやめてください! プライベートで僕が何をしようが自由のはずでしょう? あの人達だって…あなたが現れるまでは楽しい雰囲気で飲んでいたんです。それをぶち壊したのはあなたじゃないですか!」
「ほう…すると、おまえは本気であんな奴らをいいと思った訳か?」
「え…ええ、いい人達でしたよ。皆明るくて親切で、あなたよりもよっぽど優しくしてくれました」
ローランは軽蔑しきったような冷たい目をして、ルネの訴えを鼻先でせせら笑った。
「優しくだ? どうせ見え透いたお世辞と親切そうな笑顔でちやほやされて、ちょっといい気分になっていただけだろうが。それを自分はもてるなんておかしな勘違いをするなよ、ルネ。あんな雑魚どもにいくら餌をばらまいたところで意味などあるか、本物のいい男の1人、2人にでも本気で惚れられて、初めてもてるって言うんだ」
相も変わらずの傲岸不遜、思い切り人を見下した態度で堂々と言い放たれたルネは、反論しようとしたものの、結局力負けした気分で黙り込んだ。
先程のバーでの顛末で、ルネはほとんど彼に惚れ直しかけていたというのに、ガブリエルのために仕事を放り出して駆けつけたことも大目に見てもいいような気になりかけていたのに、どうして、こう人の気持ちを逆撫でするような暴言を吐くのだ。
「…ほんとに、もう…嫌な人…っ…」
ルネは熱くなった額を手で押さえ、おさまりきらない怒りを持て余しながら、小さく吐き捨てた。
そんなルネをしばし見据えた後、ローランは怒らせていた肩を落とし、冷静になろうと苦労しているかのような様子で語りかけてきた。
「もしも、おまえと一緒にテーブルにいたのがもう少しまともな男で、おまえが本当に楽しそうな顔で笑っていたら…俺は声をかけずに帰るつもりだった。確かに、おまえのプライベートにまで、上司の俺が干渉はできんからな」
ローランは、いかにも不承不承といった口調で言い終えると、ポケットから取り出した煙草に火をつけ、ルネが背中を押しつけている石壁に自分ももたれかかった。
「ローラン…」
無言のまま紫煙が上がるのを目で追っているローランは、苦いものを無理矢理飲み下そうとするかのような、不機嫌な顔をしていた。
上司である自分がルネの自由を縛ることはできないなんて台詞をローランの口から聞いたのが、ルネは意外だった。
(僕のプライバシーなんかお構いなしに、自分の都合で振り回して、それを当然と考えているのかとばかり思っていたけれど、尊重しようという気持ちも少しはあったのかな…?)
ローランが黙りこんでいるので、ルネもやはり黙ったまま、彼が言いにくそうに言った言葉を反芻していた。
(確かに僕とローランは上司と部下だけれど、それだけじゃない…かと言って、はっきり恋人同士とも言えない微妙な間柄だ。どこまでなら相手の懐に入っていっても許されるのか、秘書としての顔と僕自身の本音をどう使い分けたらいいのか、線引きに悩んでいたのは僕だけかと思っていたけれど…ローランでも同じような迷いを覚えることがあるんだろうか)
その時ふいに頭の中に閃いた考えに、ルネは目を瞬いた。
(そう言えば、今夜の彼の行動は、僕の上司としてのものだったんだろうか…自分が目をかけている可愛い部下の危機を救ってくれたとか…? それにしちゃあ、度を越していたというか、私情が漲りすぎだったような気がするけど…)
ふっと口元がほころびそうになるのを堪えて、ルネは隣にいるローランに遠慮がちに尋ねてみた。
「…ローラン、あなたのプライベートな時間を費やしてまで、わざわざ僕を探しに来たのはどうしてですか…?」
ローランはルネを見もせず、むっつりとした口調で言った。
「俺のプライベートな時間をどう使おうが、俺の勝手だ」
「答えになってませんよ、それ…」
ルネは、もう少しローランをつついてみるべきかどうか迷った。
どうして自分を助けるためにあんな無茶をしたのか。そもそも、どうして、そんなに怒っているのか―。
「あっ」
「どうした?」
「いえ、そう言えば、さっきのバーで…僕が捕まっていたテーブルに来る前に、あなた、バルマンに何か指示を与えていましたよね。チップにしては高額な紙幣を渡して…」
「おまえも目敏いな。バルマンのベルナールは、オーナーが代わる前から店にいる古株でな、俺もよく知っている男なんだ。客あしらいにも慣れていて、信頼できる奴だから、事情を説明した上で、これから起こす騒ぎの後始末を頼んだんだ。チップの他に、店に与えた損害については、後日俺に請求してくれとも言い含めてある」
あの3人に喧嘩を売る前に、そんな周到な準備をしてきたのかと、ルネは目をまん丸くした。
「あいつらがおとなしくおまえを解放してくれるようには見えなかったし、俺自身、多少むかついていたのは確かだが、後先を考えずに店の中で大喧嘩を繰り広げる訳にはいかない。あいつらに怪我をさせて、後で会社の方に損害賠償だのと騒ぎたてられるのは面倒だ。それに万が一、俺の身に何かあれば、社の業務に支障をきたす。だから、ギリギリの所で衝突するのは回避して、お前を連れて、あの店から脱出する必要があった」
「万が一の事態…?」
ルネはローランの言葉を頭の中でしばらく咀嚼した後、はっと息を吸い込んだ。
ああ、そうだった。この人は、本来ならば、あんな無分別な行動に走るべきではない重要な立場にいるのだった。
「ローラン…いえ、ムッシュ・ヴェルヌ、申し訳ありませんでした」
姿勢を正し、神妙な面持ちでいきなり謝罪するルネに、ローランは面喰ったようだ。
「何だ、藪から棒に…今はプライベートな時間だから、俺に対して畏まる必要はないぞ」
「いえ、仕事中であるとかないとかの問題ではないんです。ルレ・ロスコーの統括責任者であるあなたが怪我をして入院することにでもなったら、社の運営に支障をきたす所でした。そういう意味では、明らかに、今回のことは僕の失態です。僕は、あなたにあんな無茶をさせるべきではなかったのに、庇われることの心地よさに浸って…い、いえ、そんなことより何より、個人的なトラブルにあなたを巻き込んでしまうなんて、あなたの秘書として、してはならないことでした」
いつの間にここまで身に付けたのか、礼儀正しく節度のきいた言葉遣いで、秘書としての立場から申し分のない意見を述べるルネは、これが仕事中ならローランが完璧だと太鼓判を押したことだろう。
「今後は、あなたに迷惑をかけるかもしれない軽はずみな行動は、たとえ仕事を離れていても差し控えるようにします。もしも、また同じ失敗を僕がすることがあれば、その時はばっさりクビにしてください」
今の状況でいきなり仕事モードに切り替わられたら相手は困るだろうということは分かっていても、自分の職務上の失態を見逃すことができないのもまたルネだった。
「いや…これは、おまえのせいじゃないぞ、ルネ。自分の立場も忘れた軽はずみな行動を取ったのは、むしろ俺の方だ。本社にいた時とは違うんだから、慎重に行動しようと思っていても、かっとなるとつい地が出てしまう…困ったことにな」
ルネの思いつめた顔を眺めながら、ローランは本当に困ったように指先で頬のあたりを引っ掻いた。
「大体、好き好んでトラブルを招いた訳じゃないだろうに、そこまで自分を責める必要はないぞ。別におまえは、24時間俺の秘書だという訳じゃないんだ。俺に対する鬱憤が溜まりに溜まって、他の場所で発散したくなったとしても当然だ…まあ、今夜は、相手をちょっと選び間違えたようだがな」
大分腹の虫はおさまったのか、ローランの表情は和らいで、ルネにかける言葉も優しくなっていた。
「もちろん、僕個人としては、あなたに対する不満はまだ山ほど抱えていますよ。あなたのやり方をどうしても認められないこともあれば、あなたの本音をとことん問い詰めてやりたくなる衝動にかられることもあります」
ルネは秘書としての顔から、ふいにまた本来の自分の顔に戻って、少し拗ねたような甘えた目つきでローランを睨んだ。
その変化は、ローランをむしろほっとさせたようだ。
「ふうん…それじゃあ、場所を変えて、これから一戦交えるか? 俺に対して言いたいことをぶちまけて、それでおまえがすっきりするというのなら、そうしよう」
ローランのある意味潔い提案に、しかし、ルネは悩ましげに眉を寄せた。一度彼とはとことん話し合って、その気持ちを確かめたいとは思っていたけれど、今夜そうしたいかというと、ルネの気持ちは微妙だった。
(僕がローランに対して腹を立てていたのは、いつもガブリエルを優先させるこの人に、自分は見捨てられたような気分になったからだ。でも、少なくとも今夜のローランは、僕をわざわざ探しにあそこまで来てくれた、男達に絡まれているのを助けようとしてくれた、僕に怪我させまいと庇ってくれた…)
全てを許した訳ではないけれど、今更口論をしかけて、ローランの口から無理矢理答えを引き出そうとするより、彼が見せてくれた行動だけで今は充分な気がした。
「それも、いいかもしれませんが…でも、今夜はもうお腹がいっぱいみたいです、僕…その代わり、一つだけ質問させてください。それにちゃんと答えてくれたら、今夜はこれ以上うるさいことを言うのはやめにします」
「何だ?」
ルネは、訝しげに問い返すローランの前に回り込み、その顔を下からじっと覗きこんだ。
「もしも―僕と一緒にワインを飲んでいたのが、あなたの目から見てもいい男で、僕も満足して幸せそうに笑っていたら、あなたは本当に、あのまま何もせずにパーから立ち去ったんですか?」
ローランの眉間に深い皺が寄り、鮮烈な緑の瞳が微かに揺らいだ。
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