天底ノ箱庭 療養所

Life up+α

文字の大きさ
上 下
11 / 16
3章 術後経過

2

しおりを挟む
2.
こんなに長い休みは高校以来だ。久しぶりにゆっくりと自宅で過ごすと、黄金くんと過ごす時間がたくさんあることに驚いた。
ガスマスクとして彼と友達をやっていた頃は2年という長期的な時間ではあったが、実際に彼と会話出来るのは週3日の深夜のみ、それも1時間程度だ。こうして傍にいて、いつでも話せるという状況は今でも慣れない。
この休みの間で黄金くんと話せる話題が増えて、隠し事が減った。それは嬉しいし、より彼を信頼できるようになったが、代わりに心配事が一つ浮上した。
四月一日 柊の存在だ。地上から来たと言うのに、地下の人間しか所持できない腕時計を所持し、黄金くんにあらゆる地下の知識を与えた人物。口調や仕草は一般的な好青年にあたるが、地下には裏表のない人間の方が遥かに少ないのだ。信用できるわけがない。
極めつけが柊の訪問時間だ。彼は僕を肉屋だと認識している可能性が高い。
彼は今まで僕の目をかいくぐり、黄金くんにこっそり会っていた。つまり、僕の不規則な勤務時間に合わせて訪問してきている。そんなこと、何も知らない地上の人間ができるだろうか。
決定的なのが、先日尋ねてきたのが代打で肉屋として父が地上に出ている時間に現れたことだ。少なくとも、彼は肉屋のスケジュールを情報を買うなりして得ている。これだけは間違いない。
想像したくないが、柊は花屋ではないだろうかと僕は睨んでいた。
「この格好なら地上の人間ってバレない?」
先日、僕が買った服の中から黄金が全身を固めて部屋から出てきた。僕の言ったことを覚えていてくれたのか、手首が隠れるスタジアムジャンパーとその下のパーカーのフードを頭に被っている。
「うん、大丈夫だと思うよ」
彼のフードを少し手前に引っ張って目深に被せる。風に当たった時に飛んでしまうと困るので、なるべく深々と被っていた方がいい。
「君の服装だとフードの下にキャップでも被っていた方がお洒落になるよね。今度キャップも買おうか」
「え、いや大丈夫だよ!」
「自然に見えた方が安全なんだから必要だよ」
ガロウズで会っていた頃に彼が憧れる服装をよく雑誌で見せてもらっていたから、そういう服装があるんだというのは知っている。
僕は締め付けのないゆるい服装が好きだから趣味は少し違うけれど、彼には雑誌にあったみたいな服装がよく似合うということは分かる。
「なあ、あのさ」
彼の服装を正してから自分のコートに袖を通していると、黄金くんは怪訝そうな顔をしながら自分の服に目を落とす。
「要がガスマスクの肉親とか親戚だとして、あいつから俺の話ってきいたりしてんの?俺の服の好みと、お前の服の好みって全然違うのにコーデ詳しいじゃん。それとも要がオシャレさんなだけか?」
お洒落かと聞かれたら、あまり相手に悪印象を与えない程度に服の組み合わせは考えているだけで、別にお洒落に興味は無い。
「雑誌で見てるだけだよ」
「えー、要の家って全然ファッション誌とかないじゃん。ほんとかー?」
冗談まじりこちらをじっと見つめる彼に僕は少し黙る。
嘘を吐いているわけではないが、僕がガスマスクだからとも言えない。
「…立ち読みみたいなものかな。買ってはないけれど、たまに読むんだ」
君に見せてもらってる時にね、と心の中で付け加える。そういえば最近はめっきり読んでいない。そろそろ新しい情報を取り入れておくべきかもしれない。何事も情報が古いのはいいことではないはずだ。
黒いコートを着ると僕は玄関の戸を開いて黄金くんに手招きをする。彼が僕の後ろをついて来るのを確認して玄関に鍵をかけた。
「…そういえば君に鍵を渡していなかったね。オートロックなのにどうやって出入りしていたんだい?」
彼の外出を防ぐためにあえて鍵を渡していなかったのだが、あまりに自然に出入りしていたので失念していた。
「そっ…それはその…」
黄金くんは痛いところを突かれたというような渋い表情を浮かべるが、すぐに犯人が罪を白状するように思い切った勢いで口を開く。
「楓ちゃんが持ってた合鍵…借りっぱなしにしてましたッ!!」
言い終わると同時にこれまた勢いよく頭を下げて見覚えのあるキーホルダーのついた鍵をポケットから取り出し僕に差し出した。
「楓が…?」
楓は僕が彼を閉じ込めていた理由を知っているのに、鍵をそんな簡単に貸すだろうか。
差し出されたその手を僕はそのまま黄金くんに押し返す。彼が1人でいなくなる心配がほとんどなくなった今では没収する必要もない。
黄金くんはあまり頭は良くないが、あれだけの目に遭って尚、無警戒に外をうろつくほど無知でもないのは知っているつもりだ。
「これはもう黄金くんにあげるよ。前に話した通り、僕は君から人権を奪うつもりはないし、いつまでとは分からないけど今は黄金くんの家でもあるからね」
「要…」
「でも、楓からどうやって借りたの?」
「ンー…えーっと…」
彼はわかりやすく目を泳がせて明後日の方向に視線を向ける。
なぜか少し頬を赤く染めて、なぜか黄金くんはもごもごとした口調で少し恥ずかしそうに話し始めた。
「前…楓ちゃんが遊びに来た時に…なんてか…二人で出かけたりなんかしちゃってー…」
「2人で?」
あの楓が僕に秘密で黄金くんを外に連れ出したりするだろうか。明らかに不用心だし、そもそも僕の意見を無視するような子ではない。
黄金くんは僕が聞き返すと彼はさらに渋い顔を浮かべた。
「か、楓ちゃんは…要の許可があるんなら良いよって…言ったから…そのー…すんません…」
しゅんと縮こまって答える黄金くんは、叱られてぺったりと耳を下げた猫の姿を彷彿とさせる。
なるほど、僕が嘘を重ねている間に彼も僕や楓に嘘を吐いていたわけだ。恐らく柊も嘘を吐いているあたり、僕らの物語には嘘吐きしかいなかったのだろう。
「んで出先で…四月一日と知り合ったんだ。そん時にアイツ怪我してさ、ほっておけなくてウチで手当てしようって言ったんだけど…結局、救急箱だけ持ってきてエントランスで治療したよ。で、楓ちゃんが部屋まで二往復するの面倒だったみたいでその時に貸してもらった…っきり返しそびれていたというか何というか…」
彼の話を聞いていると謎に包まれていた柊の正体が少しずつ分かってくる。
そんなタイミングで接触した通りすがりが友達になるだろうか。そうあることではない。
「でも、柊くんは1人で外食に行けるほど自立した生活をしているようだ。何故、黄金くんが手当てを?そんなに大怪我だったのかい?」
「何故って…」
「君にもプライベートはあるだろうし、それを尊重したい気持ちはあるんだ。でも、僕は心配性だからその辺だけは詳しく教えて欲しい」
柊が花屋と仮定して考えれば、黄金くんの友人になるために選ぶ策として怪我を治してもらうのはあまりに的を得ている。僕と黄金くんの出会いそのものが、怪我の手当てだったのだから。
「地下の人間はみんな疑り深い。僕も残念ながら例外ではない。僕にも柊くんを信用できるようにして欲しいんだ」
黄金くんの琥珀色の瞳をまっすぐ見つめ、静かに諭すと、彼はポツポツと話し出す。
「あいつが怪我したの俺とぶつかって転んじまったせいだったし、浮浪者みたいな格好してたから。あとから聞いた話だけど実際、逃げてきたばかりで手当てする余裕とかなかったから助かったらしいけど…」
たしか黄金くんの話では柊は地上から来た人間で、飼い主から逃げ出して生活している…という設定だった。
そんな話、相手が地下の人間ならすぐに嘘だとわかるだろう。柊は黄金くんが地下のことをよく知らないのをわかっていた上で嘘を吹き込んだ可能性が高いと今の話から推測できる。
「…やっぱり、柊くんはあまり信用できないね」
「たしかに、四月一日はなんか隠してるし、嘘もついてるけど…でも本当に良い奴なんだ。要みたいにきっと理由があるんじゃ…」
僕の言葉に黄金くんは擁護するように言い訳を並べる。それがなんだか面白くない。自分の名前の横に並ぶのが、そんなに怪しい人物の名前だなんて不愉快だった。
「…ごめんね。僕は君ほど柊くんを詳しく知らないから、偏見もあるかもしれない。だけど、黄金くんも可能な限り警戒して欲しい」
永遠と玄関の前で話していては待ち合わせに遅れてしまう。思い出したようにエレベーターに向かう僕に彼は慌てて後に続きながら苦笑いを見せた。
「要って案外疑り深いんだな。突然俺なんかと暮らそうってなる位だから何か意外だよ。でも、ちゃんと仲良くなったら、アイツが悪い奴なんかじゃないってすぐわかるよ!」
「だと、いいな」
僕は黄金くんの顔から目を逸らして相槌を打つ。
だって、君は友達だったじゃないか。僕だって見知らぬ人間を易々と家にあげるほど無警戒じゃない。喉までせり上がる言葉を飲み込んだ。
「君には助けてもらったから、恩返しに家に入れたんだ。これでも信用してるんだよ」
話せるギリギリのラインで弁明する。こんな事でムキになる自分が変なのは分かっている。ナンセンスだ。でも、言わずにはいられなかった。
彼はますますわからないといった様子で、悩ましそうに眉間にしわを寄せ首を傾げた。
「なあ、それは嘘じゃねえの?」
「これは嘘じゃないよ」
「えー!じゃあいつの話だよ!要はそんなに覚えてるのに覚えてない俺、薄情じゃね?」
ケラケラと笑う黄金くんに僕は自分の口に人差し指を当てて、少しだけ笑った。
「…秘密」
黄金くんはきょとんと僕の顔を見返すと小さな声で「少女漫画かよ」と唖然とした様子で呟いた。
2人で柊に指定されたコンビニに向かうと、コンビニの前にはすでに柊が店の壁に寄りかかって爪をいじっていた。
「おまたせ!」
その姿を見るなり黄金くんが柊の元へと走っていく。彼のその背中を見ながら、なんだか僕は形容しがたい不快感を覚えた。
「わ!黄金くんに要くん!今日は来てくれてありがとね~!」
焦げ茶色のくせっ毛に囲まれた顔に付いた垂れ目がちの大きな黄緑の瞳を細めて柔らかく柊が笑う。人の外見の善し悪しは僕には良く分からないが、一般的には僕よりもとっつきやすい人相の良さだ。
彼らはどちらともなくかるく手を挙げ、息の合ったハイタッチを見せる。
楽しそうに笑う黄金くんの手が柊の背中をバシバシと叩き、じゃれつく。「痛い痛い!強すぎ!」とそれをかわす柊もまた楽しそうに笑っていた。
僕もあれくらい愛想良く出来たら良いんだろうか。でも、僕の作り笑いは死んだ魚によく比喩されるのだから、多分無理だ。顔の作りがそもそも違うのかもしれない。
「いや、誘って貰えて嬉しいよ!今日はどこ行くん?」
「今日はねー、定食屋さん!最近出来たんだって!俺、トンカツ食べたいなー」
黄金くんの問いに柊は目尻を下げて笑うと黄金くんの腕を軽く掴んで歩き出す。
「ほら要も早く!」
柊に引かれるまま歩き出す彼は半分こちらを振り返って、開いた手で手招きをした。
「ああ、うん」
一瞬だけその手招きする手を繋いで歩きたいと思って手を伸ばすが、そのまま僕は手をポケットに入れて彼の後ろをついて行く。
柊は別に黄金くんに対して特別な気持ちなんかないだろう。もし花屋なのだとしたら尚更だ。
だけど、2人の距離が近いだけで羨ましいような気持ちになってしまう。前に2人で出掛けた時に「危ないから」と繋いだ彼の手の温もりを無駄に思い出してしまうのだ。
柊と黄金くんの後ろ姿を見ては地面に視線を落としてを繰り返しながら歩くと、まだ綺麗な佇まいの和風の店の前で彼らが足を止めた。
「ここ?」
「うん。さすが出来たばっかりなだけあってピッカピカだね~」
黄金くんの言葉に柊はのんびりとした口調で笑うと、店の暖簾が下げられた扉を開く。
「いらっしゃい!」
中から威勢のいい男性の声。中に入っていく柊の姿を見送り、黄金くんは物珍しそうに店の外装を見回してから僕に振り返った。
「めっちゃ普通に定食屋さんだけど、こんな遅い時間までやってんの?」
「ここは夜勤の人が多いからね。君がいた所よりみんな夜行性だよ」
黄金くんが地下の人だと周囲にバレないように声を抑えて答える。
地上と違って地下には早起きのメリットなんて何もないし、始末屋のような地上の汚い部分に携わる人間からすれば夜の方が何かと都合がいいのだ。僕らには当然の話だが、黄金くんからすれば不思議な話なのだろう。
ひのきの香りと新築特有の香りが漂う真新しい店内へ足を運ぶと、中で柊が一足先にテーブルに座ってこちらを手招きしていた。
新店なだけあってほぼ満席だ。客層はBランク程度の人が多そうだ。華美でもなく、汚らしくもない。富裕層が必ずしも華美な恰好をしているわけではないことは、僕が1番知っているのだから断言は出来ないが。
僕ら肉屋一家はA5ランク。Sの1個下…つまり、普通の人間なら1番上のランクにいる。
肉屋がA5なら花屋も同じか、それに近いランクに属するだけの金を持っているだろう。柊が花屋ならわざわざ庶民的な店を選んだのはカモフラージュだが、本当にただ黄金くんと友達になっただけの人なのか。
柊の向かいの席に腰を降ろし、黄金くんは僕が座れるように奥へと移動する。僕はそれに続いて彼の隣に少し間を空けて腰を下ろした。
「俺、トンカツはおろしポン酢派なんだよね~。あるかな…」
机に置かれていたメニューを手に取り、それを熱心に見つめる柊は目を細めてトンカツの一覧を指でなぞっている。
残されたメニューが1つしかないことに気付き、僕はそれを開いて黄金くんにも見えるようにテーブルの真ん中へとずらす。
そういえば、ガロウズで会っていた時もこんなことをやった。マスターに頼んでカウンターに並んで座ってジュースを飲んだ。ガスマスクの下にストローを無理やり差し込んで飲む僕を見て黄金くんはお腹抱えて爆笑していたっけ。
「厚切り生姜焼き定食!ご飯大盛で!」
そんなことをぼんやりと考えていると、隣にいる黄金くんがメニューの名前を声高らかに叫んだ。
「あと、コーラ飲みたい」
「じゃあ俺もおろしポン酢トンカツ定食~!オレンジジュース飲も!」
「あっれ、今日は牛乳じゃねえの?」
次にメニューを決めた柊に黄金くんがニヤニヤと笑う。
「いつもあんな牛乳信者のくせになあ、浮気か~?」
「あ、いや、その…」
柊は困ったような笑みを浮かべながら、何故か僕を一瞥する。
牛乳…そういえば、花屋がいつもガロウズで飲んでいる飲み物は白い液体だった。ガロウズのマスターはバーに迷い込んだ子供用に牛乳を常備しているはずだ。
「…牛乳、メニューにあるよ」
メニューを確認し、僕は柊に静かに告げる。彼は困ったような表情から、不意に眉をしかめて挑発的に笑った。
「…そっか。じゃあ、俺としたことがメニューにあるの気づかなかったなあ!牛乳にする!」
柊は黄金くんに向き直ると、さっきまでの柔らかい笑みを浮かべる。
これは恐らく確定だ。柊は花屋だ。この様子では彼も何かしらで僕が肉屋だと確信しているのだろう。
「なあなあ、要はどうするの?」
唯一何も分かっていない黄金くんが僕にメニューを押し出してテーブルに身を乗り出す。
正直、外食先で出る定食なんて身体に悪い物がほとんどなので、どれも食べたくない。けれど、付いてきてしまったからには決めなくては。
「…鯖の味噌煮定食かな。飲み物は水でいいよ」
僕はメニューを閉じ、テーブルの端に避ける。
黄金くんが元気よく手を上げて店員を呼んでいる横で、柊は…花屋はテーブルに両肘をついて、ニコりと微笑んだ。
「ねえ、要くん。連絡先交換しようよ」
黄金くんに花屋が嘘を吐いていたことについて、僕が何も知らないなんて思うほど彼は無知ではないだろうが、堂々と自分の腕時計を差し出してくる。もう開き直っているのだろう。
「結構だよ」
「えっ!?なんで!?交換しようよ!またみんなで遊ぼう?な?」
花屋の申し出を断ると、店員に注文を終えた黄金くんが横から口を出す。
こういう時、騙し合いを知らない人間が同席しているのはお互い不利になるんだな…。
黄金くんを見るとこちらをじっと丸い目で見つめ「連絡手段のない俺の変わりでもいいからあ!」と周りに聞こえないくらいの控えめな声でお願いしながら裾を軽く引いてくる。とてもじゃないが断れる雰囲気ではない。
「…分かった」
「ありがと~!」
承諾する僕の言葉に花屋がかぶせるように建前のお礼を述べる。
腕時計でメッセージアプリを起動し、連絡先交換用の専用コードを表情して花屋に差し出す。花屋はそれを自分のもので読み込む。
お互いの正体を何となく勘づいている始末屋同士が連絡先交換なんて昨今のギャグ漫画にもそう見ない話だ。
しばらくしてそれぞれが注文した定食がテーブルに届けられ、僕らはそれに手をつける。
黄金くんは花屋にお勧めの歌手はいないかとか、趣味の話だとか他愛ない話をしていて、花屋はそれに微笑みながら相槌を打ちをし、たまに会話を膨らませるような返答を返していた。
僕は彼らの隣で黙々と鯖を食べた。黄金くんの話は大体知っていることだったので、気の利いた回答が思いつかなかったのだ。素直な感想を述べたら、ガスマスクの時と同じ返答になってしまう。
花屋は嘘を吐いているのに会話を滞りなく盛り上げている。僕にはあんな器用なことはできない。
「あ、ちょっとトイレ!」
食事を終え、会計をする直前に黄金くんが席を立った。彼の後ろ姿がトイレの中へと消えるのを待っていたように、花屋は片目だけ細めた歪んだ笑顔を僕に向けた。
「…お前もう気付いてんだろ?」
「何のことかな」
「バックレですか~?往生際悪いでちゅね~?」
念の為とぼけてみたが、火に油を注いでしまったようで花屋は声を高くして僕を煽る。
常々思うのだが、人間はどうしてこんな挑発をするんだろう。ただ、自分の品を下げるだけに思う。
僕はとりあえず肩を竦めて見せる。
それを見た花屋は僕が観念したのを察したのか、テーブルに身を乗り出して声を潜めた。
「おい、提案がある。俺もお前も互いの正体を分かっているだろ。絶対に俺の正体を周りにバラしたりすんな。俺も癪だが、テメェの正体は秘密にしといてやる」
「当たり前だよ」
僕は思わず小さく溜息を吐いた。
始末屋が自分の正体を全く無関係の人間にカミングアウトしたり、他者にアウティングするのはタブーだ。アウティングした者も批判を受けるだろう。
ただ、花屋は僕ら肉屋に強い私怨を抱いている。批判を恐れずにアウティングするのではと思っていたが、一応マナーは守る気でいるようで安心したのは確かだった。
「で、お前はあの金髪が好きなの?」
花屋は背もたれに寄りかかると、脈絡のない質問を投げかけてくる。
僕は花屋のこういうところが苦手だ。
「君に教える筋合いはないけど」
「じゃあ興味ないんだ~?へえー?ふーん?」
唇を尖らせ、彼はニヤニヤと笑う。
「それなら、俺がもらっちゃおっかな~」
彼の発言に思わず僕は眉をひそめる。それを横目で確認すると、花屋は口の端を吊り上げて笑う。
分かっている。これも挑発されている。残念ながら、僕には的確なやり方だった。
表情に出てしまうなんて僕もまだ未熟だ。
「おまたせ!何話してたん?」
トイレから戻ってきた黄金くんがテーブルの隣に立ったまま首を傾げた。
花屋は器用にまたあの柔和な笑みに戻ると、彼もまた立ち上がった。
「恋バナ~!とりあえず会計しよっか!」
「え!?恋バナ!?このメンツで!?俺にも聞かせろよ!」
レジに向かう柊の後を食い気味に追いかける黄金くんに、僕も続いて立ち上がる。レジに3人で向かう。会計は黄金くんが支払いができないので僕と花屋で割り勘だ。
「つーか支払い…いつもごめんな」
黄金くんが僕の耳に顔を寄せて小さな声で謝罪する。僕は少し笑う。
「いいんだ。僕がやりたくてやってるからね」
こうしている間は何だか嬉しくなる自分がいると最近、気が付いた。
お金なんかじゃ彼の気持ちが僕に傾いたりなんてしないのに、浅ましいな。
レジで花屋が腕時計を読み込まれるのを待ち、続いて僕の腕時計に金額分のコードを表示して店員に読み込んでもらう。
「美味しかったね!また来ようよ!」
「おう!もちろん!」
僕の後ろで交わされる2人の会話を聞きながら、また3人で来るのは嫌だなと思った。
店を出ると花屋の家は別方向らしく、現地解散になった。
「黄金くんまた遊ぼうね!」
不意に花屋が黄金くんの両肩に手を置き、頬に軽くキスをした。呆気にとられる黄金くんに彼はイタズラにウィンクをする。
「外国の人とはこうやって親愛を示すんだよ。黄金くんもしかして不慣れ?」
「えっ、あー!ああ!知ってる知ってる!!けど俺、日本人…てか四月一日も日本人じゃねえの!?」
動揺をごまかすような大袈裟な身振りで黄金くんは柊の肩をバシバシと叩く。しかし横から見ていてもわかる位赤く染まった頬ではそれは隠しきれていない。
「地下は国境がないから、色んな国籍の人がたーくさんいるよ!今から慣れといた方がいいよ!俺で練習!ほら、黄金くんもハグハグ!」
花屋は両腕を広げて黄金くんにハグを要求する。
確かに地下には様々な国籍の人たちが垣根なく暮らしている。彼の言うように、外国式の挨拶を求められることもあるだろう。僕だって経験したことがある。
否定できないので、僕に彼の要求を止めることは出来ない。ただ、率直に感想を述べるならこの上なく腹立たしい。
「お、おう…ハグなハグ…」
少しギクシャクした動きで黄金くんは求められるままに両腕を開いて柊を受け入れる。
花屋は挨拶と称するには密着しすぎた恋人のような抱擁をすると、さり気なく黄金くんの頬に自身の頬を摺り寄せる。彼は黄金くんに見えないことを知っていてか、僕に向かって舌を見せ馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
彼の不快な行動を僕は腕組みをしてただ眺める。悔しいが何も出来ない。
「なげえって」
黄金くんが困ったような笑い声を漏らしながら、やんわりと花屋を引き離した。
花屋も引き際はさすがに心得ているようで、パッと手を話すと人の良い笑顔を浮かべて手を振った。
「じゃ、また遊ぼうね!要くん、また連絡する!」
あれだけ僕に嫌がらせをしておきながら、声色に全く嫌悪感を感じさせない花屋の演技力には脱帽だ。僕には真似出来ない。
小さくなる花屋の背中を見送り、僕が自宅に向かって歩き出すと黄金くんも僕の隣をついてきた。
「…これから数日もすれば、僕は仕事に戻るけど、柊くんとはあまり2人きりで遊ばないでね」
「え、何で!?もしかしてまだ疑ってるん?良い奴だったろ?」
「信用できないんだ。ごめんね」
信用どころか正真正銘の黒なのだから、安心できるわけがない。不服そうに口を尖らせる黄金くんに僕は平謝りすることしかできない。
「ははーん、もしかして焼きもち妬いた?なーんて!」
頭の後ろで手を組んで黄金くんが笑った。
「嫉妬?そうだね、凄く妬いた」
黄金くんの冗談に、僕も自分なりの冗談を返してからふと気付く。
そうか。冗談じゃなくて、僕が感じていた不快感って嫉妬だったのかもしれない。
少し驚いたような顔で僕を見る黄金くんに、僕は眉をひそめて笑った。
「…なんてね」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

隠れSubは大好きなDomに跪きたい

みー
BL
⚠️Dom/Subユニバース 一部オリジナル表現があります。 ハイランクDom×ハイランクSub

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

目が覚めたら囲まれてました

るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。 燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。 そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。 チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。 不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で! 独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。

十七歳の心模様

須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない… ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん 柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、 葵は初めての恋に溺れていた。 付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。 告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、 その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。 ※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

うちの鬼上司が僕だけに甘い理由(わけ)

みづき
BL
匠が勤める建築デザイン事務所には、洗練された見た目と完璧な仕事で社員誰もが憧れる一流デザイナーの克彦がいる。しかしとにかく仕事に厳しい姿に、陰で『鬼上司』と呼ばれていた。 そんな克彦が家に帰ると甘く変わることを知っているのは、同棲している恋人の匠だけだった。 けれどこの関係の始まりはお互いに惹かれ合って始めたものではない。 始めは甘やかされることが嬉しかったが、次第に自分の気持ちも克彦の気持ちも分からなくなり、この関係に不安を感じるようになる匠だが――

処理中です...