天底ノ箱庭 療養所

Life up+α

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2章 手術

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3.
僕は部屋中に散らばった臓物を足で踏みつける。黒く濁った色をしたそれは酷く汚らしい。
足元のそれを蹴り飛ばし、持ち主の元へと戻す。リノリウムの床に赤い染みが伸びる。この汚い臓物の持ち主は壁に寄りかかって泡を吹いている中年の男だ。
地上で言うヤクザ組織の派閥争いで邪魔になってしまったという、このビルにいた全員を始末した。ざっと数えて20人はいただろうか。さすがに疲れた。
腕時計のメニューを開き、メール画面から楓に掃除の依頼をする。今回は事件にしても良いとのことで心置きなく暴れてしまったが、僕が来たという証拠は掃除屋に依頼するのが1番確実だ。痕跡は残さないようにはしているが、念には念を入れる。
このビルにいた人間達の内臓はみんな醜くて汚らしかった。僕は内臓を愛しているが、汚れた内臓は何よりも嫌いだ。
生まれた時、生物に平等に与えられる内臓。なのに、これだけ汚してしまうだなんて許し難い行為だ。薬物や不摂生、タバコ、アルコールの過剰摂取、肥満、どれも許せない。どれも内臓の美しさを損なってしまう。
黄金くんの血液は美しかった。甘かった。だから、僕は彼を家に置いている。
黄金くんと話す時間は、確かに楽しいと言えるのだろう。彼が笑うと嬉しくなる。彼に嘘を吐くとなんだか息苦しい。一緒に外を歩けたらとか考える。
でも、全部無駄なんだ。彼の存在は地上にも地下にもない。だから、彼には一生部屋の中にいてもらうか、死んでもらうしかない。
本当は分かっているんだ。僕が彼の内臓だけに興味があるなら、最初から部屋に連れ込んだりしなかった。彼が話すガスマスクの正体が自分だと言えないことに苛立ちを感じたりしない。
だけど、その感情を認めたらダメだ。人を殺すことに戸惑いを覚えた始末屋なんか、誰にも必要とされないんだから。
人目につかないようガロウズまで戻る。入れ替わりで楓が行くだろうから、僕の残された仕事は誰にも目撃されずに帰るということだろう。
ガロウズの裏口から戻り、挨拶をしようと店内にドアの隙間から控えめに顔を出すと、マスターが目を丸くした。
返り血でびしょ濡れだから驚いたのだろう。
「随分派手にやりましたね。ヤクザの抗争か何かですか?」
「鋭いね。今日は相手方が始末屋を雇ってなかったから簡単だったよ」
ヤクザ同士の抗争では始末屋が雇われることは珍しくない。だから、ターゲットの組にも始末屋がいたりする。そうなると泥仕合だ。
敵方に花屋がいたりする場合もある。幸い、彼と仕事が被ったことはないが、想像するだけで少し危機感を感じる話だ。
「風邪をひかないようにお気を付けて」
微笑むマスターに僕は頷く。さすが慣れているだけあって、彼は仕事内容より返り血で身体が冷える方を心配する。
「ありがとう」
ドアを閉め、作業着をビニール袋に詰めてギターケースにしまう。早く洗わないとカピカピになってしまいそうだ。
いつも通りにガロウズの地下通路を経由して自宅に帰ると、部屋はいつも通り静かだった。
僕はぐしゃぐしゃになった作業着を風呂場に置き、黄金くんの様子を見に彼の部屋のドアに手を掛けた。
静かに開ける。隙間から覗いたその部屋には人影はなく、僕がいつかに買った医療機器とベッドだけがあった。
「…黄金くん?」
声を掛けてみるが、返事がない。まさか起きていてかくれんぼでもしているのか?まだ深夜の3時半だ。彼がそんなことをするだろうか。
「黄金くんいるの?」
念の為、風呂場の作業着を回収しながら呼びかける。それでも返事はなかった。
僕の部屋には必要最低限の家具しかない。隠れるならウォークインクローゼットかベッドの下くらいだが、そんな見つかりやすい隠れんぼをする意義を感じないのは僕だけではないはずだ。
家中彼を探し回っていると、先程は気づかなかったが下駄箱に何やら紙が挟まっていた。 
バレないように隠したような、その反面本当は見つけて欲しいようにわざわざはみ出ている紙切れの端を掴んで引き抜く。
『友達のとこ遊び行ってくる。数日で帰るよ』
手紙の主の名は書かれていないが、黄金くんが書いたもので間違いないだろう。
友達…?彼はここを地上だと思い込んでいるはずだ。それなら街に出てすぐに異変に気付かなかったのだろうか。
この手紙がいつ書かれたものなのかは分からない。ただ、もしその友達が地上の人間を指すなら道中で迷子になっているか、誰かに悪さをされて帰られないのか。地下の人間を指すなら、それはそれで困ってしまう。
僕はクローゼットから予備の作業着を取り出し、それを身に付けてガスマスクを被る。
彼がもし地上の友達を探しているなら…それは恐らく『ガスマスク』だ。この姿で行く方が話が早いだろう。
とは言え、自宅からガスマスクを被って出るなんて「肉屋がここに住んでいます」と言っているようなものだ。かと言って、ガロウズのような更衣室付きの中継点などない。
僕は部屋の雨戸を開けて、そこから身を乗り出す。
玄関よりはこちらの方が光が当たらない。光が当たらない影を選んで行けば、多少は人目につかないはずだ。
窓の隣にある鉄パイプに手をかけ、それをつたって壁を降りる。幼い頃から父親に仕込まれて来たので、こういう動きは得意だ。
するするとマンションの裏手へと着地し、僕は一際影が濃い部分へと身を寄せる。
腕時計ですぐさま妹にダイヤルする。彼女は僕の依頼で地上に向かっているはずだ。地上に着いていたら電波が届かなくなってしまうので、通話するなら今しかない。
呼出音が少し続いてから応答する音。内心、安堵する。
「お兄ちゃん?」
「楓?今話せる?」
僕の言葉に楓は「うん」と相槌を打つ。僕は一呼吸置いてから言葉を紡ぐ。
「…黄金くんがいなくなった。友達の元へ行くと。それが地上での彼の友達だとしたら、どこへ向かったか分からないんだ」
彼なら大丈夫だろうと鍵を付けなかった僕が悪い。だけど、彼は犬ではないし、人権を奪ってまで閉じ込めたいかと言えば、そういうわけでもない。
不甲斐なく思う気持ちというのは、こういう感情なのかもしれない。
「…放っておいてはダメなの?」
楓が小さく言った。いつもと変わらない、抑揚ない言葉だ。
「心当たりはあるけど…私は黄金くんのこと、信用できない。お兄ちゃんが困ってしまうなら、そのまま放っておいて、もう何もなかったことにしようよ」
「何もなかったことに?それはつまり、彼に命の危険が迫ってるってことなのかい?」
楓は決して僕には嘘を吐いたりしない。その彼女が数日後に帰ってくるかもしれない黄金くんの事実を何一つ聞かずに暗に「放っておけば何もなかったことになる」と言っている。それはどう考えてもあまり良い状態ではないはずだ。
「…そうだよ。なかったことになればいいって黙ってたの。だけど、お兄ちゃんはどうしても黄金くんに会いたいの?」
掃除屋たちは情報や痕跡を跡形もなく消し去る。つまり、情報については僕ら始末屋よりよっぽど掃除屋の方が強いのだ。楓から得られる情報は宛にするべきだ。
「ごめん。会いたいんだ、彼に」
黄金くんが何を考えているのか分からないままいなくなってしまうのは嫌だと思った。
もしかしたら、彼が探しているのは『ガスマスク』ではない別の人かもしれない。
それでも、もし『ガスマスク』を探しに行ったなら…それは、とても困ったことに嬉しく感じてしまう自分がいた。
「…6番地区の7合目の廃ビル9階、怪しい動きをしている人がいた。その人がさっき黄金くんを尾行しているの目撃情報があるの」
6番地区…1番物騒な地区だ。寄りにもよってそんな場所に彼は行ってしまったのか。
「その人の特徴は?」
「頭から首にかけての白い百合とダリア。目深のケープを被ってた」
彼女の言葉に胸がざわざわと騒ぐ。あまりに聞いたことのある特徴。誰がどう聞いても。
「…花屋」
僕の言葉に楓は小さくため息をついた。
「誰にも足取りを掴めなくしていた花屋さんが急にこんな目立つ行動を取るなんて、どう考えても不自然だよ。お兄ちゃんを誘いだそうとしているような予感しかしないもの」
花屋は仮にも地下では2番目に有名なのだ。見つかれば話題にもなる。それがわざわざ、トレードマークの花のケープを被って現れるだろうか。何か怪しげな行動をとるにしたって、準備段階でケープを被る意味などまるでない。
「それでも行くの?」
心配そうな声だ。それに対して申し訳ない気持ちがないわけじゃない。僕は苦笑いする。
「…ごめんね。どうやら、僕にとっても彼は友達みたいなんだ」
楓は黙り込む。
僕は友達なんているだけ不便だと言い続けてきた。黄金くんを匿う理由も、ただ中身に興味があるからとか、気まぐれだとか言ってきたけど、ここまできたら認めざる得ない。
「探しに行ってくるね」
僕は通話を切って走り出す。
幸い今は夜だ。地下の夜の暗闇は深くて、僕にとては暖かく感じるほどに居心地が良い。
夜は僕の味方だ。
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