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2章
5
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5.ヴィクトール視点
キスの練習がしたいと言われて軽い気持ちで引き受けたものの、結局俺の下半身がガバガバなせいでセックスの真似事みたいな状況を作り出してしまった。
出すだけ出して満足したようで、ベロアはあの後すぐにベッドに横になって寝てしまった。俺も風呂で一方的に奉仕してもらった身なので、まあ1回イかせてやれたのは良かったと思っている。これで貸し借りなしのトントンだ。
俺はベッドの半分を広々使っているベロアの隣に寝転がる。彼は相変わらず見た目に似合わない静かな寝息を立てていて、まるで起きる気配がない。
ドア側を向いて眠る彼の背中に、俺は反対側を向けて背中をくっつけた。先程のことがあってか、背中のシャツ越しでもベロアの体温が熱いのがよくわかった。
ベロアと対等でいたいので余裕ぶって、彼が達してすぐに俺から終わりを切り出してしまったが、正直に言うとまだまだ身体が疼いて仕方なかった。半端に中を触らせたせいだ。
ベロアの腕は俺が風呂場で教えたせいで拙いけど上手くなっていた。俺の好きな場所をきちんと把握しているから、中途半端がより一層辛い。
ベッドのヘッドボードにある照明のスイッチを最大まで暗くする。ほとんど暗闇になった部屋の中で俺は目をつぶった。
ベロアは俺のことがあまり好きじゃないんだと思っていた。彼が大事にしている子供たちを利用して、なんとか味方にしようとセコい真似ばかりしてきてきた。彼が俺に優しくするのも、味方をするのも、全部利害が一致してるからこそなのだと思っていた。身体を重ねようが、キスをしようが、それはお互いが気持ちよくなりたいだけであって特別な感情は有していない。新しいセフレだと俺は思っている。
それなのに、今日はなんだかいつもと様子が違った。風呂場でも、ベッドでも、ベロアはまるで恋人のように俺のことを扱う。やたら俺のことを可愛いと褒めて、一方的に良くしてくれた。フェラよりもキスを選んでみたり、ずっと身体が密着する距離にいながら俺の身体を労わって本番を強要することもなかった。
俺の今までのセフレはろくでもない奴らをわざわざ選んで作っていたから、皆は自分の快楽が最優先だった。こんなことは初めてだ。もちろん、ベロアがアイツらのようなろくでなしだとは1ミリも思ってはいないから、反応がまるで違うのは当たり前と言えば当たり前ではあるんだろうけど。
ベロアは俺をどう思っているんだろう。そんな無駄な考えが頭から離れない。彼は利害の一致で傍に居るだけの、ビジネスパートナーみたいなもんだ。あらぬことを期待しているなら、それはお門違いってやつ。
さっきまで彼に触られていた下腹部が、まだ物欲しそうにきゅうきゅうと小さな痛みを発している。ベロアの手は熱くて大きかった。いつまでも触れていて欲しかったと思うほどに気持ちよかった。
火照った身体をなんとかしたくて、半端に脱げていたズボンを下着ごと脱ぎさり、俺は身体を丸めて自分の下半身に手を伸ばす。
自分の指を穴に押し込む。先程まで触られていたせいでグズグズになったままの内部には、俺の指は少しひんやりとして感じられた。
ベロアに出会うまで毎日のようにこんなことをしていたから、自分の好みは自分で把握している。興奮で少し膨らんでいた前立腺を自分の指で押し込み、そこを目掛けて指を出し入れする。
「はっ…ん…」
ようやく欲しかった刺激に荒い息を吐く。空いた片手をシャツの下に忍ばせて、胸の先端を指で転がすように弾いた。
ベロアの手は温かい。手だけではなく、身体全体がいつでも温かいんだ。行為中は更に熱くなって接合部が溶けそうなくらい気持ちが良かった。
自分の指が冷たくて細くて、身体が違うと言っている気がした。確かに気持ちのいい場所を触っているはずなのに、物足りなくて身体がどんどん切なくなってしまう。
「ベロア…」
小さく彼の名前を呼ぶ。どうせ寝起きの悪い彼は、俺が何していようが起きやしないんだ。背中の温もりを感じながら、彼にしてもらったことを思い出す。
胸を触ってもらった時の手の感触が俺のとはまるで違う。温かくて大きな指の腹で先端を押し込むように触れる彼の手は、不器用で拙かったが、俺のことを良くしようと頑張って加減を調整しているのが分かる動きだった。こなれた自分の指の動きと体温では、彼のことを再現するのは難しい。
胸を触ることをやめ、その手も穴をいじっている手に添えた。先程からずっと中を触っている手と一緒にもう片手の指を入れて、中を広げたり掻き回したりするが一向に達せない。
絶頂するまで至れないほどの半端な刺激に俺はだらしなく口を開いて、荒い呼吸を繰り返す。
「ベ、ロア…ベロア…っ」
熱に浮かされてぼんやりとする頭で彼の名前を呼ぶ。
彼に対して、自分が好意を持っていることは自覚していた。自分でファンを自称するくらいだ。ファンがスターを愛していないわけがない。
だけど、それはLIKEであってLOVEではない。単純な話だ。見た目が好みだから抱かれたいけど、恋人になろうなんておこがましい考えはない。だって、彼は壇上の人。俺はその舞台を見に来ている観客席にいるうちの1人でしかないのだ。テレビの中の人間に抱く好意と同じものだ。
だと思っていたのに、俺は今日の出来事を通して別の関係を期待し始めているような気がした。
「ヴィクトール…?」
ふいに名前を呼ばれて振り向くと、こちらに背中を向けて寝ていたはずのベロアがいつのまにか体ごとこちらを向いて不思議そうに俺を見つめていた。
うわ、なんで今日に限って起きるんだよ。いつも起きないくせに。俺は驚きで目を開くが、自慰を始める前よりも酷くなっている身体の火照りの方が辛かった。
もういいや、いっそそういうプレイでしたって言えばいいんじゃないだろうか。
オカズで抜いているのをオカズ本人に見つかるなんて、恥ずかしくないわけはない。彼が一体いつから見てたのかも分からない。それならせめて、自慰でベロアに抱かれることを考えていたことだけ隠蔽してしまえば、ただの下半身がだらしない尻軽だったってことで丸く収まるはずだ。
俺は付け焼き刃でいつもの笑みを貼り付けて、ベロアに向き直る。彼からも見えるように足を丸めて上げて、自分の穴を指で掻き回して見せた。
「ベロア…」
呆然と俺を見つめる彼の肩に額を寄せて名前を呼ぶ。本当は触って欲しいが、それでも見つめられているだけで先程より感度が上がって気持ちいい。
俺が性にだらしないせいで、ベロアは1人で出掛けざる得なかった。だから怪我をして帰ってきた。こんなことでよがっている自分は最低だと分かっている。
なのに、ベロアが起きていると思うだけで歯止めが効かなくなってしまう。
「…どうした?なんでそんな…」
流石のベロアも困惑が隠し切れない様子で起き上がる。俺を見る彼の目は丸く、視線は俺の顔とだらしなくヒクつく陰部を行ったり来たりしている。
「…触ってくれる?」
ダメで元々で小さい声で聞いてみる。これで愛想尽かされたら仕方ないと思う。それなら今後二度と彼の傍で自慰をしないで、まっとうな時にだけコンタクトを取ろう。
大丈夫、ベロアはそんなに気持ちの小さな男じゃないさ。そう言い訳を並べながらも、俺の声は緊張で少しだけ震えていた。
「…来い」
ベロアは相変わらず驚いたような顔で俺を見ていたが、一拍置いて胡坐をかいて座りなおし、あの低い声で答えた。
彼の声を聞くだけで期待して下腹部がきゅうきゅうと痛む。もう俺の身体は相当馬鹿になってるのかもしれない。
彼に誘われるままに差し出された腕に体重を預けると、熱いくらいの熱を帯びた胸板に抱き寄せられる。
「何処を触ったらいい?」
そう言いながらベロアは抱き寄せた腕と反対の手で俺のシャツの襟元に指をひっかけて軽く引っ張る。
これは脱がないとまた破られそうだ。僅かに残ったまともな脳みそで、俺はそう判断してシャツの前を開ける。
「お尻…触って…」
ボタンを開けながら、もう片手で彼の手を掴んでグズグズになったそこへと招き入れる。
「でも、本当は指じゃなくて、入れたい…お前のやつ…」
また昨日みたいなことが起きたら、明日も腰がたつか分からない。ようやく歩けるようになったのに、そんなことしていいわけがないと思っているのに、どうにも本音が出てしまう。
俺が強請るとベロアは眉をひそめて俺を見下ろした。その顔は明らかに呆れているという形容に近い表情で、俺は今更のように言ったことを後悔する。
そりゃそうだ。昨日と今日で一体何回同じことを繰り返してると思う。俺だって呆れてる。
「ヴィクトール…そういう事言われると俺は困る」
不機嫌そうな顔のまま彼は目を閉じて首を横に振った。
「俺だって我慢してる。お前が体痛そうにしてるから、なのになんでそんなこと言うんだ」
そう言うとベロアは少し乱暴に俺を仰向けにベッドに転がした。恐らく、元の力が強いだけで乱暴しているつもりはないんだろう。言葉そのものは拙いながらとても優しかった。
俺に四つん這いで覆いかぶさる彼の物はいつの間にか硬くなり始めている。
「駄目だって言わないと止めないぞ」
予想外の出来事と言葉が連続で降ってきて俺の脳みその処理が追いつかない。それでも、胸が苦しくなるほど嬉しくて、俺は彼の首に両腕を回してキスをする。
「大歓迎」
俺の声に反応するように彼は俺の唇を食む。先ほど練習した成果なのか、以前より器用に俺の口の中へと押し入って舌を絡めてきた。
ベロアとキスをするのは、俺が一方的にしても十分に気持ちよかったが、こうも積極的だと脳みそがふやけそうな程に気持ちいい。セフレとした時はなかった高揚感と充足感で胸が満たされる。
キスをしながらベロアは片手で俺のシャツを引きはがす。やっぱり彼はセックス中に服を片方が着ているのはダメなようだ。次誘う時は自分で脱ごう。
引きはがしたシャツを適当に投げ捨てて彼は本格的に俺に肌を重ね始めた。
片肘を俺の顔の横について、まるで「逃がさない」と言わんばかりにのしかかる。
もう片腕で俺の足を持ってめくりあげ、膨張した己の物をふやけた俺の穴にあてがい滑らせる。
「…む」
キスをしていた彼の顔が離れると、彼は股のほうに視線を向けて不機嫌そうに眉をしかめる。
この体位での挿入にまだ慣れていないのだろう。俺は彼の首に回した腕で、彼の顔を引き戻す。唇を重ねて舌を絡めながら、両手を下半身の方に落として彼のものを優しく捕まえる。
それを丁寧に手で撫でて扱き、ゆっくりと自分の入口へと誘い込んだ。
先端が差し込まれるとベロアはこの瞬間を待っていたかのように一気に腰を押し付ける。
ベロアに来てもらうことをずっと待ち望んでいた俺の中は、そんな野性的な彼を悦んで受け入れた。
「ひっ、ぁっ…」
空っぽだった中身が急に満たされて、頭が痺れそうなくらい強烈な快感が身体を走る。入れられただけなのに全身が震えて、ベロアの背に絡めた足がつっぱった。
腹の上に暖かいものが出る感覚に、俺は慌てて彼の口から顔を離す。
いきなりイッてしまうとは思わず、俺は謝ろうするが、彼はそんな時間も与えずに俺の口をすぐに塞いだ。
キスの合間に短い呼吸を吐きながら、彼の腰はますます激しく中で暴れまわってかき乱す。
「まっ…ベロアっ…」
イッてから気付いたのだが、今日は自慰をする前にゴムを着けるのを忘れていた。これでは汚れが気になって集中できない。
それでも休むことなく激しく突き上げる彼の腰の動きが気持ちよくて、俺は腹の上に精液を吐き出し続けてしまう。
「とまんな…っ、よごれ、るからっ!」
「別に俺は気にしない」
彼は俺の体をがっちりと押さえ込んだまま離さずに、いっそう激しさを増す。
俺の喘ぎ声に混ざってパンパンと肌を打ち付ける音が部屋に響く。
「ヴィクトール、今日は何回やっていい?」
少し腰の動きを緩めるが、グイグイとゆっくり押し上げるのを止めないままベロアは首を傾げる。
一番奥が押し上げられて身体が反り返る。わざわざ動きを緩めてくれたのに、身体が悦びっぱなしで痙攣が止まらない。
「わ、っかんない…いっぱい…」
もう筋肉痛もいくとこまでいってるし、今日だって一応は俺は何もしてないわけではなくて、痛くても動く術は1人で多少は身に付けたはずだ。
それならもう明日は根性で動くしかないし、理性が飛びかけた今の頭ではブレーキは効かないだろうと何となく分かっていた。
「わかった。いっぱいだな」
そう答えるとベロアはまた体を覆いかぶせて激しく腰を打ち付ける。
辛うじて残っていた会話する脳が消えて無くなる。彼に突かれる度に聞こえる悲鳴みたいな喘ぎ声は、まるで自分のものじゃないように思えた。
「っ…だすぞ!」
耳元で余裕のない彼の声が聞こえると、腹の奥深くに熱くてドロドロとした彼のものが吐き出された。
「んぁあっ…!」
まだ入れてもらってからそんなに経っていないような気がするのに、すでに何回イッたのかもう分からない。腹の中に注がれると同時にまた絶頂を迎えてビクビクとおおきく身体を震わせた。
「次だ」
まだ俺がイってる途中だと言うのに彼は間髪入れずに動き出す。
今度は姿勢を起こし片方の足を持ち上げた。ベロアは動く度、前が揺さぶられるほどの力で突き上げる。
「まっれぇ、べ…ろあっ!でっ、でちゃうっ、からぁ…っ!」
次第に回らなくなってきた呂律で彼にインターバルを求めるが、気持ちよすぎて俺の声は明らかに喜んでいた。ベロアもそれを分かっていてかやめる気配はなく、再び絶頂が近づくと、突き上げられる度に出し続けた精液の代わりに別のものが込み上げてきた。
「んっ、ぁあ、いくぅ…っ!べろぁ…!」
ベロアに持ち上げられたままの足をガクガクと震わせて、俺は前から勢いよく液体を吐き散らかす。
精液よりも水っぽいそれは、恐らく潮だ。複数人相手したり、よほど盛り上がった時にしか経験したことのない久しぶりの快感だった。
肩で息をするベロアが繋がったまま俺を見下ろす。
「…かわいい。ヴィクトールがかわいい。お前のそういう顔とか声とか見ると、どんどんやめたくなくなる」
ベロアは困ったように眉間にシワを寄せて声を絞る。
こんなみっともない姿を晒しているのに、可愛いなんて言われたら勘違いしそうだ。恋人のように可愛がられている気がしてしまう。
しかしそんなことを話すような余裕はやはりなく、俺はぼんやりと口を半開きにしたまま彼を見つめ、熱い呼吸を繰り返す。
胸元にまで広がった、様々な液体でびしょびしょの腹を指先で確かめるように撫でると、胸元に顔を寄せる。
「もっと聞きたいし、もっと見ていたい」
彼の舌がみぞおちの当たりを這う。
「ふぁ…」
温かいそれが肌を擦ると、ゾクゾクとした快感が突き抜ける。ただ舐められただけとは思えないほど気持ちが良くて、意味も分からず涙が込み上げてきた。
「不思議な味がするな」
まるで愛しい人に微笑みかけるかのように目を細めて俺を見下ろしている彼の腕にすがり、腰を前後に揺らす。
「むね、なめて…」
餌を求める雛鳥のようにベロアの顔に何度もついばむようなキスをする。
「そうされてたら舐めれないだろ」
ベロアは軽く俺の肩を押して倒すと、すでに固くなっていた胸の先端にゆっくりと舌を這わす。
舌の腹で味わうようにべろりと舐めたり、舌先で軽く触れたり舐め方を変えながら刺激する。
「きもちいっ、べろあ…っ!きもちい…はっ、あっ…」
敏感になったままずっと放っておかれていた部分に、待ち望んでいた以上の刺激が訪れる。ベロアの頭を抱きしめた。
ずっと軽くイッてるような状態が続いている。何も考えられなくて、ただ感じたことが脳を介さずに口から垂れ流される。
「べろあ、すきぃ…」
彼の頭を抱きしめたまま、彼の腰にも足を巻き付けた。肌と肌が密着すると、ベロアの熱い体温が伝わってきてたまらなく気持ちいい。くっついているだけで下腹部が中をぎゅうぎゅう抱きしめて離したがらない。
「俺もお前のそういう顔、見てるの好きだな」
そう言って彼は俺の胸の先端に舌を這わせたまま押し付けるように腰を揺らす。甘く痺れるようなその刺激がもっと欲しくて、彼の動きに合わせて俺も腰を擦り付けた。
徐々にベロアの動きが激しくなるにつれて思考も視界もふわふわしてきて、何も考えられなくなっていく。奥に力強く押し込まれると痛いくらいの快感が下腹部から突き上げた。
「ん"あぁあっ!べろぁっ、べりょあ…っ」
強すぎる快感に頭がおかしくなりそうで、俺は彼の腕にしがみついて名前を連呼する。前からも射精が止まらなくて、普段なら相手にかけたくないとか考えるのに、そんな余裕すらなかった。
ベロアがキスをするように俺の頬を伝う涙を舐めとる。頬を軽く吸う彼の唇に、俺は振り返って横入りするように唇を重ねた。
「もっと…」
もう理解できないほど気持ちいいのに、キスの合間に自分の口から出てきた言葉は、催促の言葉だった。
彼はそれに舌を絡めて答える。息が苦しくなるたび唇を離して大きく息を吸い込んではまた重ねを繰り返す拙いキスがとても気持ちよかった。
それからベロアは俺の要望に答えるように、何時間も付き合ってくれた。俺に恋愛感情なんかないだろうに、俺が求める以上に返してくれる。童貞を捨てたばかりで、彼も楽しみたかったのかもしれないが、行為を重視してバックが多かった昨日に比べて向かい合ってする時間がとても長かったような気がする。
セフレとキスをすることはもちろんあった。あったが、気分を盛り上げるスパイスでしかないそれは大体前戯を終えたらお役御免だ。ベロアのように行為中も繰り返す人は初めてだった。
優しく微笑まれて、みっともない姿を可愛いなんて言われると、愛されてるような錯覚を起こす。それで済めば良かったのに、そんな錯覚の中で肌を重ねるのは驚くほど気持ちが良かった。
愛情なんて貰ったって、家族みたいに縛り付けておくんだろうって思ってた。そんな足枷みたいな感情はいらないから、後腐れしないような男ばっかり食ってきた。
だけど、ベロアだったら嬉しいと思ってしまうのは、つまりそういうことなんだろう。
誰かを好きになったことがなくたって、それくらい分かる。そんな馬鹿じゃないさ。
散々楽しんだ後、ベロアが満足して俺の隣に横になる。泡立つような余韻を全身で受け止め、ぼんやりとする意識の中で俺は身体をよじってベロアへと寄る。
まともに動けない俺を、彼は引っ張りあげるように抱き寄せた。それが凄く嬉しかった。
次に目が覚めたのは昼過ぎだった。前回はベロアが空腹で俺を起こしたが、今回は自分で受け取ることを覚えたらしく、テーブルには完食済みの料理皿が乱雑に置かれていた。
外を走り回るのが好きな彼からすれば、きっと何の娯楽もないこの部屋で、彼は相変わらず上半身裸のままで隣りに寝転んで静かに俺を眺めていた。
「…おはよ」
口元だけで笑って、俺は眠たい目をゆっくり開け閉めする。昨日の夜あったことなんて全部覚えてなければ良かったのに、残念ながら大体のことは覚えている。隣りにベロアがいることが妙に嬉しいのと、顔を見ると少し気恥しいのがその証拠だ。
「おはよう。随分寝てたな。腹減ったんじゃないか?」
彼はどこか嬉しそうな表情で俺が起きたのを確認すると、ベッドから起き上がってサイドテーブルに置かれた袋を手に取る。昨日、子供たちが作ってくれた大量のチョコケーキポップの残りだ。
「まだあるぞ」
「ありがと」
彼に差し出されたそれを受け取り、俺もゆっくりと身体を起こす。
相変わらず身体は痛かったが、昨日と大差はない。ていうか、当たり前だが動きっぱなしな分、最中の方が痛かった。それでも、痛みを凌駕して頭が変になるくらい気持ちいいから参ってしまう。
チョコケーキポップを口にくわえて味わう。これは一段と大きいから、きっと颯が作ったやつだ。
「夕方には引越しだが、身体は大丈夫か?」
「これで大丈夫じゃないって言ったらアホすぎるだろ」
心配そうに俺の体に目を向けるベロアを横目に俺は笑う。本当にそれは嫌すぎる。自業自得にも程があるので、痛いには痛いが今日は何としてでも引っ越してやる。ベロアが色々考えてくれたのに台無しになんてしてたまるか。俺に引っ越さない選択肢はないのだ。
「…昨日はごめん。なんか色々おかしくなってたわ」
手に持ったチョコケーキポップが入った袋に視線を落としたまま、俺は呟くように謝罪する。目を合わせようとしない俺をベロアは見つめているようだったが、やっぱり顔が見られない。
本当に昨日は頭がおかしくなっていた。ベロアを味見して終わる予定が、ことある事にセックスに誘っていた気がする。
俺だって寝る間際まではそんなに盛っていなかったんだ。むしろ風呂場ではベロアにサービスしてやるくらいな気持ちだった。可愛いから相手してあげるか、程度で。
でも、ベロアがやけに優しくて、それが嬉しくて俺が1人で盛り上がっていた。アホかっていう。ベロアは優しい奴なんだから、別に特別な感情がなくたってセックスで遊んでるって考えているなら、誰としたって優しくするだろ。
後腐れするのは俺の方じゃん。ファンサービスを間に受けた、身の程知らずな観客。俺が彼に抱いている好意は間違いなく恋愛感情のそれだった。
「いろいろおかしく?」
横目に映る彼はきょとんとした顔で首をかしげる。
「別に何もおかしくなかったし、俺は楽しかった。それよりまたお前に無理させたから俺はそっちの方が心配だ」
彼にしては珍しく反省したと言いたげに肩をすくめ、申し訳なさそうに頬をかいた。
なんでベロアが申し訳なさそうにするんだろう。気を使って本番やらないでくれたのを、俺がせがんで付き合わせたんだから彼は何も悪くないだろう。
「全然。むしろ、眠い時に相手してくれてありがと。おかげで良く寝れたから大丈夫」
ベロアに笑って見せてから、とりあえずなにか服を着ようと立ち上がろうとしたが、体に走る鈍い痛みによろける。
「大丈夫か、やっぱりやりすぎたな、悪かった」
よろけた俺の肩を抱きとめて支えられた俺は驚いて小さく目を見開く。今まで何とも思わなかったようなことが、意識しだすと気になってしまう。
俺はベロアを見上げる。不思議そうに目を丸くした彼と目が合って、すぐに目をそらす。少し顔が熱い気がしたから誤魔化そうと思ったのだが、自分がどんな顔をしていたのかは分からない。
「また可愛い顔してる。どうして最近お前はそういう顔ばかり俺に見せるんだろうな?」
俺の顎を持ち上げてまじまじと顔を観察される。
「…お前、そんな俺のこと褒めて反応楽しんでるの?俺あんま顔面偏差値高くないから、褒められなれてないんだよ。照れるだろ」
苦笑いしながら俺は彼の胸を軽く押して離れようとするが、ベロアはそれを拒むように強く俺の体を引き寄せて軽く咥えるようなキスを俺の口に落とした。
「え…な、なに?どうした?」
突然と唐突のコンボを決められて、俺の声があからさまに動揺する。顔にじんわり集まった熱が加速して、高温になったそれは耳にまで拡散する。
やめろよ、どんだけ勘違い捗らせる気だ。
「…?したいと思ったからした。駄目だったのか?」
当然のように答えたベロアは「服きないとお前は風邪ひく」といって俺の体から手を離す。昨日の荷造りでだいぶスカスカになったクローゼットを開けて今日着ようと思って残しておいた服をいくつか掴んで俺の元まで持ってくる。
「ダメではないけどさあ…」
熱が引かない顔をどうしたらいいか分からないままそれを受け取り、袖を通した。
いつも通りの服装に戻り、ハチドリたちを出して餌をやったり戯れたりしながら俺は予定の時間を待った。サタデーは相変わらずベロアがいると、ベロアの頭に乗ったまま離れない。アイツの頭は巣なのかもしれない。
「引っ越したらテレビも欲しいし、子供たちが喜びそうな家具も増やしたいな。ニュースを見る癖は付けておくべきだろうし、アイツらの特技は伸ばしたいよね」
ベッドに寝転んだままタブレットPCで家具を検索する。今まで家具の受け取りを落ち着いて出来る日がなくて注文できなかった。一時的かもしれないが、しばらく向こうで過ごす時間が得られるなら今のうちにできることをしておきたい。
「なあヴィクトール、これはなんだ?」
ベロアが指さしたのは子供用の小さな滑り台。動物の『ゾウ』をモチーフにしたデザインで同じシリーズの家具には『キリン』のコート掛けや『サル』の椅子など可愛らしいデザインのものが沢山ある。
「かわいいなこれ!」
彼はタブレットを覗き込んで楽しそうに笑う。
ベロアの口から出てくる褒め言葉は、考えてみれば「可愛い」が大半を締めている。存外、可愛い物が好きなタイプなのかもしれない。
「子供も喜びそうだし買う?動物シリーズのやつ」
楽しそうにしているベロアの顔を覗き込む。
確かにあの家には小さいが庭もある。街中を連れ回すのはリスキーすぎて無理だが、滑り台を置いて遊ばせるくらいは出来てもいいんじゃないだろうか。颯も動きたい盛りだろうし、閉じ込めておくのは可哀想だ。
結局、椅子やテーブルは既に買ったものがあるし、子供部屋に置くなら本人たちにも希望を聞くべきだろうと、ゾウの滑り台とベロアが気に入ったというキリンのコート掛けだけ注文して他のページに画面を移す。
「ところで問題が1つあるんですわ」
俺の言葉に少し身構えるような様子でこちらを振り返るベロアに俺は少し肩を竦めて見せる。
「あの家、俺たちのベッドも部屋もない。寝るならリビングなんだけど、どうするよ」
子供のうちの誰かと寝るという選択肢もあるだろうが、何にせよ子供用ベッドじゃベロアは間違いなくはみ出す。そうなると、ベッドの調達は早急にしなくてはならない。
「1人がソファで、もう1人が子供用ベッドで誰かと一緒に寝るか…もしくは俺たち2人分のベッドを用意するか、かな。ただ、大人用ベッド2つは場所とるんだよなあ…」
「いつも1つのベッドで寝てるだろ。ふたつも要らない」
何がそんなに問題なんだと言いたげに首を傾げて彼は俺たちの座ってるベッドをぽんぽんと叩く。
「いや、これキングサイズって言ってデカいやつだから。大体からしてこんなデカいの、あの家には入らないだろ」
思わず笑ってしまう。こういうところが安直で可愛いよな。
「置くとしたらあっちのサイズを2つ」
俺のベッドと少し離れた場所にあるシングルサイズの犬用ベッドを指さす。
「あれじゃあ狭いだろ、もう少し大きいのがいい。ほら、これならあのベッド2つより小さそうだ」
俺が見ていたタブレットに開かれたベッドのページを横から覗くと、セミダブルのベッドを指さした。
「えーと…じゃあ、お前がセミダブルで寝て、俺はソファか子供用のやつか?」
シングルが狭いってことは、セミダブルで2人なんてもっと狭いだろう。俺はコンパクトサイズだが、ベロアはビックサイズだ。ベロアが1人でセミダブル使ってても何も変じゃない。
「これは2人で寝れるベッドなんだろ?俺とここに寝ればいいじゃないか」
確かに商品ページには2人で寝てる写真も載っているがそれは一般的な日本人2人であって、身長180センチ超えのガタイのいい男のことではないのだ。
「昨日みたいにお前を抱き込んだらそんなにスペース取らないからこれでいいだろ。だめなのか?」
俺を抱き込んで寝る…?一瞬、脳みそがフリーズする。
あんな抱きしめられて寝るのを毎晩してもらうって、もうそれ恋人じゃないのか?いや、さすがにこれ以上勘違い捗らせたらダメでしょ。
だって俺、ベロアのこと好きだもん。性的に。そんなの毎晩やってたら絶対勘違いしちゃうよ。
「いや、狭いって。後で後悔するからやめとこ?俺、ソファでいいから」
「いや、大丈夫だった。もし並べなかったら俺の上に寝てもいいぞ」
このどっしりと構えた男らしさが好きなんだけどさ、こうも言いきられてしまうとこういう時に断りずらい。
ベロアが俺に言う可愛いって、どうせ子供たちや動物の家具の可愛いと同列なんだろうし、俺が変な気起こしたりしなければいいんだろう。わかったよ、やってやるよ。
「ああ、じゃあまあ…そうしよ」
渋々と承諾し、セミダブルベッドをカートに加えて注文した。そうこうしていると、時計は予定の6時を指そうとしていた。
クロゼットからツバの広い黒の帽子を取り出し、目深に被る。これからしばらくお忍びなら、ないよりマシだろう。
「そろそろ出発かな」
開いていたタブレットをリュックにしまってハチドリ達を鳥用のキャリーに入れようと声をかけるが、ベロアがサタデーを構いながら口を挟む。
「そんな狭い所に入れるのか?こいつらも一緒に飛んでいけるだろ」
「飛べるけど、はぐれたら皆死んじまうんだぜ」
そもそも、大空と俺を並べて置いた時にハチドリはどっちを取るだろう。俺なら間違いなく大空を選ぶ。
「俺がちゃんとみてる。こいつらはいつもお前に着いてくるから心配ない」
相変わらず自信満々に話す彼に、俺は口元に笑みを浮かべたままため息をつく。
「…俺、そんな鳥に好かれてる自信ねえよ。閉じ込めてるしさ。ついてこないよ」
「またヴィクトールは俺と同じことを言ってるな。同じということは大丈夫ということだ」
そう言うとベロアはいつの間に開け方を覚えたのか部屋の1番大きな窓を開け放った。
俺やベロアの周りをちょろちょろしていたハチドリ達は一斉に蛍光灯の並ぶ無機質な空へと飛び出していく。
「おい!なんで…サタデー!サンデー!みんな帰ってこい!」
焦りで窓まで走り、大声で飛んでいくハチドリたちの名前を呼びながら手を伸ばす。身を乗り出しすぎて落ちそうになる俺の腕をベロアが掴んで引き寄せる。
「危ないだろ、なにしてるんだ」
「危ないのはハチドリたちだ!餌が得られなかったら死ぬんだぞ!早く連れ戻さないと!」
ベロアの腕の中でもがくが、彼の腕の力が強くてまるで動けない。
そうだ、どんなに自由がよくたって死んだら意味がないんだ。
「戻ってこないよ…」
もがいているうちに込み上げてきた虚しさに、俺は抵抗するのをやめてうなだれた。
「…?別にあいつらはどこにも行ってないじゃないか。ほら、お前のことを待ってる」
彼が何を言っているのかわからずに顔を上げると、4羽は窓から少し離れた木の枝に並んで止まってこちらを見ている。
まるで「早く行こう」と俺を急かすかのように窓枠と枝を行ったり来たりしていた。
「お前ら…行かなかったのか?」
手を伸ばすと、1匹が俺の指に止まる。こちらを見て忙しなく首を動かし、また飛び立つと木の幹へと戻っていく。それでも、それより遠くへ行く様子は見せなかった。
「ほら、俺たちも行こう」
ベロアに言われて俺は彼を見上げる。
緊張の糸が切れて、大きく息を吐きながら肩を落とした。
「びっくりしただろ!」
笑いながらベロアの胸を軽く突き飛ばす。
そのくらいじゃよろけもしない彼はそのまま俺を抱き上げて窓枠に足をかけながら呟いた。
「あいつらはお前がただ閉じ込めてた訳じゃなくて、ちゃんと愛情もって守ってたってわかってるんだろうな」
割と最近にそんなことを俺もベロアに言った気がする。これが特大ブーメランってやつなのか。何だか恥ずかしい気持ちになるが、ベロアがいなかったら、きっとそれに気づくこともなかったんだろう。
リュックやスポーツバックにコンパクトにまとめたとはいえ、引越しするほどの荷物と俺を軽々と抱えたベロアは軽い足取りで壁を這って屋敷の屋根に移る。気分はキングコングに誘拐される美女みたいだ。残念ながら俺は男だし、美人でもないが。
木の幹に止まっていたハチドリ達も俺たちが移動するのに着いて飛んできた。ここから柵を飛んで外に出るのだろうと身構えていると、ベロアはふと思い出したように足を止める。
「忘れ物した」
「え、お前そんな荷物とかある人だっけ?」
俺が言い終わる前に彼はベランダ伝いに壁を移動していく。
向かっている先は俺の部屋とは反対方向だ。
「おい、どこ行くんだ?食い物なら後で…」
彼が足を止めた窓の向こうに立っていた人物…驚いたように目を丸くした母親の姿を見て俺は息を飲む。
ベロアが窓を軽くノックすると驚いて固まっていた母親が慌てて窓を開けて顔をだした。
「ヴィクター…それにベロアさん。えっと…」
「これから出かける。出かける前には家族にいってきますって言うだろ?」
腕に抱えた俺を窓に寄せるように抱え直してベロアは母親への挨拶を促してくる。
俺は母親の目を睨むように見つめる。普段なら彼女はそれで悲しそうな顔をして姿を消すのに、母親は何を思ってか小さく微笑んだ。
「行ってらっしゃい。身体に気を付けるのよ」
驚いて俺は目を開く。母親はただ微笑んで、何も言わずにこちらを見ていた。
「…いってきます」
自分で辛うじて聞こえるくらいの声を絞り出し、俺は目をそらす。
「ヴィクトール、それじゃちゃんと聞こえないんじゃないか?」
俺を抱えた腕を催促するように軽く揺する。
ちくしょう、なんだよ。子供扱いしないで欲しいが、こうでもしないと俺がちゃんと母親と話さないことをベロアは知っているんだろう。
悪態を胸にしまい、俺は母親に視線だけ向ける。
「行ってきます」
「うん。楽しんできなさい」
微笑む彼女に、俺は鼻を鳴らして顔を逸らす。ベロアの肩を叩いて、もう用が済んだことを知らせた。
「じゃあ行くか」
ベロアは俺をしっかりと抱きなおし、窓から顔を出したまま小さく手を振る母親に見送られて柵の外へと飛び出す。
まだ慣れないそのふわりとした風の感覚は柄にもなく胸が踊る。
屋根から屋根へ飛び移る彼に並走してついてくるハチドリたちを横目に流れる風と景色を見ていると、なんだか鳥にでもなった気分だ。
「出掛けるのを誰にも咎められないって変な気分だな」
ベロアの肩に掴まってぼんやりと呟いた。鳥かごから出たハチドリたちも同じ気分なんだろうか。
母親が見張りを持ち場から離したと言うのは本当だったようで、襲われたり、誰かにつけられていると言うこともなく、見慣れた屋根の上に着地する。
ベロアに下ろしてもらい、俺は帽子を被り直して、前に来たみたいに室外機を階段代わりに降りる。可能な限り痛くない筋肉だけを使って降りるが、さすがにしんどかった。下まで一緒に降りれば良かったな。
何気に荷物を全部持ってくれたベロアが屋根から地面に直で飛び降りると、音を聞きつけたのか子供たちがカーテンの隙間から外をのぞいた。
「ヴィクター!!!」
「おにーちゃんたち、来てくれたの?」
「ごはん!」
窓を開けて颯が飛び出して来たのに続いて、玄関から走ってきた凜と匙に俺は一気に囲まれる。
「わあ、綺麗!!これは何?」
「俺知ってる!!ヨウセイっていうんだ!」
「ヨウセイさんだ!」
俺の近くを飛んでいたハチドリを見つけた子供たちが興奮した様子で彼等を指さす。
「お前らは初めましてだな、紹介するよ」
俺が指を出すと、そこに1匹が止まりにくる。それを彼らによく見えるように差し出す。
「コイツはチューズデイ、俺の後ろにいるのはウェンズデー」
紹介の途中で外から勢いよく飛んできたもう1匹が匙の目の前でピタッと止まる。驚いたように目を丸くする匙と睨めっこをするようにホバリングしている。
「匙の傍にいるのはサンデーだ」
サンデーに夢中になっている子供たちの前に、俺はベロアを引っ張り込む。何で呼ばれたのか分からないのか不思議そうに俺を見るベロアの頭には案の定、最後の一匹が止まっている。
「コイツがサタデー。ベロアの頭に住んでる妖精さんだ」
子供たちの視線がベロアの頭に集まる。
「ヴィーおにーちゃんのお友達なの?私も仲良くなれるかな?」
「ちいさい、かわいい」
「一緒に遊べる?俺も触りたい!!」
俺は指に止まっていたチューズデイを放つと、彼らに笑ってみせる。
「俺の友達だ。みんないい子だからすぐ仲良くなれるさ」
口々に質問攻めをしてくる子供たちに押され引かれしながら俺は家の中へと招かれる。
その後ろから荷物を抱えたままベロアは無言でのしのしとついてきた。
「ヴィーおにーちゃん、ベロアおにーちゃんのせいでキンニクツウって病気になっちゃったんだよね!大丈夫?」
「ちげーよキンニクツウはセックスのしすぎだってベロアが言ってたぞ!」
「ねえ、セックスってなにー??」
とんでもない単語が子供たちの会話の中で横行している。俺は笑顔を貼り付けたまま肩を竦めた。
ベロアのやつ、洗いざらい話やがったな。童貞なのは知っていたが、想像以上に性知識がお子様だ。これは後でキツく口止めしないとまずい。
「セックスは大人のスポーツだから、お前らがもうちょい大人になったら教えてやるよ」
「颯、それはちょっと違う。俺がヴィクトールに長時間セックスを」
俺はベロアの口に手を当てて強引に黙らせる。
いやもう、これは本当に野放しにしてたらダメなやつだ。颯に「ちょっと待ってな」と笑って見せてから、ベロアの肩を叩いて顔を寄せるよう促す。
「なんだ?」
「言わなかった俺が悪いんだけど、セックスの話は子供にするな。凛にするにしても最低、あと3年は待て」
ベロアはいまいち納得のいっていない顔で「どうして」と首をかしげる。
「お前、よく考えてみろ。颯と凛がセックス覚えて2人でヤり始めたらショッキングすぎるだろ。俺にお前がちんこ突っ込んだってアイツらが知ったら同じくらいショック受けるんだよ」
小声で早口に理由を話す。本当はそれだけじゃない。凛に至っては女の子なんだから、ちゃんと性教育しないと妊娠するような事故も起きかねない。
「なるほど、それはちょっとイヤかもしれない」
ことの重大さが伝わったかはさておき、隠す理由として納得させるにはまあ十分だろう。
ベロアにもちゃんと生命の営みについて教えないといけないな…骨が折れそうだ。
「ベロアと相談したけど、やっぱりセックスについては秘密だ。お前らがもっと大きくなってから話す」
颯たちに振り返って俺がそう言うと、颯は唇を尖らせてブーイングを飛ばす。
「えー!!ケチ!!ヴィクターも子供だって前言ってたじゃん!」
「俺は16歳だからいいの!颯も13…いや、15か…?それくらいになったら教えてやるから!」
また腹を減らしているだろうこの一家の晩飯を用意しようとキッチンに立ち、ふと俺はひとつの疑問にたどり着く。
「…てか、お前らみんな何歳なの?」
勝手にこれくらいって年齢を想定して喋っていたが、違う可能性がある。そもそも誕生日すら知らないし、なんならベロアの年齢だって俺は聞いていない。
俺の質問に3人は顔を見合わせて首をかしげた。
「わかんない」
「俺っていつ15歳になるの?」
「私もわからない」
最後にベロアの方を見ると彼はなんとか思い出そうとしているのか眉間にしわを寄せるが首を横に振る。
「凜は5歳、颯は4歳、匙はまだ言葉も話さないような歳に出会った。けどそれからどのくらい時間がたったかはわからない」
一番知っている可能性のあったベロアもわからないんじゃもう誰もわからないだろうし、この様子だと自分の年齢なんてさらに期待できないだろう。
「そうなのか。じゃあ、年齢と誕生日決めるか」
俺はパンと手を叩いて言う。決める理由なんかあまりないのかもしれないが、誕生日は皆が等しく生まれたことを祝うために与えられた日付だ。ある方が楽しいに決まっている。それに、もし彼らが大人になった時に働ける権利を得る機会があるなら…年齢は嘘でもある方が何かと有利だ。
「ハイ!はいはい!!じゃあ俺15歳がいい!」
真っ先に手を挙げて颯がアピールをするが、残念ながら彼はとても15歳には見えない。
「あからさまに15歳じゃないのでダメでーす。颯は…そうだな。8歳にしよう」
「えー!!ヴィクターずりー!!」
悔しそうに地団駄を踏む颯を横目で見ながら、俺は次に凛を見る。
女の子だから背が高いというのを念頭にしても、大人びた立ち居振る舞いや性格から颯よりはもう少し大人に感じる。
指ぱっちんの容量で指を弾きながら俺は凛を見る。
「凛は10歳でどうよ」
「私は颯よりお姉さんなんだね、なんかちょっと嬉しいな」
はにかんで笑う彼女は頬を赤くしておしとやかに喜ぶ。これは大人になったら男子が放っておかないな。俺が守らねば。
「匙は5歳かな」
俺をじっと見上げる彼の頭をぽんぽんと撫でる。これくらいの年齢はまだ判別しやすいから、あまり迷う必要を感じない。
「僕は何歳でもいいー」
まあこの位の年だとあんま自分の年齢とかに興味はないから、こんなもんだろうか。
「さて…あと1人だな」
最後に俺は隣のベロアを見上げる。彼はちょっとわくわくしているのか興味ありげに俺を見返す。
ベロアは正直本当に分からない。彼の顔を見つめ、背中に回り込み、一周まわってまた正面に戻るが分からないものは分からない。
「23…?いや、21…?20…?」
顔だけ見れば若いのだが、いかんせん体格がイカついので雰囲気だけで見るとかなり歳上な気もする。性格も落ち着いてるし。いや、勝手に20代だと思い込んでいるがワンチャン10代も有り得なくないぞ。
永遠に唸っている俺にベロアはだんだん神妙な顔になる。
「ヴィクトールまだか?俺は何歳になるんだ?」
「えー、うーん」
あまり待たせても可哀想だし、もうベロアの年齢なんて俺くらいしか気にしないのでは。俺はさっき上げたラインナップから1番、自分の感じたものに近い年齢を選ぶ。
「22歳かな」
「22か!で、それはどのくらい強いんだ?」
「年齢で強さは変わらねえけど、俺より5年くらい人生の先輩だな」
おれの回答に納得したように首を頷かせ彼は柔らかく微笑む。
「そうか、それならいい。お前より年上なら俺の方が強くなれるってことだ」
ベロアが言う強さの基準がまるでわからなかったが、彼が嬉しそうな笑みを浮かべるのを見て、俺も微笑み返す。喜んでもらえたなら俺も満足だ。
それから誕生日はそれぞれに好きな数字を1から9までで4個選んでもらって、それを俺が組み合わせた日付にすることにした。颯は7月12日、凛は3月9日、匙は1月1日だ。それなりに個性が出たので、良い案だったのではないかと思う。
「ベロアの誕生日はどうする?好きな数字は?」
俺が晩飯を作る傍らで、リビングで子供たちと遊んでいたベロアが飲み物を取りに来たので声を掛ける。彼は冷蔵庫のウーロン茶をラッパ飲みしながらこちらを見ると、小首を傾げた。
「別に俺は何でもいい。いつでも気にしないし、なくても困らないしな」
「味気ねーなー」
俺はグラタンに入れる鶏肉を切り分けながら笑う。
「仕方ねえな。それなら俺がお前を捕まえた日とかにする?」
冗談まじりに提案する。下心がないかって言われたら、笑顔で隠しているだけで本当はある。
好きな人の誕生日が、自分と初めて会話した日なんて最高に嬉しいじゃん。ただそれだけだけど、そんなこと興味無い相手に言われたって困るだろ。だから絶対に教えない。
「じゃあそうする。あれは何月何日だったんだ?」
ベロア飲み干したウーロン茶のボトルを片手でくしゃっと軽々握りつぶしながら答える。
「ちなみにいまが何月何日かも、俺は知らない」
なぜか誇らしげに鼻を鳴らす。なんでベロアって何をするにも自信満々なんだろう。それは自慢出来ることではないぜ。
「お前を捕まえたのは6月9日で、今は6月18日だよ。そろそろ本格的に梅雨が始まるな」
地下は地上に降る酸性雨がもろに雨漏りする。地下に季節なんかないのだが、そんな不便な部分ばっかり季節感があるもので、俺たち学生はその時期は長期休みで自宅学習となる。地上で言うところの夏休み。
春休みや冬休みはないのだが、代わりに梅雨の時期は2ヶ月ほど休みが続く。地上みたいな小出しにする休みも欲しいが、まあ楽しいからいいだろう。
「ってことで、ベロアの誕生日は6月9日ってのはどうだろう?」
千切りにしたきゅうりにツナとマヨネーズをあえながら、俺はベロアに振り返る。
「ロクとキュウか、覚えやすいしそれでいい」
びっくりするほど小さく畳まれたペットボトルをゴミ箱に捨てながらベロアは答えた。
何をどうしたらペットボトルってあんなに小さくなるんだろう。握力いつか測りたいなあれ。
「じゃあ、9日遅れだけどハッピーバースデー。お前が生まれてきてくれて良かった。これからもよろしく」
サラダを小皿に小分けにし、それをベロアに手渡す。俺も残った皿を手にリビングへと運ぶ。
彼は俺の言葉に驚いたように一瞬目を丸くしたが、戸惑ったように微笑んで少し恥ずかしそうに「…ありがとう」と小さな声を漏らす。
「こちらこそ、出会ってくれてありがとう」
俺はニッと笑ってから頷く。誕生日を祝われる喜びは、みんなに知って欲しいものだ。
リビングや自室に散らばる子供たちに召集をかけ、サラダを始めとしたチーズグラタンや飲み物をテーブルに皿を並べる。
我先にと席につく子供たちに待てをして、全員揃って「いただきます」するよう話す。颯が早く食べたいと文句を言ったが、自分が暴れるほど飯にありつけないと分かってか、しばらくしてからようやく静かになる。
「じゃ、食べよう。いただきます」
俺が手を合わせて言うと、子供たちが見よう見真似で俺に続く。俺と子供たちを見てベロアも複雑そうな顔で手を合わせる。
子供たちは俺が見てない間にも食器を使う練習をしていたらしく、まだ持ち方や動かし方に粗があるものの以前と比べて随分スムーズにフォークとスプーンを扱っている。
そんな光景に根負けしてなのか、言われた事を少なからず気にしているのか、ベロアも子供のようにスプーンを握り、グラタンに先っぽを突っ込んでえぐり出す。
彼の口に運ばれたグラタンは口に入る量と同じくらいこぼれていた。
「焦って食わなくても逃げないから、ゆっくり食べろよ」
口の周りにクリームをつけたままグラタンを頬張るベロアの顔に手を伸ばし、こちらを向かせてからティッシュで口周りを拭いてやる。デカい子供だ。
「明日あたりにベロアの誕生日会でもしようか。次は颯で、その半年後くらいには匙。凛は来年になっちゃうけど」
22歳でお誕生日を盛大に祝うなんて、あまりある話ではないかもしれないが、颯や凛はどこかで友達を作る機会があるかもしれないし、そうなれば
誰かと誕生日を祝う可能性はなくはないだろう。経験させておきたい。
ベロアの口周りを拭きながら提案してみると4人は顔を見合わせて首をかしげる。
「誕生日会ってなにするの?」
「わかった!!戦いだな!」
「戦い?ベロアおにいちゃんが一番強いよ?」
どうして誕生日会で最初に出てくる発想が戦いなんだ。さすがベロアに育てられた子供たちと言うべきか、戦いを前提で話が進んでいく。
何処から手を付ければいいのか分からないほどのボケに対し、俺1人が全員に突っ込むのはさすがに無理がある。
「そうか戦うのか、今度こそお前に勝つぞ」
ベロアはまた口の端にクリームをつけたまま俺に意気込むように拳を突き出す。
俺は肩を竦めて笑い、その拳に手のひらを乗せて下に下ろさせる。
「違えって。誕生日会は戦うんじゃない。その人が1年大人になったことをみんなで祝って、デカいケーキをみんなでわけて食べるんだ。美味い飯も一緒に食って、必要ならプレゼントも贈る。殴る蹴るはなしだ」
「それなら私もできるかも…!」
「プレゼントだって!!」
「でかいケーキ!?」
子供たちは口々に誕生日会への期待に胸を膨らませているようだったが、肝心のベロアはというとぽかんとした顔で俺を見る。
「俺が、俺の生まれた日を祝うのか…ちょっと不思議な気持ちだけど、楽しみだ」
戸惑いはあれど楽しみにしてくれているようで、微笑んだ彼の笑顔がいつもに増して柔らかくて不覚にもドキッとした。
「…うん、そう。ベロアの生誕22周年イベントな」
俺は鼻先を指で触りながら目をそらし、出来るだけいつも通りの笑顔を心掛けて話を続けた。
「だから、明日はみんなで飯作って、ケーキ作るから、覚悟しとけよ」
「はーい!!」
声をそろえて元気に返事をした子供たちを見ながら、俺はベロアのグラタンをスプーンですくい、彼の口元まで運ぶ。
「はい、じゃあ飯の続き」
プライドがあるだろうと思って子供の前で食べ方を教えなかったが、いよいよこれではメンツも立たないだろうし、俺が食べさせたいってことにしとけばいいだろう。
「自分で食える」
そう言いながらベロアは差し出されたグラタンを何の迷いもなしに口で迎えると、もぐもぐと美味しそうに頬張った。
「俺が食べさせたいだけ」
念の為、ちゃんと補足する。
でも、まあ嘘ではない。ちょっと可愛いから楽しいし。
食事が終わって子供たちが散った後に、俺はベロアを呼んで、彼の耳に顔を寄せた。
「そろそろ食器の使い方、教えようか?子供たちがいないとこでさ」
ベロアはバッと身を引いて何か言いたげな顔で俺をにらむが、じわじわと眉尻を下げると、とても小さな声で答える。
「……たのんでもいいか?」
やっぱり気にしていたのをプライドが邪魔して言えなかったんだな。でも、最後はちゃんと素直になるのが可愛いすぎるから、こんな性格も好き。
どんだけベロアに惚れ込んでんだ。我ながら呆れる。
「いいよ。じゃあ、リビングだと目立つだろうし、キッチンでフルーツつまんでるフリしながらやろうぜ」
「わかった、やる。明日までに完璧にする」
そう言った彼の目には、心なしかいつにないやる気を感じる。
俺は彼をキッチンの隅に手招きをして呼ぶ。彼がそれに大人しく応じて来るのを確認し、切りすぎて子供たちが残したオレンジの皿を冷蔵庫から取り出す。
「じゃあ、まずフォークからいこうか。手に持ってみ」
ベロアは俺が渡したフォークをそのまま手に握る。人差し指から小指の四本がつながってしまったような、平たく言えば赤ん坊とおんなじ握り方だ。
大体想像はしていたが、これでは初めて食器に触れる子供みたいだ。
「フォークはどっちかと言えば鉛筆みたいな…いや、お前は鉛筆も握ったことないか」
ベロアの目の前で正しいフォークの持ち方を見せ、それを一切れのオレンジに差し込む。
「ほら、持ちやすい。真似してみなよ」
「妙な持ち方だな…」
彼は俺の手と自分の手を交互に見ながら見よう見まねでフォークを持つ。しかしどうにもおかしい。これだと指揮棒の持ち方ほうが近い。
「おしいな」
俺は小さく笑いながら彼の手に触れる。直接動かした方が早いだろう。
「フォークを支える指は中指。それに人差し指を添えて、親指で握る」
なんとかそれっぽい持ち方に整える。同じ男のはずなのに、ベロアは随分と手が大きくて改めて驚いた。フォークを持つ彼の手では縮尺がおかしく見える。
「これじゃあ力が入れにくいと思う」
持たせてもらった手をしげしげと不満げに見つめてからベロアは皿に乗せたオレンジにフォークを近づける。
フォークで刺そうとするがオレンジはフォークの先に押されるように滑り出て上手く刺さらない。
何度か試みたベロアだったが、そのうちしびれを切らしてしまったのか空いた左手でオレンジを押さえて無理やり突きさした。
「ほら、使いづらい」
「最初だから仕方ねえよ。今は手を添えたりしてもいいけど、最終的にはちゃんとフォークだけで食べられるようにならんと」
苦笑いしながら、俺は自分のフォークに刺したままのオレンジを彼の口に運ぶ。
それをベロアは何の抵抗もなく口で迎える。
「お前がいつもこうしてくれればいいのにな」
さっき1人で食べられるとか言ってたから、てっきり恥ずかしいのかと思っていたのに、まさかの一言に名状しがたい感情で息が詰まって死ぬかと思った。
突然くるベロアのタラシっぽい台詞はなんなんだ。天然なのか?
そんなことを考えながらぼんやりとベロアを見つめていると、彼は自分でフォークに差したオレンジを、俺の前に差し出した。多分、今自分がしてもらったことをそのまま俺にしてくれようとしているのだろうが…俺は差し出されたそれを見つめてから、眉をひそめて笑う。
「…ごめん」
「ああ、そうか…これは食べられないんだったか」
そう言って彼は俺に差し出していた手を引っ込めた。
それを見つめていて、不意に寂しいような気持ちになる。とても勿体ないことをした気がした。
「飯が食べられないって結構不便なんだな。お前にそれやられるまで気付かなかった」
別に空腹なんか慣れてるし、困ることなんかあまりなかった。だけど、好きな人に何かを食べさせてもらうとか、同じ食べ物を一緒に味わうとかが出来ないんだ。今更だけど、それってどうしようもなく悲しい話だ。
「…食べれるようになりてえなあ」
「食べられるまで練習付き合う。俺もお前にそうしてもらうから」
柔らかく笑った彼は俺に差し出していたオレンジを自分の口に運んだ。
「…じゃ、そうしよう。一緒に練習しようぜ」
俺もそれに笑い返す。食うのに練習って必要なんだな。カッコイイ人間のつもりであれこれ先生みたいなことをしていたが、俺もまだまだだ。
結局ベロアはスプーンと握りフォークしかマスターできず、明日までに完璧にするはずが、ナイフの練習にすら入れなかった。でも、俺の食事の練習ついでにやるなら、一緒にゆっくりやる方がちょうどいいのかもしれない。
「ヴィクター!何してんのー!」
ベロアと話していたところに颯が走り込んでくる。俺の腰に巻き付くと、颯は俺を見上げて首を傾げた。
「今日はずいぶん遅くまでいんね!泊まってく?」
泊まってく?だなんて、もうすっかりこの家は彼の住処になったようだ。俺は彼の頭を撫でて笑う。
「泊まるどころか、しばらく一緒に暮らすよ。よろしくな」
「えー!?ヴィクターも!?じゃあベロアもだ!?やったー!」
颯はその場で跳ねるとリビングへと駆け込んでいく。ほかの2人にも知らせるのかもしれない。
「あー…そういえば今日のベッドなんだけど…」
2人だけになったのを見計らって俺は声を潜めてベロアに声を掛ける。
「やっぱり俺、匙と寝るわ。まだセミダブルベッドは届かないし、さすがにソファに2人は狭いからさ」
今日発注したばかりで、セミダブルベッドは早くて明日、かかれば1週間くらい届くのに時間がかかる。その間にベロアとは別々に寝ておきたかった。
ベロアは拍子抜けした顔で俺を見る。
「どうして?ソファだって2人で寝られる。ダメなら俺は床でもいい」
少し不機嫌そうな声色で、彼は眉をひそめてむくれた。
「床で寝たら痛いだろ。別に俺はあまり身体大きくないから、匙と寝ればシングルサイズでも普通に寝れるよ。ベロアがソファ使ってくれ」
俺は至っていつも通りを装ってベロアに肩を竦めて見せた。
そもそもベロアとのセックスに俺がハマってしまったのがいけないのだが、昨日と一昨日とあれだけ楽しんだ後だと、俺の身体が覚えてしまっていてまた我慢がきかなくなりそうだ。
今日からは子供たちもいるし、そんな毎日セックスをせがむ真似はしたくない。数日でもインターバルを挟めば、俺の身体も少しは冷静さを取り戻すはずだ。
「いや俺は床でも寝れる!ソファだってお前が俺の上で眠れば問題ない!なんで匙のベッドに行くんだ!」
先程より駄々をこねるような口調で彼は首を横に振ったり足を踏み鳴らして不満を訴えている様子だった。
なんでそんなにムキになるんだろう。ただ子供と寝るだけなのに。
「いや、まだ匙は小さいから子守唄でも歌ってやろうかと思って…」
これは割と本当で、小さいうちしか経験できないことを真っ先に匙にしてやろうと思っていた。俺の中で年取ると恥ずかしくてせがめないランキング上位に「寝る前の読み聞かせ」と「子守唄」は常にランクインしているのだ。
ベロアはムッとした顔のまま俺を睨み見下ろす。
「俺より匙か…」
捨て台詞のような言葉を吐いて、ベロアはとぼとぼソファに背中を向けて横になると、はみ出る足を抱え込むように丸まる。その姿は完全に拗ねた子供のそれだ。
なんだかよく分からないが、一緒に寝られないのが凄く嫌だったらしい。ベロアもセックスしたかったのかな。童貞卒業3日目だもんな。
だとしても、子供たちの傍はやっぱり無理だけど。
ソファから動かなくなってしまったベロアに、俺は以前彼がここに泊まったときに使ったまま放置されていたのであろう丸め込まれていた毛布を広げて彼の身体に被せる。
「おやすみ」
ぽんぽんとベロアの頭を撫でるが、ベロアはそっぽを向いたまま無視を決め込んだ。
各部屋で寝る支度を整えていた凛におやすみを言い、既に寝ていた颯の毛布をかけ直してから匙の部屋に行くと、彼はまだベッドに腰掛けてぼんやりと窓を見つめていた。
「何してんの?」
「お空見てる。見てると眠くなるから」
この歳で眠れない夜を自力で何とかする術を身につけているのか。なんだか目頭が熱くなってしまう。
「なあ、今日一緒に寝ていい?」
「いいけど…ベロアおにーちゃんは?」
「ソファで寝てるから大丈夫」
彼のベッドの端に腰をかけると、匙は俺もベッドに入れるように奥へと詰めて横になる。それに甘えて俺も隣で横になると、大昔に母親にされたように彼の背中を優しく撫でた。
「ねえねえ、どうしてベロアおにーちゃんと一緒に寝なかったの?」
「別に毎日一緒に寝る必要はねえからな。深い意味はないさ」
早く寝かせようと思って会話を切り上げるために適当な回答を返すが、匙は横になったまま首をかしげる。
「でもいつも一緒に寝てるってベロアおにーちゃんが言ってた。なのに今日はだめなの?」
「え?いや、ソファが狭いから譲っただけだよ。ベロアは身体が大きいだろ?」
本当は俺だってベロアに寄り添って寝るのは大好きだから、あのサイズ感でベロアがいいなら一緒に寝たい。でも、盛りがついたから一緒に寝られないなんて、こんな幼い子供に言えるわけがない。
いつもの真っ直ぐな瞳で匙は俺をじっと見つめる。彼のこの視線はいつも心を見透かしているような錯覚を起こしてしまう。
やめろよ、そんな目で俺を見ないでくれよ。
「さっきのベロアおにーちゃんの大きい声、こっちまで聞こえてたよ?二人は喧嘩したの?ねえなんで?」
俺は笑みを絶やさないようにしつつ、肩を竦める。
「喧嘩じゃないよ。ベロアが俺と一緒に寝たいって駄々こねただけで…」
「じゃあ、なんでベロアおにーちゃんと一緒に寝ないの?」
「…」
振り出しに戻ってきた。なんだろ、これ。無限ループって怖くね?
「…一緒に寝たいけど、寝られない時もあるんだ。俺もベロアのことが大好きだけど、今日はダメ。だから喧嘩はしてないし、仲良しだ。それは安心してくれ」
俺の返答に耳を傾けながら、相変わらず匙は不思議そうに首を傾げていた。俺は彼の頭をくしゃくしゃと撫で回し、匙と同じように首を傾げて見せた。
「複雑な大人の事情ってやつ。好きすぎても難しいのさ」
まだ何か言いたげな匙にそれだけ伝え、俺は「お喋りはおしまい」と笑って付け加えた。
彼の背中を摩るように優しく、一定のリズムで叩きながら囁くような声で歌を歌った。
「Hush-a-bye, baby, on the tree top(ねんねん赤ちゃん、木の上で)When the wind blows the cradle will rock;(風がふくとゆりかごが揺れる)」
昔に母親が俺を寝かしつける時に歌ったマザーグース。ハッシャバイベイビーだ。
本当は優しい女性の声の方がいいんだろうなと思いながら、俺はそれを口ずさむ。
「When the bough breaks the cradle will fall,(枝が折れるとゆりかごが落ちる)」
マザーグースは教訓めいていて、ちゃんと意味を知ると、どれも怖い。でも、匙はきっと英語を知らないから分からないだろう。
始めは不思議そうに俺を見つめていた匙は、徐々にまばたきの速度を落としていく。
「Down will come baby, cradle, and all.(赤ちゃん、ゆりかご、一緒に落ちる)」
高い場所に登ったら落ちる。高慢になるなという意味らしい。でも、そんなのただのこじつけだ。どうしてもっと優しい歌詞で安らかに眠らせてくれないのだろう。
目を閉じて寝息を立て始める匙の隣で、俺も手を休めずに目だけ閉じた。
子供たちには優しい夢を見ていて欲しい。
キスの練習がしたいと言われて軽い気持ちで引き受けたものの、結局俺の下半身がガバガバなせいでセックスの真似事みたいな状況を作り出してしまった。
出すだけ出して満足したようで、ベロアはあの後すぐにベッドに横になって寝てしまった。俺も風呂で一方的に奉仕してもらった身なので、まあ1回イかせてやれたのは良かったと思っている。これで貸し借りなしのトントンだ。
俺はベッドの半分を広々使っているベロアの隣に寝転がる。彼は相変わらず見た目に似合わない静かな寝息を立てていて、まるで起きる気配がない。
ドア側を向いて眠る彼の背中に、俺は反対側を向けて背中をくっつけた。先程のことがあってか、背中のシャツ越しでもベロアの体温が熱いのがよくわかった。
ベロアと対等でいたいので余裕ぶって、彼が達してすぐに俺から終わりを切り出してしまったが、正直に言うとまだまだ身体が疼いて仕方なかった。半端に中を触らせたせいだ。
ベロアの腕は俺が風呂場で教えたせいで拙いけど上手くなっていた。俺の好きな場所をきちんと把握しているから、中途半端がより一層辛い。
ベッドのヘッドボードにある照明のスイッチを最大まで暗くする。ほとんど暗闇になった部屋の中で俺は目をつぶった。
ベロアは俺のことがあまり好きじゃないんだと思っていた。彼が大事にしている子供たちを利用して、なんとか味方にしようとセコい真似ばかりしてきてきた。彼が俺に優しくするのも、味方をするのも、全部利害が一致してるからこそなのだと思っていた。身体を重ねようが、キスをしようが、それはお互いが気持ちよくなりたいだけであって特別な感情は有していない。新しいセフレだと俺は思っている。
それなのに、今日はなんだかいつもと様子が違った。風呂場でも、ベッドでも、ベロアはまるで恋人のように俺のことを扱う。やたら俺のことを可愛いと褒めて、一方的に良くしてくれた。フェラよりもキスを選んでみたり、ずっと身体が密着する距離にいながら俺の身体を労わって本番を強要することもなかった。
俺の今までのセフレはろくでもない奴らをわざわざ選んで作っていたから、皆は自分の快楽が最優先だった。こんなことは初めてだ。もちろん、ベロアがアイツらのようなろくでなしだとは1ミリも思ってはいないから、反応がまるで違うのは当たり前と言えば当たり前ではあるんだろうけど。
ベロアは俺をどう思っているんだろう。そんな無駄な考えが頭から離れない。彼は利害の一致で傍に居るだけの、ビジネスパートナーみたいなもんだ。あらぬことを期待しているなら、それはお門違いってやつ。
さっきまで彼に触られていた下腹部が、まだ物欲しそうにきゅうきゅうと小さな痛みを発している。ベロアの手は熱くて大きかった。いつまでも触れていて欲しかったと思うほどに気持ちよかった。
火照った身体をなんとかしたくて、半端に脱げていたズボンを下着ごと脱ぎさり、俺は身体を丸めて自分の下半身に手を伸ばす。
自分の指を穴に押し込む。先程まで触られていたせいでグズグズになったままの内部には、俺の指は少しひんやりとして感じられた。
ベロアに出会うまで毎日のようにこんなことをしていたから、自分の好みは自分で把握している。興奮で少し膨らんでいた前立腺を自分の指で押し込み、そこを目掛けて指を出し入れする。
「はっ…ん…」
ようやく欲しかった刺激に荒い息を吐く。空いた片手をシャツの下に忍ばせて、胸の先端を指で転がすように弾いた。
ベロアの手は温かい。手だけではなく、身体全体がいつでも温かいんだ。行為中は更に熱くなって接合部が溶けそうなくらい気持ちが良かった。
自分の指が冷たくて細くて、身体が違うと言っている気がした。確かに気持ちのいい場所を触っているはずなのに、物足りなくて身体がどんどん切なくなってしまう。
「ベロア…」
小さく彼の名前を呼ぶ。どうせ寝起きの悪い彼は、俺が何していようが起きやしないんだ。背中の温もりを感じながら、彼にしてもらったことを思い出す。
胸を触ってもらった時の手の感触が俺のとはまるで違う。温かくて大きな指の腹で先端を押し込むように触れる彼の手は、不器用で拙かったが、俺のことを良くしようと頑張って加減を調整しているのが分かる動きだった。こなれた自分の指の動きと体温では、彼のことを再現するのは難しい。
胸を触ることをやめ、その手も穴をいじっている手に添えた。先程からずっと中を触っている手と一緒にもう片手の指を入れて、中を広げたり掻き回したりするが一向に達せない。
絶頂するまで至れないほどの半端な刺激に俺はだらしなく口を開いて、荒い呼吸を繰り返す。
「ベ、ロア…ベロア…っ」
熱に浮かされてぼんやりとする頭で彼の名前を呼ぶ。
彼に対して、自分が好意を持っていることは自覚していた。自分でファンを自称するくらいだ。ファンがスターを愛していないわけがない。
だけど、それはLIKEであってLOVEではない。単純な話だ。見た目が好みだから抱かれたいけど、恋人になろうなんておこがましい考えはない。だって、彼は壇上の人。俺はその舞台を見に来ている観客席にいるうちの1人でしかないのだ。テレビの中の人間に抱く好意と同じものだ。
だと思っていたのに、俺は今日の出来事を通して別の関係を期待し始めているような気がした。
「ヴィクトール…?」
ふいに名前を呼ばれて振り向くと、こちらに背中を向けて寝ていたはずのベロアがいつのまにか体ごとこちらを向いて不思議そうに俺を見つめていた。
うわ、なんで今日に限って起きるんだよ。いつも起きないくせに。俺は驚きで目を開くが、自慰を始める前よりも酷くなっている身体の火照りの方が辛かった。
もういいや、いっそそういうプレイでしたって言えばいいんじゃないだろうか。
オカズで抜いているのをオカズ本人に見つかるなんて、恥ずかしくないわけはない。彼が一体いつから見てたのかも分からない。それならせめて、自慰でベロアに抱かれることを考えていたことだけ隠蔽してしまえば、ただの下半身がだらしない尻軽だったってことで丸く収まるはずだ。
俺は付け焼き刃でいつもの笑みを貼り付けて、ベロアに向き直る。彼からも見えるように足を丸めて上げて、自分の穴を指で掻き回して見せた。
「ベロア…」
呆然と俺を見つめる彼の肩に額を寄せて名前を呼ぶ。本当は触って欲しいが、それでも見つめられているだけで先程より感度が上がって気持ちいい。
俺が性にだらしないせいで、ベロアは1人で出掛けざる得なかった。だから怪我をして帰ってきた。こんなことでよがっている自分は最低だと分かっている。
なのに、ベロアが起きていると思うだけで歯止めが効かなくなってしまう。
「…どうした?なんでそんな…」
流石のベロアも困惑が隠し切れない様子で起き上がる。俺を見る彼の目は丸く、視線は俺の顔とだらしなくヒクつく陰部を行ったり来たりしている。
「…触ってくれる?」
ダメで元々で小さい声で聞いてみる。これで愛想尽かされたら仕方ないと思う。それなら今後二度と彼の傍で自慰をしないで、まっとうな時にだけコンタクトを取ろう。
大丈夫、ベロアはそんなに気持ちの小さな男じゃないさ。そう言い訳を並べながらも、俺の声は緊張で少しだけ震えていた。
「…来い」
ベロアは相変わらず驚いたような顔で俺を見ていたが、一拍置いて胡坐をかいて座りなおし、あの低い声で答えた。
彼の声を聞くだけで期待して下腹部がきゅうきゅうと痛む。もう俺の身体は相当馬鹿になってるのかもしれない。
彼に誘われるままに差し出された腕に体重を預けると、熱いくらいの熱を帯びた胸板に抱き寄せられる。
「何処を触ったらいい?」
そう言いながらベロアは抱き寄せた腕と反対の手で俺のシャツの襟元に指をひっかけて軽く引っ張る。
これは脱がないとまた破られそうだ。僅かに残ったまともな脳みそで、俺はそう判断してシャツの前を開ける。
「お尻…触って…」
ボタンを開けながら、もう片手で彼の手を掴んでグズグズになったそこへと招き入れる。
「でも、本当は指じゃなくて、入れたい…お前のやつ…」
また昨日みたいなことが起きたら、明日も腰がたつか分からない。ようやく歩けるようになったのに、そんなことしていいわけがないと思っているのに、どうにも本音が出てしまう。
俺が強請るとベロアは眉をひそめて俺を見下ろした。その顔は明らかに呆れているという形容に近い表情で、俺は今更のように言ったことを後悔する。
そりゃそうだ。昨日と今日で一体何回同じことを繰り返してると思う。俺だって呆れてる。
「ヴィクトール…そういう事言われると俺は困る」
不機嫌そうな顔のまま彼は目を閉じて首を横に振った。
「俺だって我慢してる。お前が体痛そうにしてるから、なのになんでそんなこと言うんだ」
そう言うとベロアは少し乱暴に俺を仰向けにベッドに転がした。恐らく、元の力が強いだけで乱暴しているつもりはないんだろう。言葉そのものは拙いながらとても優しかった。
俺に四つん這いで覆いかぶさる彼の物はいつの間にか硬くなり始めている。
「駄目だって言わないと止めないぞ」
予想外の出来事と言葉が連続で降ってきて俺の脳みその処理が追いつかない。それでも、胸が苦しくなるほど嬉しくて、俺は彼の首に両腕を回してキスをする。
「大歓迎」
俺の声に反応するように彼は俺の唇を食む。先ほど練習した成果なのか、以前より器用に俺の口の中へと押し入って舌を絡めてきた。
ベロアとキスをするのは、俺が一方的にしても十分に気持ちよかったが、こうも積極的だと脳みそがふやけそうな程に気持ちいい。セフレとした時はなかった高揚感と充足感で胸が満たされる。
キスをしながらベロアは片手で俺のシャツを引きはがす。やっぱり彼はセックス中に服を片方が着ているのはダメなようだ。次誘う時は自分で脱ごう。
引きはがしたシャツを適当に投げ捨てて彼は本格的に俺に肌を重ね始めた。
片肘を俺の顔の横について、まるで「逃がさない」と言わんばかりにのしかかる。
もう片腕で俺の足を持ってめくりあげ、膨張した己の物をふやけた俺の穴にあてがい滑らせる。
「…む」
キスをしていた彼の顔が離れると、彼は股のほうに視線を向けて不機嫌そうに眉をしかめる。
この体位での挿入にまだ慣れていないのだろう。俺は彼の首に回した腕で、彼の顔を引き戻す。唇を重ねて舌を絡めながら、両手を下半身の方に落として彼のものを優しく捕まえる。
それを丁寧に手で撫でて扱き、ゆっくりと自分の入口へと誘い込んだ。
先端が差し込まれるとベロアはこの瞬間を待っていたかのように一気に腰を押し付ける。
ベロアに来てもらうことをずっと待ち望んでいた俺の中は、そんな野性的な彼を悦んで受け入れた。
「ひっ、ぁっ…」
空っぽだった中身が急に満たされて、頭が痺れそうなくらい強烈な快感が身体を走る。入れられただけなのに全身が震えて、ベロアの背に絡めた足がつっぱった。
腹の上に暖かいものが出る感覚に、俺は慌てて彼の口から顔を離す。
いきなりイッてしまうとは思わず、俺は謝ろうするが、彼はそんな時間も与えずに俺の口をすぐに塞いだ。
キスの合間に短い呼吸を吐きながら、彼の腰はますます激しく中で暴れまわってかき乱す。
「まっ…ベロアっ…」
イッてから気付いたのだが、今日は自慰をする前にゴムを着けるのを忘れていた。これでは汚れが気になって集中できない。
それでも休むことなく激しく突き上げる彼の腰の動きが気持ちよくて、俺は腹の上に精液を吐き出し続けてしまう。
「とまんな…っ、よごれ、るからっ!」
「別に俺は気にしない」
彼は俺の体をがっちりと押さえ込んだまま離さずに、いっそう激しさを増す。
俺の喘ぎ声に混ざってパンパンと肌を打ち付ける音が部屋に響く。
「ヴィクトール、今日は何回やっていい?」
少し腰の動きを緩めるが、グイグイとゆっくり押し上げるのを止めないままベロアは首を傾げる。
一番奥が押し上げられて身体が反り返る。わざわざ動きを緩めてくれたのに、身体が悦びっぱなしで痙攣が止まらない。
「わ、っかんない…いっぱい…」
もう筋肉痛もいくとこまでいってるし、今日だって一応は俺は何もしてないわけではなくて、痛くても動く術は1人で多少は身に付けたはずだ。
それならもう明日は根性で動くしかないし、理性が飛びかけた今の頭ではブレーキは効かないだろうと何となく分かっていた。
「わかった。いっぱいだな」
そう答えるとベロアはまた体を覆いかぶせて激しく腰を打ち付ける。
辛うじて残っていた会話する脳が消えて無くなる。彼に突かれる度に聞こえる悲鳴みたいな喘ぎ声は、まるで自分のものじゃないように思えた。
「っ…だすぞ!」
耳元で余裕のない彼の声が聞こえると、腹の奥深くに熱くてドロドロとした彼のものが吐き出された。
「んぁあっ…!」
まだ入れてもらってからそんなに経っていないような気がするのに、すでに何回イッたのかもう分からない。腹の中に注がれると同時にまた絶頂を迎えてビクビクとおおきく身体を震わせた。
「次だ」
まだ俺がイってる途中だと言うのに彼は間髪入れずに動き出す。
今度は姿勢を起こし片方の足を持ち上げた。ベロアは動く度、前が揺さぶられるほどの力で突き上げる。
「まっれぇ、べ…ろあっ!でっ、でちゃうっ、からぁ…っ!」
次第に回らなくなってきた呂律で彼にインターバルを求めるが、気持ちよすぎて俺の声は明らかに喜んでいた。ベロアもそれを分かっていてかやめる気配はなく、再び絶頂が近づくと、突き上げられる度に出し続けた精液の代わりに別のものが込み上げてきた。
「んっ、ぁあ、いくぅ…っ!べろぁ…!」
ベロアに持ち上げられたままの足をガクガクと震わせて、俺は前から勢いよく液体を吐き散らかす。
精液よりも水っぽいそれは、恐らく潮だ。複数人相手したり、よほど盛り上がった時にしか経験したことのない久しぶりの快感だった。
肩で息をするベロアが繋がったまま俺を見下ろす。
「…かわいい。ヴィクトールがかわいい。お前のそういう顔とか声とか見ると、どんどんやめたくなくなる」
ベロアは困ったように眉間にシワを寄せて声を絞る。
こんなみっともない姿を晒しているのに、可愛いなんて言われたら勘違いしそうだ。恋人のように可愛がられている気がしてしまう。
しかしそんなことを話すような余裕はやはりなく、俺はぼんやりと口を半開きにしたまま彼を見つめ、熱い呼吸を繰り返す。
胸元にまで広がった、様々な液体でびしょびしょの腹を指先で確かめるように撫でると、胸元に顔を寄せる。
「もっと聞きたいし、もっと見ていたい」
彼の舌がみぞおちの当たりを這う。
「ふぁ…」
温かいそれが肌を擦ると、ゾクゾクとした快感が突き抜ける。ただ舐められただけとは思えないほど気持ちが良くて、意味も分からず涙が込み上げてきた。
「不思議な味がするな」
まるで愛しい人に微笑みかけるかのように目を細めて俺を見下ろしている彼の腕にすがり、腰を前後に揺らす。
「むね、なめて…」
餌を求める雛鳥のようにベロアの顔に何度もついばむようなキスをする。
「そうされてたら舐めれないだろ」
ベロアは軽く俺の肩を押して倒すと、すでに固くなっていた胸の先端にゆっくりと舌を這わす。
舌の腹で味わうようにべろりと舐めたり、舌先で軽く触れたり舐め方を変えながら刺激する。
「きもちいっ、べろあ…っ!きもちい…はっ、あっ…」
敏感になったままずっと放っておかれていた部分に、待ち望んでいた以上の刺激が訪れる。ベロアの頭を抱きしめた。
ずっと軽くイッてるような状態が続いている。何も考えられなくて、ただ感じたことが脳を介さずに口から垂れ流される。
「べろあ、すきぃ…」
彼の頭を抱きしめたまま、彼の腰にも足を巻き付けた。肌と肌が密着すると、ベロアの熱い体温が伝わってきてたまらなく気持ちいい。くっついているだけで下腹部が中をぎゅうぎゅう抱きしめて離したがらない。
「俺もお前のそういう顔、見てるの好きだな」
そう言って彼は俺の胸の先端に舌を這わせたまま押し付けるように腰を揺らす。甘く痺れるようなその刺激がもっと欲しくて、彼の動きに合わせて俺も腰を擦り付けた。
徐々にベロアの動きが激しくなるにつれて思考も視界もふわふわしてきて、何も考えられなくなっていく。奥に力強く押し込まれると痛いくらいの快感が下腹部から突き上げた。
「ん"あぁあっ!べろぁっ、べりょあ…っ」
強すぎる快感に頭がおかしくなりそうで、俺は彼の腕にしがみついて名前を連呼する。前からも射精が止まらなくて、普段なら相手にかけたくないとか考えるのに、そんな余裕すらなかった。
ベロアがキスをするように俺の頬を伝う涙を舐めとる。頬を軽く吸う彼の唇に、俺は振り返って横入りするように唇を重ねた。
「もっと…」
もう理解できないほど気持ちいいのに、キスの合間に自分の口から出てきた言葉は、催促の言葉だった。
彼はそれに舌を絡めて答える。息が苦しくなるたび唇を離して大きく息を吸い込んではまた重ねを繰り返す拙いキスがとても気持ちよかった。
それからベロアは俺の要望に答えるように、何時間も付き合ってくれた。俺に恋愛感情なんかないだろうに、俺が求める以上に返してくれる。童貞を捨てたばかりで、彼も楽しみたかったのかもしれないが、行為を重視してバックが多かった昨日に比べて向かい合ってする時間がとても長かったような気がする。
セフレとキスをすることはもちろんあった。あったが、気分を盛り上げるスパイスでしかないそれは大体前戯を終えたらお役御免だ。ベロアのように行為中も繰り返す人は初めてだった。
優しく微笑まれて、みっともない姿を可愛いなんて言われると、愛されてるような錯覚を起こす。それで済めば良かったのに、そんな錯覚の中で肌を重ねるのは驚くほど気持ちが良かった。
愛情なんて貰ったって、家族みたいに縛り付けておくんだろうって思ってた。そんな足枷みたいな感情はいらないから、後腐れしないような男ばっかり食ってきた。
だけど、ベロアだったら嬉しいと思ってしまうのは、つまりそういうことなんだろう。
誰かを好きになったことがなくたって、それくらい分かる。そんな馬鹿じゃないさ。
散々楽しんだ後、ベロアが満足して俺の隣に横になる。泡立つような余韻を全身で受け止め、ぼんやりとする意識の中で俺は身体をよじってベロアへと寄る。
まともに動けない俺を、彼は引っ張りあげるように抱き寄せた。それが凄く嬉しかった。
次に目が覚めたのは昼過ぎだった。前回はベロアが空腹で俺を起こしたが、今回は自分で受け取ることを覚えたらしく、テーブルには完食済みの料理皿が乱雑に置かれていた。
外を走り回るのが好きな彼からすれば、きっと何の娯楽もないこの部屋で、彼は相変わらず上半身裸のままで隣りに寝転んで静かに俺を眺めていた。
「…おはよ」
口元だけで笑って、俺は眠たい目をゆっくり開け閉めする。昨日の夜あったことなんて全部覚えてなければ良かったのに、残念ながら大体のことは覚えている。隣りにベロアがいることが妙に嬉しいのと、顔を見ると少し気恥しいのがその証拠だ。
「おはよう。随分寝てたな。腹減ったんじゃないか?」
彼はどこか嬉しそうな表情で俺が起きたのを確認すると、ベッドから起き上がってサイドテーブルに置かれた袋を手に取る。昨日、子供たちが作ってくれた大量のチョコケーキポップの残りだ。
「まだあるぞ」
「ありがと」
彼に差し出されたそれを受け取り、俺もゆっくりと身体を起こす。
相変わらず身体は痛かったが、昨日と大差はない。ていうか、当たり前だが動きっぱなしな分、最中の方が痛かった。それでも、痛みを凌駕して頭が変になるくらい気持ちいいから参ってしまう。
チョコケーキポップを口にくわえて味わう。これは一段と大きいから、きっと颯が作ったやつだ。
「夕方には引越しだが、身体は大丈夫か?」
「これで大丈夫じゃないって言ったらアホすぎるだろ」
心配そうに俺の体に目を向けるベロアを横目に俺は笑う。本当にそれは嫌すぎる。自業自得にも程があるので、痛いには痛いが今日は何としてでも引っ越してやる。ベロアが色々考えてくれたのに台無しになんてしてたまるか。俺に引っ越さない選択肢はないのだ。
「…昨日はごめん。なんか色々おかしくなってたわ」
手に持ったチョコケーキポップが入った袋に視線を落としたまま、俺は呟くように謝罪する。目を合わせようとしない俺をベロアは見つめているようだったが、やっぱり顔が見られない。
本当に昨日は頭がおかしくなっていた。ベロアを味見して終わる予定が、ことある事にセックスに誘っていた気がする。
俺だって寝る間際まではそんなに盛っていなかったんだ。むしろ風呂場ではベロアにサービスしてやるくらいな気持ちだった。可愛いから相手してあげるか、程度で。
でも、ベロアがやけに優しくて、それが嬉しくて俺が1人で盛り上がっていた。アホかっていう。ベロアは優しい奴なんだから、別に特別な感情がなくたってセックスで遊んでるって考えているなら、誰としたって優しくするだろ。
後腐れするのは俺の方じゃん。ファンサービスを間に受けた、身の程知らずな観客。俺が彼に抱いている好意は間違いなく恋愛感情のそれだった。
「いろいろおかしく?」
横目に映る彼はきょとんとした顔で首をかしげる。
「別に何もおかしくなかったし、俺は楽しかった。それよりまたお前に無理させたから俺はそっちの方が心配だ」
彼にしては珍しく反省したと言いたげに肩をすくめ、申し訳なさそうに頬をかいた。
なんでベロアが申し訳なさそうにするんだろう。気を使って本番やらないでくれたのを、俺がせがんで付き合わせたんだから彼は何も悪くないだろう。
「全然。むしろ、眠い時に相手してくれてありがと。おかげで良く寝れたから大丈夫」
ベロアに笑って見せてから、とりあえずなにか服を着ようと立ち上がろうとしたが、体に走る鈍い痛みによろける。
「大丈夫か、やっぱりやりすぎたな、悪かった」
よろけた俺の肩を抱きとめて支えられた俺は驚いて小さく目を見開く。今まで何とも思わなかったようなことが、意識しだすと気になってしまう。
俺はベロアを見上げる。不思議そうに目を丸くした彼と目が合って、すぐに目をそらす。少し顔が熱い気がしたから誤魔化そうと思ったのだが、自分がどんな顔をしていたのかは分からない。
「また可愛い顔してる。どうして最近お前はそういう顔ばかり俺に見せるんだろうな?」
俺の顎を持ち上げてまじまじと顔を観察される。
「…お前、そんな俺のこと褒めて反応楽しんでるの?俺あんま顔面偏差値高くないから、褒められなれてないんだよ。照れるだろ」
苦笑いしながら俺は彼の胸を軽く押して離れようとするが、ベロアはそれを拒むように強く俺の体を引き寄せて軽く咥えるようなキスを俺の口に落とした。
「え…な、なに?どうした?」
突然と唐突のコンボを決められて、俺の声があからさまに動揺する。顔にじんわり集まった熱が加速して、高温になったそれは耳にまで拡散する。
やめろよ、どんだけ勘違い捗らせる気だ。
「…?したいと思ったからした。駄目だったのか?」
当然のように答えたベロアは「服きないとお前は風邪ひく」といって俺の体から手を離す。昨日の荷造りでだいぶスカスカになったクローゼットを開けて今日着ようと思って残しておいた服をいくつか掴んで俺の元まで持ってくる。
「ダメではないけどさあ…」
熱が引かない顔をどうしたらいいか分からないままそれを受け取り、袖を通した。
いつも通りの服装に戻り、ハチドリたちを出して餌をやったり戯れたりしながら俺は予定の時間を待った。サタデーは相変わらずベロアがいると、ベロアの頭に乗ったまま離れない。アイツの頭は巣なのかもしれない。
「引っ越したらテレビも欲しいし、子供たちが喜びそうな家具も増やしたいな。ニュースを見る癖は付けておくべきだろうし、アイツらの特技は伸ばしたいよね」
ベッドに寝転んだままタブレットPCで家具を検索する。今まで家具の受け取りを落ち着いて出来る日がなくて注文できなかった。一時的かもしれないが、しばらく向こうで過ごす時間が得られるなら今のうちにできることをしておきたい。
「なあヴィクトール、これはなんだ?」
ベロアが指さしたのは子供用の小さな滑り台。動物の『ゾウ』をモチーフにしたデザインで同じシリーズの家具には『キリン』のコート掛けや『サル』の椅子など可愛らしいデザインのものが沢山ある。
「かわいいなこれ!」
彼はタブレットを覗き込んで楽しそうに笑う。
ベロアの口から出てくる褒め言葉は、考えてみれば「可愛い」が大半を締めている。存外、可愛い物が好きなタイプなのかもしれない。
「子供も喜びそうだし買う?動物シリーズのやつ」
楽しそうにしているベロアの顔を覗き込む。
確かにあの家には小さいが庭もある。街中を連れ回すのはリスキーすぎて無理だが、滑り台を置いて遊ばせるくらいは出来てもいいんじゃないだろうか。颯も動きたい盛りだろうし、閉じ込めておくのは可哀想だ。
結局、椅子やテーブルは既に買ったものがあるし、子供部屋に置くなら本人たちにも希望を聞くべきだろうと、ゾウの滑り台とベロアが気に入ったというキリンのコート掛けだけ注文して他のページに画面を移す。
「ところで問題が1つあるんですわ」
俺の言葉に少し身構えるような様子でこちらを振り返るベロアに俺は少し肩を竦めて見せる。
「あの家、俺たちのベッドも部屋もない。寝るならリビングなんだけど、どうするよ」
子供のうちの誰かと寝るという選択肢もあるだろうが、何にせよ子供用ベッドじゃベロアは間違いなくはみ出す。そうなると、ベッドの調達は早急にしなくてはならない。
「1人がソファで、もう1人が子供用ベッドで誰かと一緒に寝るか…もしくは俺たち2人分のベッドを用意するか、かな。ただ、大人用ベッド2つは場所とるんだよなあ…」
「いつも1つのベッドで寝てるだろ。ふたつも要らない」
何がそんなに問題なんだと言いたげに首を傾げて彼は俺たちの座ってるベッドをぽんぽんと叩く。
「いや、これキングサイズって言ってデカいやつだから。大体からしてこんなデカいの、あの家には入らないだろ」
思わず笑ってしまう。こういうところが安直で可愛いよな。
「置くとしたらあっちのサイズを2つ」
俺のベッドと少し離れた場所にあるシングルサイズの犬用ベッドを指さす。
「あれじゃあ狭いだろ、もう少し大きいのがいい。ほら、これならあのベッド2つより小さそうだ」
俺が見ていたタブレットに開かれたベッドのページを横から覗くと、セミダブルのベッドを指さした。
「えーと…じゃあ、お前がセミダブルで寝て、俺はソファか子供用のやつか?」
シングルが狭いってことは、セミダブルで2人なんてもっと狭いだろう。俺はコンパクトサイズだが、ベロアはビックサイズだ。ベロアが1人でセミダブル使ってても何も変じゃない。
「これは2人で寝れるベッドなんだろ?俺とここに寝ればいいじゃないか」
確かに商品ページには2人で寝てる写真も載っているがそれは一般的な日本人2人であって、身長180センチ超えのガタイのいい男のことではないのだ。
「昨日みたいにお前を抱き込んだらそんなにスペース取らないからこれでいいだろ。だめなのか?」
俺を抱き込んで寝る…?一瞬、脳みそがフリーズする。
あんな抱きしめられて寝るのを毎晩してもらうって、もうそれ恋人じゃないのか?いや、さすがにこれ以上勘違い捗らせたらダメでしょ。
だって俺、ベロアのこと好きだもん。性的に。そんなの毎晩やってたら絶対勘違いしちゃうよ。
「いや、狭いって。後で後悔するからやめとこ?俺、ソファでいいから」
「いや、大丈夫だった。もし並べなかったら俺の上に寝てもいいぞ」
このどっしりと構えた男らしさが好きなんだけどさ、こうも言いきられてしまうとこういう時に断りずらい。
ベロアが俺に言う可愛いって、どうせ子供たちや動物の家具の可愛いと同列なんだろうし、俺が変な気起こしたりしなければいいんだろう。わかったよ、やってやるよ。
「ああ、じゃあまあ…そうしよ」
渋々と承諾し、セミダブルベッドをカートに加えて注文した。そうこうしていると、時計は予定の6時を指そうとしていた。
クロゼットからツバの広い黒の帽子を取り出し、目深に被る。これからしばらくお忍びなら、ないよりマシだろう。
「そろそろ出発かな」
開いていたタブレットをリュックにしまってハチドリ達を鳥用のキャリーに入れようと声をかけるが、ベロアがサタデーを構いながら口を挟む。
「そんな狭い所に入れるのか?こいつらも一緒に飛んでいけるだろ」
「飛べるけど、はぐれたら皆死んじまうんだぜ」
そもそも、大空と俺を並べて置いた時にハチドリはどっちを取るだろう。俺なら間違いなく大空を選ぶ。
「俺がちゃんとみてる。こいつらはいつもお前に着いてくるから心配ない」
相変わらず自信満々に話す彼に、俺は口元に笑みを浮かべたままため息をつく。
「…俺、そんな鳥に好かれてる自信ねえよ。閉じ込めてるしさ。ついてこないよ」
「またヴィクトールは俺と同じことを言ってるな。同じということは大丈夫ということだ」
そう言うとベロアはいつの間に開け方を覚えたのか部屋の1番大きな窓を開け放った。
俺やベロアの周りをちょろちょろしていたハチドリ達は一斉に蛍光灯の並ぶ無機質な空へと飛び出していく。
「おい!なんで…サタデー!サンデー!みんな帰ってこい!」
焦りで窓まで走り、大声で飛んでいくハチドリたちの名前を呼びながら手を伸ばす。身を乗り出しすぎて落ちそうになる俺の腕をベロアが掴んで引き寄せる。
「危ないだろ、なにしてるんだ」
「危ないのはハチドリたちだ!餌が得られなかったら死ぬんだぞ!早く連れ戻さないと!」
ベロアの腕の中でもがくが、彼の腕の力が強くてまるで動けない。
そうだ、どんなに自由がよくたって死んだら意味がないんだ。
「戻ってこないよ…」
もがいているうちに込み上げてきた虚しさに、俺は抵抗するのをやめてうなだれた。
「…?別にあいつらはどこにも行ってないじゃないか。ほら、お前のことを待ってる」
彼が何を言っているのかわからずに顔を上げると、4羽は窓から少し離れた木の枝に並んで止まってこちらを見ている。
まるで「早く行こう」と俺を急かすかのように窓枠と枝を行ったり来たりしていた。
「お前ら…行かなかったのか?」
手を伸ばすと、1匹が俺の指に止まる。こちらを見て忙しなく首を動かし、また飛び立つと木の幹へと戻っていく。それでも、それより遠くへ行く様子は見せなかった。
「ほら、俺たちも行こう」
ベロアに言われて俺は彼を見上げる。
緊張の糸が切れて、大きく息を吐きながら肩を落とした。
「びっくりしただろ!」
笑いながらベロアの胸を軽く突き飛ばす。
そのくらいじゃよろけもしない彼はそのまま俺を抱き上げて窓枠に足をかけながら呟いた。
「あいつらはお前がただ閉じ込めてた訳じゃなくて、ちゃんと愛情もって守ってたってわかってるんだろうな」
割と最近にそんなことを俺もベロアに言った気がする。これが特大ブーメランってやつなのか。何だか恥ずかしい気持ちになるが、ベロアがいなかったら、きっとそれに気づくこともなかったんだろう。
リュックやスポーツバックにコンパクトにまとめたとはいえ、引越しするほどの荷物と俺を軽々と抱えたベロアは軽い足取りで壁を這って屋敷の屋根に移る。気分はキングコングに誘拐される美女みたいだ。残念ながら俺は男だし、美人でもないが。
木の幹に止まっていたハチドリ達も俺たちが移動するのに着いて飛んできた。ここから柵を飛んで外に出るのだろうと身構えていると、ベロアはふと思い出したように足を止める。
「忘れ物した」
「え、お前そんな荷物とかある人だっけ?」
俺が言い終わる前に彼はベランダ伝いに壁を移動していく。
向かっている先は俺の部屋とは反対方向だ。
「おい、どこ行くんだ?食い物なら後で…」
彼が足を止めた窓の向こうに立っていた人物…驚いたように目を丸くした母親の姿を見て俺は息を飲む。
ベロアが窓を軽くノックすると驚いて固まっていた母親が慌てて窓を開けて顔をだした。
「ヴィクター…それにベロアさん。えっと…」
「これから出かける。出かける前には家族にいってきますって言うだろ?」
腕に抱えた俺を窓に寄せるように抱え直してベロアは母親への挨拶を促してくる。
俺は母親の目を睨むように見つめる。普段なら彼女はそれで悲しそうな顔をして姿を消すのに、母親は何を思ってか小さく微笑んだ。
「行ってらっしゃい。身体に気を付けるのよ」
驚いて俺は目を開く。母親はただ微笑んで、何も言わずにこちらを見ていた。
「…いってきます」
自分で辛うじて聞こえるくらいの声を絞り出し、俺は目をそらす。
「ヴィクトール、それじゃちゃんと聞こえないんじゃないか?」
俺を抱えた腕を催促するように軽く揺する。
ちくしょう、なんだよ。子供扱いしないで欲しいが、こうでもしないと俺がちゃんと母親と話さないことをベロアは知っているんだろう。
悪態を胸にしまい、俺は母親に視線だけ向ける。
「行ってきます」
「うん。楽しんできなさい」
微笑む彼女に、俺は鼻を鳴らして顔を逸らす。ベロアの肩を叩いて、もう用が済んだことを知らせた。
「じゃあ行くか」
ベロアは俺をしっかりと抱きなおし、窓から顔を出したまま小さく手を振る母親に見送られて柵の外へと飛び出す。
まだ慣れないそのふわりとした風の感覚は柄にもなく胸が踊る。
屋根から屋根へ飛び移る彼に並走してついてくるハチドリたちを横目に流れる風と景色を見ていると、なんだか鳥にでもなった気分だ。
「出掛けるのを誰にも咎められないって変な気分だな」
ベロアの肩に掴まってぼんやりと呟いた。鳥かごから出たハチドリたちも同じ気分なんだろうか。
母親が見張りを持ち場から離したと言うのは本当だったようで、襲われたり、誰かにつけられていると言うこともなく、見慣れた屋根の上に着地する。
ベロアに下ろしてもらい、俺は帽子を被り直して、前に来たみたいに室外機を階段代わりに降りる。可能な限り痛くない筋肉だけを使って降りるが、さすがにしんどかった。下まで一緒に降りれば良かったな。
何気に荷物を全部持ってくれたベロアが屋根から地面に直で飛び降りると、音を聞きつけたのか子供たちがカーテンの隙間から外をのぞいた。
「ヴィクター!!!」
「おにーちゃんたち、来てくれたの?」
「ごはん!」
窓を開けて颯が飛び出して来たのに続いて、玄関から走ってきた凜と匙に俺は一気に囲まれる。
「わあ、綺麗!!これは何?」
「俺知ってる!!ヨウセイっていうんだ!」
「ヨウセイさんだ!」
俺の近くを飛んでいたハチドリを見つけた子供たちが興奮した様子で彼等を指さす。
「お前らは初めましてだな、紹介するよ」
俺が指を出すと、そこに1匹が止まりにくる。それを彼らによく見えるように差し出す。
「コイツはチューズデイ、俺の後ろにいるのはウェンズデー」
紹介の途中で外から勢いよく飛んできたもう1匹が匙の目の前でピタッと止まる。驚いたように目を丸くする匙と睨めっこをするようにホバリングしている。
「匙の傍にいるのはサンデーだ」
サンデーに夢中になっている子供たちの前に、俺はベロアを引っ張り込む。何で呼ばれたのか分からないのか不思議そうに俺を見るベロアの頭には案の定、最後の一匹が止まっている。
「コイツがサタデー。ベロアの頭に住んでる妖精さんだ」
子供たちの視線がベロアの頭に集まる。
「ヴィーおにーちゃんのお友達なの?私も仲良くなれるかな?」
「ちいさい、かわいい」
「一緒に遊べる?俺も触りたい!!」
俺は指に止まっていたチューズデイを放つと、彼らに笑ってみせる。
「俺の友達だ。みんないい子だからすぐ仲良くなれるさ」
口々に質問攻めをしてくる子供たちに押され引かれしながら俺は家の中へと招かれる。
その後ろから荷物を抱えたままベロアは無言でのしのしとついてきた。
「ヴィーおにーちゃん、ベロアおにーちゃんのせいでキンニクツウって病気になっちゃったんだよね!大丈夫?」
「ちげーよキンニクツウはセックスのしすぎだってベロアが言ってたぞ!」
「ねえ、セックスってなにー??」
とんでもない単語が子供たちの会話の中で横行している。俺は笑顔を貼り付けたまま肩を竦めた。
ベロアのやつ、洗いざらい話やがったな。童貞なのは知っていたが、想像以上に性知識がお子様だ。これは後でキツく口止めしないとまずい。
「セックスは大人のスポーツだから、お前らがもうちょい大人になったら教えてやるよ」
「颯、それはちょっと違う。俺がヴィクトールに長時間セックスを」
俺はベロアの口に手を当てて強引に黙らせる。
いやもう、これは本当に野放しにしてたらダメなやつだ。颯に「ちょっと待ってな」と笑って見せてから、ベロアの肩を叩いて顔を寄せるよう促す。
「なんだ?」
「言わなかった俺が悪いんだけど、セックスの話は子供にするな。凛にするにしても最低、あと3年は待て」
ベロアはいまいち納得のいっていない顔で「どうして」と首をかしげる。
「お前、よく考えてみろ。颯と凛がセックス覚えて2人でヤり始めたらショッキングすぎるだろ。俺にお前がちんこ突っ込んだってアイツらが知ったら同じくらいショック受けるんだよ」
小声で早口に理由を話す。本当はそれだけじゃない。凛に至っては女の子なんだから、ちゃんと性教育しないと妊娠するような事故も起きかねない。
「なるほど、それはちょっとイヤかもしれない」
ことの重大さが伝わったかはさておき、隠す理由として納得させるにはまあ十分だろう。
ベロアにもちゃんと生命の営みについて教えないといけないな…骨が折れそうだ。
「ベロアと相談したけど、やっぱりセックスについては秘密だ。お前らがもっと大きくなってから話す」
颯たちに振り返って俺がそう言うと、颯は唇を尖らせてブーイングを飛ばす。
「えー!!ケチ!!ヴィクターも子供だって前言ってたじゃん!」
「俺は16歳だからいいの!颯も13…いや、15か…?それくらいになったら教えてやるから!」
また腹を減らしているだろうこの一家の晩飯を用意しようとキッチンに立ち、ふと俺はひとつの疑問にたどり着く。
「…てか、お前らみんな何歳なの?」
勝手にこれくらいって年齢を想定して喋っていたが、違う可能性がある。そもそも誕生日すら知らないし、なんならベロアの年齢だって俺は聞いていない。
俺の質問に3人は顔を見合わせて首をかしげた。
「わかんない」
「俺っていつ15歳になるの?」
「私もわからない」
最後にベロアの方を見ると彼はなんとか思い出そうとしているのか眉間にしわを寄せるが首を横に振る。
「凜は5歳、颯は4歳、匙はまだ言葉も話さないような歳に出会った。けどそれからどのくらい時間がたったかはわからない」
一番知っている可能性のあったベロアもわからないんじゃもう誰もわからないだろうし、この様子だと自分の年齢なんてさらに期待できないだろう。
「そうなのか。じゃあ、年齢と誕生日決めるか」
俺はパンと手を叩いて言う。決める理由なんかあまりないのかもしれないが、誕生日は皆が等しく生まれたことを祝うために与えられた日付だ。ある方が楽しいに決まっている。それに、もし彼らが大人になった時に働ける権利を得る機会があるなら…年齢は嘘でもある方が何かと有利だ。
「ハイ!はいはい!!じゃあ俺15歳がいい!」
真っ先に手を挙げて颯がアピールをするが、残念ながら彼はとても15歳には見えない。
「あからさまに15歳じゃないのでダメでーす。颯は…そうだな。8歳にしよう」
「えー!!ヴィクターずりー!!」
悔しそうに地団駄を踏む颯を横目で見ながら、俺は次に凛を見る。
女の子だから背が高いというのを念頭にしても、大人びた立ち居振る舞いや性格から颯よりはもう少し大人に感じる。
指ぱっちんの容量で指を弾きながら俺は凛を見る。
「凛は10歳でどうよ」
「私は颯よりお姉さんなんだね、なんかちょっと嬉しいな」
はにかんで笑う彼女は頬を赤くしておしとやかに喜ぶ。これは大人になったら男子が放っておかないな。俺が守らねば。
「匙は5歳かな」
俺をじっと見上げる彼の頭をぽんぽんと撫でる。これくらいの年齢はまだ判別しやすいから、あまり迷う必要を感じない。
「僕は何歳でもいいー」
まあこの位の年だとあんま自分の年齢とかに興味はないから、こんなもんだろうか。
「さて…あと1人だな」
最後に俺は隣のベロアを見上げる。彼はちょっとわくわくしているのか興味ありげに俺を見返す。
ベロアは正直本当に分からない。彼の顔を見つめ、背中に回り込み、一周まわってまた正面に戻るが分からないものは分からない。
「23…?いや、21…?20…?」
顔だけ見れば若いのだが、いかんせん体格がイカついので雰囲気だけで見るとかなり歳上な気もする。性格も落ち着いてるし。いや、勝手に20代だと思い込んでいるがワンチャン10代も有り得なくないぞ。
永遠に唸っている俺にベロアはだんだん神妙な顔になる。
「ヴィクトールまだか?俺は何歳になるんだ?」
「えー、うーん」
あまり待たせても可哀想だし、もうベロアの年齢なんて俺くらいしか気にしないのでは。俺はさっき上げたラインナップから1番、自分の感じたものに近い年齢を選ぶ。
「22歳かな」
「22か!で、それはどのくらい強いんだ?」
「年齢で強さは変わらねえけど、俺より5年くらい人生の先輩だな」
おれの回答に納得したように首を頷かせ彼は柔らかく微笑む。
「そうか、それならいい。お前より年上なら俺の方が強くなれるってことだ」
ベロアが言う強さの基準がまるでわからなかったが、彼が嬉しそうな笑みを浮かべるのを見て、俺も微笑み返す。喜んでもらえたなら俺も満足だ。
それから誕生日はそれぞれに好きな数字を1から9までで4個選んでもらって、それを俺が組み合わせた日付にすることにした。颯は7月12日、凛は3月9日、匙は1月1日だ。それなりに個性が出たので、良い案だったのではないかと思う。
「ベロアの誕生日はどうする?好きな数字は?」
俺が晩飯を作る傍らで、リビングで子供たちと遊んでいたベロアが飲み物を取りに来たので声を掛ける。彼は冷蔵庫のウーロン茶をラッパ飲みしながらこちらを見ると、小首を傾げた。
「別に俺は何でもいい。いつでも気にしないし、なくても困らないしな」
「味気ねーなー」
俺はグラタンに入れる鶏肉を切り分けながら笑う。
「仕方ねえな。それなら俺がお前を捕まえた日とかにする?」
冗談まじりに提案する。下心がないかって言われたら、笑顔で隠しているだけで本当はある。
好きな人の誕生日が、自分と初めて会話した日なんて最高に嬉しいじゃん。ただそれだけだけど、そんなこと興味無い相手に言われたって困るだろ。だから絶対に教えない。
「じゃあそうする。あれは何月何日だったんだ?」
ベロア飲み干したウーロン茶のボトルを片手でくしゃっと軽々握りつぶしながら答える。
「ちなみにいまが何月何日かも、俺は知らない」
なぜか誇らしげに鼻を鳴らす。なんでベロアって何をするにも自信満々なんだろう。それは自慢出来ることではないぜ。
「お前を捕まえたのは6月9日で、今は6月18日だよ。そろそろ本格的に梅雨が始まるな」
地下は地上に降る酸性雨がもろに雨漏りする。地下に季節なんかないのだが、そんな不便な部分ばっかり季節感があるもので、俺たち学生はその時期は長期休みで自宅学習となる。地上で言うところの夏休み。
春休みや冬休みはないのだが、代わりに梅雨の時期は2ヶ月ほど休みが続く。地上みたいな小出しにする休みも欲しいが、まあ楽しいからいいだろう。
「ってことで、ベロアの誕生日は6月9日ってのはどうだろう?」
千切りにしたきゅうりにツナとマヨネーズをあえながら、俺はベロアに振り返る。
「ロクとキュウか、覚えやすいしそれでいい」
びっくりするほど小さく畳まれたペットボトルをゴミ箱に捨てながらベロアは答えた。
何をどうしたらペットボトルってあんなに小さくなるんだろう。握力いつか測りたいなあれ。
「じゃあ、9日遅れだけどハッピーバースデー。お前が生まれてきてくれて良かった。これからもよろしく」
サラダを小皿に小分けにし、それをベロアに手渡す。俺も残った皿を手にリビングへと運ぶ。
彼は俺の言葉に驚いたように一瞬目を丸くしたが、戸惑ったように微笑んで少し恥ずかしそうに「…ありがとう」と小さな声を漏らす。
「こちらこそ、出会ってくれてありがとう」
俺はニッと笑ってから頷く。誕生日を祝われる喜びは、みんなに知って欲しいものだ。
リビングや自室に散らばる子供たちに召集をかけ、サラダを始めとしたチーズグラタンや飲み物をテーブルに皿を並べる。
我先にと席につく子供たちに待てをして、全員揃って「いただきます」するよう話す。颯が早く食べたいと文句を言ったが、自分が暴れるほど飯にありつけないと分かってか、しばらくしてからようやく静かになる。
「じゃ、食べよう。いただきます」
俺が手を合わせて言うと、子供たちが見よう見真似で俺に続く。俺と子供たちを見てベロアも複雑そうな顔で手を合わせる。
子供たちは俺が見てない間にも食器を使う練習をしていたらしく、まだ持ち方や動かし方に粗があるものの以前と比べて随分スムーズにフォークとスプーンを扱っている。
そんな光景に根負けしてなのか、言われた事を少なからず気にしているのか、ベロアも子供のようにスプーンを握り、グラタンに先っぽを突っ込んでえぐり出す。
彼の口に運ばれたグラタンは口に入る量と同じくらいこぼれていた。
「焦って食わなくても逃げないから、ゆっくり食べろよ」
口の周りにクリームをつけたままグラタンを頬張るベロアの顔に手を伸ばし、こちらを向かせてからティッシュで口周りを拭いてやる。デカい子供だ。
「明日あたりにベロアの誕生日会でもしようか。次は颯で、その半年後くらいには匙。凛は来年になっちゃうけど」
22歳でお誕生日を盛大に祝うなんて、あまりある話ではないかもしれないが、颯や凛はどこかで友達を作る機会があるかもしれないし、そうなれば
誰かと誕生日を祝う可能性はなくはないだろう。経験させておきたい。
ベロアの口周りを拭きながら提案してみると4人は顔を見合わせて首をかしげる。
「誕生日会ってなにするの?」
「わかった!!戦いだな!」
「戦い?ベロアおにいちゃんが一番強いよ?」
どうして誕生日会で最初に出てくる発想が戦いなんだ。さすがベロアに育てられた子供たちと言うべきか、戦いを前提で話が進んでいく。
何処から手を付ければいいのか分からないほどのボケに対し、俺1人が全員に突っ込むのはさすがに無理がある。
「そうか戦うのか、今度こそお前に勝つぞ」
ベロアはまた口の端にクリームをつけたまま俺に意気込むように拳を突き出す。
俺は肩を竦めて笑い、その拳に手のひらを乗せて下に下ろさせる。
「違えって。誕生日会は戦うんじゃない。その人が1年大人になったことをみんなで祝って、デカいケーキをみんなでわけて食べるんだ。美味い飯も一緒に食って、必要ならプレゼントも贈る。殴る蹴るはなしだ」
「それなら私もできるかも…!」
「プレゼントだって!!」
「でかいケーキ!?」
子供たちは口々に誕生日会への期待に胸を膨らませているようだったが、肝心のベロアはというとぽかんとした顔で俺を見る。
「俺が、俺の生まれた日を祝うのか…ちょっと不思議な気持ちだけど、楽しみだ」
戸惑いはあれど楽しみにしてくれているようで、微笑んだ彼の笑顔がいつもに増して柔らかくて不覚にもドキッとした。
「…うん、そう。ベロアの生誕22周年イベントな」
俺は鼻先を指で触りながら目をそらし、出来るだけいつも通りの笑顔を心掛けて話を続けた。
「だから、明日はみんなで飯作って、ケーキ作るから、覚悟しとけよ」
「はーい!!」
声をそろえて元気に返事をした子供たちを見ながら、俺はベロアのグラタンをスプーンですくい、彼の口元まで運ぶ。
「はい、じゃあ飯の続き」
プライドがあるだろうと思って子供の前で食べ方を教えなかったが、いよいよこれではメンツも立たないだろうし、俺が食べさせたいってことにしとけばいいだろう。
「自分で食える」
そう言いながらベロアは差し出されたグラタンを何の迷いもなしに口で迎えると、もぐもぐと美味しそうに頬張った。
「俺が食べさせたいだけ」
念の為、ちゃんと補足する。
でも、まあ嘘ではない。ちょっと可愛いから楽しいし。
食事が終わって子供たちが散った後に、俺はベロアを呼んで、彼の耳に顔を寄せた。
「そろそろ食器の使い方、教えようか?子供たちがいないとこでさ」
ベロアはバッと身を引いて何か言いたげな顔で俺をにらむが、じわじわと眉尻を下げると、とても小さな声で答える。
「……たのんでもいいか?」
やっぱり気にしていたのをプライドが邪魔して言えなかったんだな。でも、最後はちゃんと素直になるのが可愛いすぎるから、こんな性格も好き。
どんだけベロアに惚れ込んでんだ。我ながら呆れる。
「いいよ。じゃあ、リビングだと目立つだろうし、キッチンでフルーツつまんでるフリしながらやろうぜ」
「わかった、やる。明日までに完璧にする」
そう言った彼の目には、心なしかいつにないやる気を感じる。
俺は彼をキッチンの隅に手招きをして呼ぶ。彼がそれに大人しく応じて来るのを確認し、切りすぎて子供たちが残したオレンジの皿を冷蔵庫から取り出す。
「じゃあ、まずフォークからいこうか。手に持ってみ」
ベロアは俺が渡したフォークをそのまま手に握る。人差し指から小指の四本がつながってしまったような、平たく言えば赤ん坊とおんなじ握り方だ。
大体想像はしていたが、これでは初めて食器に触れる子供みたいだ。
「フォークはどっちかと言えば鉛筆みたいな…いや、お前は鉛筆も握ったことないか」
ベロアの目の前で正しいフォークの持ち方を見せ、それを一切れのオレンジに差し込む。
「ほら、持ちやすい。真似してみなよ」
「妙な持ち方だな…」
彼は俺の手と自分の手を交互に見ながら見よう見まねでフォークを持つ。しかしどうにもおかしい。これだと指揮棒の持ち方ほうが近い。
「おしいな」
俺は小さく笑いながら彼の手に触れる。直接動かした方が早いだろう。
「フォークを支える指は中指。それに人差し指を添えて、親指で握る」
なんとかそれっぽい持ち方に整える。同じ男のはずなのに、ベロアは随分と手が大きくて改めて驚いた。フォークを持つ彼の手では縮尺がおかしく見える。
「これじゃあ力が入れにくいと思う」
持たせてもらった手をしげしげと不満げに見つめてからベロアは皿に乗せたオレンジにフォークを近づける。
フォークで刺そうとするがオレンジはフォークの先に押されるように滑り出て上手く刺さらない。
何度か試みたベロアだったが、そのうちしびれを切らしてしまったのか空いた左手でオレンジを押さえて無理やり突きさした。
「ほら、使いづらい」
「最初だから仕方ねえよ。今は手を添えたりしてもいいけど、最終的にはちゃんとフォークだけで食べられるようにならんと」
苦笑いしながら、俺は自分のフォークに刺したままのオレンジを彼の口に運ぶ。
それをベロアは何の抵抗もなく口で迎える。
「お前がいつもこうしてくれればいいのにな」
さっき1人で食べられるとか言ってたから、てっきり恥ずかしいのかと思っていたのに、まさかの一言に名状しがたい感情で息が詰まって死ぬかと思った。
突然くるベロアのタラシっぽい台詞はなんなんだ。天然なのか?
そんなことを考えながらぼんやりとベロアを見つめていると、彼は自分でフォークに差したオレンジを、俺の前に差し出した。多分、今自分がしてもらったことをそのまま俺にしてくれようとしているのだろうが…俺は差し出されたそれを見つめてから、眉をひそめて笑う。
「…ごめん」
「ああ、そうか…これは食べられないんだったか」
そう言って彼は俺に差し出していた手を引っ込めた。
それを見つめていて、不意に寂しいような気持ちになる。とても勿体ないことをした気がした。
「飯が食べられないって結構不便なんだな。お前にそれやられるまで気付かなかった」
別に空腹なんか慣れてるし、困ることなんかあまりなかった。だけど、好きな人に何かを食べさせてもらうとか、同じ食べ物を一緒に味わうとかが出来ないんだ。今更だけど、それってどうしようもなく悲しい話だ。
「…食べれるようになりてえなあ」
「食べられるまで練習付き合う。俺もお前にそうしてもらうから」
柔らかく笑った彼は俺に差し出していたオレンジを自分の口に運んだ。
「…じゃ、そうしよう。一緒に練習しようぜ」
俺もそれに笑い返す。食うのに練習って必要なんだな。カッコイイ人間のつもりであれこれ先生みたいなことをしていたが、俺もまだまだだ。
結局ベロアはスプーンと握りフォークしかマスターできず、明日までに完璧にするはずが、ナイフの練習にすら入れなかった。でも、俺の食事の練習ついでにやるなら、一緒にゆっくりやる方がちょうどいいのかもしれない。
「ヴィクター!何してんのー!」
ベロアと話していたところに颯が走り込んでくる。俺の腰に巻き付くと、颯は俺を見上げて首を傾げた。
「今日はずいぶん遅くまでいんね!泊まってく?」
泊まってく?だなんて、もうすっかりこの家は彼の住処になったようだ。俺は彼の頭を撫でて笑う。
「泊まるどころか、しばらく一緒に暮らすよ。よろしくな」
「えー!?ヴィクターも!?じゃあベロアもだ!?やったー!」
颯はその場で跳ねるとリビングへと駆け込んでいく。ほかの2人にも知らせるのかもしれない。
「あー…そういえば今日のベッドなんだけど…」
2人だけになったのを見計らって俺は声を潜めてベロアに声を掛ける。
「やっぱり俺、匙と寝るわ。まだセミダブルベッドは届かないし、さすがにソファに2人は狭いからさ」
今日発注したばかりで、セミダブルベッドは早くて明日、かかれば1週間くらい届くのに時間がかかる。その間にベロアとは別々に寝ておきたかった。
ベロアは拍子抜けした顔で俺を見る。
「どうして?ソファだって2人で寝られる。ダメなら俺は床でもいい」
少し不機嫌そうな声色で、彼は眉をひそめてむくれた。
「床で寝たら痛いだろ。別に俺はあまり身体大きくないから、匙と寝ればシングルサイズでも普通に寝れるよ。ベロアがソファ使ってくれ」
俺は至っていつも通りを装ってベロアに肩を竦めて見せた。
そもそもベロアとのセックスに俺がハマってしまったのがいけないのだが、昨日と一昨日とあれだけ楽しんだ後だと、俺の身体が覚えてしまっていてまた我慢がきかなくなりそうだ。
今日からは子供たちもいるし、そんな毎日セックスをせがむ真似はしたくない。数日でもインターバルを挟めば、俺の身体も少しは冷静さを取り戻すはずだ。
「いや俺は床でも寝れる!ソファだってお前が俺の上で眠れば問題ない!なんで匙のベッドに行くんだ!」
先程より駄々をこねるような口調で彼は首を横に振ったり足を踏み鳴らして不満を訴えている様子だった。
なんでそんなにムキになるんだろう。ただ子供と寝るだけなのに。
「いや、まだ匙は小さいから子守唄でも歌ってやろうかと思って…」
これは割と本当で、小さいうちしか経験できないことを真っ先に匙にしてやろうと思っていた。俺の中で年取ると恥ずかしくてせがめないランキング上位に「寝る前の読み聞かせ」と「子守唄」は常にランクインしているのだ。
ベロアはムッとした顔のまま俺を睨み見下ろす。
「俺より匙か…」
捨て台詞のような言葉を吐いて、ベロアはとぼとぼソファに背中を向けて横になると、はみ出る足を抱え込むように丸まる。その姿は完全に拗ねた子供のそれだ。
なんだかよく分からないが、一緒に寝られないのが凄く嫌だったらしい。ベロアもセックスしたかったのかな。童貞卒業3日目だもんな。
だとしても、子供たちの傍はやっぱり無理だけど。
ソファから動かなくなってしまったベロアに、俺は以前彼がここに泊まったときに使ったまま放置されていたのであろう丸め込まれていた毛布を広げて彼の身体に被せる。
「おやすみ」
ぽんぽんとベロアの頭を撫でるが、ベロアはそっぽを向いたまま無視を決め込んだ。
各部屋で寝る支度を整えていた凛におやすみを言い、既に寝ていた颯の毛布をかけ直してから匙の部屋に行くと、彼はまだベッドに腰掛けてぼんやりと窓を見つめていた。
「何してんの?」
「お空見てる。見てると眠くなるから」
この歳で眠れない夜を自力で何とかする術を身につけているのか。なんだか目頭が熱くなってしまう。
「なあ、今日一緒に寝ていい?」
「いいけど…ベロアおにーちゃんは?」
「ソファで寝てるから大丈夫」
彼のベッドの端に腰をかけると、匙は俺もベッドに入れるように奥へと詰めて横になる。それに甘えて俺も隣で横になると、大昔に母親にされたように彼の背中を優しく撫でた。
「ねえねえ、どうしてベロアおにーちゃんと一緒に寝なかったの?」
「別に毎日一緒に寝る必要はねえからな。深い意味はないさ」
早く寝かせようと思って会話を切り上げるために適当な回答を返すが、匙は横になったまま首をかしげる。
「でもいつも一緒に寝てるってベロアおにーちゃんが言ってた。なのに今日はだめなの?」
「え?いや、ソファが狭いから譲っただけだよ。ベロアは身体が大きいだろ?」
本当は俺だってベロアに寄り添って寝るのは大好きだから、あのサイズ感でベロアがいいなら一緒に寝たい。でも、盛りがついたから一緒に寝られないなんて、こんな幼い子供に言えるわけがない。
いつもの真っ直ぐな瞳で匙は俺をじっと見つめる。彼のこの視線はいつも心を見透かしているような錯覚を起こしてしまう。
やめろよ、そんな目で俺を見ないでくれよ。
「さっきのベロアおにーちゃんの大きい声、こっちまで聞こえてたよ?二人は喧嘩したの?ねえなんで?」
俺は笑みを絶やさないようにしつつ、肩を竦める。
「喧嘩じゃないよ。ベロアが俺と一緒に寝たいって駄々こねただけで…」
「じゃあ、なんでベロアおにーちゃんと一緒に寝ないの?」
「…」
振り出しに戻ってきた。なんだろ、これ。無限ループって怖くね?
「…一緒に寝たいけど、寝られない時もあるんだ。俺もベロアのことが大好きだけど、今日はダメ。だから喧嘩はしてないし、仲良しだ。それは安心してくれ」
俺の返答に耳を傾けながら、相変わらず匙は不思議そうに首を傾げていた。俺は彼の頭をくしゃくしゃと撫で回し、匙と同じように首を傾げて見せた。
「複雑な大人の事情ってやつ。好きすぎても難しいのさ」
まだ何か言いたげな匙にそれだけ伝え、俺は「お喋りはおしまい」と笑って付け加えた。
彼の背中を摩るように優しく、一定のリズムで叩きながら囁くような声で歌を歌った。
「Hush-a-bye, baby, on the tree top(ねんねん赤ちゃん、木の上で)When the wind blows the cradle will rock;(風がふくとゆりかごが揺れる)」
昔に母親が俺を寝かしつける時に歌ったマザーグース。ハッシャバイベイビーだ。
本当は優しい女性の声の方がいいんだろうなと思いながら、俺はそれを口ずさむ。
「When the bough breaks the cradle will fall,(枝が折れるとゆりかごが落ちる)」
マザーグースは教訓めいていて、ちゃんと意味を知ると、どれも怖い。でも、匙はきっと英語を知らないから分からないだろう。
始めは不思議そうに俺を見つめていた匙は、徐々にまばたきの速度を落としていく。
「Down will come baby, cradle, and all.(赤ちゃん、ゆりかご、一緒に落ちる)」
高い場所に登ったら落ちる。高慢になるなという意味らしい。でも、そんなのただのこじつけだ。どうしてもっと優しい歌詞で安らかに眠らせてくれないのだろう。
目を閉じて寝息を立て始める匙の隣で、俺も手を休めずに目だけ閉じた。
子供たちには優しい夢を見ていて欲しい。
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