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1章 最高にイカれた誕生日

【第5話】7月6日 19時00分

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【第5話】7月6日 19時00分

「咲凪、お帰りー」

家に帰ると、今日は珍しく火継が家にいた。いつもバイトからバイトへで夜は遅くに帰ってくるのに。

「ただいまー」

俺がショッピングバッグを片手に玄関を上がると、火継は不思議そうに首を傾げた。

「それ、どうしたの?」

「金成にもらった。誕生日プレゼントだってさ」

「そうなのか!良かったじゃないか!」

火継はキッチンに置かれた小さな冷蔵庫の前で屈んだまま、顔だけこちらに向けて明るく笑った。

「先越されちゃったなー、サプライズで僕も祝おうと思ってたのに」

そう言いながら、火継は冷蔵庫から小さなホールケーキを取り出す。俺が好きな柔らかいタイプのチーズケーキだ。チーズホイップで囲まれた丸い天井には「ハッピーバースデー咲凪」と書かれたホワイトチョコレートの板が鎮座している。

俺たちの収入じゃ、ケーキなんか滅多に食べられない。1年に1回あるかないかのご馳走を前に俺は笑う。

「すげーじゃん!ホールだ!いつもピースなのに、兄貴ずいぶん奮発すんじゃん」

「今年はこれだけじゃないよー」

そう言うと、食卓という名の薄汚れたちゃぶ台に火継はケーキを置き、今度は押し入れから何か箱を取り出す。

黒い箱には黄色いリボンが掛けられており、それが俺へのプレゼントであることは一目で分かった。

そこまできて、俺は喜びと同時に違和感で笑顔が引きつる。誕生日プレゼントなんて、両親が戦争した後で火継から貰ったことなんかない。

俺たちはこんなに貧しい。毎日、食う物すら危うくて、学費だって火継が仕事にバイトと昼夜問わず駆けずり回ってるから、捻出できているのだ。

「どした?プレゼントなんて買う余裕あんの?」

俺は笑顔を貼り付けたまま、火継から差し出された箱を受け取る。

俺は学校があるとは言え、週二でしか働いていない。それもただのコンビニバイト。放課後くらいは学生としての楽しみを謳歌しろと、火継が言ったことに甘えているから大した収入にはなっていないはずだ。

火継は少しだけ視線を泳がせてから、困ったように頬をかいて笑った。

「あー…実は少し前から昇進が決まってさ。祝い金が入ったから、そこから…だから生活苦しくなるとかじゃないよ!」

「マジか!すげーじゃん!係長になんの?」

「僕の職場に係長の役職はないけど、咲凪に分かりやすく言うなら、そんな感じかな」

火継の言葉に俺は箱を持ったまま片手で拍手をする。

なんだ、心配して損した。火継が何かとち狂ったのかと思った。俺は感じていた違和感を脳みそから放り出して、箱を手にちゃぶ台の前に座る。

今日なんか凄くね?俺の誕生日、めちゃくちゃ盛大だ!ホールケーキが出て、金成と火継の二人からプレゼントを貰って、火継が昇進した。どうして金成が怒ったのかは分からないけど。

今頃、金成が怒ってなかったら、一緒にケーキ食えたはずなのにな。電話しても出ねえしな。明日、自慢してやろ。

火継から貰ったプレゼントのリボンを解いて、箱を開ける。中から出てきたのは底が厚めの黒い編み上げのショートブーツだ。

「うわ、ヤバ!俺、ブーツデビューしちゃうじゃん!ピッカピカ!サンキュー兄貴!」

「喜んでもらえたなら良かった」

ニコニコと穏やかに笑いながら、火継はケーキを切り分ける。ピース1つだけを皿に乗せ、残りの全てを箱ごと火継は俺へと寄せた。

「咲凪、いっぱいケーキ食べたいだろ?俺、あまり甘いの得意じゃないから、ワンピースでいいよ」

「マジで?」

火継にフォークを渡され、俺は満面の笑顔を浮かべる。

だけど、火継が甘いものが苦手だなんて初めて聞いたな。ずっとピースケーキしか出さなかったから、気付かなかったのかな。

ガツガツと俺がケーキを頬張る横で、火継は丁寧にワンピースだけのケーキを細切れにして食べていた。

俺たち兄弟は昔から真逆だと言われていた。体格に恵まれた俺とは違い、兄であるはずの火継は170センチと少し華奢な体格で、頭が良かった。物腰も柔らかくて大人しい火継の隣で、俺は喧嘩ばっかりして頭も良くないから柔らかい話し方も分からん。

似ていないけど、俺はそんな火継が好きだった。兄貴と言うより、母親とか父親に近い存在ではあったが。

不意にちゃぶ台に置かれた火継のスマホが振動する。点灯した画面には赤糸 結の名前が表示されていた。

「お、彼女ぴからメッセージ来てんじゃん」

「本当だ」

俺が指摘すると、火継は嬉しそうにスマホを持ち上げる。

結はよく火継にこまめな連絡をしているらしかった。結構な頻度で火継はいつもスマホに文字を打ち込んでいて、打ち込んでいる顔がニヤけているから相手が結なのは言われなくとも分かっていた。

結は目立つ美人で、人混みにいても何となく見つけられそうなオーラがあった。そんな結は勿論モテモテなわけで、正直なんで火継を選んだのか俺には分からなかった。

火継はいい奴だ。それは俺が保証する。だけど、パッとしない印象は否めない。

黒髪に深い紺色の瞳、目があまりよくないから読書の時とかは眼鏡をかける。陰キャの特徴が詰まった俺の兄貴を、なんであんな美人があえて選んだのだろう。

「咲凪、結が一緒にお祝いしたいって」

「まー?今から?もう夜8時だが?女の子に夜道は危なくね?」

「ハイヤーに送らせるって」

「まー…?」

ハイヤーに送らせるような場所か、ここ。貧民街だぞ。悪目立ちしまくりじゃないのか?まあ、安全っちゃ安全だが。

「火継がいいんなら、俺はお祝いが増えるだけで嬉しいが?」

「良かった!なら、呼んでしまうね」

俺の返答に火継は嬉しそうに笑うと、スマホに素早く文字を打ち込んだ。

マメな連絡は良い女の証なのかもしれないが、連絡不精な俺にはあんまり向いていないのかもしれない。火継はマメな性格だから、結とも相性ばっちりなんだろう。

俺がホールケーキをフォークでほじくって食べている間に、火継はいそいそと部屋を片付け始める。可愛い彼女が来るのだ、生活感はない方がいいだろう。元の建物がボロボロだから限界は目に見えているが。

それから30分もせずに外階段を登ってくる小さな足音が聞こえてくる。それを察したのか、火継が立ち上がった。足音だけで結だと判別するのはかなり難易度が高そうだが、このタイミングなら結しかいないのかもしれない。

ピンポンと聞きなれた安っぽいチャイムが鳴る。火継がすぐに扉を開けると、そこには息を切らして笑っている結がいた。

落ち着いた淡いベージュのブラウスにチョコレートみたいな色のフワフワでヒラヒラな高そうなスカート、リボンのついた水玉模様のカチューシャ。いかにも美人美人したお姉さんって感じだ。

「いつも不便な思いさせてごめんね、7階まで歩くの大変でしょ?」

「大丈夫大丈夫!ほら、私だってたまには運動しないとね!」

髪の毛は手入れが行き届いていて、ツヤの輪が見える。長いまつ毛に縁取られた薄いオレンジの瞳はビー玉みたいで、ハーフでも何でもないのに金成より肌も白い。

いつ見ても男が放っておかなそうな見た目をしている。水玉のカチューシャだって、金成よりずっと似合っている。さすがとしか言いようがない。

しかし「いつも」と火継が言うあたり、これはなかなかの頻度で結は来てるんだな…俺は思わず口を結んで目を細める。

火継の奴、愛されてんなあ。どうやってそんな美人落としたのか聞きてえわ。

「突然ごめんね?折角だから直接お祝いしたくって、咲凪くんお誕生日おめでとう!」

結は火継の肩越しに控えめに手を振って俺に微笑む。

俺もそれにフォークを口にくわえたまま手を振った。

「サンキュー!こんな美人に祝ってもらえるなんて、なかなかない機会だぜ」

「もー美人だなんて、咲凪くんはいつも褒め上手なんだから」

結が火継と付き合い始めたのは6、7年前くらいからだが、知り合ったのはもっと前だ。かれこれ火継と結は10年近い仲だと思う。

火継が初めて結を紹介してくれた時の俺は、まだ金成と高架下で師匠と弟子ごっこをしていたクソガキだったが、その時でもすげえ美人だと思ったのは覚えている。

なんか体育祭だったかの実行委員で一緒になったのをきっかけにちょくちょく話すようになったとか、火継から聞いたことがある。

「立ち話もなんだし、上がって!もうケーキほとんど僕らで食べちゃったけど」

苦笑いしながら火継が俺のいる食卓を手で指す。結は優しげな笑みを浮かべながら小さく頭を下げ、可愛らしいパンプスを脱いで玄関に揃えて並べた。

俺の隣に結が座り、その正面に火継が座った。意図せず、三角形を描くように座ったその中で、俺はチーズケーキが姿を消した箱を閉じた。

「すまんな、八割は俺が頂いた」

「咲凪くんの誕生日なんだからそれでいいんだよ、よかったね!」

ニコニコと微笑む結と、その結に見とれている火継。それに挟まれた俺はどうしたらいいんだ。

結がいる時は高確率で金成が俺の隣にいた。だから、三人という状況は珍しくもあった。

「そういえば、マリアちゃんは今日はいないの?咲凪くんのお誕生日だからてっきり来てると思ってたんだけど…」

「あー…」

結の質問に俺は苦笑いする。さっき怒らせたばっかりとか、あんまり言いたくねえなあ。

「金成さんは一足先に咲凪のお祝いをしてくれてたみたいなんだ」

幸いなことに火継が助け舟を出してくれた。

「そうなの?あっ、でも確かに夜遅くに女の子一人じゃ危ないもんね。マリアちゃん、おうち遠いんだっけ?」

「いや~…近くはないから、外での祝いだけで済ましたっていうか?」

苦し紛れな言い訳をする。終電がなくなるまで遊んだ日とかは、帰れなくなってそのまま泊まってしまう程度には離れている。そんな距離なら、そんなことがあってもおかしくはないだろう。

「金成いなくても、結が来てくれたしさ!マジ、俺も結みたいな美人の彼女欲しいわ~」

「マリアちゃんだって美人だと思うけどなあ。でも咲凪くんが喜んでくれてよかった」

小首をかしげながら微笑む結は絵になるほど可愛い。可愛い以外の表現方法が分からない。

その様子を火継が微笑みながら黙って眺めている。

火継はいつも穏やかだ。こんな美人の彼氏でいるのは結構プレッシャーになりそうなものだが、いつも涼しい顔して余裕しゃくしゃくだ。我が兄ながら、肝が据わってるなあと思う。

「私も何かプレゼント持ってきてあげれば良かったかな?気が利かなくてごめんね?」

「十分だよ、結まで気を遣わないで」

結に火継はそう言うと、中身が無くなったケーキの箱を畳んで潰す。ぐしゃぐしゃに丸められた箱から、ケーキの残り香が香った。

しばらく三人で談笑をし、その流れで金成から貰ったプレゼントをお披露目することになった。

パーカーとサルエルパンツ、奇跡的に火継から貰ったブーツも合わせたら最高の一張羅が完成した。

「いいね!良く似合ってるよ、咲凪!」

「本当だ!手足が長いから、サルエルパンツも全然違和感ないね!マリアちゃんから素敵なもの貰えて良かったね!」

火継が一式着替えた俺に拍手を送る。結も小さくぱちぱちと拍手をしながら語彙力高めに褒めちぎってくれた。

部屋の隅に置かれた、生前の母親が遺した古い姿見に写る自分と目が合う。明るい黄色に近い茶髪の短髪、日に焼けた肌と紫色の三白眼。火継と似ても似つかないそのガタイの良い男はギザギザの歯を見せて笑っていた。

その笑顔が次第に鏡の中から消えていく。金成に買って貰った服を、俺はまだ金成には試着でしか見せられていない。こうして笑っている隣で、アイツが「馬子にも衣装だ」と言ってくれたんじゃないかとか思うと、急に寂しい気持ちが込み上げてきた。

「俺、ちょっと出かけてくる」

「え、今から?」

思い立った時がなんちゃらって有難いお言葉があるって前に金成が言ってた。なら、今から行動するしかなかろう。

火継は驚いたように俺を見ていたが、その視線を無視して玄関へと向かう。

「おい、待てよ!もう8時になるんだよ!そんな夜遅くは危ないし、先方にもご迷惑が…」

そこまで口にした火継に結が優しく言葉を被せてくる。

「咲凪くんは喧嘩も強いし、マリアちゃんなら大丈夫じゃない?咲凪くんだってやっぱり仲良しの子とやっぱり誕生日したいんだよ」

靴を履きながら振り返ると、心配そうに俺を見ている火継の肩を軽く捕まえたままの結が微笑んでいた。

「気を付けてね」

「おう…」

俺はなぜ火継じゃなくて、結に見送られているんだろう。モテモテの良い女ってみんなこんな感じなのかな。金成以外に性別が女性の友達がいたことがないし、金成はほぼ男だから良く分からん。

火継は結の顔をチラと見てから、困ったように目を閉じてため息を吐いた。

「…金成さんにご迷惑だけはかけるなよ」

「あいよー」

火継に手を振り、新しい一張羅で俺は外へと出ていく。外へ出ると空の真上には月が昇っていて、ジリジリと虫たちが鳴く声が聞こえていた。
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