天底ノ箱庭 春告鳥

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6章 藍色の空を見つけた狼の隣に彼はいませんでした

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「珠女くん?1年くらい前に病気で入院するって大学やめた子かな…俺、あんま関わりないから詳しくは分からないや」
クリフの通ってたという大学の場所までなんとか行けるようになって、度々聞き込みに来るがそれらしい情報は見つからない。
クリフと離れてから3ヶ月、情けないがまるでクリフがいた証拠を見つけられずにいた。

地上に降り立った時の俺の持ち物は、外泊に使う程度の日用品と着替えと3億払って手に入れた許可証と腕時計を引き換えに貰った財布だ。中には銀行なるもので使えるキャッシュカードとクレジットカードだけだった。
銀行の口座には俺名義のものが用意されていて、3億差し引いた俺の残高1億円が入っていると暗証番号を伝えられたが、なんせ金の下ろし方が分からない。無一文じゃ乗り物にも乗れないし、宿も取れない。クレジットカードは使い方がよく分からなかった。
地上はそらもう完全に別世界で、ほとんどライトノベルの世界だった。異世界転生ってやつ?それくらい違う。
空には写真で見た太陽っぽいもんがあって、草木は生い茂って、誰も道端で強姦されたりしないし乱闘騒ぎもない。こんな平和でいいのかってくらい穏やかで、首輪付けてる人間なんかほとんどいない。たまに見かける首輪はアクセサリーだってクリフは言ってた。
銀行が見つからなくて、コンビニで「銀行」って文字見つけて入ったら全然銀行なんてないし、銀行は銀行でカードと違う名前の銀行にカード入れたら「お取り扱いできません」とか言いやがる。
途方に暮れて公園で野宿決め込んだら浮浪者に声かけられて、カツアゲかと身構えたら賞味期限間近だったけど弁当ご馳走になって地上人優しいなって思った。金がおろせないって話したら、コンビニのATMの使い方を教えてもらった。銀行とはちょっと違うし、使えるカードもコンビニによって違うらしい。ザックリとクリフにやり方聞いてたはずなのに、分からないもんだ。
浮浪者のおっさんにはコンビニの酒奢って恩返しした。拳で語り合わなくて良かった。
1ヶ月目にクリフの飼育費を蓮岡に振り込もうと思ったら、振込先が書かれた紙をなくして最高に焦った。メールでも教わったと思って調べようとしたら腕時計がなくて絶望した。
地下と地上は電波が種類が違うから、基本的に同じエリアにいないと通話はできない。メールサーバーに1度送り、そこから電波を変えることでようやく連絡がとれる。だからメールが使えないのは致命的だった。
藁にもすがる思いで傍を歩いていた通行人のばばあに「出先でメール見られる方法ありませんか」と泣きついたらスマホを買うといいと教えてくれた。あの腰の折れ曲がったばばあは女神に違いない。
地上じゃ腕時計の代わりにスマートホンが必須アイテムらしく、クリフから聞いてはいた。すっかり忘れてたし、買う場所もわからなくて女神ことばばあに聞いたら、ばばあ暇してたらしくてわざわざ一緒に来てくれた。店員に俺のこと「お孫さんですか?」とか言われて、ばばあは「そうです」なんて誤魔化してくれた。あったかくね?
スマホ買うのに契約が必要らしくて、クリフはその辺あまり詳しく知らなかったみたいだから、ばばあと店員が優しく教えてくれたのは有難かった。
購入して1週間くらいでなんとかメールを確認して飼育費を振込み、蓮岡からは「死んだと思いました」と言われた。クリフに謝っておいて欲しいと伝えたが、伝わっただろうか。

それから地上にちょっとずつ慣れながら3ヶ月経って今に至る。毎月、振込みの報告がてらクリフの様子を聞いたが、クリフは特に変わった様子はないとの返事だけだった。一言だけでも話せたらいいのにと思った。
彼女を人質とられて「声だけでも聞かせてください!」って犯人に金を渡しながら泣きつく恋人の気持ちがなんとなく分かる。
地上で調べていて分かったが、クリフはあんなに可愛いくて優しいのに友達らしい友達が全然いないらしかった。恋人なんて影も形もなかったようだ。
だからこそ、写真を持っている人がいないのだ。大学は飲み会する文化があると聞いて再び舞い戻ったものの、飲み会の写真すらクリフの姿はない。忍者かよ。
「やっぱりクリフのおとんを探さなきゃだめかなあ…」
俺はクリフの大学キャンパスにあるベンチに腰掛けて、背もたれによりかかり反り返るようにしてダラりと座った。
クリフのおとんは驚くほど足取りがつかめなかった。友人や恋人がいたことのないクリフを調べるには肉親が唯一の頼りなのに、それも叶わないなんてお手上げだ。
ふと、ポケットに入ったスマホの振動で俺は身体を起こす。画面から慣れないメッセージアプリを開く。スマホは腕時計より持ち歩きがだるくて機能が色々足りないが、メールとかのやりとりは腕時計より楽だ。
メッセージの送り主はあのばばあだ。ばばあとはあれからちょくちょく連絡をとっている。
地下の老人はこぞって長生きしないが、地上の老人は長生きで暇しているらしく、スマホの礼がしたいと言ったら「たまに遊んでほしい」とのことだったから、連絡先を交換した。
ばばあは俺とお茶がしたいと言う。クリフ奪還にあまり時間をかけたくないが、万策尽きた俺はその誘いを受けることにした。女神の要望だ、しゃーなし。
暇するばばあはよく地上のことを教えてくれた。クリフから粗方知識を学んではいたが、目の前にするとよく頭が真っ白になる。ばばあみたいな現地のコーチは有難かった。
ばばあご指定の喫茶店に入ると、ばばあはすでに席に座っていて俺を見つけると小さく手招きをして微笑んだ。
「幸樹くん、お久しぶり」
「こんち!ばあさん元気してた?」
俺は座席に座るとコーヒーを注文する。
俺は自他ともに認めるコーヒーの違いが分からない男だが、最近はクリフが恋しくてよくコーヒーを飲む。
グアテマラの豆もうなくなっちゃったんじゃないかな…蓮岡に買ってやってもらいたい。
「…ずっと聞きたいことがあったのよね」
ばばあは店員に紅茶を注文すると目を伏せて静かに話し出す。
「あなた、もしかして地下から来たんじゃないかしら?」
話始めからあまりに図星すぎて俺は言葉を失う。この場合、誤魔化すべきなんだろうか。白状しても捕縛されたりしない?大丈夫?
あわあわと目線を泳がせる俺に、ばばあは少し目を細めて笑った。
「ふふ、だってあなた、20歳って言うわりに何も知らなすぎるもの。まるで別世界から来たばかりの人だわ」
不意に店員が注文したメニューを運んでくる。コーヒーと紅茶がテーブルに置かれ、ばばあはふしくれだった小さな手でその紅茶を手に取った。
「私ね、昔に地下に売られたことがあるの。犬としてね。もう60年以上も昔の話になるのだけれど。だから地下にはそれなりに詳しいわ」
俺は思わず目を開く。ばばあはまるで俺のことを見透かしているように、面白そうにこちらを見て「違うかしら?」と首をかしげる。
蓮岡の言っていた唯一地上に戻れた少女の話は何年前の話だか知らないが、ばばあの言うことが本当なら、このばばあが少女だった頃の話になるのか。
「ち、違くない…地下から来た…」
ボソボソと答える俺に、彼女は静かに頷いた。
「どうして地上に来たのかしら?幸樹くんはまるで地上のことを知らないわ。地上に憧れて大金をコツコツ稼いで来たなら、初めての地上にしたってもう少し知ってそうなものよ」
「それは…」
俺は言葉に詰まる。確かに念願の地上ならみんな何年も何年もかけて金を貯めながら勉強をするんだろう。だけど、俺は地上になんてまるで興味がなかったし、一夜漬けに近い付け焼き刃の知識しか知らない。恐らく地上の人間と言うにはあまりに不自然だったんだろう。
ばばあは紅茶をすする。
「誰かを犬として連れていこうとするには、あまりに手際が悪いし、悪目立ちしすぎだわ。悪意があるようには見えないの。そう思うと、なんだかあなたが頑張る姿を純粋に応援したくなってしまって…老婆心ね」
彼女は小さく笑う。本当に心配しているだけなように感じた。
コイツなら…話しても大丈夫かもしれない。
「…地下に売られた大事な人を買い戻したいんだ」
呟くような俺の言葉に、彼女は顔をあげて首を傾げた。
「地下の人がわざわざ地上から来た犬を、地上に買い戻しに来たの?」
「そうだ」
「あらまあ…」
ふふ、と声を漏らして笑うとばばあは垂れ下がった瞳でこちらを見る。
「素敵ね。まるで映画みたい」
「でも…3ヶ月も探してまるで見つからないんだ、アイツの生きてた証拠」
俺は手元に視線を移し、拳を作る。
歯がゆかった。1ヶ月もあればクリフを買い戻せるなんて短絡的に考えていた。なのに実際はその3倍かけたって何一つ見つからない。こんな調子じゃ何年かかったっておかしくない。正直、焦り始めていた。
「だって、政府が隠しているもの。犬として地下に行った人間たちの痕跡を全て」
顔を上げる。なんだって、どういうことだ。
ばばあは紅茶に目を落としたまま続ける。
「どんなに証言があっても、物的証拠がなければ国はかけあってくれないわ。妄言として処理される。でも、今どきデータなんか簡単にハック出来てしまうから、その子のデータは根こそぎ国が消しているのよ」
「なんでそんなこと…!」
「だって、地上の政府は地下のSさんに限りない負い目があって、弱みも握られているんだもの」
ばばあの言葉に俺は立ち上がりかけた腰をおろす。
政府がクリフを消そうとしている?父親だけが敵だったんじゃないのか?込み上げる絶望感に顔から血の気が引くのが分かった。
でも、このばばあはその状況で帰ってこれたんだよな。目の前で呑気に紅茶をすする彼女の姿は希望のように見えた。
「…私はね、恋人に騙されて売られたのよ。借金を返すために長期で住み込みで働きに出てほしいと。そのお迎えなのだと犬売を紹介されたわ」
「いくらで売れたのかしらね」と彼女は少し悲しそうな顔をした。
「処理用だったからそれは酷い生活で、何度も死を考えたわ。でも、家族が私を必死で探してくれてね。両親が大事にとっておいてくれた写真とネガが決め手に買い戻しが決まったわ」
やっぱり写真か…俺は眉間にしわを寄せる。
アナログなんか太古のものだ。今どき物好きでもなければアナログで写真を撮るやつなんかいない。
「ネガがないなら合成でないことを証明しないといけないわ。それなら写真を複数見つける必要がある。私は幸運だったのよ」
「…やっぱり家族って、証明できるものをいっぱい持ってるものか?」
俺が尋ねると、彼女は優しく微笑んで頷いた。
「家族は素敵よ。きっと政府の手からも守り抜いてくれてるはずよ」
クリフの父親は自らクリフを売ったという。それなら、そんな奴がクリフがいた証拠をわざわざ政府から隠して大事にとっておいてるとは考えにくい。
でも…徹底的に問い詰めて、ガサ入れしたら少しくらい出てくるんじゃないか?
「…ありがとう!」
俺がばばあに言うと、ばばあは嬉しそうに顔をくしゃくしゃにして笑った。

ばばあと別れてからクリフの父親について改めてネットカフェで情報を洗ったが、そもそも調べ尽くして万策尽きていたのだから同じような情報しか出てこない。
「…そういやクリフの家って今は空き家なんだっけ」
蓮岡から地下に来る前にクリフの家は既に空き家で人がいないとは聞いていた。聞いていたので今更家に行ったところで何もないだろうとのことで、まるで手付かずだった。
地上じゃどうか知らないが、地下では家具付で売られているのが普通だ。もしかして、空き家は空き家でも家具が残っていれば手がかりが何かあるかもしれない。
蓮岡から聞いておいたクリフの家の住所を入力して検索をかけると、クリフの家が売りに出されているのがすぐにわかった。お値段3800万弱。
「うーん、残高9982万に3800万…かなりなくなるな…」
でもビジネスホテル暮らしも長くて、そろそろ賃貸借りるべきか悩んでいたし、いっそ買う…?寝るとこ困らないし、クリフ帰ってきたら一緒に暮らせるくね?
広いベッドで寝たいしなあ。この写真見る限りじゃめっちゃ中広そうだし、損はないんじゃないか?
「ゼンハイソゲって言うしな!電話しよ!」
俺はスマホで物件を取り扱っている不動産屋に電話をし、コンタクトを取る。買いますって言ったら「内見は大丈夫ですか?」とか「お間違いないですか?」とめちゃくちゃ心配されたので「なんでもいいから現金一括払いで」と言ったらもう何も言われなくなった。明日から入居可能だそうだ。
ビジネスホテルに帰りながらばばあにお礼のメッセージを送った。ばばあは「またいつでも相談してね」と可愛らしい猫のスタンプを送ってくれた。
ホテルに戻ってベッドに転がる。今日はようやく1歩進めた感じがするが、果たしてその1歩は正しいのかも怪しいし、踏み出すのに3ヶ月もかかったなんて頭を抱えるレベルだ。
「…クリフ、元気にしてるかな」
クリフに長文のメールを送った。クリフが人間の時のメールサーバーだから、もう腕時計が見られない彼は自力で見ることもないだろう。蓮岡がログインしてくれたら見れるかもしれないが、まあそんな気の回るやつでもないし、他人に見られるのは恥ずかしい。
スマホを買った日から日記のように寝際にメールを書いて送る。迎えに行くのが遅くなってごめんとか、めちゃくちゃ好きだから蓮岡に浮気しないで欲しいとか、地上についたらやりたいこととか、他愛ないことを沢山書いてる。
会いたくて毎日クリフの夢を見る。俺が犬になってからの半年は本当に幸せだった。側にいて触れられるって奇跡みたいなことだったんだって毎日思い知らされる。
クリフを抱きしめてないと身体を丸めて寝てしまう癖が抜けなくて、クリフと寝られなくなってからまた背中や膝が起き抜けに痛むようになってきた。ホテルのベッドに小さく丸まって毛布にくるまり、指をかじっているとクリフに会うより前に戻ったみたいだ。
俺は布団の中で目を閉じる。クリフ、もう俺のことどうでもいいとか思ってないかな。蓮岡といい雰囲気になったから地上に買い戻されたくないとか言われないかな。お迎え遅くて幻滅したとかないかな。
クリフが地上に来たら、恋人になってくれって言うつもりだった。クリフが地上に来た時の頑張った自分へのご褒美に告白を先延ばしした。それがこんなにかかるなんて、ちょっとガッカリだ。
クリフがいない夜は寒い。昔は毎日こうだったのにな。

不動産屋から買い取ったクリフの家は外装写真だけ見た想像より豪邸だった。豪邸だったが。
「家具が…ない…だと…」
俺はがらんどうのリビングを見て膝から崩れ落ちる。面積がいくらあったって家具がなけりゃ暮らせねえし、こんなんじゃ手がかりの見つけようないんじゃねえのか…。
ひとまずがらんどうの家の中を軽く見て回った。一階は広いダイニングにアイランドキッチン、サンルームからは中庭が見える。ダイニングの他にはゆったりとした広い浴室。この床ダイリセキってやつ、高いんだろ知ってる。
二階に上がると廊下の吹き抜けから一階のダイニングが見える。今気づいたけど天井になんかプロペラがついてる、バーじゃなくて家にあるんだな。
二階には個室が二つと暗い赤のカーペットの部屋は壁に備え付けの棚があった。
家具が何も無いので正直調べようがないが、赤いカーペットがある部屋がまだ1番寝やすそうだなと思った。
「今日はここで寝るのかー…身体バキバキになりそう」
数少ない荷物を持ってカーペットの部屋をうろつく。ベッドは早く買わないとダメだ。俺は1番寝心地の良さそうな場所を探して床を四つん這いで移動しながらカーペットを触る。いや、まあ、どこも硬いんすけどね。知ってた。
「…ん?」
ふと、カーペットにめくられたような跡があることに気付く。俺は部屋の端からカーペットの端を持ち上げると、力任せに引っ剥がす。
埃っぽい木の床材の隙間にに紙きれのようなものがはみ出ているを見つけ、俺はそれを手に取って引っ張り出す。そこにはロッジのような建物を背景に若い男女と女性の腕には赤ん坊が抱っこされている。赤ん坊の瞳はどこかで見たような透き通ったブルーグレイだ。
「えっ!これもしかして…写真?」
俺の憶測からすると、この小さい赤ん坊はクリフ?えー小さい可愛いー!何これ、生まれた時から天使確定では??
そんなことを思いながらも、証拠探しに思考を
戻す。古い写真とはいえ現像されたものでネガがあるわけでもなく、面影はあれどこんなに小さな赤ん坊を本人だと主張するには証拠としては弱すぎる。
何かほかに手掛かりになりそうな情報がないか、写真を舐めまわすように見つめる。
折れ曲がった写真のしわを丁寧に伸ばし、裏返すと消えかけだが文字が書いてあったようだ。
「……日…毎年…のロッジで…?読めな」
ボリボリと頭を掻く。辛うじて読める部分だけではロッジくらいしか分からない。ロッジは見りゃあわかんだよ。
「くそー…明日から全国ロッジ巡りかあ?何年かかんだよ…」
荒んだ心を癒すべく俺は再び写真に映る小さい頃のクリフに目を落とす。あー浄化作用ある…かわよ…。
「…あ?」
ちっちゃいクリフに夢中で見落としていたけど、よく見ると背景のロッジに掲げられた看板が映っている。
ピントが合っていないのでぼやけて読みづらいが『コダマ』という文字だけなんとか読み取れた。
これもしかして大ヒントでは?俺はすぐにスマホの検索欄に「ロッジ コダマ」を入力する。
すると手元の写真と同一と思われる建物の画像と、施設案内やアクセスといったリンクの一覧が並んだサイトにたどり着いた。
俺は迷わずアクセスをタップする。施設案内はまだ今はいらない。
最寄り駅やバス停の名前を出されてもいまいちわからないが、マップを開くと現在地からそれほど大きく離れてはいないようだ。
時計を見る。まだ昼の1時。今から行っても余裕だろ。俺は荷物を置いたまま立ち上がる。
一応買ったので家には鍵をかけとく。盗むもんねえけど。
スマホのナビゲーションを見ながら徒歩で向かう。30分ほど歩くらしい。バスもあるらしいが、間違えて逆に乗ったりしたらたまらないので歩いた方が確実だ。
目的地に近づくと丁寧にところどころ看板があったのでそれに従ってすすむ。木のトンネルのような坂道を潜り抜けると森の中を切り開いたみたいな広い草原に出る。
草原にはテントや写真で見たロッジが点在しており、一番近くの建物には手書きで『受付』と書かれた木の看板が立てかけられている。
誰かの建物に入る時はちゃんと断らないと怒られるとクリフが言ってたので、とりあえず俺は受付と書かれた建物に入る。
建物の中には火はついていないが暖炉とそれを囲むようにソファが並べられ反対側にはカウンターがあった。
「こんにちは、こちらどうぞ」
カウンターの中にいた若い女性が俺に気づいて声をかける。俺は何も分からないまま首を斜めに振って近寄る。まあ、中見せてもらえるならなんでもいいや。
「ご予約のお客様でしょうか?お名前伺ってもよろしいですか?」
予約ってここ何の施設か知らんけど、予約必要だったかな?俺は半笑いで首を横に振る。
「あ、いや…ちょっと見学っていうか…珠女さん知らない?」
もうどうしたらいいか分からずにダイレクトに質問する。
「珠女様に何かご用事でしょうか?ロッジのほうにご宿泊なさってますが…」
若い女性は手元のパソコンをカチカチといじりながら答えた。
えっ!?こんな傍にいる?人違いじゃないよね?珠女じゃなくて玉目さんとかそういうコアなミスは嫌だけど、もうこの際怪しい所を調べられるならなんでもいい。
「あ、ロッジの番号分からなくて…どこにいんの?」
「えーっと…失礼ですが珠女様とはどういったご関係で…?」
若い女性はなにやら怪しむような視線で俺を見上げる。
あれ、関係分からないと入れて貰えないやつだ?やべえな、会ったこともねえよ。
「…珠女クリフの…息子さんの親友?的な?良かったら本人に確認取ってもらっていいよ」
これで拒否られたら他人か、よほど後ろめたくて逃げ回ってるかだ。その場合は俺が勝手にロッジの位置を調べて後ほどコンタクト取ってやる。
もし、会ってくれるなら…まあ、話くらいは聞いてやる。証拠が手に入るならなんでもいい。
受付の女性はいぶかしげな表情のまま手元の電話を手に取り電話をかけ始めた。
「フロントです。…はい、突然すみません。…ええっと息子さんの親友の…はい珠女クリフさんの……え?…わかりました」
受話器を置くと女性はカウンターの隅に重ねられていたパンフレットを広げこの施設全体の地図を俺に見せ指を指す。
「3番ロッジに行ってみてください。是非お会いしたいと…」
パンフレットに指で示された位置を確認し、俺はニヤリと笑う。
やる気まんまんじゃねえか。なんなら拳で語り合ってもいいぜ。
「ありがと!またな!」
女性に軽く手を上げて会釈すると、俺は受付を出て先ほど教えてもらった建物に向かう。3番と言うだけあってさほど遠くはなかった。
建物の扉に立つと、ノックをする。
「はい」
中から聞こえてきたのは女性の声だった。俺はボキボキと鳴らして喧嘩に備えていた拳を開く。
あれ?クリフ売り払った父親じゃねえの…?
扉が開かれると、品のよさそうな初老の女性が驚いたような顔でこちらを見つめる。
「あなたが…クリフの?」
「あっ…えー…」
用意していた心構えがまるで逆方向だったと気付いて俺は白くなった頭を必死に動かす。
「そうです。クリフの友達です」
「…そうなのね…とりあえず立ち話もなんですし、中にどうぞ」
女性に招かれて俺はロッジの中へと足を踏み入れる。さほど広くはないが木の匂いが漂う居心地のよさそうな空間に置かれた四人掛けのテーブルに案内される。
「お邪魔します…」
俺はボソボソと呟きながら席につく。
え、誰この人?クリフのお母さんなの?クリフからお母さんの話、1回も聞いたことないから勝手に死んでるんだと思ってた。
「飲み物、コーヒーでもいいかしら?」
「あっはい!」
コーヒーの違いは分かんねえけど、嫌いではないので俺は頷く。珠女家はコーヒー推しなのかな。
「…えっと、それで。私に何か御用だったのかな?」
俺の前にコーヒーの入ったカップを置きながら女性が尋ねてくる。
「あっ、えーっと…」
女性の穏やかな様子にすっかり毒気を抜かれて本題を忘れかけていたが、俺はクリフの証拠を求めてここに来たんだ。
今更隠すこともない。ちゃんと聞こう。
「…クリフが地下で犬…奴隷やってるの知ってますよね?」
俺の言葉に女性がカップに添えていた指がぴくりと反応をしめした。彼女の顔に目を向けると、顔を青くして見開いた目でこちらを見ている。
「クリフが奴隷に?…地下ってどういうことなの、あの子は今どこにいるの!?」
穏やかな雰囲気が一変し取り乱した彼女は俺に言葉を浴びせながら涙ぐんでいるようだった。
知らないのか…?だから、こんなに穏やかに暮らしてたんだろうか。
「信じてもらえないかもしれないんですけど、俺は地下から来ました。地下でクリフを奴隷として買って、1年近く同じ家で暮らしていました」
「地下に人が暮らしているの…?」
彼女はまるで信じられないといった顔で俺を見つめる。そりゃあそうだよね、地上の人って基本的に地下都市があるなんてしらないもんな。
俺は彼女に頷いて見せた。
「でも、地上に帰りたいってクリフが言うから、地上に帰すためにここまで来ました」
取り乱す彼女に諭すように話す。まさか犯して回しましたなんて言えるわけがないが、嘘は吐いてない。
「…私は体が弱くて、クリフが小さい頃からずっと別のシェルターで暮らしていたの。遠かったし、昔は容体があまり安定しなくてなかなか会うこともなかったの」
彼女は伏し目がちに静かな声で話し始める。
「一年位前から夫と連絡が取れなくなって、心配になって退院後すぐに家を尋ねたんだけど家は売られているし何処を調べても何の痕跡も見つからないし…警察に掛け合ってもそんな人はいなかったって存在事消えてしまったみたいに取り合ってもらえなかったの」
「父親も…?」
なんか変だ。蓮岡やクリフ、俺がクリフを購入した履歴と相違がある。
クリフはともかく、父親までいなかったって言われるのはおかしい。
「クリフは父親から売られたって聞きました。なのに父親も存在が消えてるんですか?」
「あの人がクリフを売るなんて…そんなことする人じゃないわ…」
クリフの母親は涙を流しながら首を横に振る。信じたくないというより、何か強い確信を持ったような様子だった。
それなら、父親も地下に…?1年前に何があったのか、これではますます分からない。
「…わかりました。とりあえず、クリフだけでも地上に戻すにはクリフが地上に存在してた証拠がいるんです。写真とか…可能ならネガで、合成じゃないって証明を。あと戸籍トーホンとかでも…」
俺がない頭をぐちゃぐちゃ絞っても、多分もう父親の情報はつかめないだろう。だってすでに3ヶ月も探したんだ。
クリフに…蓮岡を通して本人に聞くしかない。
涙をぬぐいながら彼女は首に下げていたペンダントを俺に差し出す。
「アルバムや母子手帳は家に置いていたから今はどこにあるのかわからないの。いま私が持ってるクリフに繋がる手掛かりはこれだけで…」
つややかな宝石のはめ込まれたペンダントを受け取ると蓋がついており、開くと中には幼いクリフの写真…二つ目の写真は手に入ったがどちらも合成を疑われてしまえば本物だと証明する方法はない。
「これだけだと…難しいかも…」
素直な感想が口をつく。ないよりマシだが、所詮は「マシ」だ。
「その内蓋の中身は…役に立たないかしら…?」
言われてペンダントに目を向けよく調べてみる。ペンダントを傾けたり回したりすると中からカラカラと軽い音が鳴り、中に何か入っているようだ。
内側の蓋に爪をひっかけて開いてみると中から小さな粒がぽろりとこぼれて床に落ちる。
慌ててそれを拾い上げると、それは小さな歯だ。
「これ…もしかしてクリフの…?」
「私が入院する前に初めて抜けた歯で…記念に取っておこうかなってそこに…」
母親は昔を懐かしむように、少し落ち着いた様子で話す。
「役に…たちそうかしら?」
DNA鑑定に通せば地上ではありもしないはずの人間のDNAが検出されることになるはずだ。
ばばあが言ってた。
「誘拐事件としてそれらの証拠ごと警察に問い合わせれば、鑑識に回る前に政府から声がかかる」と。その状況を想定すれば、歯は十分すぎるだろう。
「…大丈夫だと思います!」
俺はクリフの母親に笑って親指を立てる。
彼女はそれを見ると安堵した表情で涙ぐんで答える。
「ありがとう…」
俺は彼女から歯とペンダントを預かりロッジを後にした。
俺はその夜、元クリフの家である今の自宅に帰って蓮岡にメールを送った。恐らくクリフはもういつでも買い戻せること。しかし、クリフの父親がまだ地下にいるかもしれない。クリフの購入履歴はデタラメで、父親がクリフを売ったわけではないかもしれない、と。
それなら、地下に父親を置いたまま帰って大丈夫かとクリフに聞いて欲しいと頑張ってまとめた。
「…まだ会えるの先かなあ」
クリフの答えはうっすら分かっていて、俺はスマホをカーペットに投げたまま大の字で寝た。
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