35 / 45
5章 狼は彼と空に行きたくなりました
8
しおりを挟む
…え?何?
俺は玄関に取り残されて呆然と立ち尽くす。
蓮岡は昔から何かと黙秘を乱用する考えの読めない奴であるとは知っているが、なんで黙秘しながら服装整えるの?なんで襟元開いてたの?アイツ絶対1番上までボタン閉めるじゃん。
クリフもなんか謝るし。謝る理由は話してくれないし。2人で家で何してたの?「今日は早かったのか」って俺がいない時を見計らってたじゃん。なんかガッカリしてるっぽくない?
ふと俺は思い出す。俺がクリフを逆恨みして凌辱しまくってた時に、クリフの穴を拡張する会に蓮岡を呼んだはずだ。
蓮岡はその日は何もせずに帰ったのに、突然家まで訪ねてきて「人がいると萎えるので個人的に抱きたい。不能じゃない」と言ったので、もうあまり貸したくなかったが拡張するのを手伝って貰ったので渋々クリフの部屋の鍵を貸したんだ。
リビングで依頼人と話している間、ずっとクリフの部屋からギシギシ音がしててめっちゃ気が散ったから覚えてる。めっちゃヤッてるじゃんってなんかイラついたもん。俺が悪いから怒れるわけなんかないんだけどさあ。
俺はようやく動き出した思考に行き場のない怒りを覚える。自業自得すぎて笑えないし怒れない。玄関から屋敷に入り、扉を閉めた。
そもそもクリフってめちゃくちゃ抵抗するから、無理やり抱くならベッドに行くまで時間かかるんだ。なのに、部屋からクリフの嫌がる声もしないし、蓮岡が部屋入ってすぐギシギシ音してて、クリフ抵抗すぐ諦めたのかなってちょっと思ってた。思ってたけど!
もしかしてアイツら同意でヤってんじゃねえの!?両想いなの!?それ、俺すっげー惨めじゃん!
俺は階段を上がって寝室に向かう。ベッドを確認する。いつもクリフが整えてくれているはずのベッドが整っておらず、シーツが意味深に乱れている。
ゴミ箱を漁ると中にはティッシュしかないが…ゴミ箱なんかイカ臭くない?気のせい?ゴムらしき物はない。
…もしかして中出ししたのかアイツ!?クリフの中に!?ふざけんな!
いや、でもクリフが逆に俺を好きでなくて蓮岡が1番好きなら、むしろ俺が中出ししててごめんなさいになるのか…?えっ、すっげー惨め。何それ。
着替えろと言われたので一応ジャージに着替えるが、もう気持ちはそれどころじゃない。
クリフなんか嫌いだって自分に言い聞かせるために回したり、他人に中出しさせてたのは俺だ。100%俺が悪い。なのに、今この状態でクリフが他のヤツと寝てると思うとこの世の終わりみたいな絶望感。
あー!蓮岡に貸すんじゃなかった!やっぱり俺の気持ちなんか実るわけないのかよ!最近ちょっといい感じだったじゃん!
蓮岡とクリフって身体の相性最高だったのかな…1回のセックスで落ちるって相当だよな…。2人とも体格あまり差がないし、ちょうどいいサイズ感とかあんのかな。やっぱり俺とするの痛かったり…はーあ!俺だって好きでこの身体やってんじゃねーよ!
「幸樹ー、風呂の用意できたぞ」
クリフの言葉に俺はゴミ箱から顔を上げる。風呂場から呼んでいるのか、彼の声が反響していた。
どんな顔をしてこれからここで過ごせばいいんだ…いっそ蓮岡との関係を認めてあげるのが罪滅ぼし?うわー死んだ方がマシかもしれない。
とぼとぼと返事も返さずに部屋を出て階段を降りると、聞こえていないと思ったのかクリフが脱衣場から顔を出した。
「…どうした、具合でも悪いのか?」
ちょっと心配そうにうなだれた俺の顔をのぞき込む。俺は目線だけで彼の顔を見ると、何だか辛くなって目を伏せる。
「…クリフ、蓮岡のこと好き?」
「…………は?」
少しの沈黙の後、心底「何言ってんだ?」って声色でクリフは答える。
「だって…俺がいない時を狙って会ってたんでしょ…?」
なんで詳しく俺が話さなきゃなんねーんだよ!もう泣きそう!話したくない!でもクリフに伝わってないみたいだから話すしかないじゃん。
「ベッド使った後残ってるし…俺が前に蓮岡にクリフ貸したのがいけないって分かってるけど…けどさあ…」
俺の涙腺が耐えきれなくて話してるうちに鼻水が出てくる。
「いや…ベッド…?貸した?すまない、言ってる意味がわからないんだが」
クリフはとぼけているというよりは本当に話が見えていないといった様子で困惑しながらも、脇にあったティッシュをつかんで俺の鼻にあてる。
プライドもへったくれもないので、そんなことされたら泣いてしまう。なんだよ!俺のこと好きじゃないくせに優しくすんなよ!好き!
「だって…だってクリフ、蓮岡が好きだから俺がいない時に会って寝てるんだろ!だったら俺なんかにそんな…抱きしめたりとかすんなよ!好きでいていいのかなって勘違いするじゃん!」
完全に涙腺が死んだのか涙がボロボロ止まらない。
クリフが驚いたような困ったような顔で俺を見てる。
「幸樹…俺は…」
あー!聞きたくない!聞きたくないけど、ハッキリさせてくれないと自殺しても成仏できない!
「俺は蓮岡と寝たことはない…彼は不能だって言ってたが…」
「嘘だ!アイツ、本当は不能じゃないからクリフとセックスしたいって家に来たもん!」
やけくそに声を張り上げると、クリフは少し考えてから何かを思い出したような顔をする。
「彼が俺の部屋に来たときか…あの時は話をしただけで…というか今日も話をしただけでやましいことは何もしてない」
「そんなことない!ギシギシ音してたもん!今日だって寝室のゴミ箱臭ってるし、ベッド散らかったまんまだった!」
「それは今日お前が寝坊して飛び出したままになっていたからだろ。ゴミ箱も昨日の夜、臭う前に縛って捨てろって言ったのにまた忘れたな!?」
クリフはちょっと怒ったように俺を見上げて腕を組む。
そう言われてみたら、ゴミ出し忘れたな…寝坊したからか…。昨日もクリフとイチャつくの楽しすぎてゴミ袋縛った記憶すら…。
…あれ?
「えっ、でも前に上でベッドがギシギシしてた音は何…?絶対ベッド揺れてた音だもん…」
俺は小さい声で再度尋ねる。
「…実際にベッドは揺らしていたが。蓮岡が…セックスするという体で来てるからってわざわざベッドの上で体を跳ねさせながら話していた。ちょっと変なところあるよな…?あいつ…」
俺はぽかんとクリフを見つめる。クリフは少しむっとした顔のまま俺を見上げて返答を待っているようだった。
じゃあ何…?俺の勘違い…?あのゴミ箱臭かった原因って俺が頑張っちゃったやつが入ってただけ?
アホじゃね?
「…ほんとに?蓮岡にエロいことさせてない?中出しされてない?」
「中どころかシャツすら脱いでないぞ、嘘じゃない」
俺はクリフの周囲をゆっくり回って彼の身体を観察する。確かに彼の服に乱れたような後はない。襟に指を入れて少し中を覗いても、キスマークのようなものもない。
「そんなとこまで覗くな」
じっくりと覗き込む頭を軽めにチョップされる。俺は叩かれた頭をさすりながら、クリフの顔を見る。
「…じゃあ、今日は俺がいない間に何話してたの…?」
「そ…れは…」
クリフは痛いところを突かれたという顔で急に目をそらす。何、なにやっぱり何かあんの?隠してんじゃん!
「俺がいないと出来ないような話ってなんだよ!やっぱり蓮岡と…」
「ちがう!そんなんじゃない!!」
わなわなと口に手を当ててショックを受ける俺の手首をつかんでクリフは観念したように声を荒げる。
「わかった!わかった!!ちゃんと話す!寝る前に全部話すから早く風呂入れ!!それまでに考えをまとめておく!!」
クリフは早口でまくしたてるように言いながら俺を脱衣所に押し込んで扉を閉めた。
「やだ!言い訳するんでしょ!!やだー!今教えてー!やーだー!!」
「いいから早く体洗ってこい!!命令だ!!!」
無慈悲にドアの向こうから命令が下る。くっそー、普段命令とかしないくせに…。
仕方なく俺は風呂を済ませる。さっさと身体を温めて汗を流すと、脱衣場で髪を乾かす。髪を伸ばしてしまったのが少し悔やまれるくらい時間がかかった。
早くクリフを問い詰めてやろうと思って脱衣場から出ると、クリフは何か封筒の中に入っている紙を読んでいて、俺が脱衣場から出るや否や封筒に紙をしまって立ち上がる。
「…」
さてはその封筒の中に2人の関係が分かるものが入ってるんだな…?
俺は黙って目を細めてその封筒を見つめていると、何かを察したようにクリフはその封筒を持って脱衣場に向かう。
「その封筒なに?濡れるくない?」
「濡れないし、何でもない」
そう言ってクリフは脱衣場の扉をピシャッと閉じる。
「…ちえー」
俺は仕方なくキッチンに向かうと晩飯の支度をする。今日せっかくクリフの好きなチョコレートケーキ買ってきたのになあ。
俺は唐揚げを揚げて、白飯を茶碗に盛る。刻んだキャベツを盛って、レモンを添える。そう言えばチョコレートケーキ、蓮岡にびっくりしすぎて寝室に置きっぱじゃない?
作った晩飯をテーブルに並べて、寝室に置きっぱなしのケーキ屋の箱を回収する。こんなイカ臭いゴミ箱の隣に放置して、匂いついてたりしないよな…?俺は箱に鼻を近付けて匂いを嗅ぐ。ちょっと鼻が詰まってて分からない。
仕方ないのでそのままケーキをキッチンまで運んでデザート用の皿に乗せ、テーブルに置いておく。
脱衣場からいつものロング丈パジャマ姿で、片手に例の封筒を持ってクリフが出てくる。肩に掛けたタオルで髪を拭きながら、クリフはテーブルに並んだチョコレートケーキに目を落とす。
「あれ…?そのケーキ、幸樹が買ってきたのか?」
クリフは少し嬉しそうな声色でテーブルの上のケーキに目を落とす。
「…クリフが好きだと思って…」
俺は視線を逸らしながら口を尖らせる。
クリフが自分の席に回り込みがてらに俺の頭に触れた。
「そっか、有難う」
すっかり背中を丸めた猫背の俺の顔をのぞき込んで微笑んで見せてくる。
くっそー罪深い…許せそう…。本当なら「やったぜ!」って鼻の下擦りながらクリフの言葉に胸を張る場面なのにな…。
チラッと目線を上げると目が合う。クリフは俺の表情を見て満足そうな笑みを浮かべて自分の席へつく。俺も続くように着席した。
「…ところで、その封筒…」
「さあ、冷めないうちに食べようか」
クリフは俺の言葉にかぶせるようにそう言って両手を合わせる。
「いただきます」
「…いただきます…」
クリフに合わせて俺も手を合わす。
結局、食事の間はまるで封筒や蓮岡の話に触れることなく、クリフはいつもと変わらない様子でデザートまで完食した。
クリフが皿をシンクで洗うのを見越して、俺はまた一緒にキッチンに入る。
「ねーねー、そろそろ教えてよー」
皿を洗うクリフの腰に巻きついて、彼の肩に顎を乗せる。喚いても叫んでもダメなら甘えてみる。
「今皿洗ってる」
さっきとあんまり反応が変わらない。知ってるけどクリフってブレないんだよなー。
「…俺と蓮岡どっちが好き?」
「なんでそんなこと聞くんだ」
声色は相変わらずだがクリフは少しだけこちらに振り向く。
「蓮岡とはなんでもないって言ってたけど、何でもなくても俺より好きなのかなって…」
もごもごと聞くと、クリフは少しだけ声を落として答える。
「…幸樹」
手元の水音に負けそうなくらいの小さな声だが俺は聞き逃さない。
ほんと?それ本心?信じて大丈夫?
俺は後ろからクリフを力いっぱい抱きしめて背中に頭を押し付ける。
「んーーー好き!」
もう今こんなに聞いても答えてくれないんだから、これが聞けただけでも戦果ってやつ。
俺はパッとクリフから離れる。あとは寝る前に詳しく話すって言ってるんだから大人しく待とう。
「じゃあ、寝室で待ってるからちゃんと後で詳しく話せよ!」
「はいはい…」
苦笑を交えて彼は返事をする。俺はそれを確認してから寝室へ向かった。
寝室でいつも何してるかって言われたら、うちの家はテレビも娯楽もなんもないから、正直ベッドでゴロゴロするくらいしかやることがない。
俺は一先ず忘れる前にゴミ箱の袋を縛って別の袋をセットする。これ忘れたらまた怒られちゃう。
本棚の前をうろうろして、なんか面白いもんないかなと思ったけど、生きてきた環境が環境で学校に行ったことがない俺には絵がない本はハードルが高い。母親仕込みで読み書きはできるけど、あんま文字読むと疲れる。映画も吹き替えがいい。
本をパラパラとめくるが、どれもこれも文字ばっか。諦めてベッドにダイブする。
音楽聞きたいけど、イヤホンしてるとクリフの声が聞こえないから前にみたいに話を聞き逃すのは嫌だしなあ…。
もやもやと悩んでいるとコンコンと扉をたたく音がしてバッと振り返る。クリフだ。クリフは少しうつむいた様子で、なんだか浮かない顔に見える。
「……おまたせ」
俺はどう反応するべきか悩んでベッドの上に正座する。
「…お待ちしてました!」
自分の目の前に手を差し出して、俺はどうぞと場所を指す。
少しためらうようにおずおずとベットに座るとクリフはさっき隠した封筒を俺に差し出した。
「…少し、長くなるが…聞いてくれるか?」
俺はゴクリと唾を飲み込んで頷く。
信じる…信じるぞ…!まだ蓮岡に勝ってるって信じてる!
俺が話を聞く体勢になるとクリフはゆっくり順を追うように話し始めた。
「俺が…地上に帰るのに…幸樹の手を借りたいんだ」
クリフの言葉を聞きながら、俺は封筒の中を見る。中に入った紙には事細かに地上に帰るための方法が確かに書かれていた。
「…蓮岡は関係あるの?」
何故、地上に帰るために俺の協力を仰ぎたいと言いながら、蓮岡と話す必要があったのか。まだ疑問が残ると顔をしかめた俺に、彼は気まずそうに目をそらしながら答えた。
「蓮岡に依頼して、地上に帰る方法を探してもらっていた。この資料をつくったのは彼なんだ」
俺はもう一度、じっくりと資料に目を落とす。そこには確かに誰かが協力しなければ成り立たない、地上に帰るための方法がある。
俺を人間に戻すこと。俺と一緒に地上に出るのが1番効率がいいこと。俺以外の協力者を仰ぐのであれば、俺は野良犬のまま地下に残されること。
蓮岡らしい、客観的で私情を挟まない事務的な文章で書かれていた。
「正直…自分でも変だとは思うんだ。お前にされたこと忘れたわけじゃない。それでもお前を野良犬として地下に放ったままにはできなくて、お前が地上でもっと穏やかに暮らせたら良いだろうって思ってる。でもそれが俺のエゴだってこともわかってるし、結局お前を利用して地上に帰りたいってことに変わりはないんだ…それでも俺はお前を残していきたくないよ」
ゆっくりと、それでも途中途中言葉を詰まらせながら彼は話す。
「幸樹が…俺に地上に帰ってほしくないのも、どんな思いでその首輪を受け入れたのかもなんとなくわかる…。だからずっと話せなかった。多分、お前を悲しませるのが怖かったんだ。話す勇気もないのに、勝手してすまない…」
彼はベッドの上に正座で座りなおして俺に向き直る。そして話し終えると深々と頭を下げた。
「えっ、ちょっ、いいよ!頭上げてくれ!」
俺は慌ててクリフの肩を掴んで持ち上げるが、彼は頑なに頭を上げようとしない。
急なことで頭が追いつかない。
地上に帰るのに俺を放っておけない?なんで?あんな酷いことして、少なからず彼の人生にトラウマは植え付けたはずだ。
虐待は深い傷になる。俺がずっと母親の言葉に縛られるように、短い期間でも酷く彼を汚した。そんな呪いの根源みたいなのが一緒に地上なんかに行っていいはずがない。
クリフに好きだって伝えたいのは俺のワガママだし、好きが叶ったってクリフがいつか地上に帰る時は置いていかれて当然だと思っていた。恋人の真似事は地下にクリフがいる間だけ。
「俺、クリフと死ぬまで一緒にいれたら嬉しいよ。場所なんかどこでも構わない」
でも、まだ修復が間に合っていない状態で、人間は優しくされたら勘違いするって知ってる。
頭を上げないクリフの肩を俺は無理やり持ち上げる。
今にも泣き出しそうな涙を貯めた瞳で、彼は驚いたように目を見開く。
「でも、俺はクリフが言うように酷いことをいっぱいした。いっぱい傷付けた。そんな悪いやつ、お前の傍に置いてたらお前が幸せにならないよ…」
「…俺も、そうじゃないかって何度も考えた…だから確かめたんだ…この前…」
「この前…?」
いつの話か分からない。クリフはいつも前の話について詳しく教えてくれない。
「いつの話?」
眉をしかめる俺に、クリフはうつむいたままじわじわと顔を赤く染めて消えそうなほど小さな声で「店で…虐げられるの、再現したろ…」と呟いた。
「…あ!」
そう言われて、先日突然クリフが店に来たのを思い出す。あれは単純に遊びに来たのかと思っていた。俺のせいでMに目覚めてしまったのかとちょっと心配していたが、再現にきていたのか…。
「そういう…」
クリフがノリノリっぽかったから調子乗って当時を懐かしんでしまったけど、心にしまうにしたって最低すぎたのでは…。
後悔に青くなるところなのかもしれないが、でも今この話題を出すということはマイナスな話ではないのかもしれないと、俺は黙って話の続きを待つ。
「まあ…それで…結果は知っての通りというか…」
恥ずかしそうにもごもごと口を濁した後クリフは改まって話し始める。
「あれだ…俺の勝手で言わせてもらえば…過去にしたことも今お前も全部ひっくるめて幸樹を受け入れたというか…気持ちに整理がついたというか…俺の気持ちに変わりはないよ」
俺は目の前で赤い顔をしたまま気まずそうにしているクリフをぽかんと見つめてしまう。
「…俺、見てて分かると思うけど、結構情緒不安定だよ。キレると怖いってよく言われる。顔も怖いし、頭も悪い」
正直、俺は人間と見ても相当難ありなのは自覚してる。だからまっとうな友達はあんまりいないし、まっとうな仕事にも就けてない。
「直していく努力はするし、地上に出るなら勉強もするよ。だけど…俺は自分があんまり信用できない。それでもクリフは俺を信じてくれるの?」
クリフは俺を真っ直ぐに見つめ優しく微笑んだ。
「…知ってる。五月蠅いし面倒くさいしセクハラばっかで性欲が強い。すごく強いな」
「ですよねー…」
ぐうの音も出ないので俺はがっくりと肩を落とす。目線だけでクリフを見ると、彼はその優しい笑みを浮かべたままだった。
「それでも一緒に来てほしい。地上でも…友人でいれたらすごく嬉しい」
友人…。俺は顔を上げて、思わず苦笑いする。
「友人…でいられる努力はするけど…」
普通こんな友人1人にムラムラしたりしないって。俺はクリフのこと、多分恋愛的に好きだもん。悪友しかいないけど、友人掘ったことはさすがにねえよ。
「あ…すまない…地上に行ってからも無理に友人関係を持ち続けたいとは」
俺の言葉にクリフは少ししょんぼりと肩を落としてしまった。
「あっ!違う!そういうんじゃなくて!」
もしかしたら地上の人たちは友人相手にもムラムラすんのかな…地上と地下じゃ全然違うって言うし、俺の尺度とは違うのかもしれない。
いや、そもそもクリフは単純に気持ちいいから身体許してくれてるとか…有りうる…それなら切ないけど、お断りする度胸も気位もない。
「…友人として信用してくれるなら、協力する!」
俺はクリフの手を握る。
生きて罪滅ぼしできるならそれでいいや。野良犬になって路地でボロ雑巾みたいになって死ななくてもクリフを地上に帰せるんだって。それで充分だ。
「一緒に地上に行こう!」
「…!ああ…よろしく頼んだ」
肩を落としていたクリフがようやく笑顔になって真っ直ぐに俺を見て微笑んだ。
はー可愛い。この笑顔みた時に胸がぎゅーってなるの絶対友達に対する感情じゃないもん。絶対恋だもん。めっちゃ好き。
でも、地上での常識分かんないけど俺、クリフから見たら友人なんだよな…今は地下だからこんなベタベタしてるけど、地上出たら出来なくなるとかも有り得るくない?だってクリフこんな可愛いのに処女で童貞(推測)なんだよ?
地下にいるうちにセクハラし貯めとく…?そういやちょうどいい口実1個あったな…。俺は思わずニヤニヤとクリフの手を握ったまま笑う。
「…でもびっくりしたなあ?俺が帰ってきたら残念そうに蓮岡と解散するし、理由は黙秘だし、なんか蓮岡は服の襟直してるし」
「べ、別に残念そうになんてしてない!あと蓮岡には俺から話すまで言わないように頼んだんだ、黙秘はそういう意味であってお前の思うようなことは何もない!」
わかってるけどなんか必死に弁解するクリフが新鮮で、ついつい意地悪したくなる。
「ほんと?じゃあ身体にキスマークとか付いてないか見たいなー。さっき首元覗いたら拒否られたし、怪しいなー?」
俺は目を細めてわざと怪訝な顔をする。
蓮岡が依頼関係や話したくないプライベートを黙秘するのは知ってるし、不能が本当ならほぼ寝た可能性はゼロだろう。
でも、この調子でいじればクリフのストリップショーとか期待できるくない?見たくない?
「急にそんなところ覗かれたら誰だって拒否するだろ、キスマークなんてない!怪しくない!」
「じゃあ見せてよ。見たら信じるし」
深刻になりすぎないよういつもみたいに口を尖らせて不満げに言うと、クリフは少し顔を赤らめてぐぐ…と唸ってから自らのボタンに手をかける。
うわ、マジで脱いでくれるやつ…新鮮可愛い…。ムキになって脱ぐとかそんなに無実証明したいのかな…。
俺は平静を装った顔で舐めるように彼の身体を見る。
「………ほら」
クリフはパジャマの前ボタンを半分まで開き胸元を少し広げて俺に見せる。恥ずかしそうに顔を赤らめて視線は横に逃げる。
俺はクリフに近寄ると、羽織られたままのパジャマの背部をクイクイと指で引っ張る。
「後ろはー?」
「だから無いって言ってるだろ…」
そういいつつもクリフは残りのボタンも取り払い、肘のあたりまでするすると袖から肩を抜いて背中を見せた。
当たり前だがどこにもキスマークらしいものはない。ないが、俺はわざと髪の下を確認するようにうなじに触れ、パジャマをめくるふりをして肌を撫でる。
「んー…じゃあ下は?悪賢いやつって見えないところにつけるんだよ。内腿とか恥骨とか」
あくまで上半身は信じたという口調で俺は言う。
「お前なあ…自分の友人何だと思ってるんだ…」
「その友人の潔白はクリフが脱ぐと証明されるんだけどなあ…?」
俺に言われるとクリフは恥かしいのを俺に悟られないようにしてるのか大きなため息をついてズボンを膝までおろした。
「ほら、何もない。そろそろ潔白は証明されたか?」
下着を少しめくってうち腿の付け根のあたりや恥骨も俺に見せる。
「んー?」
クリフがめくっている下着と肌の間に俺の指を差し込む。
「じゃあキスマークは信じる!でも、中出しされてる可能性が残ってるよね?」
俺は玄関に取り残されて呆然と立ち尽くす。
蓮岡は昔から何かと黙秘を乱用する考えの読めない奴であるとは知っているが、なんで黙秘しながら服装整えるの?なんで襟元開いてたの?アイツ絶対1番上までボタン閉めるじゃん。
クリフもなんか謝るし。謝る理由は話してくれないし。2人で家で何してたの?「今日は早かったのか」って俺がいない時を見計らってたじゃん。なんかガッカリしてるっぽくない?
ふと俺は思い出す。俺がクリフを逆恨みして凌辱しまくってた時に、クリフの穴を拡張する会に蓮岡を呼んだはずだ。
蓮岡はその日は何もせずに帰ったのに、突然家まで訪ねてきて「人がいると萎えるので個人的に抱きたい。不能じゃない」と言ったので、もうあまり貸したくなかったが拡張するのを手伝って貰ったので渋々クリフの部屋の鍵を貸したんだ。
リビングで依頼人と話している間、ずっとクリフの部屋からギシギシ音がしててめっちゃ気が散ったから覚えてる。めっちゃヤッてるじゃんってなんかイラついたもん。俺が悪いから怒れるわけなんかないんだけどさあ。
俺はようやく動き出した思考に行き場のない怒りを覚える。自業自得すぎて笑えないし怒れない。玄関から屋敷に入り、扉を閉めた。
そもそもクリフってめちゃくちゃ抵抗するから、無理やり抱くならベッドに行くまで時間かかるんだ。なのに、部屋からクリフの嫌がる声もしないし、蓮岡が部屋入ってすぐギシギシ音してて、クリフ抵抗すぐ諦めたのかなってちょっと思ってた。思ってたけど!
もしかしてアイツら同意でヤってんじゃねえの!?両想いなの!?それ、俺すっげー惨めじゃん!
俺は階段を上がって寝室に向かう。ベッドを確認する。いつもクリフが整えてくれているはずのベッドが整っておらず、シーツが意味深に乱れている。
ゴミ箱を漁ると中にはティッシュしかないが…ゴミ箱なんかイカ臭くない?気のせい?ゴムらしき物はない。
…もしかして中出ししたのかアイツ!?クリフの中に!?ふざけんな!
いや、でもクリフが逆に俺を好きでなくて蓮岡が1番好きなら、むしろ俺が中出ししててごめんなさいになるのか…?えっ、すっげー惨め。何それ。
着替えろと言われたので一応ジャージに着替えるが、もう気持ちはそれどころじゃない。
クリフなんか嫌いだって自分に言い聞かせるために回したり、他人に中出しさせてたのは俺だ。100%俺が悪い。なのに、今この状態でクリフが他のヤツと寝てると思うとこの世の終わりみたいな絶望感。
あー!蓮岡に貸すんじゃなかった!やっぱり俺の気持ちなんか実るわけないのかよ!最近ちょっといい感じだったじゃん!
蓮岡とクリフって身体の相性最高だったのかな…1回のセックスで落ちるって相当だよな…。2人とも体格あまり差がないし、ちょうどいいサイズ感とかあんのかな。やっぱり俺とするの痛かったり…はーあ!俺だって好きでこの身体やってんじゃねーよ!
「幸樹ー、風呂の用意できたぞ」
クリフの言葉に俺はゴミ箱から顔を上げる。風呂場から呼んでいるのか、彼の声が反響していた。
どんな顔をしてこれからここで過ごせばいいんだ…いっそ蓮岡との関係を認めてあげるのが罪滅ぼし?うわー死んだ方がマシかもしれない。
とぼとぼと返事も返さずに部屋を出て階段を降りると、聞こえていないと思ったのかクリフが脱衣場から顔を出した。
「…どうした、具合でも悪いのか?」
ちょっと心配そうにうなだれた俺の顔をのぞき込む。俺は目線だけで彼の顔を見ると、何だか辛くなって目を伏せる。
「…クリフ、蓮岡のこと好き?」
「…………は?」
少しの沈黙の後、心底「何言ってんだ?」って声色でクリフは答える。
「だって…俺がいない時を狙って会ってたんでしょ…?」
なんで詳しく俺が話さなきゃなんねーんだよ!もう泣きそう!話したくない!でもクリフに伝わってないみたいだから話すしかないじゃん。
「ベッド使った後残ってるし…俺が前に蓮岡にクリフ貸したのがいけないって分かってるけど…けどさあ…」
俺の涙腺が耐えきれなくて話してるうちに鼻水が出てくる。
「いや…ベッド…?貸した?すまない、言ってる意味がわからないんだが」
クリフはとぼけているというよりは本当に話が見えていないといった様子で困惑しながらも、脇にあったティッシュをつかんで俺の鼻にあてる。
プライドもへったくれもないので、そんなことされたら泣いてしまう。なんだよ!俺のこと好きじゃないくせに優しくすんなよ!好き!
「だって…だってクリフ、蓮岡が好きだから俺がいない時に会って寝てるんだろ!だったら俺なんかにそんな…抱きしめたりとかすんなよ!好きでいていいのかなって勘違いするじゃん!」
完全に涙腺が死んだのか涙がボロボロ止まらない。
クリフが驚いたような困ったような顔で俺を見てる。
「幸樹…俺は…」
あー!聞きたくない!聞きたくないけど、ハッキリさせてくれないと自殺しても成仏できない!
「俺は蓮岡と寝たことはない…彼は不能だって言ってたが…」
「嘘だ!アイツ、本当は不能じゃないからクリフとセックスしたいって家に来たもん!」
やけくそに声を張り上げると、クリフは少し考えてから何かを思い出したような顔をする。
「彼が俺の部屋に来たときか…あの時は話をしただけで…というか今日も話をしただけでやましいことは何もしてない」
「そんなことない!ギシギシ音してたもん!今日だって寝室のゴミ箱臭ってるし、ベッド散らかったまんまだった!」
「それは今日お前が寝坊して飛び出したままになっていたからだろ。ゴミ箱も昨日の夜、臭う前に縛って捨てろって言ったのにまた忘れたな!?」
クリフはちょっと怒ったように俺を見上げて腕を組む。
そう言われてみたら、ゴミ出し忘れたな…寝坊したからか…。昨日もクリフとイチャつくの楽しすぎてゴミ袋縛った記憶すら…。
…あれ?
「えっ、でも前に上でベッドがギシギシしてた音は何…?絶対ベッド揺れてた音だもん…」
俺は小さい声で再度尋ねる。
「…実際にベッドは揺らしていたが。蓮岡が…セックスするという体で来てるからってわざわざベッドの上で体を跳ねさせながら話していた。ちょっと変なところあるよな…?あいつ…」
俺はぽかんとクリフを見つめる。クリフは少しむっとした顔のまま俺を見上げて返答を待っているようだった。
じゃあ何…?俺の勘違い…?あのゴミ箱臭かった原因って俺が頑張っちゃったやつが入ってただけ?
アホじゃね?
「…ほんとに?蓮岡にエロいことさせてない?中出しされてない?」
「中どころかシャツすら脱いでないぞ、嘘じゃない」
俺はクリフの周囲をゆっくり回って彼の身体を観察する。確かに彼の服に乱れたような後はない。襟に指を入れて少し中を覗いても、キスマークのようなものもない。
「そんなとこまで覗くな」
じっくりと覗き込む頭を軽めにチョップされる。俺は叩かれた頭をさすりながら、クリフの顔を見る。
「…じゃあ、今日は俺がいない間に何話してたの…?」
「そ…れは…」
クリフは痛いところを突かれたという顔で急に目をそらす。何、なにやっぱり何かあんの?隠してんじゃん!
「俺がいないと出来ないような話ってなんだよ!やっぱり蓮岡と…」
「ちがう!そんなんじゃない!!」
わなわなと口に手を当ててショックを受ける俺の手首をつかんでクリフは観念したように声を荒げる。
「わかった!わかった!!ちゃんと話す!寝る前に全部話すから早く風呂入れ!!それまでに考えをまとめておく!!」
クリフは早口でまくしたてるように言いながら俺を脱衣所に押し込んで扉を閉めた。
「やだ!言い訳するんでしょ!!やだー!今教えてー!やーだー!!」
「いいから早く体洗ってこい!!命令だ!!!」
無慈悲にドアの向こうから命令が下る。くっそー、普段命令とかしないくせに…。
仕方なく俺は風呂を済ませる。さっさと身体を温めて汗を流すと、脱衣場で髪を乾かす。髪を伸ばしてしまったのが少し悔やまれるくらい時間がかかった。
早くクリフを問い詰めてやろうと思って脱衣場から出ると、クリフは何か封筒の中に入っている紙を読んでいて、俺が脱衣場から出るや否や封筒に紙をしまって立ち上がる。
「…」
さてはその封筒の中に2人の関係が分かるものが入ってるんだな…?
俺は黙って目を細めてその封筒を見つめていると、何かを察したようにクリフはその封筒を持って脱衣場に向かう。
「その封筒なに?濡れるくない?」
「濡れないし、何でもない」
そう言ってクリフは脱衣場の扉をピシャッと閉じる。
「…ちえー」
俺は仕方なくキッチンに向かうと晩飯の支度をする。今日せっかくクリフの好きなチョコレートケーキ買ってきたのになあ。
俺は唐揚げを揚げて、白飯を茶碗に盛る。刻んだキャベツを盛って、レモンを添える。そう言えばチョコレートケーキ、蓮岡にびっくりしすぎて寝室に置きっぱじゃない?
作った晩飯をテーブルに並べて、寝室に置きっぱなしのケーキ屋の箱を回収する。こんなイカ臭いゴミ箱の隣に放置して、匂いついてたりしないよな…?俺は箱に鼻を近付けて匂いを嗅ぐ。ちょっと鼻が詰まってて分からない。
仕方ないのでそのままケーキをキッチンまで運んでデザート用の皿に乗せ、テーブルに置いておく。
脱衣場からいつものロング丈パジャマ姿で、片手に例の封筒を持ってクリフが出てくる。肩に掛けたタオルで髪を拭きながら、クリフはテーブルに並んだチョコレートケーキに目を落とす。
「あれ…?そのケーキ、幸樹が買ってきたのか?」
クリフは少し嬉しそうな声色でテーブルの上のケーキに目を落とす。
「…クリフが好きだと思って…」
俺は視線を逸らしながら口を尖らせる。
クリフが自分の席に回り込みがてらに俺の頭に触れた。
「そっか、有難う」
すっかり背中を丸めた猫背の俺の顔をのぞき込んで微笑んで見せてくる。
くっそー罪深い…許せそう…。本当なら「やったぜ!」って鼻の下擦りながらクリフの言葉に胸を張る場面なのにな…。
チラッと目線を上げると目が合う。クリフは俺の表情を見て満足そうな笑みを浮かべて自分の席へつく。俺も続くように着席した。
「…ところで、その封筒…」
「さあ、冷めないうちに食べようか」
クリフは俺の言葉にかぶせるようにそう言って両手を合わせる。
「いただきます」
「…いただきます…」
クリフに合わせて俺も手を合わす。
結局、食事の間はまるで封筒や蓮岡の話に触れることなく、クリフはいつもと変わらない様子でデザートまで完食した。
クリフが皿をシンクで洗うのを見越して、俺はまた一緒にキッチンに入る。
「ねーねー、そろそろ教えてよー」
皿を洗うクリフの腰に巻きついて、彼の肩に顎を乗せる。喚いても叫んでもダメなら甘えてみる。
「今皿洗ってる」
さっきとあんまり反応が変わらない。知ってるけどクリフってブレないんだよなー。
「…俺と蓮岡どっちが好き?」
「なんでそんなこと聞くんだ」
声色は相変わらずだがクリフは少しだけこちらに振り向く。
「蓮岡とはなんでもないって言ってたけど、何でもなくても俺より好きなのかなって…」
もごもごと聞くと、クリフは少しだけ声を落として答える。
「…幸樹」
手元の水音に負けそうなくらいの小さな声だが俺は聞き逃さない。
ほんと?それ本心?信じて大丈夫?
俺は後ろからクリフを力いっぱい抱きしめて背中に頭を押し付ける。
「んーーー好き!」
もう今こんなに聞いても答えてくれないんだから、これが聞けただけでも戦果ってやつ。
俺はパッとクリフから離れる。あとは寝る前に詳しく話すって言ってるんだから大人しく待とう。
「じゃあ、寝室で待ってるからちゃんと後で詳しく話せよ!」
「はいはい…」
苦笑を交えて彼は返事をする。俺はそれを確認してから寝室へ向かった。
寝室でいつも何してるかって言われたら、うちの家はテレビも娯楽もなんもないから、正直ベッドでゴロゴロするくらいしかやることがない。
俺は一先ず忘れる前にゴミ箱の袋を縛って別の袋をセットする。これ忘れたらまた怒られちゃう。
本棚の前をうろうろして、なんか面白いもんないかなと思ったけど、生きてきた環境が環境で学校に行ったことがない俺には絵がない本はハードルが高い。母親仕込みで読み書きはできるけど、あんま文字読むと疲れる。映画も吹き替えがいい。
本をパラパラとめくるが、どれもこれも文字ばっか。諦めてベッドにダイブする。
音楽聞きたいけど、イヤホンしてるとクリフの声が聞こえないから前にみたいに話を聞き逃すのは嫌だしなあ…。
もやもやと悩んでいるとコンコンと扉をたたく音がしてバッと振り返る。クリフだ。クリフは少しうつむいた様子で、なんだか浮かない顔に見える。
「……おまたせ」
俺はどう反応するべきか悩んでベッドの上に正座する。
「…お待ちしてました!」
自分の目の前に手を差し出して、俺はどうぞと場所を指す。
少しためらうようにおずおずとベットに座るとクリフはさっき隠した封筒を俺に差し出した。
「…少し、長くなるが…聞いてくれるか?」
俺はゴクリと唾を飲み込んで頷く。
信じる…信じるぞ…!まだ蓮岡に勝ってるって信じてる!
俺が話を聞く体勢になるとクリフはゆっくり順を追うように話し始めた。
「俺が…地上に帰るのに…幸樹の手を借りたいんだ」
クリフの言葉を聞きながら、俺は封筒の中を見る。中に入った紙には事細かに地上に帰るための方法が確かに書かれていた。
「…蓮岡は関係あるの?」
何故、地上に帰るために俺の協力を仰ぎたいと言いながら、蓮岡と話す必要があったのか。まだ疑問が残ると顔をしかめた俺に、彼は気まずそうに目をそらしながら答えた。
「蓮岡に依頼して、地上に帰る方法を探してもらっていた。この資料をつくったのは彼なんだ」
俺はもう一度、じっくりと資料に目を落とす。そこには確かに誰かが協力しなければ成り立たない、地上に帰るための方法がある。
俺を人間に戻すこと。俺と一緒に地上に出るのが1番効率がいいこと。俺以外の協力者を仰ぐのであれば、俺は野良犬のまま地下に残されること。
蓮岡らしい、客観的で私情を挟まない事務的な文章で書かれていた。
「正直…自分でも変だとは思うんだ。お前にされたこと忘れたわけじゃない。それでもお前を野良犬として地下に放ったままにはできなくて、お前が地上でもっと穏やかに暮らせたら良いだろうって思ってる。でもそれが俺のエゴだってこともわかってるし、結局お前を利用して地上に帰りたいってことに変わりはないんだ…それでも俺はお前を残していきたくないよ」
ゆっくりと、それでも途中途中言葉を詰まらせながら彼は話す。
「幸樹が…俺に地上に帰ってほしくないのも、どんな思いでその首輪を受け入れたのかもなんとなくわかる…。だからずっと話せなかった。多分、お前を悲しませるのが怖かったんだ。話す勇気もないのに、勝手してすまない…」
彼はベッドの上に正座で座りなおして俺に向き直る。そして話し終えると深々と頭を下げた。
「えっ、ちょっ、いいよ!頭上げてくれ!」
俺は慌ててクリフの肩を掴んで持ち上げるが、彼は頑なに頭を上げようとしない。
急なことで頭が追いつかない。
地上に帰るのに俺を放っておけない?なんで?あんな酷いことして、少なからず彼の人生にトラウマは植え付けたはずだ。
虐待は深い傷になる。俺がずっと母親の言葉に縛られるように、短い期間でも酷く彼を汚した。そんな呪いの根源みたいなのが一緒に地上なんかに行っていいはずがない。
クリフに好きだって伝えたいのは俺のワガママだし、好きが叶ったってクリフがいつか地上に帰る時は置いていかれて当然だと思っていた。恋人の真似事は地下にクリフがいる間だけ。
「俺、クリフと死ぬまで一緒にいれたら嬉しいよ。場所なんかどこでも構わない」
でも、まだ修復が間に合っていない状態で、人間は優しくされたら勘違いするって知ってる。
頭を上げないクリフの肩を俺は無理やり持ち上げる。
今にも泣き出しそうな涙を貯めた瞳で、彼は驚いたように目を見開く。
「でも、俺はクリフが言うように酷いことをいっぱいした。いっぱい傷付けた。そんな悪いやつ、お前の傍に置いてたらお前が幸せにならないよ…」
「…俺も、そうじゃないかって何度も考えた…だから確かめたんだ…この前…」
「この前…?」
いつの話か分からない。クリフはいつも前の話について詳しく教えてくれない。
「いつの話?」
眉をしかめる俺に、クリフはうつむいたままじわじわと顔を赤く染めて消えそうなほど小さな声で「店で…虐げられるの、再現したろ…」と呟いた。
「…あ!」
そう言われて、先日突然クリフが店に来たのを思い出す。あれは単純に遊びに来たのかと思っていた。俺のせいでMに目覚めてしまったのかとちょっと心配していたが、再現にきていたのか…。
「そういう…」
クリフがノリノリっぽかったから調子乗って当時を懐かしんでしまったけど、心にしまうにしたって最低すぎたのでは…。
後悔に青くなるところなのかもしれないが、でも今この話題を出すということはマイナスな話ではないのかもしれないと、俺は黙って話の続きを待つ。
「まあ…それで…結果は知っての通りというか…」
恥ずかしそうにもごもごと口を濁した後クリフは改まって話し始める。
「あれだ…俺の勝手で言わせてもらえば…過去にしたことも今お前も全部ひっくるめて幸樹を受け入れたというか…気持ちに整理がついたというか…俺の気持ちに変わりはないよ」
俺は目の前で赤い顔をしたまま気まずそうにしているクリフをぽかんと見つめてしまう。
「…俺、見てて分かると思うけど、結構情緒不安定だよ。キレると怖いってよく言われる。顔も怖いし、頭も悪い」
正直、俺は人間と見ても相当難ありなのは自覚してる。だからまっとうな友達はあんまりいないし、まっとうな仕事にも就けてない。
「直していく努力はするし、地上に出るなら勉強もするよ。だけど…俺は自分があんまり信用できない。それでもクリフは俺を信じてくれるの?」
クリフは俺を真っ直ぐに見つめ優しく微笑んだ。
「…知ってる。五月蠅いし面倒くさいしセクハラばっかで性欲が強い。すごく強いな」
「ですよねー…」
ぐうの音も出ないので俺はがっくりと肩を落とす。目線だけでクリフを見ると、彼はその優しい笑みを浮かべたままだった。
「それでも一緒に来てほしい。地上でも…友人でいれたらすごく嬉しい」
友人…。俺は顔を上げて、思わず苦笑いする。
「友人…でいられる努力はするけど…」
普通こんな友人1人にムラムラしたりしないって。俺はクリフのこと、多分恋愛的に好きだもん。悪友しかいないけど、友人掘ったことはさすがにねえよ。
「あ…すまない…地上に行ってからも無理に友人関係を持ち続けたいとは」
俺の言葉にクリフは少ししょんぼりと肩を落としてしまった。
「あっ!違う!そういうんじゃなくて!」
もしかしたら地上の人たちは友人相手にもムラムラすんのかな…地上と地下じゃ全然違うって言うし、俺の尺度とは違うのかもしれない。
いや、そもそもクリフは単純に気持ちいいから身体許してくれてるとか…有りうる…それなら切ないけど、お断りする度胸も気位もない。
「…友人として信用してくれるなら、協力する!」
俺はクリフの手を握る。
生きて罪滅ぼしできるならそれでいいや。野良犬になって路地でボロ雑巾みたいになって死ななくてもクリフを地上に帰せるんだって。それで充分だ。
「一緒に地上に行こう!」
「…!ああ…よろしく頼んだ」
肩を落としていたクリフがようやく笑顔になって真っ直ぐに俺を見て微笑んだ。
はー可愛い。この笑顔みた時に胸がぎゅーってなるの絶対友達に対する感情じゃないもん。絶対恋だもん。めっちゃ好き。
でも、地上での常識分かんないけど俺、クリフから見たら友人なんだよな…今は地下だからこんなベタベタしてるけど、地上出たら出来なくなるとかも有り得るくない?だってクリフこんな可愛いのに処女で童貞(推測)なんだよ?
地下にいるうちにセクハラし貯めとく…?そういやちょうどいい口実1個あったな…。俺は思わずニヤニヤとクリフの手を握ったまま笑う。
「…でもびっくりしたなあ?俺が帰ってきたら残念そうに蓮岡と解散するし、理由は黙秘だし、なんか蓮岡は服の襟直してるし」
「べ、別に残念そうになんてしてない!あと蓮岡には俺から話すまで言わないように頼んだんだ、黙秘はそういう意味であってお前の思うようなことは何もない!」
わかってるけどなんか必死に弁解するクリフが新鮮で、ついつい意地悪したくなる。
「ほんと?じゃあ身体にキスマークとか付いてないか見たいなー。さっき首元覗いたら拒否られたし、怪しいなー?」
俺は目を細めてわざと怪訝な顔をする。
蓮岡が依頼関係や話したくないプライベートを黙秘するのは知ってるし、不能が本当ならほぼ寝た可能性はゼロだろう。
でも、この調子でいじればクリフのストリップショーとか期待できるくない?見たくない?
「急にそんなところ覗かれたら誰だって拒否するだろ、キスマークなんてない!怪しくない!」
「じゃあ見せてよ。見たら信じるし」
深刻になりすぎないよういつもみたいに口を尖らせて不満げに言うと、クリフは少し顔を赤らめてぐぐ…と唸ってから自らのボタンに手をかける。
うわ、マジで脱いでくれるやつ…新鮮可愛い…。ムキになって脱ぐとかそんなに無実証明したいのかな…。
俺は平静を装った顔で舐めるように彼の身体を見る。
「………ほら」
クリフはパジャマの前ボタンを半分まで開き胸元を少し広げて俺に見せる。恥ずかしそうに顔を赤らめて視線は横に逃げる。
俺はクリフに近寄ると、羽織られたままのパジャマの背部をクイクイと指で引っ張る。
「後ろはー?」
「だから無いって言ってるだろ…」
そういいつつもクリフは残りのボタンも取り払い、肘のあたりまでするすると袖から肩を抜いて背中を見せた。
当たり前だがどこにもキスマークらしいものはない。ないが、俺はわざと髪の下を確認するようにうなじに触れ、パジャマをめくるふりをして肌を撫でる。
「んー…じゃあ下は?悪賢いやつって見えないところにつけるんだよ。内腿とか恥骨とか」
あくまで上半身は信じたという口調で俺は言う。
「お前なあ…自分の友人何だと思ってるんだ…」
「その友人の潔白はクリフが脱ぐと証明されるんだけどなあ…?」
俺に言われるとクリフは恥かしいのを俺に悟られないようにしてるのか大きなため息をついてズボンを膝までおろした。
「ほら、何もない。そろそろ潔白は証明されたか?」
下着を少しめくってうち腿の付け根のあたりや恥骨も俺に見せる。
「んー?」
クリフがめくっている下着と肌の間に俺の指を差し込む。
「じゃあキスマークは信じる!でも、中出しされてる可能性が残ってるよね?」
0
お気に入りに追加
67
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。


男子高校に入学したらハーレムでした!
はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。
ゆっくり書いていきます。
毎日19時更新です。
よろしくお願い致します。
2022.04.28
お気に入り、栞ありがとうございます。
とても励みになります。
引き続き宜しくお願いします。
2022.05.01
近々番外編SSをあげます。
よければ覗いてみてください。
2022.05.10
お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。
精一杯書いていきます。
2022.05.15
閲覧、お気に入り、ありがとうございます。
読んでいただけてとても嬉しいです。
近々番外編をあげます。
良ければ覗いてみてください。
2022.05.28
今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。
次作も頑張って書きます。
よろしくおねがいします。


ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる