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北へ

少年は現世に戻ってきた

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「……トール……トール!」

 涙声になって呼びかけた。あふれてくる涙を止める事ができなかった。



「後にして。早く戻ろう」

 起こそうとすがる手を止められた。少女の冷たい目に驚いて、涙をぬぐった。彼女はトールの知り合いじゃないのか。彼が戻ってきた事が、嬉しくないんだろうか。



 ロムの視線に気づいているのかいないのか。彼女はスッと横を向いて、ケヴィンに似た少年にぺこりと頭を下げた。彼は肩をすくめて微笑んだ。

「早まらないでね」

 意味がわからなくて、少女の顔を覗き込んだ。でも彼女は、眉を潜めただけで何も言わなかった。最初も、少年は来訪を知っているようだった。待っていたのは彼女だったのか、それともトールの身体だったのか。
 どっちにしても、常世の住人が少女を知っているのは確かで、それは妙に思えた。



 少女はそのまま踵を返し、来た道を戻り始めた。
 ロムも少年に頭を下げた。彼の背後に、葉に横たわる女性が見えた。眠っているようだった。どこか見覚えがあり、記憶を探りながら少女の後を追いかけた。

 彼女の後ろ姿を見て気がついた。先程まで眠っていた、この少女に少し似ている。彼女が成長して髪を伸ばしたら、あの眠っている女性みたいになる気がする。
 この少女とあの女性は、何か関わりがあるんだろうか。



 ふと気づくと、ザラムが居ない。振り返ると、彼は一歩も動いていなかった。

「ザラム、帰るよ」

 声をかけても反応がない。ずっとトールを背負っていて、疲れたんだろうか。そう思って引き返した。

「ザラム」

 肩を叩いて声をかけると、彼はビクッと震えた。頭を動かしたが、顔は正確にこちらを向いていなかった。気がそぞろで、位置を把握できていないように思えた。

「どうしたの? 疲れた? 代わるよ」
「いや……大丈夫。行こう」

 口調は上の空だったが、足取りはしっかりしていた。念のため、ザラムの後ろを見守るように歩いた。



「あの寝てた女の人、見た?」

 前を歩くザラムに話しかけたつもりだったが、無反応だった。彼は興味のない話は無視する事がある。諦めて口をつぐんだら、少しの後に返事があった。

「原初の、魔法使い」
「え?」
「前も、寝てた。いつも、寝てる」
「よくわからないね……」
「ああ、わからん」





 気がつくと周囲は、来た時と同じように霧がまとわりついていた。霧の中を歩き続けると、また同じように一瞬で周囲が晴れた。立っていた場所は、洞窟の入り口だった。



 外は夕焼けに染まっていた。入った時は日が高く、そんなに時間は経ってない気がするのに。そこまで考えて、時間の流れが違う事を思い出した。ならば、日付も変わっているかもしれない。

 それより、外に出たのだからと思い、ザラムの背中で眠るトールに近寄った。



 ところが。

「頼む」

 ロムが声をかける前に、ザラムがトールを押し付けてきた。
 戸惑っているうちに、彼は小走りに駆け出した。まだ起きないトールをかかえて先を見ると、少女がうずくまっていた。足を押さえている。

「ど、どうしたの?」

 トールを背負って追いかけると、ザラムが少女の足を引っ張ってブーツを脱がせていた。
 少女が顔を歪めた。見ると、足の皮が剥けて血が出ていた。

「いつから、こんな事に?」
「アールヴヘイム、痛み、無い」
「じゃあ、入る前から? なんで言ってくれなかったの?」

 少女はふてくされたようにそっぽを向き、何も答えなかった。中々面倒くさい性格をしている。



「治せる?」

 ザラムは無言で頷き、少女の足に手を当てた。彼の呟きと共に光が灯り、傷はみるみる癒えていった。

「……ありがとう……」

 消え入るようなお礼の声を無視して、ザラムはロムの方を向いた。今度は、正確にこちらを向いていた。

「ロム、こいつ、背負え」
「えっ……治してくれたから、自分で歩けるヨ!」
「また痛めて、治すの、オレ。面倒」
「そうだね。せめて舗装された道に出るまではね」
「トール、起きろ」

 若干乱暴に、ザラムがトールの頭を叩いた。彼は呻き声を漏らし、身じろぎした。
 時間が経ったせいか、今更感動の涙は出てこなかった。ただ、深く安堵した。



 背中から、声が聞こえた。

「ロム……無事じゃったか……」
「無事じゃなかったのは、トールの方だよ。……歩ける?」
「うむ……ここは?」
「説明すると長いんだけど……歩きながら話すよ。暗くなる前に、馬宿に辿り着きたい」
「……アイラスは?」



「アイラス……?」



 耳慣れない言葉に聞き返すと、トールは少し驚いた顔をした。
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