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心の底
少女は介護した
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ロムは別人のようになって帰ってきた。怪我はない。だが表情が消えていた。こちらの声は聞こえているはずなのに、反応がない。何も話さない。目はどこも見ていない。管理人から聞いた、昔の彼のようだと思った。
討伐戦は、規模の割に戦死者も出て、ロムが所属していた部隊長も亡くなったらしい。
ロムを連れて来て経緯を説明してくれたのは、アイラスが大嫌いなあの騎士だった。
「彼が居なかったら、被害はもっと大きなものになっていただろう。本当に感謝している。報酬もギルドとは別に、十二分に渡したい。もし彼の意識が戻ったら……城まで来てくれるように伝えてくれないか。話は通しておくから」
彼はアイラスの罵倒も全て受け入れ、頭を下げて帰っていった。
こんな事になるなら、討伐戦に参加するのを反対すればよかった。でもロムは、夢のために必要だと言っていた。だとしたら避けられない結果だったのか。何が正解だったのか、アイラスにはわからなくなっていた。
それからのアイラスは大変だった。ロムはすべてにおいて世話が必要だった。一人で食事もできない。咀嚼も十分にできないため、離乳食のような物を与えた。かと思えば一人で勝手に出歩く事もあり、目が離せなかった。
レヴィの工房にも学校にも行かず、日々ロムの世話だけをして過ごした。
「おぬしが倒れてしまうぞ」
トールが心配してそう言ったが、アイラスは首を横に振った。
「私達が寝る時に、トールには、ロムを、見て欲しいノ。夜、起きて、徘徊する事があるかラ。だから、トールは、休んでおいてネ」
「それは心得ておるが……」
戦の生き残りが、トラウマを抱えて精神疾患にかかることは知っていた。昔のロムもそうだったんだろう。半年で治ったのは幸運だったのだと思う。それとも、その時に完治していたわけではなく再発したのか。だとしたら、今度は半年では戻らないかもしれない。
病によって働けなくなった者は、保護区ではどうなるんだろう。隔離施設があるとは聞いた事があるが、見たことはない。どこにあるのか知らされてはいない。ロムはいずれそこに入れられるのだろうか。そうなったら会うのは難しいように思う。
最悪の事態ばかり想像してしまい、打ち消すように頭を横に振った。
数日が経ったある日、トールがあわてた様子でロムの部屋にやってきた。
「ニーナのところへ行くぞ! ロムの心を取り戻すのじゃ」
「どういう事なノ?」
「わしも詳しくは聞いておらぬ。向こうで説明してくれるじゃろう」
ニーナは、いつもとは違う装いで迎えてくれた。今までは黒いドレスだったが、今日は白い法衣に身を包んでいる。装飾品も多かった。ニーナの美しさが際立っていた。トールが魔法補助具だと教えてくれた。
「二人にはロムの心の中に入ってもらうわ。彼の壊れてしまった心を修復してほしいの」
「どうすれば、入れるノ?」
「私が導くから、あなた達は何も心配しなくて大丈夫」
「入った後、具体的に何をすればいいのじゃ?」
「それは入ってみないとわからないわ。中での法則は彼の心に基づいているの。だからあなた達の自由にはならない事もある」
「例えば?」
「姿を偽ることはできないわ。だからトールは魔法が使えない。代わりにアイラスが使えるでしょう」
「アイラスの魔力では心許ないぞ」
「私が導くと言ったでしょう? 中で使う魔法には、私の魔力が消費される。どれだけ使っても、アイラス本人の身体には影響ないわ。思う存分やっちゃって頂戴」
「おぬしの魔力が切れたらどうするのじゃ」
「だから来てもらったのよ。この館なら私の魔力が尽きることはないのだから。他に質問はないかしら?」
「前も、同じ事、したノ?」
「前?」
「ロムが、この街ニ、来た時……」
「あの時は彼の心に入れる者が居なかったの。彼自身が心を許す人でないと入れないのよ」
誰も信じていなかった彼が、今は自分達を信じてくれている。その事実はアイラスの中で希望のように輝いた。
以前とは違う。彼は戻ってくる。いや違う。連れ戻してみせる。
「では、始めましょうか」
ニーナの指示に従って、三人は床に仰向けに寝転んだ。ロムを中心にして、両脇にアイラスとトールが並び、お互い手を繋いだ。
その周囲に、ニーナが二重の円を描いた。
「いいわね? 中で何があっても、心を乱さないようにね。あなた達の心もむき出しになるのだから。中で傷つけば、あなた達も傷ついてしまう……」
「肝に銘じておこう」
ニーナは円と円の間に、長い言霊を書き始めた。同時に長い詠唱を始めた。床が淡く光り始めた。
光はだんだん強くなり、その中に飲み込まれたと思ったら、辺りが暗転した。
——アイラス……アイラス……
頭に響く声に目を開けた。横たわるアイラスの顔を、白い大きな虎が覗き込んでいた。トールだ。
半身を起こして見渡すと、辺りは真っ暗で自分達の周囲だけぼんやり光っていた。光っているのはアイラスとトール自身だった。足元には、ごつごつとした岩が転がっていた。
ぼんやりした頭を振ると、長い髪が揺れた。あれ? と思って触れてみると、その手も子供の手ではなかった。
はっとしてトールを見た。
「私……」
声も違った。
虎の顔は表情がわからない。けれど、気にするなという気持ちだけは伝わってきた。そうだ。今はロムの心を取り戻すことが先決だ。
立ち上がって再び見渡した。周囲は漆黒の闇で、何も手がかりがない。
ニーナは魔法が自由に使えると言った。かつては魔法の言霊自体が、彼女の最もよく知る言葉だった。その言葉で聞いてみた。
——ロムの心の欠片は、どこにあるの?
それは魔法となって発動した。
遠くにぽつんと光が生じたのが見えた。
「あそこだ! 行こう!」
討伐戦は、規模の割に戦死者も出て、ロムが所属していた部隊長も亡くなったらしい。
ロムを連れて来て経緯を説明してくれたのは、アイラスが大嫌いなあの騎士だった。
「彼が居なかったら、被害はもっと大きなものになっていただろう。本当に感謝している。報酬もギルドとは別に、十二分に渡したい。もし彼の意識が戻ったら……城まで来てくれるように伝えてくれないか。話は通しておくから」
彼はアイラスの罵倒も全て受け入れ、頭を下げて帰っていった。
こんな事になるなら、討伐戦に参加するのを反対すればよかった。でもロムは、夢のために必要だと言っていた。だとしたら避けられない結果だったのか。何が正解だったのか、アイラスにはわからなくなっていた。
それからのアイラスは大変だった。ロムはすべてにおいて世話が必要だった。一人で食事もできない。咀嚼も十分にできないため、離乳食のような物を与えた。かと思えば一人で勝手に出歩く事もあり、目が離せなかった。
レヴィの工房にも学校にも行かず、日々ロムの世話だけをして過ごした。
「おぬしが倒れてしまうぞ」
トールが心配してそう言ったが、アイラスは首を横に振った。
「私達が寝る時に、トールには、ロムを、見て欲しいノ。夜、起きて、徘徊する事があるかラ。だから、トールは、休んでおいてネ」
「それは心得ておるが……」
戦の生き残りが、トラウマを抱えて精神疾患にかかることは知っていた。昔のロムもそうだったんだろう。半年で治ったのは幸運だったのだと思う。それとも、その時に完治していたわけではなく再発したのか。だとしたら、今度は半年では戻らないかもしれない。
病によって働けなくなった者は、保護区ではどうなるんだろう。隔離施設があるとは聞いた事があるが、見たことはない。どこにあるのか知らされてはいない。ロムはいずれそこに入れられるのだろうか。そうなったら会うのは難しいように思う。
最悪の事態ばかり想像してしまい、打ち消すように頭を横に振った。
数日が経ったある日、トールがあわてた様子でロムの部屋にやってきた。
「ニーナのところへ行くぞ! ロムの心を取り戻すのじゃ」
「どういう事なノ?」
「わしも詳しくは聞いておらぬ。向こうで説明してくれるじゃろう」
ニーナは、いつもとは違う装いで迎えてくれた。今までは黒いドレスだったが、今日は白い法衣に身を包んでいる。装飾品も多かった。ニーナの美しさが際立っていた。トールが魔法補助具だと教えてくれた。
「二人にはロムの心の中に入ってもらうわ。彼の壊れてしまった心を修復してほしいの」
「どうすれば、入れるノ?」
「私が導くから、あなた達は何も心配しなくて大丈夫」
「入った後、具体的に何をすればいいのじゃ?」
「それは入ってみないとわからないわ。中での法則は彼の心に基づいているの。だからあなた達の自由にはならない事もある」
「例えば?」
「姿を偽ることはできないわ。だからトールは魔法が使えない。代わりにアイラスが使えるでしょう」
「アイラスの魔力では心許ないぞ」
「私が導くと言ったでしょう? 中で使う魔法には、私の魔力が消費される。どれだけ使っても、アイラス本人の身体には影響ないわ。思う存分やっちゃって頂戴」
「おぬしの魔力が切れたらどうするのじゃ」
「だから来てもらったのよ。この館なら私の魔力が尽きることはないのだから。他に質問はないかしら?」
「前も、同じ事、したノ?」
「前?」
「ロムが、この街ニ、来た時……」
「あの時は彼の心に入れる者が居なかったの。彼自身が心を許す人でないと入れないのよ」
誰も信じていなかった彼が、今は自分達を信じてくれている。その事実はアイラスの中で希望のように輝いた。
以前とは違う。彼は戻ってくる。いや違う。連れ戻してみせる。
「では、始めましょうか」
ニーナの指示に従って、三人は床に仰向けに寝転んだ。ロムを中心にして、両脇にアイラスとトールが並び、お互い手を繋いだ。
その周囲に、ニーナが二重の円を描いた。
「いいわね? 中で何があっても、心を乱さないようにね。あなた達の心もむき出しになるのだから。中で傷つけば、あなた達も傷ついてしまう……」
「肝に銘じておこう」
ニーナは円と円の間に、長い言霊を書き始めた。同時に長い詠唱を始めた。床が淡く光り始めた。
光はだんだん強くなり、その中に飲み込まれたと思ったら、辺りが暗転した。
——アイラス……アイラス……
頭に響く声に目を開けた。横たわるアイラスの顔を、白い大きな虎が覗き込んでいた。トールだ。
半身を起こして見渡すと、辺りは真っ暗で自分達の周囲だけぼんやり光っていた。光っているのはアイラスとトール自身だった。足元には、ごつごつとした岩が転がっていた。
ぼんやりした頭を振ると、長い髪が揺れた。あれ? と思って触れてみると、その手も子供の手ではなかった。
はっとしてトールを見た。
「私……」
声も違った。
虎の顔は表情がわからない。けれど、気にするなという気持ちだけは伝わってきた。そうだ。今はロムの心を取り戻すことが先決だ。
立ち上がって再び見渡した。周囲は漆黒の闇で、何も手がかりがない。
ニーナは魔法が自由に使えると言った。かつては魔法の言霊自体が、彼女の最もよく知る言葉だった。その言葉で聞いてみた。
——ロムの心の欠片は、どこにあるの?
それは魔法となって発動した。
遠くにぽつんと光が生じたのが見えた。
「あそこだ! 行こう!」
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