8 / 39
10月3日(木)
(4)――それならもう、狐だろうが犬だろうが人間だろうが、なんでも良いか。
しおりを挟む「おお、アキじゃないか! また来てくれるとは、ワタシは嬉しいぞっ!」
山道の入り口付近に自転車を隠し、道を登っていくことしばらく。
神の遣いである狛犬を自称する少女は、平然と社殿の前に座っていた。僕の姿を認めると、弾む足取りで駆け寄ってくる。その顔は、今日もアニメ絵のお面で覆われていた。暢気な性格の割に、意外と用心深いらしい。
自称狛犬。
自称神の遣い。
いわゆる『本物』なのか。
狐か犬に化かされているのか。
或いは、同級生にからかわれているだけなのか。
それを確かめるために、僕はひとつ、やらなければならないことがある。
「……」
「うん? どうしたのだ?」
とはいえ、この方法は流石に人間性を疑われるのではないだろうか。
土壇場で臆病風に吹かれ、僕の身体は強張ってしまう。
「……」
「な、なにか言ってくれ、アキ。沈黙は怖いぞ」
「……」
「アキぃ……」
逡巡の末、僕はどうにでもなれと半ば自棄気味に、少女に左の手の平を向けて、
「……お手」
と言った。
少女は一体どんな反応を示すだろうか。
馬鹿なことをするな、と怒るだろうか。
それとも、ただただ呆れるのだろうか。
果たして、少女は一度、きょとんとした様子で僕の手の平を見つめると、すぐに得心がいったようで、
「はい」
と、なんの躊躇もなく僕の手の平に、軽く握った右の拳を乗せたのだった。
「……おかわり」
「はい」
「……ぐるっと回って」
「ぐるぐる」
「……ハイタッチ」
「ヤーッ!」
完璧だった。
まさか、本当に犬なのでは?
「アキ、アキ」
「な、なに?」
弾むような少女の声に我に返れば、僅かに屈んで僕に頭を向けていた。
撫でろ、ということだろうか。
「……良くできました」
「うむ!」
恐る恐る少女の頭を撫でると、とても満足そうな声が返ってきた。
「どうだ? アキ。ワタシは躾の行き届いた、賢い狛犬であろう!」
絶句する僕を他所に、えへん、とふんぞり返る少女。
「僕のほうからやっておいてなんだけど、お前、嫌じゃないのか?」
「嫌じゃないぞ。ワタシは狛犬なんだから、これくらいはできて当然なのだ」
「……そういうものなのか?」
「そういうものなのだ」
「ふうん」
「うむ」
『本物』か。化かされているのか。単なる同級生か。
少女の正体を掴むためには、一度少女に触れてみるのが良いと思った。けれど、見た目は同学年の女子に、どうしたら不自然にならずに触れることができるかどうかと、必死に頭を捻った結果がこれだった。我ながらおざなりな作戦だと思っていたが、まさかこうも簡単に成功してしまうとは。躊躇していた僕が滑稽にさえ思えてきた。
さておき。
少女に触れることはできた。指先からは生き物の体温が伝わってきた。少なくとも、僕の目の前にいる少女は幻ではないようである。
確かに生きていて、そこに居て、普通に話ができる。
それならもう、狐だろうが犬だろうが人間だろうが、なんでも良いか。
「アキ、今日は大丈夫だったか?」
「え?」
不意に話題を振られ、僕は一音しか発せなかった。
少女はそんな僕を他所に、頭からつま先まで、さらりと視線でなぞる。
「うむ。どうやら今日は、あのいけ好かない連中から上手く逃げ果せたようだな」
「……。昨日は、たまたま逃げ切れなかっただけだ」
「そうか。無事でなによりだ」
それより、アキ。
くいっと僕の制服の裾を掴みながら、少女は言う。
「せっかく来たんだ、少しゆっくりしていってはどうだ?」
「そ、その前に」
力で敵わないことを既に知っている僕は、少し大きい声を上げて牽制する。ぴたりと動きを止めた少女は、なにごとだろうと小首を傾げながら僕を見た。
「ひとつ、訊いておきたいことがあるんだけど」
「ワタシは正真正銘、本物の狛犬だぞ?」
「いや、それはもう信じてやるから」
そうじゃなくて、と僕は続ける。
「……お前さ、本当に僕のこと、知らないのか?」
「昨日も言ったが、アキとは昨日が初対面だぞ? それとも、実はアキは有名人で、これからテレビの撮影でもあると言うのか?」
「そういんじゃないけど……」
昨日といい、今日といい、この少女は本当になにも知らないようだ。知らないふりをして、僕に関する根も葉もない噂の真偽を確かめるつもりもないらしい。それならもう、この少女を警戒する必要はないんじゃないだろうか。
だって僕は、少女と話していて、不快に思うところはない。久しぶりに同世代の子と普通に話ができて、どちらかと言えば楽しいくらいだ。楽しいのなら、もう良いか。
「訊きたいことは、それだけか?」
「ああ、うん」
拍子抜けしてぼんやりと頷いた僕に、少女は再び僕の制服の裾を引っ張った。
「それならほら、立ち話もなんだから、あっちに座ろうではないか!」
「はいはい」
「はいは一回だぞ、アキ!」
「はーい」
そうしてされるがまま、僕は少女に引っ張られて、昨日同様、社殿前の階段に座った。
「えへへ、また来てくれてありがとう。本当に嬉しいぞ」
ぶんぶんと左右に振れる尻尾の幻覚を、少女に見る。それほどに僕の来訪を喜ばれると、こっちまで嬉しい気持ちにさせられる。
「それで、アキ。今日はどんな用事があって来たのだ? 上級生に追われてもなければ、暴力も振るわれてもなく、怪我もない。……ははあ、さてはアキ、ワタシとお喋りがしたくて来たのだな?」
「あ、いや。用事は、これ」
言いながら、僕は鞄から小さな包みを取り出す。
「昨日はありがとう。ハンカチ、ちゃんと洗濯してきたから。返す」
ハンカチ一枚を返すのに包装するのはどうかとも考えたが。あいつらと遭遇し、泥まみれになる可能性を考えると、こうしたほうが被害を最小に抑えられると思ったのだ。
「おお、これはこれはご丁寧に。かたじけない」
包みの正体がわかると、少女はそう言いながら両手で受け取った。
「……用事は以上なんだけど」
「えっ」
両手で包みを持ったまま、少女はこの世の終わりのような、絶望そのものの声を上げた。
「も、もう帰っちゃうのか、アキ」
裾を掴まれながら涙声で懇願されて、一体どれだけの人間が拒絶できると言うのだろう。
「……日が沈むまで、なら。大丈夫」
降参するように両手の平を少女に軽く見せながら、僕は言った。
すると、少女の雰囲気がお面越しにでも明るくなっていくのがわかった。
「ヤー!」
「? うん」
一瞬、『やだ』と言われたのかと思って動揺したが、少女のテンションから見るに拒絶ではないらしい。言葉と反応の差に驚きながら、僕は曖昧に頷いた。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
足を踏み出して
示彩 豊
青春
高校生活の終わりが見え始めた頃、円佳は進路を決められずにいた。友人の朱理は「卒業したい」と口にしながらも、自分を「人を傷つけるナイフ」と例え、操られることを望むような危うさを見せる。
一方で、カオルは地元での就職を決め、るんと舞は東京の大学を目指している。それぞれが未来に向かって進む中、円佳だけが立ち止まり、自分の進む道を見出せずにいた。
そんな中、文化祭の準備が始まる。るんは演劇に挑戦しようとしており、カオルも何かしらの役割を考えている。しかし、円佳はまだ決められずにいた。秋の陽射しが差し込む教室で、彼女は焦りと迷いを抱えながら、友人たちの言葉を受け止める。
それぞれの選択が、少しずつ未来を形作っていく。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
星の見える場所
佐々森りろ
青春
見上げた空に星があります様に。
真っ暗闇な夜空に、願いをかけられる星なんてどこにもなくなった。
*・゜゚・*:.。..。.:*・' '・*:.。. .。.:*・゜゚・*
『孤独女子×最低教師×一途男子』
*・゜゚・*:.。..。.:*・' '・*:.。. .。.:*・゜゚・*
両親が亡くなってから、姉・美月と二人で暮らしていた那月。
美月が結婚秒読みの彼氏と家を出ていくことになった矢先に信じていた恋人の教師に裏切られる。
孤独になってしまった那月の前に現れたのは真面目そうなクラスメイトの陽太。
何を考えているのか分からないけれど、陽太の明るさに那月は次第に心を開いていく。
だけど、陽太には決して表には出さない抱えているものがあって──
如月さんは なびかない。~クラスで一番の美少女に、何故か告白された件~
八木崎(やぎさき)
恋愛
「ねぇ……私と、付き合って」
ある日、クラスで一番可愛い女子生徒である如月心奏に唐突に告白をされ、彼女と付き合う事になった同じクラスの平凡な高校生男子、立花蓮。
蓮は初めて出来た彼女の存在に浮かれる―――なんて事は無く、心奏から思いも寄らない頼み事をされて、それを受ける事になるのであった。
これは不器用で未熟な2人が成長をしていく物語である。彼ら彼女らの歩む物語を是非ともご覧ください。
一緒にいたい、でも近づきたくない―――臆病で内向的な少年と、偏屈で変わり者な少女との恋愛模様を描く、そんな青春物語です。
【完結】見えない音符を追いかけて
蒼村 咲
青春
☆・*:.。.ストーリー紹介.。.:*・゚☆
まだまだ暑さの残るなか始まった二学期。
始業式の最中、一大イベントの「合唱祭」が突然中止を言い渡される。
なぜ? どうして?
校内の有志で結成される合唱祭実行委員会のメンバーは緊急ミーティングを開くのだが──…。
☆・*:.。.登場人物一覧.。.:*・゚☆
【合唱祭実行委員会】
・木崎 彩音(きざき あやね)
三年二組。合唱祭実行委員。この物語の主人公。
・新垣 優也(にいがき ゆうや)
三年一組。合唱祭実行委員会・委員長。頭の回転が速く、冷静沈着。
・乾 暁良(いぬい あきら)
三年二組。合唱祭実行委員会・副委員長。彩音と同じ中学出身。
・山名 香苗(やまな かなえ)
三年六組。合唱祭実行委員。輝の現クラスメイト。
・牧村 輝(まきむら ひかり)
三年六組。合唱祭実行委員。彩音とは中学からの友達。
・高野 真紀(たかの まき)
二年七組。合唱祭実行委員。美術部に所属している。
・塚本 翔(つかもと しょう)
二年二組。合唱祭実行委員。彩音が最初に親しくなった後輩。
・中村 幸貴(なかむら こうき)
二年一組。合唱祭実行委員。マイペースだが学年有数の優等生。
・湯浅 眞彦(ゆあさ まさひこ)
二年八組。合唱祭実行委員。放送部に所属している。
【生徒会執行部】
・桐山 秀平(きりやま しゅうへい)
三年一組。生徒会長。恐ろしい記憶力を誇る秀才。
・庄司 幸宏(しょうじ ゆきひろ)
三年二組。生徒会副会長。
・河野 明美(こうの あけみ)
三年四組。生徒会副会長。
【その他の生徒】
・宮下 幸穂(みやした ゆきほ)
三年二組。彩音のクラスメイト。吹奏楽部で部長を務めていた美人。
・佐藤 梨花(さとう りか)
三年二組。彩音のクラスメイト。
・田中 明俊(たなか あきとし)
二年四組。放送部の部員。
【教師】
・篠田 直保(しのだ なおやす)
教務課の主任。担当科目は数学。
・本田 耕二(ほんだ こうじ)
彩音のクラスの担任。担当科目は歴史。
・道里 晃子(みちさと あきこ)
音楽科の教員。今年度は産休で不在。
・芦田 英明(あしだ ひであき)
音楽科の教員。吹奏楽部の顧問でもある。
・山本 友里(やまもと ゆり)
国語科の教員。よく図書室で司書の手伝いをしている。
【完結】カワイイ子猫のつくり方
龍野ゆうき
青春
子猫を助けようとして樹から落下。それだけでも災難なのに、あれ?気が付いたら私…猫になってる!?そんな自分(猫)に手を差し伸べてくれたのは天敵のアイツだった。
無愛想毒舌眼鏡男と獣化主人公の間に生まれる恋?ちょっぴりファンタジーなラブコメ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる